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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 永遠の生命とは…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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10  死後の生命を変えられるか
 遠藤 死後の生命には能動性がないということですが、もし、死んでしまって地獄界に溶けこんだら、もうどうしようもないということでしょうか。
 池田 だから今世で人間革命に励みなさいと言うのです。一生空しく過ごして、万歳悔いても、もう取り返しがつかない。ただし、妙法の力は偉大です。こちらが唱える題目は、宇宙生命に冥伏している生命にも届くのです。
 戸田先生は「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命を、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」とおっしゃっている。題目の音声は、全宇宙に届くのです。
 遠藤 生きている者の題目が、死後の生命にも通じる。そうしますと、死後の生命から、生きている者への働きかけはできるのでしょうか。
 斉藤 死後の生命は冥伏していて、能動性は失われているわけですね。したがって、死後の生命から、積極的に働きかけることはできないのではないですか。
 須田 そういうことになりますね。一部の宗教では「先祖の霊があれを欲しがっている、これを欲しがっている」等と言って、信者にいろいろせびっているようですが、とんでもないことですね。
 遠藤 その通りですが、「死者の声を聞いた」とか「幽霊を見た」とかいう体験も実際にあります。すべてを錯覚と決めつけられないようですが──。
 池田 戸田先生は、死者の声を聞いたという人に対して、こういうふうに答えられたことがある。
 「生きている人も十界の生命をもっている。それで、大宇宙に溶け込んでいる死後の生命の『生命の波長』を感じてしまうこともある。それを言葉で聞こえたように思う」と。
 つまり、こちらの生命力が弱いから、向こうの「生命の波長」を受けて、自分がちょうどラジオかテレビの機械みたいになってしまう──ということです。
 そして、自分だけが聞いたり、見たりするのです。だから戸田先生は、むしろこちらが強い信心で生命力を出していけば、こちらの仏界の「生命の波長」を送って、安らかにしてあげられると指導されていた。
 「死んだ妻、死んだ先祖、これをいままでも、死霊などとだまされていたわけです。そのようなごまかしに、ひっかかってはいけません。そんなことを言ったら、死霊ばかりいて、身動きがつかなくなります」と断言されている。ともあれ、全宇宙が「生死の二法」のリズムを永遠に奏でている。
 生命の大海の無限の潮流は高鳴り、静まり、一瞬も停滞することなく、「生」と「死」のドラマを繰り広げ続けている。その原動力を、寿量品では、如来の「神通之力」と説いたのです。
 大聖人は「御義口伝」で、こう仰せです。「生住異滅の森羅三千の当体ことごとく神通之力の体なり」(生まれ、生命活動を営み、衰え、消滅していく宇宙の万象の当体は〈寿量品の久遠の如来の〉神通の力の本体である)
 この神通之力──根源の大生命を、我が身に開いていきなさいというのが、寿量品の肝要なのです。そして大事なことは、「神通之力」といい、宇宙生命と言っても、広宣流布へと全身全霊で行動するなかでしか感得できないということです。
 「一心欲見仏 不自惜身命」(法華経四九〇ページ)です。(一心に仏を見たてまつらんと欲してみずから身命を惜しまず)
 戸田先生は難とまっこうから戦って牢獄に入り、悟りを得られた。
 「生も死も超えた使命感」に立って、広宣流布のために命も捨てようと誓った、その信心によって、生死の実相を覚知されたのです。
 三世の果てまで広宣流布に戦い抜いていく──その信心こそが「生死の大海」を永遠に悠々と渡っていく大船となるのです。

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