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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 永遠の生命とは…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  「死」ほど確実なものはない
 須田 まさに「死を忘れるな(メメント・モリ)」ですね。それで、いつも心に引っかかっている御書の一節があります。
 「生死一大事血脈抄」の「臨終只今にありと解りて信心を致して」のところです。「臨終只今にありと心を定めて」というのなら、わかるのですが、「臨終只今にありと解りて」と言われているのは、どうしてでしょうか。
 池田 大事なところです。人間は誰しも、「いつかは」自分は死ぬと知っている。しかし、あくまで「いつかは」であって、まだまだ先のことだと思っている。青年はもちろん、年をとっても、否、年をとればとるほど、「死」から目をそらす場合がある。
 しかし、人生の実相はどうか。じつは人間、次の瞬間には死んでいるかもしれない。
 地震、事故、急病その他、死の可能性は「いつでも」あるのです。それを忘れているだけです。
 斉藤 たしかに、その通りです。世界の果てまで、宇宙の果てまで逃げたとしても、「死」から逃げることはできません。
 池田 「死は自分の前にあるのではない。死は背中から自分に近づいてくる」と言った人がいる。
 「いつか頑張ろう」「これが終わったら頑張ろう」と思っているうちに、あっという間に年月は過ぎ去ってしまう。気がついてみると、何一つ、生命の財宝を積まないで、死に臨まなければならなくなっている。それが多くの人の人生でしょう。その時に後悔しても遅いということです。
 須田 たしかに、「三日後に、あなたは死ぬ」と宣言されたら、のんびりテレビなんか見ていられません。
 池田 しかし、よく考えてみれば、三日後が、三年後であっても、三十年後であっても、本質は同じなのです。ゆえに、いつ死んでもいいように、「今」を生きるしかない。
 また永遠から見れば、百年も一瞬です。文字通り、「臨終只今にあり」なのです。戸田先生も「本当は、死ぬときのために信心するんだ」とおっしゃっていた。
 須田 よくわかりました。
 池田 何が確実といって、「死」ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、三世永遠にわたる「心の財」を積むことです。その一番大事なことを「あと回し」にし、「先送り」して生きている人が人類の大半なのです。
 生死一大事というが、生死ほどの「一大事」は人生にない。この一番の大事に比べれば、あとはすべて小さなことです。そのことは「臨終」のときに実感するにちがいない。多くの人の死を看取ってきた、ある人が言っていた。
 「人生の最期に、パーッと、パノラマのように自分の人生が思い出されるようです。その中身は、自分が社長になったとか、商売がうまくいったとかではなくて、自分がどんなふうに生きてきたか、だれをどんなふうに愛したか、優しくしたか、どんなふうに冷たくしたか。自分の信念を貫いた満足感とか、裏切った傷とか、そういう『人間として』の部分が、ぐわぁーっと追ってくる。それが『死』です」と。
 斉藤 その「人間として」の部分とは、十界論でいえば、自分が何界の生命なのか、自分の基底部のことですね。こういう話を聞くと、生命を高めに高めておかないといけないという思いが強まります。
 池田 その意味で、「死」を意識することが、人生を高めることになる。「死」を自覚することによって、「永遠なるもの」を求め始めるからです。そして、この一瞬一瞬を大切に使おうと決意できる。
 遠藤 どこか原稿の″締め切り″に似ていますね。いやなものですが、やはり締め切りがないと原稿はなかなか書けないのも事実です。いつでもいいと言われたら、私なんか、まず書けません。
 須田 試験の期日もそうです。教学の勉強も、試験がないと「いつかやろう」「いつかやろう」と思って、先のばししてしまいます。
 池田 もし「死」がなかったら、どうなるか。さぞかし人生は間のびして、退屈なのではないだろうか。
 斉藤 緊張感がなく、のんべんだらりとするでしょうね。
 遠藤 人口問題だって大変です(笑い)。
 須田 三百歳になって体も動かないのに、死ぬことができない──秦の始皇帝は不老不死の薬を求めたそうですが、反対に皆が「死ぬ薬」を求め始めるかもしれません(笑い)。
3  「永遠」へ目を向けさせるもの
 池田 「死」があるからこそ、「今」を大切に生きようとするのです。現代文明は「死を忘れた文明」と言われる。それが同時に「欲望を野放しにした文明」となったことは偶然ではない。一個人と同じく、社会も文明も、「生死」という根本の大事を避けていては、その日暮らしの堕落に陥ってしまう。
