Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

如来寿量品(第十六章) 発迹顕本──「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
2  なぜ仏教はインドで滅びたか
 池田 大切なテーマです。じつは「法華経」と「寿量品」の肝心要も師弟不二にある。それについては、少しずつ論じることにして、思い出すのは、インドのネルー初代首相の仏教論です。
 「なぜ仏教がインドで滅びてしまったのか」。これをアンドレ・マルロー氏(フランスの文学者)との対話で語ったという。
 マルロー氏とは私も対談集(『人間革命と人間の条件』。本全集第4巻収録)を出しましたが、″常に問い続ける″あの眼光が忘れられない。全身から巨大な″問い″を発散しているような迫力でした。求道者だった。また仏教に強い関心をもっておられた。ヨーロッパに将来、仏教を基盤とする新しい文明が生まれる可能性も否定できないと言っておられた。
 氏とネルー首相との対話については、ドイッでスピーチしたこともある。(本全集第84巻収録)
 ネルー首相によれば、「そもそも仏陀の天才は、あくまでも仏陀が人間であるという事実にもとづいていた。人類の生んだ最も深遠なる思想のひとつ、剛毅な精神、このうえなく崇高な惻隠(=慈愛)の情。さらには、神々にたいしてまっこうからこれと向きあった告訴者の態度」(アンドレ・マルロー『反回想録』竹本忠雄訳、新潮社)と。
 須田 神々に対する態度という点で言えば、その時のスピーチにもありますが、日蓮大聖人が八幡大菩薩を強い調子で叱ったり、諌暁された姿にも端的に示されていると思います。
 池田 そういうすばらしい「仏の人格」が人々の心をとらえた。しかし、釈尊の死後、「仏陀の神格化が行なわれたとたん、仏陀その人はこの神々と同列にくわえられ、姿を没してしまった」(同前)──これがネルー首相の洞察であった。
 斉藤 たしかにインドでは今、仏教は極めて少数の人しか信仰していません。釈尊も尊敬はされていますが、あくまでヒンドゥー教の「神々のひとり」と位置づけての尊敬のようです。問題は、釈尊を神格化したとたん、釈尊が示した「人間としての道」が消えてしまったということです。
 池田 そう。仏教は本来、「人生をどう生きるか」を教えている。人生の正しい「道」を歩まんとする人がいて、師を求め、師がその心に応じて、師弟の関係が生まれる。ところが、仏が人間ではなく″神様″になってしまったら、「師弟の道」は成り立たない。
 須田 自分も師匠と同じ道を行けば、師匠と同じ境涯になれる──というのが「師弟の道」の前提です。師匠が″神様″になってしまったら、「自分たちも同じ道を行こう」というエネルギーはなくなりますね。
 斉藤 小乗仏教においても、しだいに釈尊を神格化し、自分たちは声聞としての悟り(阿羅漢果)を得られればいいとしました。大乗仏教(法華経以外の権大乗教)においては、釈尊以外の阿弥陀仏とか大日如来とか毘盧遮那仏とかの諸仏が説かれます。
 しかし、これらは現実の人間とはかけ離れた存在であり、その「救済」にあずかろうとする面が強く、師匠と仰ぐ存在ではありません。
 どちらにも「師弟の道」がなくなっています。
 池田 「人間・釈尊」を忘れた時、仏教は「人間の生き方」から離れてしまった。「師弟の道」がなくなった。その結果は、仏教の堕落であり、権威化です。
 遠藤 たしかに日顕宗を見ても、「人間の生き方」としての仏法など、皆無です。
 自分たちの堕落をごまかす「権威」として、仏法を利用しているだけです。まさに″法滅″です。
 斉藤 本来、日蓮大聖人が、そして釈尊が三障四魔と戦いながら、民衆の中へ中へと分け入って、正法を広宣流布された。その「同じ道」に続かなければ、仏法の生命は絶たれてしまう。「人間・釈尊でなくなったから仏教が滅びた」というネルー首相の慧眼は、さすがだと思います。
3  始成正覚を百八十度、転換
 池田 さあ、そこで「寿量品」です。寿量品の「発迹顕本」にこそ、「人間・釈尊に帰れ!」という法華経のメッセージが込められているのです。ここでは、このことを少し考えてみよう。
 須田 「発迹顕本」がなぜ、「人間・釈尊に帰れ」なのでしょうか。
