Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

如来寿量品(第十六章) 十界論(上)幸…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 これまで、寿量品で明かされた釈尊の「本因本果」について語っていただきました。読者の方々から、「日蓮大聖人の『太陽の仏法』が、どれほど深く、広大か、永遠の生命観をもった人生が、どれほどすばらしいか、改めて実感しました」という声が寄せられています。
 池田 私どもは「無上道の人生」を生きているのです。それを自覚するか、しないかです。仏法は何のためにあるのか。それは万人を「幸福」にするためにある。万人に「大歓喜」の境涯を開くためにある。トルストイは綴っています。
 「喜ベ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい」(小沼文彦訳編『トルストイの言葉』彌生書房)
 人生の使命は喜びにあり!──これが大文豪の一つの結論であった。その本義を知っているのは、私どもです。法華経こそ、「歓喜の中の大歓喜」を開く経典なのです。
 遠藤 釈尊が菩提樹の下で開いた境涯というのも、何ものもさえぎることのできない「大歓喜の境涯」だったのですね。
 池田 その通りです。「始成正覚」というと、何かいかめしく感じるけれども、わかりやすく言えば、菩提樹の下で悟りを開いた瞬間、釈尊の胸中には「歓喜の中の大歓喜」の太陽が燦然と昇ったのです。
2  壮絶な「魔との闘争」
 須田 釈尊が悟りを開いたとされるブッダガヤには、私も訪れました。経文に「伽耶城を去ること遠からず」(法華経四六八ページ)とありますが、現在のガヤー市街(インド東部のビハール州)から南方へ十キロメートルほどの所です。
 ガヤーの町の近郊で釈尊が成道したことから、後に、ここはブッダ(仏陀)のガヤー、ブッダガヤと呼ばれるようになりました。
 遠藤 菩提樹という木の名前も、釈尊の成道にちなんでつけられたものです。もともとはアシヴァッタ樹といわれ、「不死を観察するところ」とされています。智慧の樹として尊敬されています。釈尊が座ったこの菩提樹は、後に仏教徒によって各地に株分けされていったようです。
 現在、ブッダガヤにある木は、かつてスリランカに株分けしたものを、再度株分けし直したものです。
 池田 私も行きました。会長になってすぐ、この「仏教発祥の地」に行った(就任の翌年の昭和三十六年〈一九六一年〉)。そして、大聖人の仏法の「仏法西還」を誓いつつ、「三大秘法抄」の写本や記念の石碑を埋納しました。
 斉藤 今、その誓い通り、インドはもちろん、アジアヘ、世界へ、「太陽の仏法」は広まりました。釈尊の仏法がアジアに広まるのに、何百年、千年とかかっていることを考えると、後世の歴史家は″奇跡″と驚くでしょう。
 池田 諸君も続いてほしい。続くべきです。
 ともあれ釈尊は、「人類を救う闘争」を、この地から開始した。ブッダガヤで悟りを開いた釈尊の精神闘争とは、どんなものだったのだろうか。
 遠藤 はい。それ以前、釈尊はすでに外道の苦行を実践し、欲望を断滅した境地に立っていたとされています。しかし釈尊は、「苦行」では本当の幸福の境涯は得られないと分かって、苦行を捨てました。
 須田 欲望の世界も捨てた。苦行も捨て去った──。では釈尊は、いったい何を求め、何を悟ったのでしょうか。
 池田 そこに重大な意味がある。釈尊が追求したのは、人間の「幸福」です。万人にとっての「本当の幸福の道」は、どこにあるのか。欲望に身を焼く人生では、人間は幸福になれない。苦行に我が身を痛めつける人生でも幸福になれない。
 生命を燦然と輝かせる中道の「道」を求めて、彼は修行したのです。
 須田 菩提樹の下で、釈尊は結跏跌坐(あしを左右の腿の上に重ね、坐ること)のまま、七日のあいだ瞑想したとされています。
 池田 瞑想というと穏やかな印象を持つが、そんな生やさしいものではない。魔との壮絶な闘争です。釈尊は、宇宙に瀰漫する″生命の破壊者″と対峙し、闘い、打ち破ったのです。その時、不幸という名の「闇」は破れた。
 斉藤 仏典には、魔が巧妙に釈尊に迫るさまが綴られています。悪魔ナムチが釈尊に近づき、こうささやくのです。″お前はやせ細り、顔色も悪い。まさに死に瀕している。このまま瞑想を続ければ、生きる望みは千に一つもない″と。
 たしかに、修行の果てに悟達がある保証は何もありません。先覚の道ゆえに誰も先は知らない。死んでしまえば、それこそ幸福の探求も不可能になる……。
 池田 しかし、釈尊は、ぎりぎりの淵で魔を魔と見破り、高らかに叫んだ。
 「悪魔よ、恐れる者はお前に敗れるかもしれぬが、勇者は勝つ。私は戦う。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい!」
 この瞬間、魔は退散した。そして、明け方近く、東の空に明けの明星が輝き始めた瞬間、ついに悟達した。
 仏法とは「魔との闘争」なのです。魔との戦いを離れて、悟りはない。歓喜はない。人間革命はない。仏法はない。命をかけて魔と戦わなければ仏にはなれないのです。
3  大歓喜の太陽は昇った!