 死を意識するか否かが、人間と他の動物との違いです。死を意識することによって、人間は人間になった。
 このことはエドガー・モランの『人間と死』(吉田幸男訳、法政大学出版局)をはじめ、多くの学問的著作で明らかにされている。「死の重み」を忘れた生は、動物的な「軽薄な生」になっていく。
 斉藤 そうしますと、個人にとっても、人類全体にとっても、「死」は単なるマイナスのものではないことになります。むしろ、人間を「永遠なるもの」に向けていくプラスの力をもっている、ということになりそうです。
 池田 そう。寿量品には「方便現涅槃」(法華経四八九ページ)という重要な法理が示されているが、その法理の一つの意味もそこにある。
 須田 「方便として涅槃を現ず」というのは、簡単に言うと「死は方便」ということですね。方便というのは、「手段」ということですから、「死は手段」という意味になります。
 遠藤 では何の手段なのか、というと、「人間に永遠の仏を求めさせるため」の手段ということになります。
 池田 ありがたいことです。師匠は自分の死をも、弟子を救う手段とするのです。そこのところを、経文の上で再確認しておいたほうがいいでしょう。
 斉藤 はい。寿量品では、釈尊の生命は「本当は永遠」であるが、衆生を救うために「方便力」によって涅槃を現すと説かれています。
 つまり、仏の生命が永遠だからといって、ずっとこの世に仏が存在し続けると、衆生は仏の教えを求めなくなる、と言うのです。
 遠藤 こうあります。
 「若し仏は久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賤にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入りなん。若し如来、常に在って滅せずと見ば、便ち憍恣きょうしを起して厭怠えんだいを懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わず」(法華経四八三ページ)
 (もし仏が久しく世の中に住するならば、徳の薄い人は、善根を植えないであろう。また、貧しく賤しい生活に落ちこみ、眼・耳・鼻・舌・身が起こす五つの欲望にふけり、執着し、さまざまな間違った考えの網の中に入って〈網にとらわれて〉しまうであろう。もし如来が、常にこの世にあって入滅しないと見れば、すぐに驕りや、わがままな心を起こし、いや気がさして怠け心を抱き、「仏さまには、なかなか、めぐり会えないのだ」と慕う思いや、仏を敬う心を生じることができないであろう)
 須田 たしかに、自分の胸に手を当てても、「この通りだ」と思います(笑い)。
 遠藤 信仰心のある人でも、「最後は仏様が何とかしてくださるだろう」と甘えてしまうでしょうね。
4  ″良医と病気の子どもたち″の譬え
 池田 この「方便現涅槃」の意義は、良医病子の譬えを見れば、もっとはっきりするでしょう。
 遠藤 はい。譬えのあらましを言いますと、良医が旅に出ている間に、その子どもたちが毒薬を飲んでしまった。苦しんでいるところに、父の名医が帰ってきた。父は「大良薬」をつくって与えました。
 須田 この名医は仏、子どもたちは衆生。大良薬は法華経であり、釈尊の師でもある「永遠の妙法」に当たります。末法でいえば御本尊です。
 遠藤 そうなります。ところが、せっかく最高の薬が与えられたのに、毒気が深く入りすぎて、薬を飲もうとしない子どもたちがいた。飲んだ子どもは、たちまち元気になりましたが、飲まない子はどうしようもありません。苦しみ、のたうち回っています。
 池田 そういう子どもを「顛倒の衆生」という。病んで、治療を願っていながら、薬は飲みたくないというのだから「顛倒」です。道理がわからないくらい「毒気深く入り」になっている。大良薬も「おいしくない」と思って拒否している。
 寿量品では「本心を失っている」と言っています。わけがわからなくなっている。「頭破作七分(頭破れて七分にる)」(法華経六四八ページ)の姿と言っていいでしょう。
 斉藤 広く言えば、現代人の多くも「顛倒の衆生」だと思います。″社会が病んでいる″とか、″何とかしなければ″とか、議論は盛んですが、いざ根本的な治療である「人間自身の変革」という点になると、本気で取り組もうとしない。抽象論か皮相的な話に終始して、「人間革命の大法」を真剣に学ぼうとはしません。だから何一つ変わりません。
 池田 そうも言えるでしょう。牧口先生は、そうした社会の病弊に対して厳しかった。
 須田 「高等精神病」とも言われていました。
 遠藤 そういう「顛倒の衆生」をあわれんで、仏である名医が「方便として涅槃を現じた」わけです。