 釈尊が自分は「久遠以来の仏」であったと明かすわけですから、むしろ反対に、凡夫を離れた超越的な仏のような感じすらしますが……。
 遠藤 事実、古来、法華経の「久遠の仏」を超越神のようにとってきた傾向もありますね。しかし、法華経の真髄が、そんなものであるはずがありません。
 池田 まず発迹顕本の基本的な意味を確認してみよう。教学を真剣に勉強されている方々にも、よい復習になると思う。
 遠藤 はい。寿量品では、次のように説かれています。
 「一切世間の天、人、及び阿修羅は皆、『今の釈迦牟尼仏は釈迦族の宮城を出て、伽耶の市街から遠くないところを道場として坐して、阿耨多羅三藐三菩提、すなわち無上の覚りを得て仏となられた』と思っている。しかし、じつは私が成仏してから今に至るまで、無量無辺百千万億那由佗劫という、長遠の時が経っているのだ」(法華経四七七ページ、趣意)と。
 須田 釈尊は、十九歳で出家して、三十歳の時、伽耶城近くの菩提樹の下で成仏したとされています。
 年齢については諸説がありますが、今世において釈尊が始めて正覚(仏の悟り)を成じたという点については、共通しています。これを「始成正覚(始めて正覚を成ず)」と言います。法華経以前の爾前経および法華経迹門で説かれる釈尊は、いずれもこの「始成正覚」の仏という立場です。
 遠藤 それが寿量品では百八十度、変わります。今世で仏になったのではなく、五百塵点劫という久遠の昔から仏であった、と。
 久遠のはるか昔に成仏した釈尊は、「久遠実成の釈尊」として、「始成正覚の釈尊」と区別されます。久遠実成の釈尊は、久遠の本地を顕したという意味で「久遠の本仏」とされます。「本」とは、本地・本源・本体といった意味があります。
 これに対して、始成正覚の釈尊は、その久遠の本仏が衆生を救うために、衆生に応じて出現した「垂迹の仏」です。「迹」とは、本体に対する影(映像)であり、仮の姿という意味です。
 斉藤 いわゆる「迹仏」ですね。本仏と迹仏の関係は、「天の月」と「池の月」に譬えられています。実体の月と、池の水に映った月のような違いがある、と。
 須田 法華経の前半十四品を迹門、後半十四品を本門と立て分けるのも、この「迹仏」と「本仏」の違いに基づくものですね。
 池田 日蓮大聖人は、本門と迹門の違いについて「水火天地の違目」であるとされている。水と火、天と地ほども違う、と。「爾前経と法華経迹門との違い」よりも、はるかに大きな違いがあることを強調されています。それは、この発迹顕本があるからです。
4  釈尊の遺言──法を依りどころとせよ
 斉藤 この久遠実成・発迹顕本が、なぜ「人間・釈尊に帰れ」というメッセージになるのか──ですが。
 池田 順を追って考えてみよう。まず、釈尊の教えは、自分が悟った「永遠の法(ダルマ)」を万人に悟らせることに目的があったのだね。釈尊の死後も、その「法」を師とせよと教えた。
 須田 はい。師である釈尊に常随給仕していた阿難(アーナンダ)は″仏が亡くなられた後、私たちは何を頼りにして修行していけばいいのか。何かまだ語られていない教えがあるのではないか″と、考えていたようです。しかし釈尊は、そのようなものはないと否定し、こう語っています。「(=アーナンダよ)自らを島とし、自らをたよりとせよ。他人をたよりとせず、法を島とし、法を依りどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と。(『ブッダ最後の旅──大パリニッパーナ経』中村元訳、岩波文庫、引用・参照)
 遠藤 いわゆる「自帰依・法帰依」とか「自灯明・法灯明」と言われる言葉ですね。
 池田 そう。ここで大事なのは、法と仏の関係です。「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、じつは「永遠の仏」の生命と別のものではない。
 「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
 法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。
 遠藤 ここで「自らをたよりとせよ」というのも、もちろん単なる「自分」ではありませんね。自分が頼りにならないことは自分が一番よく知っています(笑い)。