 斉藤 釈尊の戦いの最中、日没の時と真夜中と夜明けにわたって、三つの詩が釈尊のロから発せられます。三つの詩の内容について、仏教学者の玉城康四郎博士は、「ダンマが顕わになった」と表現しています。(『仏教の根底にあるもの』講談社)
 「ダンマ(ダルマ)」とは「法」の意味です。宇宙の根源の「法」が自分自身に顕わになり、人格に浸透し、生命を貫いたということでしょう。
 須田 日没の時の詩は、「実にダンマ(dhamma)が、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになる(patubhavati)とき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、かれは縁起の法を知っているから」(同前)
 真夜中の詩は、「実にダンマが、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、かれはもろもろの縁の消滅を知ったのであるから」(同前)
 夜明けに発せられた最後の詩は、「実にダンマが、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになるとき、かれは悪魔の軍隊を粉砕して、安立している。あたかも太陽が虚空を輝かすがごとくである」(同前)でした。
 遠藤 我が胸中に太陽は昇った!──歴史的な瞬間ですね。
 池田 人類を照らす歓喜の旭日です。仏界とは、最高の歓喜の境涯です。
 釈尊はこの後、法悦の時を経て、決然と説法を開始する。ただ、この胸中の法をいきなり説いても、衆生には到底、受け入れ難い。そこで、皆に分かりやすい方便の教えを説き、機根を整えていったのです。そして、この太陽の大境涯を、そのままストレートに説いたのが寿量品です。寿量品は、いわば″大歓喜の章″といえる。釈尊の一生のクライマックスです。
4  「境涯の大宇宙」を象徴
 斉藤 寿量品では、釈尊の永遠の寿命を説く際に、無数の「三千大千世界」という壮大な宇宙空間を用いて表現しています。これは釈尊が獲得した、果てしない生命空間を象徴しているのではないでしょうか。
 池田 そうかも知れない。釈尊が自身の内に見た「永遠の法」即「永遠の仏陀」──すなわち仏界の境涯の広大さが、宇宙空間によって、生き生きとイメージできるようになっている。
 須田 経文では、五百塵点劫のところですね。こうあります。
 「五百千万億那由佗阿僧祗の三千大千世界の国土を、ある人が粉々にすりつぶして塵として、東のほうへ五百千万億那由佗阿僧祗の国を過ぎるごとに一粒を落とし……」と。(法華経四七八ページ、趣意)
 遠藤 たしかに、単に″永遠だ″と言われても、なかなかピンときません。「三千大千世界を微塵として……」と言われると、映像が浮かんで″すごい境涯だなあ!″と、わずかながら実感できます。まるでロケットに乗って宇宙を、ぐんぐん旅していくような気持ちになります。
 斉藤 寿量品での「生命的空間」は、果てしない歓喜の境涯ですね。瞬間瞬間が楽しい。そのため、「生命的時間」は、永遠といっても極めて短く感じられています。
 池田 生命的時間というのは、やさしく言えば、実感としての時間、ということだね。
 遠藤 はい。たとえば「地獄界」の境涯とは、歓喜が極小、ゼロの境涯です。生命的空間も″獄″に囚われているように、限りなく小さい。生命的時間は、もどかしいくらい、ゆっくり進みます。
 須田 たしかに、歯が痛い時など、一分が一時間にも感じられますね(笑い)。
 遠藤 反対に、仏界の歓喜は、汲めども尽きない大きさをもっています。ゆえに生命的時間は、限りなく短い。
 斉藤 時間といっても、填涯によって進む速度が違う。生命的時間は″相対的″であると言うことですね。
 池田 生命流のエネルギーが大きいほど、生命的時間も勢いよく進むのです。次元は違うが、アインシュタイン博士の相対性理論でも、時間は″相対的″であるという発見があった。
 たとえば寿量品のように、宇宙空間をどんどんロケットで進んで行くと、スピ−ドを上げるにつれて、時間の進み方も変わってくるのだね。その一例に、たしか「ウラシマ効果」というのがあった。
 遠藤 はい。「ウラシマ効果」は、相対性理論から導き出される仮説です。光の速さに近いロケットに乗って宇宙旅行に出かけたとすると、地球では何年も経過しているのに、ロケットの中では、たとえば一日しか経っていない──という現象が起きると言うのです。すると、宇宙旅行から帰ってきた人にとっては、まるで「浦島太郎」の話のように、故郷の時間が過ぎ去ってしまっているわけです。