 須田 旅先から使いを出して、「あなた方のお父さんは亡くなりました」と、子どもたちに伝えたのですね。これを聞いて、子どもたちは嘆き悲しみ、「ああ、もう何も頼るものがない」と苦しんで、やっと目覚めるわけです。
 「そうだ! お父さんが残してくれていた薬があった。あれを飲もう」と。そして、たちまち病が治ります。父は、子どもたちが皆、健康になったと聞いて、すぐに帰って来て、皆の前に姿を現します。こういう譬えです。
 池田 身近にあると、どんなに偉大なものでも、ありがたみを忘れてしまう。
 失ってはじめて、どんなに大切であったか、どんなに自分が救われていたかが、わかるのです。
5  師を求める″一心″に
 斉藤 子どもたちが、父の死を聞いて嘆き「咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず(咸皆懐恋慕 而生渇仰心)」(法華経四九〇ページ)。そして「一心に仏を見たてまつらんと欲して みずから身命を惜しまず(一心欲見仏 不自惜身命)」(同ページ)となります。その「一心」に応えて、「永遠の仏」が姿を現すということです。
 池田 それは自分の「永遠の仏界」に目覚めるということです。そのカギは、仏を求める「一心」にある。
 日蓮大聖人は、この「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって、「日蓮が己心の仏界」を顕し、「三大秘法」を成就したと仰せです(御書八九二ページ、趣意)。
 以前にも触れたが、大聖人は「一心」について、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」と仰せだ。「一心欲見仏」の経文が、「一心に仏を見る」から「一心を見れば仏なり」へと読み換えられている。″仏を求める凡夫の一心″が、そのまま″仏の一心″となっているのです。
 「心こそ大切」です。慢心ではなく、心の底から求道心を燃やしきっていかなければ、仏法はわからない。何億年、何百億年に一回しか、めぐり会えない御本尊だと思ったなら、一回一回の勤行がどれほど感激に満ち満ちてくることか。
 末法の御木仏・日蓮大聖人の「己心の仏界」が、「一心欲見仏不自惜身命」の文によって顕されている。この甚深の意義をかみしめなければならない。成仏といい、仏界といっても、「不自惜身命」の信心の「心」にしかないのです。その心を失ったら、仏法はない。その「心」を引き出すために、仏は「入滅」という姿を見せる。これが「方便現涅槃」です。
6  「臨終只今」の「臨終」とは──
 池田 あるとき、戸田先生は言われた。「『臨終只今にあり』というが、この臨終は、どなたの臨終かわかるかね。仏様の臨終だよ。仏様がいらっしゃらなくなったとしたら、どんなに心細いだろう。どんなにか悲しいことだろう。仏様に今、お別れしなければならないのだと思って、信心することだよ」
 この言葉を漫然と聞いていた人は、戸田先生が亡くなったあと、先生が生きておられるうちに、ああすればよかった、もっと戦って喜んでいただきたかったと後悔したのです。
 「臨終只今」とは、師匠の臨終が只今と思って、猛然と広宣流布へ戦っていきなさいということです。師匠に見守ってもらって戦えるなんて幸せなことなのです。それがわからない弟子は失格です。
 師匠が生きているうちに、そう気づいて頑張るのが「本心を失っていない子ども」に当たる。気づかないのが「毒気深入」で本心を失った子どもです。
 斉藤 今までの読み方が、まったく浅いものだとわかりました。「師弟」という一点が寿量品の魂ですね。
 池田 師弟不二を教えてあげようという仏の大慈悲の結晶が寿量品なのです。師匠も久遠以来の仏である。弟子の一切衆生も久遠の仏である。それを、いかに自覚させるか──それが仏の「毎自作是念(毎にみずから是の念をさく)」(法華経四九三ページ)です。
 弟子を立派にしたいと思わない師匠はいない。
 しかし師匠のその心は、弟子には、なかなかわからない。親が子を思うほど、子は親を思わない。互いに思ってこそ「不二」になる。
 戸田先生が牧口先生を思う心は、すさまじかった。獅子のごとく剛毅な先生だったが、晩年、長い間の疲れが出た先生は、よく「牧口先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と言われていた。牧口先生のことになると、いつも「真剣を抜く」姿勢をとられた。先生の獄死のことになると、阿修羅のごとく激憤された。
 ある時は、胸臆から涙し、ある時は秋霜のごとく厳しく論じ、いつもいつも恩師を偲び、語り抜いておられた。
 戸田先生が、牧口先生の死を獄中で検事から聞かされたとき──その時こそ、恩師を死に追いやった権力の魔性と戦い抜くことを、先生は決意されたのだと思う。その意味では、牧口先生の獄死が、現代における広宣流布への「方便現涅槃」となったとも言えよう。そうなったのも、恩師を求める「不二の弟子」がいたからです。