 池田 「心の師」となれということです。私どもで言えば、信心に生き抜けということです。その自分は「依りどころ」になる。
 斉藤 たしかに「法」と「人」との関係には、さまざまな局面がありますが、大聖人は「一生成仏抄」で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せです。法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。
5  釈尊の師は南無妙法蓮華経如来
 池田 法と人(仏)は本来、不可分なのです。「如来」というのも「如(真如・真実の世界)からやって来たもの」ということです。すなわち「如来」とは、真実の「法」が現実の上に表れたのです。宇宙生命に″人″の側面と″法″の側面があり、それが一体なのです。
 少しむずかしいかもしれないが、大事なところなので、もう少し言っておこう。
 釈尊の説法に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る」(相応部経典(犍度篇)「長老品・跋迦梨」)という言葉がある。法を体得すれば釈尊に会うことができ、釈尊に会えば法を悟れるという意味です。「我を見る」の「我」とは、根本的には「永遠の法」と一体となった「永遠の仏」です。
 寿量品では、永遠なる「常住此説法(常に此に住して法を説く)」(法華経四八九ページ)の仏身を説く。文上の法華経では、五百塵点劫以来の「久遠実成の釈尊」のことだが、その指向しているのは無始無終の「久遠元初の仏」です。
 釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。
 それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。戸田先生は言われた。
 「日蓮大聖人の生命というもの、われわれの生命というものは、無始無終ということなのです。これを久遠元初といいます。始めもなければ、終わりもないのです。大宇宙それ自体が、大生命体なのです」と。
 無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。
 そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだとわかったのです。
 須田 法華経方便品(第二章)にも、総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏が説いたのは、等しく一仏乗であった、とする「五仏同道」の思想が見られますね。
 池田 ですから、真剣に法を求め、法を行ずることによって、「常住此説法の仏」に必ず会えるのだ、と教えているのです。
 斉藤 私の遺した「法」を真剣に求めなさい。その時、久遠の仏に会えるであろう──と。これは、寿量品で説かれる「良医病子の譬え」のモチーフそのものですね。
 須田 なるほど。初めて気づきました。
 「良医病子の譬え」のあらすじはこうです。
 良医である父(仏)が、誤って毒薬を飲んで正気を失った子どもたち(衆生)を救うために、姿を隠し、遠国で自分が死んだと伝えさせる。子どもたちは、父が亡くなった悲しみのなかで正気を取り戻し、父が通していった良薬(法)を服して病気が治る。そこへ父(仏)が帰ってきて、健康になった子どもたちと再会する──と。
 遠藤 「仏は常住不滅であるが、衆生に法を求めさせるための方便として入滅する。衆生が法を信受する時、仏は再び衆生の前に現れるであろう」──これが、この譬えの意味ですね。
 池田 その通りです。「永遠の妙法」を行ずることによって、だれもが、常住此説法の「永遠の仏」を己心に見ることができる。
 これが釈尊の遺訓の本義と言えるのではないだろうか。その心を、忠実に表現したのが寿量品の「良医病子の譬え」と言ってよい。
 須田 すでに語っていただいたように、寿量品は釈尊滅後、なかんずく末法の民衆へのメッセージでした。釈尊がいない滅後には、釈尊自身の「師」を「師」としていけ、私と同じ道を行け──という遺言がそこに込められているのですね。
 遠藤 そうすれば、釈尊がいなくても何も問題はない、と。
