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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 生きて生きて生…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  世界的に「生と死の探求」が始まった
 斉藤 最近、「死への準備教育(デス・エデュケーション)」が、きわめて強い注目を集めています。たとえば、「あなたは、あと半年間しか生きられない」と仮定して、「その半年に何をしますか」という課題を出して、考えさせるのです。
 また「″人生で、あなたが大切にしているもの″を順番に三つ書いてください」とか、「死」を考えるなかで「生」を見つめ直していくわけです。
 遠藤 ヨーロッパ、アメリカでは「死への準備教育」を学校でしているところも多いようです。小学生向けのプログラムもあるそうです。
 日本でも、かつてない「高齢化社会を迎えて、「老い」や「死」の問題に光が当てられるようになりました。しかし、まだまだ″自分の問題″として深く考えている人は少ないのではないかと思います。
 池田 人生、何が確実かと言って、「いつかは必ず死ぬ」ことほど確実なことはない。ほかのすべてが″不確か″で、変化、変化している時代にあって、これだけは永遠に″確かな″事実です。
 それなのに、一番確実な「死」から人間は目をそらそうとする。たしかに「太陽と死は直視できない」かもしれないが、確かな生死観をもたない人生は、根なし草のようなものです。そのままでは、確かな人生を歩むこともできないのは当然でしょう。
 須田 「死」から目をそらすことは、「本当の自分」から目をそらすことに通じると思います。今、自分の前世を知りたがる若者が増えています。
 ある精神科医によると、それは「自分は何者なのか」という″ルーツ″を「現在の自分」に見いだせず、「過去の自分」に求めているからではないかというのです。(小田晋著『精神科医が明かす生と死 心の深層』はまの出版、参照)
 池田 そうかもしれない。表面的に見ると、一時の流行のがようにも思えるが、根底には、確かな拠り所を求める心のうめきがあるのではないだろうか。
 現代の文明は、「死をタブー視する(ふれてはならないものと見る)文明」と言われてきた。しかし、「死への準備教育」といい、今、世界的には、急速にそれが変わりつつある。人々は、確かな生死観を懸命になつて求めている。
 私は、生命探求への熱い鼓動を感じます。
2  老いも若きも「生死を学ぶ」仏法運動
 須田 まさに「生命の世紀」──二十一世紀への助走が始まった感があります。
 池田 「生と死を学ぶ」という意味で、創価学会の教学運動は、時代を先取りしてきたと言ってよいでしょう。
 斉藤 はい。学会は、老いも若きも、日常的に仏法の生死観を勉強してきました。
 たとえば、昨年(一九九六年)の第一回「教授登用論文試験」に挑戦された八十歳のおばあちゃんの話しを聞きました。選んだテーマは、「『生死』についての一考察」。
 この方がしみじみ語っていたそうです。「今まで、こんなに勉強したことはありません。仏法の三世の生命観を真剣に学んでいるうちに、死ぬということが怖くなくなってきたんです」と。こうやって「学んでいる」事実が、すごいことですね。
 池田 その通りです。「学ぶ」ことです。それは哲学を学ぶだけに限らない。人々の現実の「死」の姿からも学ばなければならない。なぜなら、亡くなった人々は、だれであれ、「死」を経験したという点で「人生の先輩」にあたるからです。たとえ、それが年下であっても、子どもであっても、「先輩」です。
3  ″自分は勝つた″と誇れる人生
 遠藤 そう言えば、白血病で亡くなった九歳の少年の、こんな話があります。
 末期患者のカウンセリングや、臨死体験の研究で有名なキュープラー・ロス女史が紹介している話です(以下、『「死ぬ瞬間」と臨死体験』鈴木晶訳、読売新聞社、引用・参照)
 彼──ジェフィは三歳のときから入退院を繰り返し、体は弱りきっていました。あと二、三週間の命であることが、ロス女史にはわかりました。
 ある日、「ぜったいに今日、家に帰りたい」と、ジェフィが言い出します。これは事態が非常に差し迫っているというメッセージでした。ロス女史は、心配する両親を説得し、車で帰宅させることにしました。
 ガレージに入り、車から降りると、ジェフィは父親に頼みました。「ぽくの自転車を壁からおろして」。それは三年前に父が買ってくれた、新品の自転車でした。
 「一生に一度でいいから自転車で近所を回りたい」──それがジェフィの夢だったのです。フラフラして、立っているのがやっとのジェフィでした。自転車に補助輪をつけてもらうと、ロス女史に言いました。「ここにきて、ママを押さえていて」。お母さんが止めに入らないためです。
 言われた通り、ロス女史が母親を押さえ、父親がロス女史を押さえました。そしてジェフィは、近所へ自転車の旅に出発します。
 「おとな三人は、たがいの体を押さえ合いながら、感じていました。──死が間近に迫った弱々しい子どもが、転んでけがをして血を流す危険をおかしてまでも勝利を味わおうとするのを黙って見守ることが、いかにむずかしいかを。ジェフィを待つている時間は、永遠のように感じられました」
 須田 無事に戻って来られたのですか?