 「妙」は死、「法」は生。師匠は「死」、弟子は「生」。師弟即妙法であり、妙法即生死です。まさに生死不二であり、師弟不二なのです。
  恩師は逝きて薬王の
  供養ささげてあるものを
  俺は残りてなにものを
  供上ささげまつらん御仏に
 戸田先生の詩です。師も「一心欲見仏不自惜身命」であった。ならば自分も「一心欲見仏不自惜身命」で生きていこう、と。これが寿量品の心です。この師弟の継承がなければ、「永遠の生命」といっても抽象論になってしまう。ただの「理」になってしまう。
 また寿量品で大事なことは、「弟子の境涯によって、同じ師匠が違って見える」ということです。弟子が成長した分だけ、師匠の偉大さがわかる。このことを教えているのです。
7  自我褐──「自身」が「永遠の仏」
 遠藤 「方便現涅槃」には、釈尊が亡くなった時の状況が反映されているのではないでしょうか。偉大な師が亡くなって、茫然とする弟子たち──これから何を支えに生きていけばよいのか。
 須田 経典によれば、それは「髪の毛のよだつ」恐ろしいことでした。ある者たちは「髪を乱して泣き、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった」と伝えられています(『ブッダ最後の旅──大パリニッパーナ経』中村元訳、岩波文庫)
 斉藤 後世の仏教徒にとっても、釈尊のいない虚しさは大きかったと思います。そうしたなか、法華経の「方便現涅槃」は、釈尊の表面上の「生と死」にとらわれてはならないと教えました。それを超えた「永遠の仏の生命」に目覚めよと呼びかけたわけです。
 池田 そう。しかも、その「永遠の大生命」に目覚めたとたん、それはじつは自分自身の生命の奥底でもあることに気づく。わが生命の夜明けです。ゆえに寿量品の「自我偈」は、「自」の字で始まり、「身」の字で終わっている。「自身」の自由自在の境涯を説いたのが自我褐なのです。
 須田 自我渇は、寿量品の要ですし、寿量品は仏教全体の魂です。仏教全体の究極が、「自身」の大生命に目覚めよという叫びなのですね。
 遠藤 寿量品には「如来は如実に、三界の相を知見す。生死の、若しは退、若しは出有ること無く、亦在世、及び滅度の者無し」(法華経四八一ページ)と説かれています。
 (如来は、ありのままに三界の実相を知見している。生と死といっても、この三界から退き去ることも、この三界に出現することもない。また世に在る者、滅度した者という区別も無い)
 要するに、「生」もなければ「死」もないというのですね。
 池田 しかし現実には、「生」もあれば「死」もある。それなのに、どうして、そう説かれているのか──。
 遠藤 やはり法華経では、表面の生と死を超えたところに、目を向けさせようとしているからではないでしょうか。
 斉藤 そうだと思います。「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)といいますが、その「一心」に目覚めさせようということだと思います。
 池田 そう言えるでしょう。しかし、その「一心」すなわち「南無妙法蓮華経」という宇宙生命に目覚めた後は、「生」も妙法の生、「死」も妙法の死とわかる。ゆえに、もはや「生死が無い」と言う必要はない。
 むしろ「生も無ければ死も無い」と言うこと自体が、現実逃避であり、一つの「とらわれ」になってしまう。
8  「本有の生死」
 須田 はい。大聖人は、こう言われています。
 「生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり
 (生死を見て、嫌い離れるのを「迷い」といい、「始成正覚」というのである。一方、本有の生死〈本来、永遠にある生死〉と知見するのを「悟り」といい「本覚」というのである。今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉るとき、「本有の生死」であり「本有の退出」であると悟るのである)
 池田 これこそが真実の仏法の生死観です。釈尊の仏法の場合は、「永遠の大生命」のほうに目を向けさせようとするあまり、「生死を離れよう」という傾向性を、まだ残しているとも言える。
 しかし、大聖人の仏法では、その「永遠の大生命」に基づいて、「本有の生死」を生き、「生死即涅槃」を実現していくのです。
 斉藤 西洋でも、仏教というと、生も死もない「涅槃寂静」の世界を思い起こす人が多いようです。
 須田 小乗教によって強調された「生死・輪廻を繰り返さない境地」が涅槃だという考え方ですね。
9  生も仏、死も仏