5  その人の「境涯」がどうか
 池田 まさに″相対性″だね。ともあれ、その人が″何界″にいるかによって、見ている世界が違う。空間も、時間も、生命の受けとめ方がまったく違う。
 ──「境涯」の妙といってよい。この一点を見るのが仏法なのです。「人間」という存在を、人種によって見るのでもない。学歴で見るのでも、社会的地位で見るのでもない。その人の「境涯」そのもの、「生命」そのものを、まっすぐに見つめる。
 権力者だから偉いのか。権力者にも餓鬼界、畜生界の人間もいる。庶民の中に菩薩界、仏界の人間がいる。有名大学を出たから優秀なのか。ある人種だから優れているのか、ある階級の人は、はじめから劣っているのか。そうではない。しかし、人間をそういう邪見で見てきたのが、これまでの人類史です。それが、どれほどの悲劇を生んできたことか──。
 須田 ナチズムや日本の国家主義、血で血を洗う階級闘争など、二十世紀の歴史はまさに、そういう邪見の悲劇でした。
 斉藤 あらゆる残酷な「差別」も、そういう邪見・偏見の産物です。今の学歴主義などもそうでしょう。
 池田 仏法の十界論は、あらゆる人を、その「境涯」で見る。だから平等なのです。財産のある人でも、貧しい人でも、今の一瞬が「地獄界」の苦しみにあえいでいれば、同じだからです。そして、あらゆる人の中に「仏界」の可能性を見て、それを開いていこうという慈悲が十界論の眼目です。その真髄が寿量品なのです。一度、この境涯論の観点から「十界」について語り合ってはどうだろうか。
 斉藤 はい。会員の方々からも「友人との仏法対話で、十界論を分かりやすく語れる教材がほしい」との要望が寄せられています。
6  「浦島太郎」を十界論で読むと
 須田 ″ウラシマ効果″の話が出ましたが、「浦島太郎」の物語は、十界論を学ぶ、よい入口になるのではないでしょうか。
 池田 なるほど。日本人ならだれでも知っている昔話だからね。これを十界論で見ていくと、どうなるだろうか。
 遠藤 そうですね。──物語は、漁師の浦島太郎が、浜辺でカメをいじめている少年たちに出会うところから始まります。
 カメをいじめている少年たちの境涯は、十界で言えば「畜生界」でしょうか。「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる」ですから。
 須田 なるほど。いじめられているカメは「地獄界」ですね。浦島太郎は、少年たちにお金をやって、カメを助けます。この太郎の振る舞いなどは「菩薩界」の一分でしょうか。お金をもらって言うことを聞く子どもたちは「餓鬼界」かも知れません。
 遠藤 カメはその恩義を忘れず、数日後に浦島さんのもとへ訪ねてぎます。そしてお礼に、太郎を背中に乗せて竜宮城へ案内するわけです。
 斉藤 恩を忘れず、恩に報ずる──これは「人界」ではないでしょうか。報恩は人間らしさの証です。
 池田 カメなのに「人界」なんだね(笑い)。
 斉藤 はい。人間でも恩知らずは畜生以下になってしまいます。開目抄には「畜生すら猶恩をほうず」として、報恩の大切さを教えられています。
 須田 竜宮城では、太郎は乙姫に歓待され、飲んだり踊ったりして楽しく暮らします。これは断然、「天界」ですね(笑い)。
 ちなみに、この「竜宮城」というのは、法華経の提婆達多品(第十二章)に出てくる海底の「娑竭羅しゃから龍宮」(法華経四〇三ページ)など、仏典の影響があるのではないかと言われています。
 遠藤 さて、家に帰るのも忘れて楽しく過ごしているうちに、三年の月日が経ちました。「月日のたつも夢の中」で、喜びの世界ですから、あっという間に時間が経ってしまったのです。
 太郎は乙姫に別れを告げ、お土産にもらった玉手箱を小脇に抱えて帰ります。ところが陸に上がった彼は仰天してしまいました。世界が、がらっと変わってしまっているのです。竜宮城にいた三年間のうちに、地上では何と三百年も経っていた。まさに″ウラシマ効果″で、地上の時間は彼を置き去りにして、はるかに速く進んでいたのです。
 それを知って太郎は絶望しました。身内もいない。友人だれ一人いない。景色も、見たこともない眺めが延々と続くだけ……。
 池田 この時の太郎の境涯は「地獄界」といえるかも知れないね。見るもの、聞くものすべてが自分という存在を拒絶している。世界のどこにも自分の″居場所″がない。太郎の生命空間は、みるみるうちに、しぼんでいった。
 須田 そこで太郎は、たった一つの希望である玉手箱を開けてみます。その途端、もうもうと煙が出てきて、太郎は髪の毛も真っ白になり、よぼよぼの老人になってしまうのです。一瞬のうちに老いさらばえて、茫然と浜辺に座り込む太郎……。考えてみると、衝撃的なラストシ−ンですね。