 須田 釈尊在世の人々は、釈尊との人格的な交流を通して「永遠の法」を感じ、悟りの道を歩むことができたわけですが、滅後の衆生にとっては、そうはいかない。ここに寿量品が「滅後のため」と言われる重大な理由があると思います。
6  在世──釈尊と人格的交流があった
 遠藤 在世の一例ですが、釈尊が菩提樹下で成道してから、かつての修行仲間であった五人の比丘に初めて説法した時のことです。いわゆる初転法輪です。
 五人は″釈尊は苦行から退転した者″として軽蔑していました。しかし、実際に会うと、釈尊の否定しようのない「人格の輝き」に打たれて、釈尊に帰依したと伝えられています。
 池田 その時の釈尊の第一声が「不死は得られた」だね。悟りを得た釈尊の実感を語っている。「永遠の大生命」が、釈尊の己心に脈打っていたのでしょう。永遠の「如来」の生命力が、瞬間瞬間、生命の深みから、わきあがってきていたのでしょう。「人間・釈尊」からにじみ出る、その大境涯に感動して、五人の比丘は仏道に入った。釈尊という「人」を通して、永遠の「法」に触れたのです。釈尊の在世には、こういう師弟の人格的交流が可能だった。
 須田 釈尊と弟子の交流を伝えるエピソードとして、印象に残る人物がいます。それは、鴦崛摩羅おうくつまら(アングリマーラ)という極悪非道の盗賊です。アングリマーラの名も、その凶悪な行為に由来するそうです。アングリとは「指」、マーラは「首飾り」の意味とされます。彼は、多くの人を殺し、その指を集めて飾りにし、首からかけていたのです。その彼が、釈尊の「来れ」という一言で改心し、帰依したとされています。
 その後、彼は托鉢に出かけますが、彼にいまだに恨みを持つ人々から、土や石を投げつけられ、衣を引き裂かれ、血だらけになりながら、釈尊のもとに戻ってきます。釈尊はアングリマーラを励まして、こう言いました。「アングリマーラよ、耐えなさい。耐えて受けることです。汝は、これから幾年、幾百年、幾千年の間、地獄において受けねばならない業の果報を、今、受けているのです」と。
 遠藤 「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」の法理を思い出させる話ですね。
 池田 仏道修行を始めたからといって、過去の罪がただちに消えるわけではない。彼自身の非道による悪業の報いであったとしても、ひとたび改心し、自分に帰依した弟子が人々からそのような仕打ちを受けるのは、釈尊にとっても、どれほどつらいことであったか。身を切られるような痛みであったにちがいない。
 何とか不退転の道を貫き、成仏の道を歩ませたかった。だからこその厳愛の励ましです。弟子の苦しみは師の苦しみです。師匠とはそういうものです。アングリマーラはその仏の慈悲を痛いほど感じたからこそ、耐え抜くことができたのでしょう。
 斉藤 目が見えなくなった阿那律あなりつ(アヌルッダ)の話も有名です。彼が衣のほころびを縫うために、針に糸を通そうとしていた。しかし眼が不自由なので通らない。彼は「だれか私のために糸を通して、さらに功徳を積もうという人はいないだろうか」と、つぶやいた。すると「私が功徳を積ましてもらおう」という声がした。彼は、はっとした。温かい釈尊の声だったからです。
 彼は恐縮して、辞退します。釈尊には、これ以上、功徳を積む必要がないではありませんかと。しかし釈尊は、そうではない、真理の追究にも、幸福の追求にも終わりはないのだと言って、糸を通してあげるのです。
 池田 いい話です。何より、困っている弟子を見たら、ほうっておけず、気さくに手伝ってあげた釈尊の実像が、生き生きと伝わってくる。
 ともあれ、釈尊の教えそのものは、相手によってさまざまだったでしょう。しかし、釈尊との人格的交流によって弟子たちは正しい道を歩むことができた。釈尊在世に生きた人々は、現実の釈尊との触れ合いの中で「仏」を生き生きと実感しながら、仏の師である「法」に迫っていったのです。
7  釈尊滅後――何を師として生きるか
 斉藤 それに対して、釈尊の滅後は、どうしても「法」が根本になります。ならざるを得ません。「法」それ自体を直接、師としていくしかない。
 池田 そう。だから、釈尊滅後、仏弟子たちの修行は、この「永遠の法」即「永遠の仏陀」をどう感得するか──この一点に集中していくことになるのです。