 池田 寿量品では、それを否定した。そのような「涅槃」は人々を導くための「方便」にすぎないとしたのです。それでもやはり、力点は「生死を超えた世界」のほうに傾いている。それに対し、大聖人の仏法は、ただちに「本有の生死」と説くのです。
 それでは、南無妙法蓮華経の大生命に「命く」本有の生死とは何か。大聖人は仰せです。「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」と。
 三世永遠にわたって、自由自在の境涯です。「法性の大地を生死生死と」とは、妙法の大生命に命いた生死です。大宇宙即自分自身の「仏界の大地」に根ざした前進です。
 譬えていえば、九界の生死は、でこぼこ道を揺られながら、難行苦行して、ぎごちなく進んでいる姿と言えよう。ときには底なし沼に落ちこんで浮かび上がってこれなかったり、事故ばかり起こして傷だらけになる場合もある。それに比べて、仏界の生死は、ハイウエーを最高の車で悠々と進んでいくようなものです。ときには周囲の風景も楽しみながら、人々を救うために、大生命力で行動していくのです。
 遠藤 生も死も仏界の大地の上を行く──日本では「死んでから仏になる」という考えが強いですが、違いますね。
 須田 大聖人は「きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」と言われています。
 (〈亡くなられたあなたのご主人は〉生きておられた時は生の仏、今は死の仏。生死ともに仏です。「即身成仏」という大事な法門が、これです)
 斉藤 まさに生死不二です。
 池田 だから、現世で勝たなければならない。今世の勝利が、死後の勝利であり、来世の勝利であり、永遠の勝利です。戸田先生は「この世でよくなれば必ず後生もよいのです」と言われていた。
 遠藤 今世の不幸はそのままにしておいて、「死後の幸福」だけを教える宗教もあります。しかし、大聖人の仏法は、そうではない。今世の幸福の「実証」が、死後の幸福の証明であり、来世の幸福の証明であるとするのですね。
 池田 「永遠の生命」といっても目には見えない。見せることもできない。その意味では、通常の「知」の次元を超えた「信」の領域と言えるでしょう。
 しかし、それだけでは、「死後」について、どんなデタラメを言ってもわからないということになりかねない。
 須田 事実、そういう宗教は多いと思います。
 池田 しかし日蓮大聖人の仏法は「生死不二」であるゆえに、「生」の姿のうちに、「死後」の姿が現れていると見る。もしも、この仏法を信仰して、今世で幸福にならなかったならば、死後の幸福といっても、なかなか信じられないでしょう。
 反対に、今世で幸福の実証が出るならば、死後の幸福も間違いないと信じられる。大聖人の生命哲学が間違っていたなら、今世でも大功徳が出るはずがないからです。
 斉藤 だれもが納得できる生命観だと思います。
 池田 仏界の生死──妙法の信心を貫ききって死んだならば、どうなるか。大聖人の御書を拝したい。
 遠藤 はい。「ただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん
 (ほどなく霊山に行かれたならば、太陽が出て十方の世界を見晴らすようにうれしく、「早く死んでよかった」と、お喜びになられることでしょう)
 須田 すごい御文です。一点の曇りもありません。「死」はもはや恐れるものではなく、「楽しみ」ですらある、と。
 斉藤 このようにも言われています。「あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし・金の繩を以つて八の道をさかへり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり
 (何とすばらしいことであろうか。法界は皆、寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道をしきっている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられるのである。我らも、その中につらなって遊びたわむれ、楽しむべきときが、間近になっている)
 池田 「生も歓喜、死も歓喜」です。大聖人は「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」とも仰せだ。
 (一仏乗の教えである法華経の羽の力で、寂光の空へも飛翔するであろう)
 三世にわたって、全宇宙を舞台に、「幸福の大空」を悠々と飛翔するのです。ゆえに、恐れなければならないのは「死」ではない。峻厳なる「因果の理法」を恐れなければならない。
