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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 発迹顕本──「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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12  毎朝・毎夕に「顕本」
 遠藤 「御義口伝」に「朝朝ちょうちょう・仏と共に起き夕夕せきせき仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」という傅大士の釈が引かれています。御本尊根本に生き抜く私たちは、この言葉を、どんな仏教学者よりも深い実感で受けとめることができますね。
 池田 時々刻々の「顕本」です。私どもは毎朝・毎夕、発迹顕本しているのです。久遠の大生命を己心にわき立たせて、広宣流布へと前進している。それ自体が、総じては、日々、寿量品を身で読んでいることに通じるのです。
 斉藤 釈尊が残した精神の水脈は、二千年の間に「人間」から離れ、枯渇しつつあった。それを万年の大河へと蘇生させたのが大聖人の人間主義なのですね。
 池田 そう。″聖なる権威″に人間を跪かせる一切の思想・宗教を打ち破って、人間自身の内なる″聖なる大生命″を開かせたのです。だから大難があった。大人権闘争であり、大師子吼です。
 「諸法実相抄」には「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」と仰せです。
 この深義については、さらに論じていくことになるが、凡夫こそ本仏と言われている。「仏教の人間化」の究極の宣言と拝したい。日蓮仏法こそ、二十一世紀から始まる「第三の千年」を、そして末法万年を照らしゆく「人間宗」なのです。

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