 池田 さて、これは何界になるだろうか。
 遠藤 むずかしいですね。地獄界だった太郎をさらに深い絶望に突き落としたという解釈もできますが、それだとあまりに悲惨な終わり方です。
 須田 乙姫も、とんだ残酷なお土産を渡したということになってしまいます。
 池田 そう考えると、一つの解釈として、これは「二乗界」への入口を示しているのかもしれない。日蓮大聖人は「世間の無常は眼前に有りあに人界に二乗界無からんや」と仰せです。
 物語は何も語っていないが、年をとった太郎には、それまで見えていなかった「無常」というものが見えてきたのではないだろうか。
 斉藤 ″あの楽しかった日々も、何もかも、すべて過ぎ去ってしまった″──何かやるせない思いというか、悲哀のような余韻を残して、物語は終わっています。たしかに「六道」の世界を遍歴して、「二乗界」を示唆するところで幕を閉じているのかもしれません。
 須田 改めて見直すと、「人生とは」「人間とは」……と考えさせられる意味深長な物語ですね。
 池田 仏法の生命論を知っていれば、何を見ても聞いても、本質が深くわかるようになる。これが教学を学ぶ一つの意義です。ともあれ、「人間にとって、本当の幸福とは何なのか」──ここに「十界論」の基調となる問いかけがあるのです。
7  地獄界──不自由な「いかり」のうめき声
 池田 では、十界の一つ一つについて、経文と御書を拝しながら見ていくことにしよう。大前提として理解しておきたいのは、法華経で「十界互具」が明かされたことによって初めて、十界を人間自身の「境涯」として語れるということです。
 「十界互具」については改めて論じたいが、この「互具」がなければ、十界の衆生は別々の世界に住む、互いにまったく無縁の存在でしかない。
 斉藤 「人界」の衆生──われわれのことですが──の生命にも「十界」が具わっていると説かれたからこそ、十界を境涯論、生命論として理解できるわけです。そこから境涯の変革も可能となるのですね。
 須田 十界それぞれの名前ですが、法華経の法師功徳品(第十九章)に出てきます。「三千大千世界の、下阿鼻地獄に至り、上有頂に至る。其の中の内外の種種の所有あらゆる語言、音声、(中略)男声、女声、(中略)天声、龍声、夜叉声、(中略)阿修羅声、(中略)地獄声、畜生声、餓鬼声、(中略)声聞声、辟支仏声、菩薩声、仏声を聞かん」(法華経五二九ページ)と。
 (この清浄な耳をもって、三千大千世界の、下は阿鼻地嶽に至り、上は有頂天に至るまで、その中の内外にわたる種々のあらゆる言葉の音声、(中略)男の声、女の声、(中略)天の声、(中略)阿修羅の声、(中略)地獄の声、畜生の声、餓鬼の声、(中略)声聞の声、辟支仏(縁覚)の声、菩薩の声、仏の声を聞くであろう)
 池田 そう。われわれは仏界の「声」、菩薩界の「声」で人を救っていくのです。黙っていてはいけない。
 遠藤 この経文等に基づいて、天台が地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十の境涯に整理したのが「十界論」です。
 十界のうちの地獄界かも天界までの六つ、「六道」は、インドのハラモン教以来の世界観に基づいたものです。
 バラモン教では、生命が生きる場所・世界として、大きくこの六つを考えました。それぞれの場所に、過去世の行い(宿業)によって生まれると考えていました。因果応報の考えです。業の報いによって、この六道を輪廻するとしたのです。
 この六道輪廻から脱け出した境涯が、声聞から仏までの、いわゆる「四聖」です。
 須田 それぞれの境涯を見ていきましょう。まず「地獄界」です。もともとの梵語はナラカで、「地下の牢獄」の意味です。
 池田 今でも「奈落(ナラカ)」に堕ちると言うね。地獄の「地」は最低を意味し、「獄」とは拘束され縛られた不自由さを表す。苦しみに縛られた最低の境涯です。
 遠藤 日蓮大聖人は、「観心本尊抄」で「瞋るは地獄」と仰せです。「瞋る」とは貪欲・瞋恚・愚痴の三毒(貪・瞋・癡)の中の「瞋恚」のことです。自分の思い通りにいかないことや、苦しみをもたらす相手に対して恨みの心を抱くのが「瞋」ではないかと思います。
 斉藤 しかも、その「瞋り」を相手にぶつけるほどの積極的なエネルギーは少ない。むしろ、行き詰まり、やり場のない「瞋り」の情念に、我と我が身を焼きながら、身もだえしている。そんな境涯ではないでしょうか。