 よく生きた人は、よく死ぬ。そして、よく生まれてくる。悪く生きた人は悪く死ぬ。そして悪く生まれてくる。ギリシャの哲学者(アンティステネス)は「この世において最高の幸福とは何だろうか」と問われて、「それは仕合わせなままで死ぬことだ」と答えたのです。(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』加来彰俊訳、岩波文庫)
10  妙法に生き抜く──寿量品の心
 須田 「如来寿量品」の「寿量」とは、「仏の寿命を量る」ことですし、「仏の大いなる功徳を量る」という意味もあります。寿量品の最初のところで教えていただいたように、私たちにとって、寿量品とは、仏の大生命力を我が身にたぎらせて「生きて生き抜く」ということにあるわけですね。
 遠藤 やはり「長生き」が大事ということですね。
 池田 「長寿は生命の芸術」と言った人がいる。長寿それ自体が勝利の姿です。寿量品には「更賜寿命(さらに寿命を賜え)」(法華経四八五ページ)とあります。
 私も学会員の皆さまの「健康」と「長寿」を朝な夕なに、いつも祈っている。そのうえで、「仏界の生死」とは、単なる生きた年数の長さが証明になるわけではありません。
 日蓮大聖人の御入滅は、数えで六十一歳。現代で言えば、ちょうど「還暦」で亡くなられている〈六十年と約八ヵ月の御生涯〉。還暦というのは、暦をひとめぐりした、完全に生きたという意味があると言えるかもしれない。また日興上人は八十八歳で入滅された。
 斉藤 当時としては、きわめて長寿でしょうね。
 池田 九十歳を目前にしても「耳目聡明なり」と言われているように、お元気であり、二月の初めごろから病床に臥されて二月七日の夜半に亡くなられている。(元弘三年〈正慶二年〉=一三三三年)
 御臨終に至るまで「老耄ろうもう」も「病痛」も、まったくなかったと伝えられている。
 また日目上人は、天奏(朝廷に対する諌暁=正法によって諌めること)の旅の途上で、七十四歳で亡くなられた。
 遠藤 今の岐阜県──美濃の垂井が終焉の地です。
 池田 殉教の御姿です。穏やかに天寿を全うしたというよりは、壮烈な戦死の御姿でしょう。
 須田 旅の途中ですから、ある意味で、「思いがけない死」だったと言えると思います。
 池田 私は、三師が三様の亡くなられ方をされたことに深い意味を感じるのです。三師とも、広宣流布に戦い抜かれた「仏界の生死」であることは言うまでもない。
 しかし、その御姿は、それぞれであり、それでいいのだと教えてくださっているのではないだろうか。
 斉藤 「生死の理を示さんが為に黄泉の道におもむ」──生死の理法を示すために、死後への道を行く──と言われますが、いろいろな生死の姿があることを教えてくださっているのですね。
 池田 円教です。矛盾がない。たとえば″何歳までの人生が理想″と定められたなら、そうでない場合は不幸を感じてしまう。
 斉藤 戸田先生が亡くなられたのは満五十八歳。決して長寿とは言えません。
 また牧口先生は獄死です。七十三歳でした。牢獄でなければ、もっと長生きされたにちがいありません。
 池田 長寿であろうと、短命であろうと、いかなる場所で、いかなる姿で亡くなろうと、広布に生き抜いた人は「仏界の生死」なのです。
 私も、若いころから「三十までは生きられない」と言われた体です。しかし、戸田先生に代わって、生きて生き抜く以外になかった。「君は妙法の高山樗牛になれ。樗牛は三十一歳で死んでしまった。君は生き抜け。絶対に、私の後継として生き抜け」と。
 あるときは「私の命をあげるから」とまで言ってくださった。そして、短命と言われた私が、いよいよ七十歳。健康です。人生は、まだまだこれからだと思っている。
 遠藤 まさに寿量品の真髄のお話だと思います。
 池田 「長寿」は、それ自体、宝です。しかし、もっと大事なのは、どう生きたかです。「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」です。(百二十歳まで、この身をたもって、名を堕として死ぬよりも、一日生きているだけであっても、名をあげることこそが大切である)
 須田 以前にも紹介してくださった初期の仏典にも、こう説かれています。「不死しなないの境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうがすぐれている」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)。
 斉藤 「不死の境地」とは、「永遠の大生命」に目覚めた境地ですね。
 須田 ええ。これについて、「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」(同前)とも説かれています。
11  広布に励む信心が「不死の境地」