 遠藤 はい。こう書かれています。「彼は満面に誇りをたたえて帰ってきました。顔じゅうが輝いていて、まるでオリンピックで金メダルをとった選手みたいでした」。
 一週間後、ジェフィは亡くなります。さらにその一週間後、誕生日を迎えた弟が教えてくれました。
 じつはあの後、ジェフィは両親に内緒で、弟にプレゼントを渡していたのです。「いちばん大事な自転車を直接プレゼントしたい。誕生日まで待つことはできない。そのときには自分はもう生きていないだろう」から、と。彼は自分のやり残した仕事をやり遂げたのです。「両親はもちろん嘆き悲しみました。でもそれは重荷としての悲嘆ではありませんでした」「彼らの胸には、ジェフィが自転車で近所を回り、人生最大の勝利に顔を輝かせて帰ってきたという思い出が残りました」
 ロス女史は言います。「すべての人には目的がある」。それを「患者たちとの触れ合いのなかで学んだ」と。彼らは、ただ″助けられる″だけの存在ではない。生命についての大切な何かを″教えてくれる″先生にもなるのだ、と。
4  池田 いい話だね。少年は勝って死んだのだね。
 吉田松陰だったと思うが、″十歳で死ぬ人にも、十歳の中に春夏秋冬の四季がある。二十歳で死ぬ人にも二十歳の四季がある。三十歳、五十歳、百歳で死ぬ人にも、それぞれの四季がある″と言っている。(吉田松陰『留魂録』古川薫訳、徳間書店、参照)
 彼は信念を貫いて満二十九歳で処刑されたが、こういう生死観に立って、いささかも動じなかったという。要は、なすべきことをなして死ねるかどうか──。「自分は勝った」と誇りをもって死ねるかどうか。
 「死」を学ぶことは、「人生をどう生きるか」を学ぶことなのです。フランスの哲学者アランは、哲学の宿題に、こんな問題を出した。
 ″今にも欄干を乗り越えて、飛び込み自殺をしようとしている若い女性がいる。彼女を引き戻して、どんな対話をするか?″(アンドレ・モーロワ『わたしの人生行路──青年篇』谷長茂訳、河森好蔵監修『アンドレ・モーロワ人生論集』1,二見書房、参照)
 生きるか死ぬかという瀬戸際に、人間として何を語れるのか。そこに真の「哲学」がある。これは特殊な極限状態の問いのようだが、じつはそうではない。
 「人はなんのために生きるのか」という問いは、いつでも、どこでも、だれにでも問われている根本問題なのです。
5  「他人の死」から「自分の死」へ
 須田 はい。ある精神科医が、自殺未遂の青年に「どうして自殺をしたのか」と聞いたそうです。すると即座に「先生は、どうして生きているのですか?」と切り返されて言葉に窮した、と綴っています。
 「これには参った。『死ぬこと』と『生きること』とは、反対のことのように見えて、表裏一体のものである。相手に『死んではいけない』と言える人は、自分の生きざま、生きていることの意義をはっきりと答えることのできる人なのである」(大原健土郎著『生と死の心模様』岩波新書)と。
 斉藤 たしかにむずかしいのは、生と死を″自分の問題″として考えることですね。どんなに、とうとうと人生を論じ、生死の哲学を語っても、心の底で″他人ごと″であっては、何にもなりません。
 ある医師は、自分の子どもを亡くして初めて、「生命とは何か」を思い知らされた、と書いています。患者の病気を治すたびに、医師としての誇りに酔っていたが、「自分の子供が死んで、初めて患者の死を考えるようになり、『他人の死』から『自分の死』として考えるようになったとは、罪深さに自分を失いたいと思いました」(河野博臣著『ガンの人間学』弘文堂、引用・参照)と。
 遠藤 胸をえぐる告白ですね。
 池田 かけがえのない人を失った──その体験が、人を人生の深い次元へと進ませる。この座談会の序論(本全集29巻所収)でも紹介しましたが、戸田先生は、入信以前、お嬢さまを亡くされたときの深い悲しみを語っておられた。冷たい遺骸を一晩泣きながら抱いて寝た、と言われていた。