 釈尊亡き後、直弟子やその流れを汲む出家僧たちを中心として、いわゆる小乗仏教教団が形成されていく。おそらく当初は、釈尊の遺した教えに基づいて、自己を厳しく律する修行が真剣に続けられていったことでしょう。しかし、時とともにその精神は次第に失れれていった。釈尊の悟った「法」即「仏」を自己の内に見るという本義を離れて、釈尊一人を、自分たちとは違う存在と見なす傾向が生み出されていったのではなかろうか。
 人間・釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏陀」をみずから体得するという戦いが、いつしか忘れさられていったのです。大ざっぱな言い方だが、本質は、そういうことになるのではないだろうか。
 斉藤 現実に「仏」と触れ合うことができないために、時を経るにつれて、″偉大な仏″という観念だけが独り歩きをしてしまった。仏の悟りを得たのは釈尊一人であって、われわれは仏にはなれっこないのだ──と。
 遠藤 目指す悟りは、声聞の最高の悟り(阿羅漢果)であり、仏の境涯にはとうてい、なれないとしたのですね。
 須田 戒律も次第に煩瑣になっていきました。教団を維持するという要請から、僧侶たちが寺院を神秘化したり、聖職者を権威づける教えをあえて説いたという事実も指摘されています(宇井伯壽「僧伽」、『岩波講座 倫理学』4所収、岩波書店、参照)。こうしたことが相まって、ますます衆生には到達できない高みへと仏を祭り上げてしまったわけですね。
8  ″仏の神格化″が″仏教の非人間化″に
 池田 それでも、釈尊の直弟子がいた間はまだよかった。釈尊滅後の百年前後に仏典の結集が行われたといわれているが、このころには、すでに釈尊の神格化は相当、進んでいたのではないだろうか。結集には、いよいよ遠ざかる「人間・釈尊」の記憶をたぐり寄せようという危機感が、背景のひとつにあったかもしれない。
 斉藤 漢訳経典で「世尊」と訳されているのは、サンスクリット語(古代インドの文章語)の「バガヴァット」ですが、もともとは弟子が師に対して「先生」と呼びかける言葉だったそうです。ところが、釈尊は次第に神格化されるにつれて、「超神」とか「神々の神」とまで呼ばれるようになります。
 須田 それが、大乗仏教になると、民衆を救う「救済者」としての人格的な仏が強調されていきます。
 遠藤 ただし、先ほども指摘があったように、その仏とは、釈尊を離れた別の仏です。阿弥陀如来とか、毘盧遮那仏とか、大日如来とか……。ただ、いずれも、慈悲深い人格的な仏であり、しかも永遠に民衆を救済し続ける絶対者として説かれています。
 池田 それらは、与えて言えば、釈尊が師とした「永遠の法」即「永遠の仏陀」に迫ろうとした結果と言えるでしょう。その限りでは、「久遠の本仏」の仏身を部分的に表現していると見ることもできる。
 須田 法身・報身・応身の三身論で言えば、たとえば、大日如来は「法身」、阿弥陀如来は「報身」にあたるとされます。別の説もありますが──。
 これに対して、寿量品の「久遠の釈尊」は無作三身の仏ですから、他の諸仏は、部分観になります。
 斉藤 大聖人が、爾前の経経について「皆己心の法を片端片端説きて候なり」と位置づけられていますが、これは仏身についてもあてはまるかもしれません。三身については、また改めて論じていただきたいと思います。
 遠藤 「色相荘厳の仏」といいますが、理想化された仏ばかりが説かれるようになってしまったのですね。
 池田 一面では、これらは仏を渇仰してやまない人々の信仰心の現れであり、それに応えたものでしょう。日寛上人も「世情に随順して色相を荘厳し」(文段集五二八ページ)と述べられています。
 須田 問題は、この大乗仏教運動によって、仏教の源である釈尊をかえって軽んじる結果に陥ってしまったことではないでしょうか。代わりに、他の架空の仏を″神″のように崇めてしまつた……。それは結局、民衆自身の内なる「法」即「仏」を開く道を閉ざすことになったわけです。
 遠藤 しかも、こうした仏が説かれると、どうしても民衆自身の内発的な力を重視する方向よりも、「仏の慈悲にすがって救われよう」という心理を助長させます。日本の阿弥陀信仰の「他力本願」はその典型ですね。
