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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 十界論(下)六…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  「死」の淵から見た「生」の輝き
 須田 「死」を見つめることによって生き方が変わる。学会員の中にも、そうした体験が、たくさんあります。
 かつて富山県の県長として活躍された壮年の体験を紹介します。和五十四年(一九七九年)六月。その壮年は、自分が上顎ガンの末期と聞かされました。富山県の病院から東京へ転院した、その日でした。
 斉藤 医師から聞いたのですか。
 須田 先に医者から聞いていた奥さんが伝えたそうです。新宿の街を、二人で歩きながら──。
 遠藤 聞いたときは、ショックだったでしょうね。
 須田 本人にも予感はありましたが、やはり愕然とした。しかし、なぜか恐怖感はわいてこなかった。不思議でした。
 それどころか、聞いたとたん、周囲が、ぱーっと明るく見えた。梅雨の合間の日ざしを受けて、アスファルトが輝いてみえる。木の緑は、こんなにも鮮やかだったのか。街並みは、こんなにきれいだったのか。歩く人々に語りかけ、抱きしめてあげたいような衝動が胸に突き上げたといいます。
 遠藤 それは、すごい。
 須田 その一方で、「死刑台に上がっていく」ような戦慄も感じながら、逃げなかった。全身で死魔との格闘を始めます。
 八時間と言われていた手術は二時間半で大成功に終わりました。歯と歯茎と上顎が切除され、毎日、口の中のガーゼを交換するのは、気絶するほどの痛みでした。それでも、かすむ目で御書を開き、一節、一節を生命に刻んでいきます。
 当初、言語機能障害が危ぶまれていましたが、しやべることがリハビリです。本人は「学会活動が一番のリハビリになった」と語っていたそうです。それにつけても気がかりなのが富山の同志です。東京の病院に転院してから一度も戻る機会がなかった。
 ある日、池田先生から「あれから富山に行っていないのだろう。一緒に行こう!」と言われ、北陸指導に随行しました先生は北陸に着くや、開口一番、「連れてきたよ」と皆に紹介してくださった。彼は、心で男泣きに泣いたそうです。
 以来、第二東京(現・第二総東京)でセミナーや個人指導など、新たな天地での活動を開始します。
 池田 立川文化会館で何度も会った。弾むように歩いていたのが忘れられない。今、生きていることが、うれしくて、うれしくてしょうがない、という感じだった。
 須田 本人もこう語っています。
 「死との境を経験しなければ、御書や先生の指導の本当の深さがわからなかった。生きるということは戦いだと。ところがそこに気づかない人がなんと多いことか。自分には広布の仕事が残っている。時間が惜しい」と。
 斉藤 たしかに多くの人が、死を前にして初めて、「今まで自分は何をしてきたんだろう」「何で、元気なうちに、もっと真剣に生きなかったのか。本気で信心しなかったのか」と気づくといいます。
 池田 そこだよ。「臨終只今にあり」と思って、信心しなければ悔いを残す。健康で動けるうちに、広宣流布へ尽くしていかなければ未来永劫に後悔です。
 須田 彼は、平成四年(一九九二年)に亡くなるまで、個人指導に全力投球しました。「もう、今世で二度と、この人に会えない。そう思うと、その人に、いろんな御書の一節を贈りたくなる」と。
 なかでもガンの末期と聞くと、他人事とは思えませんでした。彼に激励された人は全国にいます。リポート用紙に御書をたくさん書き抜いて渡しました。
 「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」、「このやまひは仏の御はからひか」、「命限り有り惜む可からず」──。
 もらった人は、前から知っていたつもりの一節一節が、新鮮に心に響いたそうです。
 斉藤 すばらしい体験ですね。
 池田 人生の本当の尊さを教えている。
 生と死の断崖に臨んだとき、地位も虚栄も財産も何の役にも立たない。ぎりぎりの裸一貫の自分の生命しか残されていない。その生命それ自体を変えるには、仏法しかないのです。