 池田 地獄界にも種々の段階があるが、「生きていること自体が苦しい」「何を見ても不幸を感じる」境涯と言えるでしょう。「生」の力が極度に衰え、「死」へと近づいている。「瞋り」とは、その、どうにもならない生命の「うめき声」と表現できるかもしれない。
 遠藤 自殺や非行に走る青少年の「生きていること自体が辛い」「この世に自分の居場所がない」という悲痛な声を聞くことがあります。
 生命空間がゼロに近づいていったとき、みずから死を選ぶしかなくなった。──まさに地獄界です。胸をえぐられる思いがします。
 池田 だれでもいい、そばにいてあげることです。一緒にいて、話を聞いてあげる。一言でも励ましてあげる。それによって、苦しんでいる心に、パッと″生″の火がともる。
 「自分のことを思ってくれる人がいる」──その手応えが、苦悩の人の生命空間を、すっと広げてくれるのです。他人や世界と″ともにある″という実感があれば、必ず立ち上がることができる。それが生命の持っている力です。だから、「善き縁」が大事なのです。仏法でいう「善知識」です。
8  「自分自身の地獄を背負って」
 須田 地獄界の代表というと提婆達多です。釈尊の弟子でありながら師である釈尊に怨嫉し、その命までつけ狙った極悪人です。
 斉藤 仏を迫害した因果の理法の上からも、地獄界といえるでしょう。しかし、一個の人間として見た場合にも、彼はあまりに不幸な地獄の境涯だったのではないでしょうか。
 池田 釈尊がいる限り、自分の思い通りにいかない。自分の前にヒマラヤのごとく超然と聳え立つ釈尊──。提婆は、自分より優れた人を尊敬するどころか、その存在を許すことすらでさなかった。男の醜悪な嫉妬です。
 その憎しみと恨みで心が閉ぎされ、氷のように凍てついてしまっている。心の牢獄です。がんじがらめになって、自分でその心をどうすることもできない。まさに地獄というほかはない。
 斉藤 スターリンの伝記によると、彼は自分よりもすぐれた人々、際立った能力を持った人物に出会うと、激しい嫉妬や羨望、憎しみに駆り立てられたと言います。
 そして、「平静に見える風貌の下で彼は狂わんばかりになっていたのだ」「せまい額と凍りついたようなかたい微笑を浮かべた彼の内部に、自分自身の地獄を背負って、彼流に進んで行くのだ」と指摘されています。(ヴィクトール・セルジュ『スターリンの肖像』吉田八重子訳、新人物往来社)
 池田 「自分自身の地獄を背負って」とは、見事な表現だね。だれのことも信じられず、いつ人に裏切られるかわからない、と戦々恐々としている心。これ自体、「不信」の牢獄につながれ、もがき苦しんでいる境涯でしょう。自我が極限まで小さくなって、わずかな空間に閉じ込められている姿です。
 もちろん、提婆やスターリンの「嫉妬」そのものは修羅界に通じるとも言える。また、人を意のままに操ろうといぅのは、(天界のうち)他化自在天(欲界の第六天)という権力の魔性です。
 地獄界とは、彼らの中にあった、自分を自分でどうにも変えられない弱さと苦悩を指している。地獄は「地の下」にあると説かれるが、どんどん生命が重く沈んでいく境涯です。
 たとえば家庭不和で苦しむ。病気で苦しむ。嫉妬の炎に苦しむ。その苦しみをもたらしたものへの「瞋り」の嵐が渦まいている。決して、自分自身にその原因があるとはとらえられない。そうとらえるだけの生命力がないのです。ゆえに、他を恨み、他に「瞋る」。
 また、苦しみをどうにもできない自分自身にも「瞋り」の炎が向けられることもある。その場合も、自分で不幸の青任を引き受け、変えていこうという強さではなく、無力な自分へのやり場のない恨みであり、「うめき」なのです。
 遠藤 まさに「不自由」そのもの──獄に囚われた境涯です。
 池田 反対に、たとえ身は牢獄にあっても、人間の尊厳を信じ、民衆を愛する人は、心は大空のように広がっている。
 日蓮大聖人しかり、牧口先生・戸田先生もそうであった。南アフリカのマンデラ大統領も、「地獄」と呼ぶほかない牢獄で一万日(二十七年半)を過ごされた。それを支えたのは、人間の尊厳を勝ち取ろうという不屈の信念です。
 「一時間が一年のようでした」──この言葉の実感は、獄中生活を体験した人でなければわからない。それでもなお、大統領は、人間への温かいまなぎしを失うことがなかった。そこに、人間としての偉大さがある。
 斉藤 人は逆境にあったり、困難に直面すると、ともすると自分一人が不幸であるかのように思って、他の人を恨み、社会を恨み、自分の殻に閉じこもってしまうことが、よくあります。仏法でいう「地獄」とは、与えられた境遇や環境にあるのではなく、むしろ環境に振り回され、支配され、そこから一歩も抜け出ることができない「生命力の弱さ」だと思います。