 「私は、そのときぐらい世の中に悲しいことはなかったのです(中略)そこで、もし自分の妻が死んだら……と私は泣きました。その妻も死にました。もし母親が死んだらと思いました。それは私としても、母親が恋しいです。今度はもう一歩つっこんで、ぼく自身が死んだらどうしようと考えたら、私はからだがふるえてしまいました」
 そして「牢にはいって、少しばかりの経典を読ませてもらって『ああ、よくわかりました』と解決したのですが、死の問題は二十何年間かかりました。子供をなくして泣きすごすと、妻の死も自分自身の死もこわかった。これがようやく解決できたればこそ、戸田は創価学会の会長になったのであります」(『戸田城聖全集』2)と。
 死が恐ろしい──人間である以上、当たり前のことです。戸田先生でさえ、死を眼前にしてこのような苦闘をされている。「死など恐れない」「命など惜しくない」──苦闘もなく、初めからそんな境涯になれるはずがない。死はだれもが怖い。だれもが悲しい。当然です。その苦しみ、悲しみに打ち勝っていこうとするから、人間として深まるのです。他の人々と「同苦」する心もできていくのです。
 遠藤 よくわかります。私自身がそうでした。十二年前(一九八五年)、四歳の長男が突然、亡くなりました。気管支肺炎でした。その時は悲しみをこらえるのが精一杯で、頭の中が真っ白という状態でした。しかし、池田先生をはじめ、同志の皆さんの再三にわたる励ましで、真正面から息子の死という現実に立ち向かえるようになりました。どれほどありがたかったか──感謝しても、しきれません。
 それからというもの、先生の「必ず意味があるよ」との一言を胸に、真剣に題目を唱えました。御書をひもとき、先生の指導を貪るように学びました。一つ一つが新鮮でした。一つ一つが感動でした。命が洗われるような思いでした。
 子どもの死という試練がなければ、信心の深い確信もつかめなかったでしょうし、人の真心も、人生の深さもわからない浅はかな自分になっていたなと、つくづく実感しています。また子どもはもう、再び生まれてきていることを、自分としては確信しています。
 池田 私もそう思う。父子一体です。遠藤君がこうして法華経を語り、永遠の生命を語り、たくさんの人々に希望を送っている。その姿のなかに、息子さんの命は一体で生きている。
 生の姿であれ、死の姿であれ、父子一体の功徳を受けきって、楽しんでいるよ。
 遠藤 はい。ありがとうございます。
6  「永遠の大生命」を我が身に湧現
 池田 人生は長い。晴天の日だけではない。雨の日も、烈風の日もある。しかし何が起ろうと、信心があれば、最後は全部、功徳に変わる。
 戸田先生は言われていた。「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ」と。
 「永遠の生命」を信じて、この一生を生きて生きて生き抜いていくのです。この一生を勝利しきって、その姿でもって「永遠の生命」を証明するのです。それが法華経です。寿量品です。何があろうと、生きて生きて生き抜くのが「寿量品の心」なのです。
 斉藤 寿量品の心とは、言葉だけの「永遠の生命」ということではないのですね。
 池田 大生命力で生き抜くことです。永遠にして宇宙大の「大いなる生命」の実在を明かしたのが寿量品です。その「大いなる生命」を、現実の我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です。
 如来寿量とは「如来の寿命を量る」という意味です。如来の永遠の寿命──その大生命力を我が身のうえに涌現するのです。
 寿量品が説く「永遠の生命」──それは無限の生命力、無限の智慧、無限の慈悲を具えて、生きとし生けるものを支えている宇宙生命それ自体です。