3  「天」への畏れから宗教は生れた
 池田 それではまず、「天界」の基本的な意味を見ておこう。
 遠藤 はい。「天」とは梵語の「デーバ」の訳で天人の住む世界とされています。
 「神」と訳されることもあります。もともとは「輝く(光を放つ)」という意味からきています。
 斉藤 「天」ともいい、「神」ともいう──「諸天善神」のことを思い出せば、よく分かりますね。
 日天子、月天子を含めて、地上の人間を超えた力をもつ存在と考えたわけです。
 須田 インドでは古来、今世で善行をなしたものは、来世に天に生まれると考えられていました。
 遠藤 梵天(ブラフマン)や帝釈天(インドラ)は、そうしたインドの神々の一つです。仏教ではそれらを一応取り入れ、生かしたわけです。
 池田 「天(神)」とは、文字通り、大宇宙の力のことではないだろうか。人類は、天空を仰ぎ、その壮大さに、いつも心を引きつけられてきた。そして、天の力を、自分の味方にしようとして祈ったし、時には破壊をもたらす大自然の力を恐れて、危害を避けたいと祈った。
 人間は自然の偉大な力を畏れ、その力に額ずいた。自分の努力だけではどうにもならない運命を感じ、よりよき運命を″神々″に祈った。その「祈り」から宗教が生れた。宗教から祈りが生まれたのではなく、祈りから宗教が生まれたのです。
 つまり「天」とは、人間が人間を超えた偉大なる存在を感得したことを示している。
 多くの動物は下を向いている。人間は二本の足で立ち、顔を上げた。そして大宇宙を仰いだ。「天」に憧れた──譬喩的に言えば、そういう進歩があると私は思う。その意味で、輝く「天」は人々の理想であったに違いない。
 須田 たしかに、釈尊と同時代に出現した多くの新思想家──六師外道がその代表ですが──たいてい「天に生まれる」ことを修行の目的に置いていたようです。
 池田 仏法では、「天」を死後に行く世界としてではなく、むしろ生命の境涯のひとつとして位置づけた。また六師外道たちの修行によって得られるとされた境地も、すべて「天界」の中に位置づけています。
 遠藤 いわゆる欲界(欲望渦巻く世界)の六天、色界(欲望の支配を離れたが、まだ物質的な制約がある世界)の十八天、無色界(精神が支配する世界)の四天、あわせて二十八天があるとされていますね。
 須田 欲界・色界・無色界で「三界」です。「三界は安きことなし猶火宅の如し」(譬喩品〈第三章〉、法華経一九一ページ)と言われる、あの「三界」です。「六道」は全部「三界」に入りますから、六道と同じ意味になります。
 斉藤 このうち「欲界」は、生存欲とか本能的欲望、物質的欲望、社会的欲望などが渦巻いている世界です。
 天界(欲天)は、これらの欲望が満たされて喜んでいる境涯になります。たとえば食欲などの欲望が満たされて、それにひたっている境涯も「欲天」でしょう。
 須田 日蓮大聖人は「喜ぶは天」と言われていますね。
 池田 喜びにも、いろいろある。「欲界」の欲望を超えて、純粋な知的欲求とか、美への欲求、崇高な境地を目指す精神的欲望もある。
 遠藤 それらの高次元の欲求が満たされていくのが「色界(色天)」「無色界(無色天)」だと思います。
 斉藤 いずれも、真理を求め、その欲求が満たされていく境涯といえるでしょう。
 須田 それは、二乗とは、どう違うのでしょうか。とくに「無色界」と「二乗」は、精神的に到達する境涯が似ているように思えるのですが。
4  「有」と見るか「空」と見るか
 池田 二乗は、到達したそういう境涯をも絶対視しないのです。とらわれない。
 無色界が自分の境地を究極のものと思っているのに対し、二乗は、成仏へとさらに進むための″途中″ととらえている。とらわれない。縛られない。「空」と見る。すべてを縁起(縁によって起る)と見る。
 須田 ものごとを縁起的に見るというのは、どんなものでも、ある因とある縁が結び合って成り立っている、「すべては互いに依り合って存在している」と見ることですね。
 斉藤 そこにまた新たな因と縁が加われば、すぐに変化してしまう。ですから、どんなものでも、因と縁がかりに和合して成り立っていると見る。いわゆる因縁仮和合です。