 池田 そう。他のどこにあるのでもない。
 日蓮大聖人は「そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候」と仰せです。
 「心」の中にあるのです。だからこそ「心」を変える以外に、幸福はないのです。
9  餓鬼界──「貪る」欲望の奴隷
 遠藤 次に「餓鬼界」です。餓鬼の原義は、梵語のプレータ(死者)です。単なる死者の意味でしたが、仏教では、畜生や地獄と並んで、死後の人間が陥る不幸の世界として扱われていきます。
 またプレータは「祖霊」という意味もあり、インドでは祖霊の多くは飢えて食物を欲しているとされていました。そこから死者を「餓鬼」と呼ぶようになったと思われます。
 須田 日本の「お盆」(盂蘭盆会)も、餓鬼道に堕ちた祖先を救う行事で、「施餓鬼」と言われます。
 斉藤 大聖人は「貪るは餓鬼」と言われ、三毒のうちの「食欲」に配されています。天台は、「此のしゅ(=趣くところ)は飢渇多し、故に餓鬼と名づく」(『法華文句』)と記しています。飢えにさいなよれ、どこまでいっても満たされない境涯ですね。
 池田 欲望に振り回される境涯です。そのために、心が自由にならず、苦しみを生じる。欲望の奴隷になっている。
 遠藤 はい。ただ地獄界に比べれば、生命空間はわずかなぜら広がっているように思います。囚われの境涯を脱して、″何か″を求めて生きようとしているわけです。
 須田 欲望は「生きるエネルギ」でもありますからね。ただし、その欲望が満たされず、深刻な″欲求不満″の状態に陥っているのです。
 食べるものがない。着るものや、住む家がない。こうした飢餓や貧困は、現代世界の深刻な課題です。
 斉藤 しかし、いわゆる″豊かな社会″にも「飢え」はあります。
 たとえば昨年、アメリカの『ニューズウィーク』誌に、アメリカの現代社会について「うまくいっているのに、誰もが不満をもっている。それが私たちの時代のバラドックスだ」(日本版一九九六年二月二十一日号)という論評がありました。
 池田 人間の欲望には際限がない。「生きる」という根本的欲望があり、さらに食欲などの本能的欲望、所有欲などの物質的欲望、自己顕示欲などの心理的欲望がある。
 須田 権力欲、名誉欲、支配欲などもそうです。人に尊敬され、愛されたいという欲求もあります。
 池田 人間は、欲望がなくては生きていけないことも事実です。また、それらの欲望が人間を進歩させ、向上させるエネルギーになる場合もある。
 だから餓鬼界は「この道は余道と往還し、善悪相通ずる」(『立正阿毘曇論』)と言われる。欲望を、どう使っていくかが問題なのです。餓鬼界というのは、欲望を価値創造に使うのではなく、欲望の奴隷になっている、境涯です。欲望ゆえに自分を苦しめ、他人をも傷つけていく──だから「悪道」と呼ばれる。
 斉藤 現代文明は「欲望肯定の文明」であり、「欲望解放の文明」とも言えるでしょう。その結果、肥大し巨大化した欲望が″主人″のように君臨し、人はその奴隷となって苦しんでいる──皮肉な現状です。
 遠藤 ところで日蓮大聖人は、餓鬼道の因果について、「名利みょうりを貪るが為に不浄説法する者此の報を受く」との経文を引かれています。出家でありながら名声と私利私欲を貪るために、汚れた説法をする者は餓鬼界に堕ちる、と。日顕宗の悪僧たちの姿そのものです。
 須田 そう言えば、「陰凉樹おんりょうじゅり及び衆僧の園林おんりんを伐りし者此の報を受く」ともあります。大石寺の二百八十本もの桜を無残に切り捨てた日顕は、この経文通りです。
 斉藤 大聖人は、名利を貪る出家者を「食法がき」と喝破されています。信徒を食い物にして放蕩にふける日顕宗は、まさに″餓鬼の教団″ですね。
10  畜生界──目先にとらわれた「おろか
 須田 「畜生界」は、どのような境涯でしょうか。
 斉藤 本来は、もちろん鳥や獣などの動物の境涯です。「観心本尊妙」には「癡は畜生」とあります。三毒の中の「愚癡」ですね。人間で言えば、目先のことにとらわれ、物事の道理に暗いというのがその本質です。
 遠藤 「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる」と仰せのように、正邪・善悪の判断がつかず、本能のままに生きる境涯です。地獄界や餓鬼界に比べて、生命空間は広がっているように思いますが、やはり悪道を出ていません。
 池田 自分の中にきちっとした善悪の基準がない。規範がない。本能的に行動して、恥じるところがない。まさに「弱きをおどし強きをおそる」という「力の論理」です。弱肉強食です。人間でありながら、″人間らしさ″を失った婆と言えるでしょう。