 それこそが、釈尊の本地であり、あらゆる仏の本体であると明かしているのが寿量品です。「仏とは生命なり」と戸田先生が悟られた通りです。
 この「永遠の生命」が、妙法であり、如来であり、法性であり、実相です。十界三千の諸法を貫く宇宙根源の法であり、大聖人はこれを「南無妙法蓮華経」と名づけられた。
 生と死も、この「永遠の大生命」の不思議な働きであり、本然のリズムです。生死という現象だけで見れば、生命は無常です。この「生死の苦しみ」「無常の苦しみ」が、人間の一切の苦しみの根源です。釈尊は、このことを徹底して人々に教えたのです。
 それは決して″昔話″ではない。現代社会の諸々の苦悩の根底にも、この生死の苦しみが横たわっている。寿量品の「永遠の生命」こそが、この生死の苦しみを癒す「良薬」なのです。
 斉藤 はい。生死の苦しみを解決する要法は、ただ寿量品の一品に限ると日蓮大聖人は仰せです。(御書一〇二二ページ)
 池田 寿量品については、これまで何度も学んだという人も多いと思う。なにしろ毎日、勤行で読誦しているのだし(笑い)。しかし、基本を確認する意味で、そのあらましを、まず、たどってみよう。
7  それまでの教えを覆す「久遠実成」
 須田 はい。涌出品(第十五章)で、娑婆世界の大地から無数の立派な菩薩が出現します。この地涌の菩薩たちを「釈尊は一体、いつ、どこで教化してきたのか」と弥勒が質問します。この問いを受けて、寿量品の説法が始まります。
 遠藤 釈尊が菩提樹の下で悟りを開いてから数十年しかたってない。とても、それだけの数の菩薩たちを、仏と同じくらいに立派になるまで教化することはできるはずがない。これが弥勒の疑問ですね。
 池田 弟子たちの素晴らしさを見て、「師匠である釈尊とは、一体、どういう存在なのか?これまで思い込んでいた以上の存在なのではないか?」と思ったんだね。
 斉藤 はい。その答えが寿量品の冒頭で説かれる「久遠実成」です。それまでの爾前・迹門では「釈尊は今世で始めて成仏した」と説かれてきました。いわゆる「始成正覚」(始めて正覚を成ず)です。
 これを百八十度ひっくり返し、「私は実に成仏してから、無量無辺の時間(無量無辺百千万億那由佗劫)を経ているのである」と明かします。これが「久遠実成」です。
 池田 今世で初めて仏になったのではない。もともと仏だったということだね。
 遠藤 皆、驚いたでしょうね。今までと正反対のことを説いたわけですから。
 須田 「今まで、だまされていたのか」と思う人もいたかもしれません(笑い)。
 斉藤 始成正覚という仮の姿(迹)を発いて、久遠実成という真実の姿(本)を顕したので、これを「発迹顕本」といいますが、その意義については、改めて論じていただきたいと思います。
 池田 そうだね。甚深の法門です。久遠元初の問題とも関連してくる。寿量品全体の流れを見たうえで論じたほうがいいでしょう。
 須田 釈尊の成仏がいかに遥かな昔であったか──それを示す譬えが「五百塵点劫」の譬喩です。五百千万億那由佗阿僧祗という膨大な数の三千大千世界を、すり砕いて細かい塵とします。その塵を持って東のほうへ行き、五百千万億那由佗阿僧祗という数の国を過ぎるごとに、その塵を一粒ずつ落としていきます。ロケットか何かに乗っていくと想像すればいいでしょうか。ともあれ、どんどん東へ行き、この塵をすべて落とし尽くします。
 遠藤 那由佗も、阿僧祗も古代インドの数の単位で、ともに十の何十乗という大数です。一説には那由佗は一のあとに零が十一つき(一千億)、阿僧祗は一のあとに零が五十一つく単位(10の51乗)といいます。
 三千大千世界は当時の世界観における宇宙を指しています。通り過ぎた国の数は、もはや誰も数えられませんし、想像力の翼も届きません。