 池田 人間もそうです。自分といっても、かりに、こういう姿をとっているに過ぎない。だれも変化を免れない。健康な人でもいつかは病み、死んでいく。うら若き乙女も、あっという間に、孫をあやすようになる(笑い)。
 「自分とは何か」──そう考えても、十年前の自分と今の自分は違う。変わらぬ自分というものはないのです。
 ゆえに、自分への執着(我執)を離れよ、と説いたのが仏教です。
 須田 いわゆる「無我説」ですね。
 池田 「無我」とは、自我がないという意味ではない。永遠に変わらない固定的な自分というものはないという意味です。変化、変化です。それが、自己を「空」として見ることになる。
 斉藤 ところが、変わらぬ自分があるかのように思い込んで執着したり、自分の所有しているものに執着してしまのが凡夫です。つまり、あらゆるものを「有」と見る──これが六道の境涯ですね。
 池田 財産にしても、地位にしても、名声にしてもそうだ。これほどはかないものはない。それこそバブル(泡)のようなものです。しかし、それにとらわれ、いつまでもそれらが自分のものであり、永遠に続くかのように錯覚して生きているのが、六道の衆生です。
 要するに、一切諸法を六道は「有」と見る。二乗は「空」と見る(空諦)。菩薩は「仮」と見る(仮諦)。仏は「中」と見る(中諦)。これについては、また勉強する機会があるでしょう。
5  遠藤 六道が「有」と見るというのは、野球を例にとってみると、若いころ豪速球を売り物にしたピッチャーが、年齢とともに力が衰えてくる。
 しかし「自分は速球派だ」という過去の自分へのこだわりが捨てられず、年をとってからも速球を勝負球にして結局、打たれてしまう。そういうことがよくあります。
 池田 会社を退職したあとまで、どうしても「部長意識」が抜けなかったり、「一流企業の社員」意識が抜けなくて、周りがもて余している人もる。
 会社人間から会社を取ったら、あとは貧しい自分しか残っていないことも珍しくない。そういう自分を見つめられず、新しい人生へと出発できなくて失敗する人も多いのです。
 自分のことだけではない。他人をも固定的に見てしまう「くせ」が人間にはある。相手はどんどん成長しているのに、いつまでも過去のその人の姿にとらわれるということもある。そういう固定化を打破したのが二乗の──すなわち仏法の「空」の智慧です。
 この世に無常でないものは何ひとつなと見て、だからこそ前へ前へ、永遠に前進し、向上していくのが、真の二乗です。
 斉藤 そうしますと、二乗が、みずからの到達した境涯を絶対化し、安住してしまえば、もはや二乗とはいえないということになりますね。
 池田 そう。六道です。無色界の衆生は、天界の頂上である「有頂天」に立ったと思ったとたんに、そこから堕ちていく。それと同じです。
 遠藤 やはり人間、「有頂天」になってはいけない(爆笑)。
 須田 大聖人は「開目抄」で「上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道さんあくどうに堕つ一人として天に留るものなし」と仰せです。
 (〈いわゆる善きが外道といわれた者は〉上は色界・無色界をきわめ、上界を悟りの世界と立てて、尺取り虫のごとく、一歩一歩修行してのぼったけれども、非想天(無色界の最高位)から、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界に留まる者はなかった)
 池田 彼らは一生懸命に苦行して、一歩ずつ昇っていったのに、最後は、まっさかさまに転落してしまう。それはなぜなのか。いろんな観点があるが、やさしく言えば、苦行によって得た境涯には「無理がある」ということでしょう。無理があるゆえに、長くはそこにとどまれない。
 譬えて言えば、お金もないのに無理算段して一流ホテルに滞在し、しばらくすばらしい暮らしをしたとしても、やがてボロが出て、もとの″貧しき我が家″に戻らなければいけない。
 これに対して、我が家そのものを、きちんと建て直すのが仏道修行と言えるかもしれない。立派な宮殿のごとき自分自身をつくる修行です。どこが雨もりするのか(笑い)、どこから、すきま風が入ってくるのか、つまり苦悩の根本原因をきちんと知って、その根っこから直して、住みよい境涯に変えていくのです。