 池田 私どもにとっては、広宣流布という大願に生き、つとめ励むことが、そのまま「不死の境地」なのです。それが寿量品を身読したことになる。「永遠の仏」といっても「如来」といっても、広布のために命を削る一瞬一瞬の戦いを離れてはないのです。その「瞬間の生命」こそが「如来」なのです。
 戸田先生も、そうだった。教学の質問が、誰かからあれば、病床におられるときでさえ、体を起こして質問に答えておられた。
 「おれはどんなに機嫌が悪くても、御書の質問さえすれば、機嫌が良くなるよ」と、よくおっしゃっていた。亡くなる寸前まで、そうでした。
 ある支部長がいた。苦労を重ね、″たたきあげ″から実業家になった人です。
 あの「3・16」(昭和三十三年=一九五八年)の登山に出発する前日、戸田先生は、その支部長に電話をされていた。「あすから、しばらく留守になるが……」と前置きされて、衰弱したお体で、三十分も、商売の在り方について教えられたのです。懇切丁寧に──。
 数日後、今度は、その支部長が、商売の状況を報告しようと、先生に電話をかけた。その時、先生は本山で、重病の床にいらした。それでも、電話がかかっていることを耳にされるや、受話器を持ってくるように命じられた。
 そして不自由なお体を側の一人に支えさせ、もう一人に受話器を耳に持ってこさせて、話をされたのです。ありがたい師匠でした。
 斉藤 戸田先生は、ご自身の死期をご存じであったとうかがいました。お手伝いさんの手記によると、戸田先生は亡くなる前年、こう語られたそうです。
 「私はとっくに死んでる人間なんだよ。どこまで生きられるか、ためしているんだ」
 「本当のことを言おうか。私は来年四月には死ぬ。いいや死ぬ」
 戸田先生のご境涯を推し量ることなど、とうていできませんが、永遠の生命を感得されていた戸田先生が、最後の最後まで、深い「慈愛」に徹しておられた姿をうかがって、感動しました。
 池田 「永遠の生命がわかる」ということは、必ず「慈愛」の行動に表れる。そうでなければウソです。すべての人の生命が釈尊の生命と同じだとわかった人は、自分の命を削って、そのことを伝えようとする。
 仏の境涯とか、悟りとか言っても、その行動にしか実像はないのです。
 牧口先生も、そうでした。
 これは、ある婦人の入会間もないころの体験です。その方は一生懸命、折伏・弘教に励んでいた。親の病気で悩んでいた一人の友人を牧口先生のところに連れていった。牧口先生は「親に信心させることが最高の親孝行です」という話をしてくださった。その友人は即座に入会した。婦人は、友人と懸命に題目を唱え、友人の親は半年後に、実にきれいな相で亡くなった。「本当の親孝行ができてよかった」と、友人ともども喜んだ。
 今度は、その友人の弟さんを折伏した。ところが弟さんは、信心すると決意したその晩に不慮の事故で亡くなってしまった。「信心すると決意したのに、すぐ死ぬとはどういうわけか」とびっくりして、婦人は、ただちに牧口先生の自宅にうかがった。
 先生は、深夜にもかかわらず、「いっしょに行ってあげよう」と言われ、その夜のうちに来てくださった。そして、着かれるやいなや、「さあ、皆で一心に題目を唱えるのだ」と言われ、導師となって、長い間、題目を唱えてくださったと言うのです。その時、未入会の方も一緒に題目を唱えた。後日、その方も入会されたという。
 「生死」の問題は、「こうなっています。こういう理屈です」と言うだけでは、解決しない。悲嘆にくれている、涙にむせんでいる、固く心を閉ざしている──その人のために、身を粉にし、誠実を尽くしてこそ、心を「蘇生」させられる。「妙とは蘇生の義なり」の実証が出るのです。
 斉藤 よくわかりました。あと読者の方の参考のために日寛上人の臨終についても触れておきたいと思います。よく質問も受けます。日寛上人御書写の御本尊を拝んでいて、日寛上人について知りたいという方が多いようです。
 池田 指導者は皆が知りたいということに、すぐ対応しなければならない。さっそく触れましょう。
12  日寛上人の臨終の御姿
 遠藤 日寛上人の臨終といえば、有名なのは、おソバですね(笑い)。亡くなられたのは享保十一年(一七二六年)八月十九日の早朝。御年六十二歳でした。
 日寛上人は御自身の死期を悟っておられたようです。亡くなる一両日前に、法衣を着けられ、病床から起きて駕龍に乗り、塔中をお別れの暇ごいで回られます。最初は本堂で読経・唱題され、墓前に行かれ、また隠尊の法主や新法主のところを回り、門前町経由で大坊に戻られます。沿道では、人々が別れを惜しんだといわれています。
 須田 戻られるや、大工に葬式の用意をさせて、棺桶の蓋にご自分で一偈一首をしたためます。
 斉藤 悠々たる御境涯ですね。