 須田 そうです。ところが、それだけでは終わりません。驚いたことに、塵を置いた国も、置かなかった国も、すべてまた砕いて塵とすると言うのです。そして、その一粒の塵を一劫と数えます。劫とは、非常に長い時間の単位です。一説には1600万年くらいともいいます。釈尊の成仏は、こういう測り知れない時間よりも、さらに百千万億那由佗阿僧祗劫も前であったと言うのです。これが「五百塵点劫」です。
 遠藤 目もくらむような話ですね。
 須田 それだけの遥かな昔に釈尊が成仏したことを「久遠実成」というわけです。
 斉藤 ″その時に成仏した″と説かれているので、「始まり」があるように感じます。そうすると五百塵点劫は、一応、有限な時間のようにも考えられますが、実質的には無限の時間を示そうとしていると思います。
 池田 永遠だね。「永遠」ということを何とか示そうとしている。
8  久遠の仏は「今」「ここに」いる
 須田 この久遠の成仏だけでも、驚天動地の説法でしたが、このあとさらに、それまでの常識を覆す宣言が続きます。釈尊がその久遠の昔に成仏して以来、常にこの娑婆世界にあって説法し、人々を教化してきたと言うのです。
 遠藤 爾前経では、「婆婆世界は煩悩に汚れた穢土であり、仏の住む国土はそれ以外の浄土にある」と説かれてきました。西方の極楽浄土や東方の浄瑠璃世界などがよく知られています。ところが寿量品では、「この娑婆世界が久遠実成の仏が常住する浄土だ」ということになります。浄土とは寂光土とも言います。この「婆婆即寂光」の法理も、寿量品の画期的な教えです。
 斉藤 天台は、これを「本国土妙」といいました。
 須田 さらに不思議なのは、娑婆世界だけでなく、他の無数の国土でも衆生を導いてきたと説かれていることです。
 遠藤 久遠実成の仏は、宇宙に遍満しているとしか考えられませんね。
 池田 そう。全宇宙、「どこにでも常住し」、衆生を救うためなら、「どこにでも出現する」仏だと考えられる。だからこそ「今」「ここ」──つまり娑婆世界が″久遠の仏″の常住する浄土と言えるのです。
 須田 不思議な説法は、さらに続きます。久遠実成の仏は、過去に、名前も寿命も異なるさまざまな仏を説きあらわしてきたとあります。それは人々を救うための方便として説いてきたものである、と。
 遠藤 釈尊以前に実在したとされるさまざまな過去仏も、本当は久遠実成の釈尊が方便として説いた仏であるということですね。いわゆる迹仏です。
 須田 迹仏とは、本仏の影(迹)としての仏という意味です。本仏は天空の月、迹仏は池に映った月に譬えられます。
 斉藤 始成正覚の釈尊も、そういう迹仏にあたるわけです。
 池田 そこで寿量品の目的は、釈尊だけでなく、一切衆生が、じつは久遠の昔から仏だったことを教えることにある。それを「自覚」させることにある。
 「永遠の大生命」に目覚めさせるのです。日蓮大聖人の″文底の法華経″が、それを可能にする。戸田先生は言われていた。
 「大聖人の仏法の究極の目的は、永遠の生命を悟ることです。生命というものが、永遠であるということを、わが身で体得するのです。これを絶対的幸福という。この幸福は、永遠に続くものであり、崩れることは決してない。その確立のために信心してゆくのです」と。「わが身で体得する」ことが大事なのです。それには、信心しかない。信心を鍛え、深めきっていくしかない。よく戸田先生は言われていた。「理屈でわかることは簡単だ。しかし、信心でわかるというのは全然ちがうのだ」と。永遠の生命もそうです。
9  末法の「悟り」とは御本尊への「確信」
 須田 そういえば、『法華経の智慧第三巻』で語られた戸田先生の獄中の悟りに関して、読者の方から″私たちも悟れるのでしょうか″という質問を受けました。