 すなわち、人生の苦しみの原因は、ほかでもない自分自身の煩悩にあると見て、その煩悩を克服するため、自己変革に挑んでいく。
 「無色界」も、それなりに自分の境涯を変えようとしたわけだが、そこには正しき「生命の法」への智慧がない。そこで、どうしても無理が出る。背伸びしているだけで、ちゃんとした足場がないから、また、もとの世界に堕ちていく。
 斉藤 自分自身を宮殿のように変えていく「生命の法」が「妙法」ですね。
 池田 結論すれば、そうです。
 須田 大聖人が、法華経でなければ六道を脱却することはできないと説かれている(御書四一八ページ、趣意)ことの意味がよくわかりました。二乗も、妙法によって、初めて六道を超えられるということですね。
6  仏教誕生の″第一歩″
 池田 ともあれ、欲望とか、快楽といっても一様ではない。ゆえに、それらが満たされた境涯もまた多様です。こうは言えないだろうか。自分なりの目標をもって生きて、それを達成した喜びの境地が「天界」であると。
 たとえば、子どもがテストで一番の成績を目指すのも一つの目標です。あるいは、苦手の鉄棒を克服しようと頑張る子もいるでしょう。
 オーケストラの演奏家が音楽的感性や技術を磨きに磨いて、見事なハーモニーを奏で、高度の芸術性を獲得できたとすれば、これも天界の境地を得ることになる。
 斉藤 それぞれ次元は違うにしても、ある意味での自己実現していると言えますね。
 須田 何らかの目標をもって生きるということ自体、人間らしい境涯といえるます。
 遠藤 前回、修羅界は「他人に勝つ」ことを目指し、人界以上は「自分に勝つ」ことを目指しているという話がありました。天界は「自分に勝つ」努力の結果と言えます。自分の目標に到達して心が満たされた境涯ですから、人界よりもさらに生命空間が広がっています。それでもまだ六道を超えてはいないのですね。
 池田 話を整理してみよう。釈尊当時、多くの人々の理想は「天」の境涯であった。なかんずく「欲界」の満足だったでしょう。
 斉藤 そのために、伝統のバラモン教でも、さまざまな「祈祷」が行われました。
 池田 もともと釈尊の王宮での生活は世俗的欲望という点では、庶民から見れば「天界」のような生活でしょう。しかし城の各門に「老い」に苦しむ人を見、「病」に苦しむ人を見、そして「死者」の姿を見た。「生老病死」という人生の実相の前に、欲望のむなしさを知った。「無常」を見たのです。
 そこで″天界(欲天)″的な境涯を捨てて出家した。当時、世俗的な欲望を超えて、さらに高い境地を目指した新思想家がいた。六師外道です。出家した釈尊も、そのうちの二人に弟子入りしたという。しかし、それらは所詮、生死の苦しみを解決するものではないと見破った。
7  遠藤 「欲天」でもダメだった。さらに上の「色天」「無色天」でもダメだった……。
 池田 では「いったい、人間にとって何が本当の幸福なのか?」。
 この探求が、偉大なる仏陀を生んだのです。
 須田 そうしますと、仏法の誕生そのもの、「天界」から「二乗」へのステップだったということですね。
 池田 そう。六道から四聖へのステップだった。
 遠藤 その第一歩は、釈尊の実例の通り、「無常」を観じるということでしょうか。
 大聖人は「世間の無常は眼前に有りあに人界に二乗界無からんや」と仰せです。
 池田 釈尊がそうだったように、「死」を見つめることが、「永遠なるもの」を求める第一歩でしょう。
 今は″欲望追求の文明″です。「天界(欲天)」に執着している。たとえば、人は今、生活を、どんどん楽にするにが当然と思っている。「安楽な暮らし」ができないとしたら、それは「したくてもできない」からだ、と。
 しかし、安楽な暮らしよりも、あえて別の生き方を求めた文明もあった。たとえばオルダス・ハクスレー(作家・文明批評家)は、こう書いている。
 「おどろくのは、われわれの祖先が耐えてきた苦痛のおおかたが自由意志によることである。(中略)過去三、四千年にわたって、人間は望みさえすれはいつであれ、ソファや安楽椅子をつくり、浴室、セントラル・ヒーティング、水洗便所を設備できたはずである。事実、人間がこうしたらくな暮しをたのしんだ時代もあった。