9  池田 要するに、小乗も大乗も、釈尊が言い遺した「法と自己をよりどころとせよ」という心と正反対になってしまった。
 あえて類型化していえば、小乗教では、「法」を求めるという側面は強調したが、「仏」をいたずらに凡夫から引き離してしまった。
 大乗教では、「仏」と人間のかかわりを復興させようと努めたが、民衆自身が「法」を体得するところまでは開かれなかった。どちらも十分ではなかった。そこに、寿量品の「発迹顕本」の意義がある。
 遠藤 仏教のみならず、宗教には人間をしばしばドグマや権威に隷属させようとする宿命的な傾向がありますね。
 池田 そうだね。宗教の″非人間化″や″現実からの遊離″に抵抗して、原点たる「人間」へと打ち戻し、また打ち戻し続けていくのが法華経の精神です。
 須田 「如説修行抄」の「権実二教のいくさを起し」、「今に至るまで軍やむ事なし」との御聖訓を思い起こします。不断の精神闘争のなかにのみ、仏法の正統があるのですね。
 斉藤 大聖人は、常に「釈尊に帰れ!」と叫ばれました。大日如来を崇める真言宗に対しても、「大日如来は、どのような人を父母として、どのような国に出現して大日経をお説きになったのか」(御書一三五五ページ、趣意)と破折されています。
 遠藤 現実に生きていた「人間・釈尊」をないがしろにして、父母もわからない「架空の仏」をありがたがる本末転倒ぶりを喝破された。「釈尊に帰れ!」とは「人間に帰れ」ということだったのですね。
 須田 徹底して、「仏教を人間化する」戦いであられた──。
 池田 それほど、宗教というものは、人間を離れよう、離れようとする傾向がある。そうなると宗教は、一種の権力になってしまう。
 須田 本当に怖いことですね。
 斉藤 その要因はいろいろ考えられると思いますが、一つは聖職者の堕落、一つは教団組織の硬直化、一つは信仰心の惰性──が挙げられるのではないでしょうか。それらが重なり合って、宗教が民衆からかけ離れて、権威主義化してしまう。
 須田 日顕宗などは、その全部が積もり積もった典型ですね。放蕩法主を日蓮大聖人と一体不二だなどと言っているのですから、「人間の生き方」など、まったく問題にされていません。
10  「私は立派な凡夫」(戸田先生)
 遠藤 戸田先生は言われています。
 「もしわれわれが南無妙法蓮華経を修行して、菩薩だとか、あるいは大菩薩の位だという位がついたら、おかしなものでしょう。今未法にいたって、今日蓮だとか、大菩薩だとかがいるわけがない。そんな者がいればオバケです」(『戸田城聖全集』7)と。(笑い)
 池田 そう言えば、戸田先生に向かって、「会長さんは生き仏なのでしょう」と皮肉っぽく聞いた新聞記者がいた。
 先生は「冗談ではない。生き仏が生魚を食ったり、ウイスキーなんか飲んだらたいへんなことだ(笑い)。そんなものはいません」と呵々大笑されていた。「私は立派な凡夫だ。自分を神だなどと言う宗教の教祖は、インチキだ」とも、よくおっしやっていたものです。
 斉藤 人間以上の人間はいない!──という断固たる信念ですね。常々、池田先生に教えていただいている仏法の人間主義が、どれほど重要な「二十一世紀の宗教」の条件であるかを改めて実感します。
 池田 宗教だけではない。権力者も、自分を「人間以上」に見せかけるために、権威づけとして宗教を利用することが珍しくない。聖職者にせよ、権力者にせよ、「人間以上」とか「特別な人間」のふりをする時、民衆は悲惨な目にあわされる。これが歴史の教訓です。「魔女狩り」や「ヒトラー」「スターリン」の例を引くまでもない。
 以前にも引いたが、パスカルの言葉は、この悲劇の本質を鋭くえぐっています。「人間は、天使でも、けだものでもない。不幸なことは、天使を気取ろうとする者が、けだものになり下がってしまうことだ」(『パンセ』田辺保訳、角川文庫)
 遠藤 「天使──人間以上」のように気取る者は、「けだもの──人間以下」の振る舞いをするに至るということですね。
 この観点から「発迹顕本」を考えますと、どこまでも「人間・釈尊」に即して離れずに「永遠なる大生命」を開示したところに意味があると考えられます。
 池田 哲学的に言うならば、″今の現実″から離れずに″永遠″を見よ! ″内在″に即して″超越″を求めよ! ″その場″にあって″宇宙的なもの″を開け! ということになるでしょう。これが発迹顕本の心なのです。