 須田 戦争における残虐行為は、「力の論理」の極限です。兵士も、最初は良心の呵責があっても、上官の命令だからと「強きをおそれて」自分を正当化するうちに、良心が麻痺してしまう。やがて「今日は何十人殺してやった」と自慢するようになった者さえいたといいます。
 その結果、ナチスや日本軍は、動物ならとてもやらない残酷な大量虐殺までしてしまいました。
 池田 ″最も危険な野獣″が、人間の中には住んでいる。ドストエフスキーが書いていた。
 「よく人間の残忍な行為を『野獣のようだ』と言うが、それは野獣にとって不公平でもあり、かつ侮辱でもあるのだ。なぜって、野獣は決して人間のように残忍なことはできやしない」(『カラマーゾフの兄弟』、『世界文学全集』18,米川正夫訳、河出書房新社)と。
 遠藤 たしかにそうだと思います。動物は自分を守るために、生きるためには敵と戦い、殺したりしますが、仲間同士では互いにいたわるという面も見られます。それ自体、生得的なものかも知れませんが……。
 これは、ホシムクドリの例ですが、餌の山を見つけた彼らの一群に、足をけがした仲間がいました。すると、足の悪い鳥が餌のところに到着するまで待って、それから一斉に餌をむさぼり始めたそうです。(モーリス・バートン著『動物に愛はあるか』、垂水雄二訳、早川書房、参照)
 池田 反対に、野生児として育った人間の例があったね。
 須田 はい。両親に捨てられ、森の中で育ったフランスの少年も、その一例です。興味深いのは、彼は、食物とねぐらを探すこと以外は、まわりの世界に対して全く無関心だったことです。
 聴力は正常でしたが、食べ物に関係のない物音には全く関心を払わなかったそうです。また、誰に対しても愛情を示さず、特定の誰にも愛着を示さなかったと言います。(イタール『アヴェロンの野生児』古武彌正訳、福村出版、参照)
 池田 人間は人間として教育されて、はじめて人間になる。人間に生まれたから人間なのではない。
 人間として育てられて、初めて人間となるのです。だから、教育が大切なのです。
 「畜生道の地球」(桐生悠々)という言葉があったが、弱肉強食の戦争が起こったのは、真の「人間」があまりに少なかったからです。「畜生」の心に世界が翻弄されてしまった。その悲惨を二度と繰り返さないためにも、「人間らしい人間」「人間性あふれる人間」を、陸続と世界に輩出していかなければならない。これが私の信念であり、悲願なのです。
 いわば広宣流布とは、人類の命運を担った人間教育の大運動です。
 須田 本能のままに生きる「畜生界」が、「癡」と言われるのは、結局、それでは幸福になれないからでしょうか。
 池田 自分では幸福に向かっているっもりで、結局は反対の方向に行っている。目先のことしか見えないので、結局、最後は破滅してしまう。
 大聖人は佐渡御書に「魚は命を惜しむゆえに、池に住んでいるのだが、池の浅いことを嘆いて池の底に穴を掘って住む。しかし、餌にだまされて釣り針をのんでしまう。鳥は木に住む。木が低いと(つかまるのではないかと)恐れて、木の上の枝に住む。しかし、餌にだまされて網にかかるし(御書九五六ページ、趣意)と言われている。目先の「餌」に飛びっいて、結局、破滅し、転落していってしまう。これが「癡」ということでしょう。
 須田 たしかに、人間でも、そういう人生は多いですね。
 遠藤 畜生界の因果について、大聖人は「愚癡ぐち無慙むざんにしていたずら信施しんせの他物を受けて之をつぐなわざる者此の報を受くるなり」──癡で自らを省みる心がなく、信者から布施を受けてもこれに報いない者は、この(畜生界の)報いを受ける──と、厳然と仰せです。日顕宗の末路を鏡に映すようです。
 池田 御聖訓に、「合戦は瞋恚しんによりをこる」と仰せです。
 地獄界の心が戦争を起こした。戦争が終わったあとも、日本は、悲惨な地獄・餓鬼・畜生の社会でした。
 この三悪道の焦土に一人立たれ、「この世から貧乏人と病人をなくしたい」「悲惨の二字をなくしたい」と一人立たれたのが戸田先生です。
 「人間革命しかない!」「境涯革命しかない!」と叫びきって、民衆の中に飛びこんでいかれた。根本的次元から、社会を平和と繁栄の方向に向けていかれたのです。私も続いた。文字通り、一体不二で戦いました。命を捨てて、やりました。
11  母子を救った″励まし″のドラマ
 遠藤 こういう体験を聞きましたので、すこし長いですが、読者のために紹介させていただきます。