 キリスト生誕をさかのぼること二千年の昔、クノッソス宮殿に住む人びとは水洗便所を使い慣れていた。ローマ人は、これもキリスト生誕以前に、複雑な蒸気暖房のしかけを発明していたし、ローマ人のしゃれた別荘の入浴設備は、現代人の夢も遠く及ばぬほどにぜいたくでゆきとどいたものだった。(中略)中世や近代初期の人びとが不潔で苦しい暮しをしたのは、その時代の暮しかたを変えるに能力に欠けていたからではない。そのように暮すのをえらんだからであり、不潔さや苦しさが彼らの政治的、道徳的、宗教的信念と偏見にかなっていたからである」
 「なにかを無償で手に入れられるためしはない。らくな暮しをかち得たにあたっては、その代償として、らくな暮しとおなじくらい、いや、もしかするとさらに大切なものを失っている」
 「現代の世界はらくな暮しそのものを目的とし、絶対的善としているように見うけられる。いつの日か、地球は一箇の巨大なふわふわのベッドと化し、人間の体がそのうえでまどろみ、精神のほうはその下で、デズデモーナのように窒息して横たわっていることになるかもしれない」(『ハクスリーの教育論』横山貞子訳、人文書院)
 (「デズデモーナ」は、シェークスピアの『オセロ』で、嫉妬に狂った夫のオセロに絞め殺された女性)
 斉藤 ハクスレーの夫人が池田先生の行動を高く評価していたことを覚えています。
 須田 「らくな暮し」──天界を求めるだけでは「精神」は死んでしまうという指摘ですね。
8  ″死を覆い隠す″現代文明
 池田 そこで、天界の問題点は、生老病死という苦悩の現実を「覆い隠そう」とする働きです。
 一時的な喜びがあるゆえに、かえって人生の底にある大問題から目をそらさせる傾向がある。かえって地獄界のほうが、人生の実相をむき出しで見つめているために、四聖への道を、ぱっとわかる場合がある。
 須田 たしかに″一見、幸せな人″ほど信心しにくいということがあります。
 斉藤 物質的豊かさや精神的喜びは貴重です。しかし、その喜びさえあれば、生死の苦悩も乗り越えられるのか。残念ながら、答えは「ノー」です。
 遠藤 巨匠が一心不乱に画筆を運んでいる時のような超絶した境地。これに立てば、永遠の生命を感得できると主張した宗教学者がいました。
 「生に対する執着は、もはやこの心境を乱すことはできない。死の恐怖も、入ってくる余地がない」「生死の問題は、おのずから氷解し去る」(『生と死』、『岸本英夫集』6、渓声社。以下、同書から引用・参照)と。ところが、その博士自身が、がんの宣告を受けます。保証された命は、あと半年。すると、想像だにもしなかった心の動きが、博士を揺さぷります。
 池田 岸本英夫さんですね。有名です。
 遠藤 「今さらながら、人間の生命への執着の強さを知った。ひとたび、生命が直接の危険に曝されると、人間の心が、どれほど、たぎり立ち、たけり狂うものであるか。そして、いかに、人間の全身が、手足の細胞の末に至るまで、必死で、それに抵抗するものであるか」
 そして、十年にわたる闘病が始まります。
 「はじめのころは、私にはガンという心のショックに耐えて、自分を精神的に支えてゆくためには、その方法として、ガムシャラに働くことよりほかに、何もなかった。
 そこで私は、手負いのイノシシのように働いた。強く生き、忙しく働くことにより、それから生ずる生命の実感によって、襲いかかってくる死の恐怖に抵抗しようとした。『よく生きる』ということが、唯一のたよりであった。それによって死ということから、できるだけ目をそらそうと考えた。(中略)しかし、死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて私に迫ってきた」
 亡くなる一年前も、博士は本当に多忙で、息子さんが、ちょっと話をしたくても、「明後日の朝十分ほどあけておいて」と、予約しなければならなかったといいます。
 博士は、死の数ヵ月前、こう綴ります。「癌というような思いもかけない病気のために、生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前に立たされた」
 「それから、十年近くも癌の再発と闘い続けている間というもの、その生命飢餓状態のすさまじさを身をもって思い知ったのである」
 池田 働いても働いても、考えても考えても、満たし切れない「生命飢餓状態」──自身の死を真剣に見つめた人ならではの表現でしょう。