 須田 八月十八日の深夜、御本尊をかけ奉り、周囲の人に臨終に際しての唱題などの注意をされ、好物のソバを作るよう命じられます。そして、七箸、これを召し上がられ、にっこり微笑まれて、「ああ面白や、寂光の都は」と述べられます。その後、うがいをされて御本尊に向かい合掌し、十九日の辰の刻(午前八時ごろ)、半眼半口で眠るように亡くなられています。
 斉藤 くわしい記録が残るほど、当時の人たちも感動したのでしょうね。
 池田 ソバを食べられたのは、約束を果たされたのです。それは「鳩摩羅什は『死後、自分の舌が焼けなければ、自分が説いたことが真実であったと知れ』と言って死に、その通りになった。そこで私(日寛上人)はふだんからソバが好きだから、臨終の時に、ソバを食べ、一声、大いに笑って題目を唱えて死ぬことにしよう。もしも、この通りになれば、私が説いたことを一文一句も疑ってはならない」と語られていた。
 亡くなられる半年前です。(亨保十一年二月)
 遠藤 それが、その通りの臨終だったわけですね。
 池田 また、この年の六月、日寛上人はこう語られている。
 「今、大石寺は栄えている。題目を唱える人が増えている。まさに三類の強敵が起きるであろう。私は、この春以来、災いをはらうことを祈願した。ゆえに仏天があわれんで、私自身の病魔をもって法敵にかえられたのである。これこそ『転重軽受』であるから、何も憂うることはない」と。
 遠藤 金沢法難もこの年の春です。
13  生まれたい時に生まれたい場所へ
 池田 広布のリーダーの厳然たる御姿です。その責任感があればこそ、先ほどの達観した臨終の御姿があったのだと思う。ともあれ「仏界の生死」にあっては、「死」は決して恐れるべきものではない。きょう寝て、あすの朝、起きる。それと同じです。死んだと思ったら、すぐに来世なのです(笑い)。
 須田 そう言われると安心します(笑い)。
 池田 しかも自分が生まれたいところに、生まれたい時に、生まれたい姿で、生まれてくる。地球とは限らない。「もう地球は、あきた」(笑い)という人は、他の星に行って働くのも自由です。
 御書には「不思議・自在の業」とある。「総勘文抄」にも「すぐに生まれてくる」とあったでしょう。
 遠藤 はい。「上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず
 (最高の成仏を遂げ、たちまちのうちに九界の生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切の有情の身の中に入れて、内からは仏道の心をおこし、外からは仏道に入らせようと導き、内外が相呼応して、因〈内因〉と縁〈外因〉を和合させて、自在にして生命に通達した慈悲の力を施し、広く衆生を利益することは自由自在であろう)
 斉藤 これこそ仏界の生死ですね。
 遠藤 すぐに生まれてこないで、「もう少し、ゆっくり休みたい」という人もいると思うのですが(笑い)。
 池田 そういう人は、ゆっくり休んでいいのです(笑い)。また、休むのが当然でしょう。死は「休息」です。宇宙生命の癒しの海に抱かれて、疲れた生命を充電するのです。そしてまた「生」という生命力の爆発へと向かうのです。
 ただ「仏界の生死」の場合、生命の基底部が「慈悲」そのものになっている。ゆえに、またすぐに人々を救うために生まれてこようとするのです。
 また、この「須臾の間に」というのは、いわゆる物理的時間ではなく、むしろ生命的時間とも考えられる。地獄の苦しみは、短い時間も長く感じさせるように、仏界の大歓喜は時間を短く感じさせる。その実感を言われていると考えてもよいでしょう。
14  才能ある畜生──現代人への警鐘
 斉藤 ここで、「寿量品」編は終了になります。まだまだ教えていただきたいことが多いのですが、次の「分別功徳品」(第十七章)以降に語っていただきたいと思います。
 池田 わかりました。寿量品のしめくくりに、「開目抄」の一節を拝したい。
 それは「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり」の一節です。
 (「寿量品の仏を知らない者は、自分の父が治める国であることを知らないで迷っているのであり(親の恩を知らないゆえに人間ではなく)才能はあっても畜生である」と(妙楽大師は)書いている)
 さまざまに拝することができるが、自分自身の生命の根源に迷っている現代人への警鐘とも言えるでしょう。この「才能ある畜生」を、「生命の法に目覚めた真の人間」に変えていくのが、寿量品なのです。寿量品の″心″を、すなわち日蓮仏法の大生命哲学を人々が学び、行ずるとき、真の「人間の世紀」の太陽が昇る。
 経済も政治も、教育も科学も、工業も農業も、家庭も人生も、はつらつたる「生命の法則」に則った社会──それをつくっていくのが、壮大なる「広宣流布」なのです。

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