 池田 「悟り」というと、前世がわかるとか、未来世が見えるとか、何か神秘的なことを思い浮かべるようだが、決してそうではない。そんなことを軽々しく言う人は、まやかしと思って間違いない。戸田先生は、おっしゃっていた。「末法の悟りとは何か。それは御本尊を信じきるということだ」と。
 どんなことがあつても御本尊を疑わない。いちずに信じきっていく。これが「末法の悟り」です。「信心」即「悟り」なんです。たとえば、ある人は、家庭のことで悩み、「自分より不幸な人間はいない」と思い、悶々と暮らしていた。そして、周囲を恨み、愚痴ばかりこぼしていた。しかし、信心に目覚め、仏法を学ぶことによって、「不幸の原因は自分にある」ことを知った。そして、自分の人間革命に挑戦し、信心が深まり、境涯が深まるにつれ、見事に悩みを解決することができた。
 その体験を通して、「自分の一念が変われば一切が変わる」ことをつかんだ。一念三千です。これも立派な「悟り」ではないだろうか。
 須田 そのような例は実際にたくさんあります。無数といっていいかも知れません。
 池田 もちろん戸田先生には戸田先生の不可思議の境地があられた。しかし、それは、だれよりも強い「御本尊への絶対の確信」と一体だったのです。大確信そのものだったのです。
10  仏の眼で見た″生死の本質″とは
 遠藤 寿量品の話の続きです。久遠の仏がさまざまな姿を現し、衆生を導いていけるのは、仏が「三界の姿をありのままに知見している」(如来如実知見〈法華経四八一ページ〉)からだと説かれています。
 斉藤 三界とは、迷いの衆生が生きる現実世界のことですね。
 池田 「如来如実知見」──あらゆるものの本当の姿を見抜く仏の智慧です。この智慧があるゆえに、衆生の機根に応じて自在に教えを説けるのです。
 さあ、そこで、その智慧の眼から見た生死の本質とは何か。それが次に述べられている。
 斉藤 はい。「生死の、若しは退、若しは出有ること無く、亦在世、及び滅度の者無し」(同ページ)の文ですね。三界には生も死もない。退くことも、現れることもない。したがって、世に在る者と滅度した者の区別もない、と。
 須田 生命の常住を明かしたものと思います。
 私たちの常識では、生はこの世に現れることであり、死はそこから退くこととしか見えないわけですが、仏の眼から見れば、生命は永遠常住であり、生死はその永遠の生命の変化相でしかないわけです。
 池田 そう。ただし、″生と死はない″というのは、生命の常住の側面を強調しているわけです。その面だけにとらわれると、ある意味で抽象論になってしまう。″生と死がある″のは人生の現実だからです。その現実から逃避しては観念論になる。
 大聖人は、もう一歩深く、「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」と仰せです。
 妙法に根ざした生と死は、「法性の大地」すなわち永遠常住の大生命を舞台としたドラマなのです。ドラマを演じていると思えば楽しいでしょう。生と死が苦しみでなく、楽しみになる。「生も歓喜」「死も歓喜」となっていくのです。
 妙法は、生死の苦しみを乗り越える大良薬です。寿量品に「是好良薬(是の好き良薬)」(法華経四八七ページ)とあります。法のため、友のために──くる日もくる日も、心を使い、体を使いきっている学会の同志は、永遠にわたる「生命の凱歌」の軌道を歩んでいるのです。
 斉藤 この信心に生き抜けることが、どれほど尊くありがたいかですね。
11  「生も歓喜」「死も歓喜」のドラマ
 須田 すばらしき生死のドラマ──学会には無数の実例があります。私の知人の「義理の祖母」の方の体験を聞きました。
 そのご婦人は、一九九三年(平成五年)に七十六歳で逝去されましたが、八人の子ども、その配偶者、孫、ひ孫、総計三十七人の一族の方たちの唱題に送られて亡くなられています。皆、区幹部をはじめ、本部や支部、地区等で活躍しており、集まればそのまま支部幹部会ができるようなご一族です。