 須田 ここまで真摯に「死と向き合う」勇気は、なかなか出ません。
 池田 博士は″死を覆い隠そうとするもの″を、指摘していたね。
 遠藤 はい。その一つは「生活水準の向上」です。私たちは、努力して働いて、豊かな生活、便利な暮らし、快適な環境を手にいれました。医療技術は進歩し、平均寿命も伸びました。その結果、「死」というものが、どんどん日常生活から遠ざかっている──と。
 池田 そうした文明の恩恵は、広い意味で、社会の「天界」の側面と言ってよいでしょう。死から目をそらさせる──博士は、確かこれを「すこしも悪意のないごまかしである」と同時に「最も深刻なごまかしである」と論じていた。
 遠藤 はい。現代文明は、死を見つめる必要などないかのように「ごまかして」いると言うのです。
 池田 しかし、その「ごまかし」社会の根っこは、明らかに腐ってきている。
 たとえば日本では、年に一万人の方が交通事故で亡くなっているが、自殺者は、その二倍にのぼる。また人間の生き死に無関心で無感動な、恐るべき感性が世代を超えて広がっている。慄然とする凶悪な事件も多い。
 斉藤 「心の死」と「生命感覚の死」が広がっている気がします。
 池田 生死の根本問題を、ごまかし続けてきた″つけ″が、いろんなところで噴き出している感がある。
9  ガン「再発」の恐怖に打ち勝って
 遠藤 先ほど、富山の壮年の体験が紹介されましたが、「死を見つめる」といっても、口で言うほど簡単ではないと、つくづく思います。学会の中で生き抜いてきたから、あれほど強く生きられたのでしょう。
 斉藤 「ガン」と宣告された時の苦悩、動揺は、本人にしかわからないといいます。学会員でも多くの人がガンと闘い、克服した体験をもっていますが、やはり家族や同志の励ましが大きな支えとなったようです。
 池田 励ましが大事だ。励ましが、どれほど大きな力となるか。いざ自分の死と向き合って平然としていられる人はいないでしょう。だれだって死は不安です。死ぬことは怖い。それが普通であり、当然です。
 「自分は死ぬことがこわくない」なんて、ほとんどが虚勢にすぎないと言える。しかし、不安におののいているだけでは、病魔・死魔には勝てない。それをどうすれば乗り越えていけるのか。信心しかない。
 しかし唱題しようと思っても、不安が先に立ってしまう。そういう時に、ともに祈ってくれる人がいる。真心から励ましてくれる同志がいる。それだけで心が軽くなる。勇気が湧いてくるものです。
 遠藤 本当にそうですね。ガンの患者にとって、一番の不安は再発です。最初のガンの宣告以上に、再発の宣告はショックのようです。
 「聖教新聞」に紹介された札幌・豊平区の壮年部の方は、肝臓がんで手術を受け、わずか四ヵ月で再発しました。
 この時、ショックのあまり、呆然としてしまったそうです。
 闘病生活が始まっても、唱題する気力すら涌かなかった。″もう治るわけがない″という悲観的な気持ちが強くなっていく。そんな彼の心を揺り動かしたのが、先輩の「そんなにゆっくり休んでいたら、がんも居心が良くて、いつまでも体内にいるよ。広布のために戦って、がんを追い出そう」との言葉でした。
 自分に負けていたと気がついた。臆病だった自分、″治らない″と決めてしまっていた弱い自分──。結局、自分に勝つことが病魔に勝つことだ、と。それからは、生まれ変わったように広布の活動に励んだそうです。
 池田 見事な勝利の姿だ。病魔と闘おうと立ち上がったこと自体が、自分に勝った姿です。
 遠藤 一遍の題目を唱えるごとに、「がん細胞を追い出すんだ!」との気迫でした。弘教でも新聞啓蒙でも、その気迫で戦った。一日一日を真剣勝負の思いで戦い、見事にがんを克服したそうです。
10  「一日の命」は全宇宙の財宝より貴い
 池田 ひとたび死の淵を覗いた人にとって、一日一日がどれほど価値あるものか、どれほど尊いものか──。死と向き合うことを避けている人は、その尊さがわからない。
 日蓮大聖人は「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」と仰せです。一日の命は、宇宙の財宝を集めたよりも貴いのです。