11  寿量品は小乗と大乗を統合
 斉藤 小乗教とか権大乗教は、どちらも真摯なアプローチを重ねて、それなりの思想的成果を残したものの、結局は偏頗にゆがんでしまった。寿量品の発迹顕本によって初めて、この両者を大きく統合することができたのですね。
 池田 そう。「人間・釈尊」に帰り、なおかつ「永遠の仏」という、″神格化以上″の深い宗教的世界を開いた。人間に即しつつ、人間が人間自身を無限に超えゆく道を開いたのです。
 斉藤 そう考えると、私たちは、とかく「永遠の仏が明かされた」という「顕本」の側面だけを重視しがちですが、「発迹」の面が大事である、と。
 「発迹」には「人間・釈尊」にどこまでも即していく、つまり具体的・現実的な人間を離れず、そこに真実を見いだそうとする決意が感じられます。
 池田 「発」とは「開く」という意味です。「迹」を「開く」というのは、譬えて言えば、太陽を覆っている雲を取り除くことです。雲を除けば、燦々たる太陽の光が現れてくる。これが「本地」です。雲があるからといって、他の所に太陽を求めるのではない。そこを離れないのです。そこに本地があるからです。
 須田 「人間へ帰れ」と言うのは、わかったのですが、ただ実際には、「永遠の仏」とか「常住此説法の仏」と言われても、ピンとこない人が多いかもしれません。人間を超えた″スーパーマン″のような感じにとられかねないと思うのですが……。
 遠藤 実際、一般の仏教学でも、寿量品の釈尊は、ほとんど神格化して、扱れれています。
 池田 だからこそ、大聖人は御本尊を顕されたのです。これ以上の現実はない。具体はないのです。大聖人は、私たち末法の凡夫が、御本尊に妙法を唱えることで、「常住此説法の仏」と一体になれるようにしてくださったのです。
 人法一箇の御本尊です。″人″の側面は、久遠元初の自受用報身如来。″法″の側面は、事の一念三千です。だから、戸田先生は、久遠元初の仏のことを「一念三千様」とも言われていた。御本尊を受持し、広宣流布に戦うことによって、私どもの生命に「常住此説法の永遠の仏」が涌現してくるのです。
 戸田先生は寿量品の「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」(法華経四七九ページ)の経文について、「大宇宙即御本尊ということであり、南無妙法蓮華経の生命は、久遠以来、大宇宙とともにあるということです」と言われていた。
 そして「御本尊を拝みまいらせて、御本尊の生命をこちらへいただくと、われわれのこの生命それ自体が、南無妙法蓮華経というものなのですから、御本尊の力がわれわれの方にグーッと出るのであります。すると、世の中のことを見ても、大きなあやまりがなくなるのです」と。
12  毎朝・毎夕に「顕本」
 遠藤 「御義口伝」に「朝朝ちょうちょう・仏と共に起き夕夕せきせき仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」という傅大士の釈が引かれています。御本尊根本に生き抜く私たちは、この言葉を、どんな仏教学者よりも深い実感で受けとめることができますね。
 池田 時々刻々の「顕本」です。私どもは毎朝・毎夕、発迹顕本しているのです。久遠の大生命を己心にわき立たせて、広宣流布へと前進している。それ自体が、総じては、日々、寿量品を身で読んでいることに通じるのです。
 斉藤 釈尊が残した精神の水脈は、二千年の間に「人間」から離れ、枯渇しつつあった。それを万年の大河へと蘇生させたのが大聖人の人間主義なのですね。
 池田 そう。″聖なる権威″に人間を跪かせる一切の思想・宗教を打ち破って、人間自身の内なる″聖なる大生命″を開かせたのです。だから大難があった。大人権闘争であり、大師子吼です。
 「諸法実相抄」には「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」と仰せです。
 この深義については、さらに論じていくことになるが、凡夫こそ本仏と言われている。「仏教の人間化」の究極の宣言と拝したい。日蓮仏法こそ、二十一世紀から始まる「第三の千年」を、そして末法万年を照らしゆく「人間宗」なのです。

1
2