 昭和三十二年(1957年)冬、生活苦に疲れ果て、自殺を決意した婦人がいました。死ぬ前に一目、お母さんに会おうと、最後の百円札を一枚を握りしめて列車に乗りました。もちろん入会前のことです。
 名古屋から小郡駅(=現・新山口駅)に向かう列車でした。ズボンにエプロン姿は、みすぼらしい格好が恥ずかしくて縮こまっていたといいます。二歳の娘さんを連れていました。列車が駅に止まるたびに、駅弁を売りに来ました。母も子も空腹そのものでしたが、買うお金はありません。
 米原か、京都か覚えていませんが、途中で一人の青年が乗ってきました。決して立派な格好ではなかった。その青年は、母子の真向かいに座りました。
 青年は、黒革の分厚い本(後に御書であることが分かる)を開いて、何やらせっせと書き物をしていました。
 幼い娘さんは、駅弁売りを見るたびに「おなか、すいた」を繰り返します。駅に着くたびに駄々をこねました。
 母は、なさけない思いをかみしめて、「ダメ!」と叱るしかありません。やがて前の青年が、「弁当」を二つください」と言って、買った。
 「ああ、いいな、この人。二つも買うなんて、うらやましい」。そう思いました。すると、その青年は、一つを差し出して言ったのです。「子供さんに食べさせてあげてください」。その婦人はい一瞬、言葉が出ません。「え?え?」と思うばかり。周囲には、立派な服を着た人たちが大勢いましたが、みんな知らんふりをしていました。
 「でも、この青年は、自分も良い身なりではないのに、見ず知らずの、それも乞食同然の私たちに弁当をくれた。世の中にこんな人がいるなんて」
 その驚きと感謝の気持ちを、今も鮮明に覚えているそうです。「ありがとうございます」というのが精一杯でした。格好の恥ずかしさが先に立って、後は何も言えませんでした。
 弁当の中身も忘れていません。三分の二がご飯、残りがおかずで、焼き魚が入っていました。それ以上に、鮮烈にまぶたに焼きついたのは、その時の青年の目でした。「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」。
 青年は、大阪で降りました。降りる時、「頑張ってね」と一言。何とも言えない温かい気持ちが、胸に広がりました。その声も、忘れられません。ふたたび、その青年の目を見ました。「何て温かい目だろう……」。この瞬間、死ぬ決心は、どこかへ行ってしまっていたのです。宇部で、お母さんに会い、一ヵ月ほど一緒に暮らして、名古屋に戻りました。
 その直後、ある学会員から仏法の話を聞いたその婦人は、決心して信心を始めました。当時、御本尊を受けるには五百円の供養が原則でしたが、そのお金もありません。働いて祈って、働いて……昭和三十三年(一九五八年)一月、ついに御本尊を受持できたのです。翌年、昭和三十四年三月二十二日。豊橋市の小学校で、御書講義が開かれました。池田先生(当時・総務)が、担当でした。
 その方は、二人目の子を身寵もっていて、大きなおなかを抱えて豊橋へ行きました。壇上は遠くて、幹部の顔はよく見えません。が、池田総務が話を始めた瞬間、驚喜しました。
 「あっ、あの時の青年だ! 間違いない!」。死ぬ覚悟で乗った列車で聞いた、あの声を、死を思いとどまるきっかけをつくってくれた、あの青年の声を、どうして忘れることができましょうか。一生の覚悟、一生の誓いが、この時に決まりました。「たとえ、この世で、学会員が私一人になったとしても、私は、絶対に池田先生についていくんだ」と。
 弁当をもらった娘さんは、プロック担当員として頑張っておられます。豊橋で二度目に会った時に、おなかにいた息子さんは、地区幹事として活躍しておられます。
 斉藤 すばらしいドラマです。胸を揺さぶられます。こうして先生が、一人一人の庶民を抱きかかえるようにして励ましてこられた事実に、粛然とします。私たちも「境涯革命」に本気で取り組んでまいります。
12  徹しなければ境涯革命はない
 須田 一瞬の出会いが、人の心を変え、境涯まで変えることが、よく分かりました。
 池田 お母さん、娘さんたちが幸せになられて、本当によかった。私は、目の前にいる人を、励まさずにいられなかっただけです。それが学会の心です。
 ともあれ、皆、自分の境涯革命を決意したのならば、本気で、やらなければならない。境涯革命が中途半端でできるはずがありません。
 「大歓喜の境涯」と言っても、自分をいじめ抜くような苦闘の果てに得られるのです。とくに青年は「今でなければ、いつ」自分を鍛えるのか。
 広宣流布へ戦い切って、「断じて自分を高い境涯に引き上げていこう」──そう実行してこそ十界論を真に学んだことになるのです。

1
1