 だから一日一日をむだにしてはいけない。仏典にも、こうある。「ただ今日まさに為すべきことを熱心になせ。だれか明日の死のあることを知ろうや」(中部経典・分別品「一夜賢者経」)と。
 斉藤 ″臨終只今にあり″ですね。
 池田 人生は無常迅速です。大聖人の仰せをかみしめたい。
 「涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり、只先世の業因に任せて営むべし世間の無常をさとらん事は眼にさえぎり耳にみてり、雲とやなり雨とやなりけん昔の人は只名をのみきく、露とや消え煙とや登りけん今の友も又みえず、我れいつまでか三笠の雲と思ふべき春の花の風に随ひ秋の紅葉もみじの時雨に染まる、是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば法華経には「世皆牢固ならざること水沫泡焔の如し」とすすめたり「
 ──人の生涯は、どれほどもない。思えば、この世は、一夜の仮の宿のようなものであり、それを忘れて、どれほどの名声や利益を得ようというのか。また得たとしても、夢の中の栄華であり、珍しくもない楽しみである。ただ前世の業因に任せて(今世の自分の境遇で)、努力すればよいのだ。
 世間の無常を知る実例は、目をさえぎらんばかりに多く、耳にもあふれんばかりである。昔の人は、雲となったか、雨となったか、ただ名を聞くばかり。今の友も露と消え、煙となって空に昇ってしまったのであろうか、姿が見えない。自分だけが、三笠の山にかかる雲のように、いつまでも、この世にあると思っていられようか。
 春の花が風とともに散り、秋の紅葉が時雨に染まる。これらは皆、この世の無常を示しているではないか。
 ゆえに法華経(随喜功徳品)には「世の無常であることは、水の泡や、火の炎のようである」と説かれている──。
 斉藤 「泡」のごとき「天界」にとらわれてはならないとの御聖訓ですね。
 池田 また、こう仰せだ。
 「寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚ほんがくの栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引ごせのろういんなるべけれすべからく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
 ──「寂光の都」以外は、どこも皆、苦しみの世界である。(永遠の生命を自覚した)真実の覚りの住みかを離れて、何が楽しみといえようか。「現世は安穏であり、後には善処に生まれる」という妙法を持つことだけが、今生には真の名誉となり、後生には成仏へと導いてくれるのである。
 願わくは、どこまでも一心に、南無妙法蓮華経と自分も唱え、人にも勧めていきなさい。まさにそれこそが、人間界に生まれてきた今生の思い出となるのである──。
11  「生命の大長者」の人生を
 池田 「天界」の衆生とは、物心ともに恵まれた「長者」と言えるでしょう。
 ″長者にも三種ある″と大聖人は、天台の言葉を引いて言われている。
 「世間の長者」「出世の長者」「観心の長者」(御書八一八ページ)です。
 くわしくは略すが、「世間の長者」とは、天界の長者と言えるでしょう。人格的にも優れた、富豪とか、知識人とか。
 「出世の長者」とは「仏法の長者」であり、仏のことです。ありとあらゆる福徳を備えている。そして、そういう仏に、凡夫がその身そのままでなれるのだというのが「観心の長者」です。
 遠藤 「観心の本尊」を受持し、修行する人は、仏の万行万徳を譲り受けるということですね。
 池田 私どもが目指すのは、三世に栄えゆく「観心の長者」です。我が心を観じて、そこに、仏界という、汲めども尽きぬ「福聚(福のあつまり)の海」を見つけた長者です。法華経による「生命の大長者」が、私たちの人生なのです。
 須田 ここにこそ「欲望社会」の行き詰まりを超えゆく根本軌道があると思います。
 池田 次は、「菩薩界」「仏界」だが、これは「十界互具」論の上から見ていったほうがいいと思う。
 斉藤 はい。いよいよ法華経の法華経たるゆえんである「十界互具」論に、求道の旅は入っていきます。

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