 遠藤 そのおばあちゃん自身のご兄弟や親戚はいらっしゃるんですか。
 須田 いや、若い時に両親も兄弟も亡くし、郷里を離れて天涯孤独だったようです。戦前から戦後にかけて、二人の夫に先立たれ、子どもも相次いで失いました。残された子どもたちを抱え、一九五六年(昭和三十一年)に入会したのです。ガンの克服を通して信心の確信をつかまれたそうです。
 私の知人はその孫娘の夫にあたるのですが、皆がそのおばあちゃんを″山″のような存在に譬えていたようです。どんな宿命の嵐にも微動だにしない不動の信仰を貫かれました。生活が苦しくて子どもたちの間でグチが出た時は、決まってこう言われたそうです。
 「おなかが一杯になったら、本当の信心なんてできなくなるかもしれないよ。いろいろ苦労があるからこそ真剣に活動に励めるんじゃないか。それを感謝しなきゃ」と。
 家業を軌道に乗せ、東京・港区白金を中心に子どもたち全員に家を持たせ、晩年は地区幹事(=現・地区副婦人部長)として折伏を楽しみながら活動されたそうです。
 御書の一節がポンポン口をついて、なかでも「とても此の身はいたずらに山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし」との一節がお好きだったようですね。
12  ″御本尊にいただいた寿命だもの″
 遠藤 私も、東京・杉並で婦人部として活躍されてきた方の体験談を聞きました。その方は、一九九六年(平成八年)十月に亡くなられたのですが、葬儀には地域の老人会や商店街の方をはじめ、三百六十人以上の参列者が来られたそうです。
 特別な社会的肩書もない団地住まいの八十四歳のおばあさんの葬儀としては、異例のことです。周囲で話題になりました。
 この方も女手一つで四人の娘を育てたのですが、ご本人は七ヶ月の未熟児で生まれ、体重は四十キロを超えたことがない体だったようです。晩年は二十八キロ。
 それでも、はつらつとしていて、娘さんも″うちのおばあちゃん″とは呼べず、″うちの母が″と言っていたといいます。
 ご本人は、「私はこんなに生きられる体じゃない。御本尊にいただいた寿命だもの」と言うのが口ぐせで、十年前にガンの疑いがあつて入院した時も「全部、御本尊にまかせています。使命があれば治ります」と、唱題をし抜いておられたようです。
 仕事を退職されてからは、地域の老人会活動に取り組み、人のために行動することが楽しみで、全然苦にならなかったようです。
 須田 それで、地域の方に信頼が厚かったのですね。
 遠藤 地区幹事(=現・地区副婦人部長)として、こつこつと戦い、毎月一部以上の新聞啓蒙も欠かさなかったようです。
 亡くなられる時も、久しぶりに四人のお子さんたちと出かけるということで、前日に美容院に行かれ、その当日の朝、家族が部屋にいくと静かに亡くなられていたそうです。
 ベッドの上に正座し、そのままうつぶせになって、何の苦しみもなく目をつぶられていたといいます。皮膚も艶やかで、駆けつけた医者も「こういう死に方をしたいものだ」と語ったそうです。
 葬儀は五日後に行われたのですが、顔もピンク色で、日ごとに若くなり、参列した信心していない方たちからも「やはり信仰の力は違う」という感想が寄せられたようです。
13  今世で仏の境涯を開き、固める
 池田 こういう方々が、学会を支えてくださっているのです。また、本当の″法華経の実践者″です。尊いことです。模範です。こういう方々が、学会には数限りなくおられる。
 さきほどの御聖訓に「人久しといえども百年には過ず」とあったが、その通りです。「ここにいる人は、百年たったら皆いなくなるんだよ」と、戸田先生もよくおっしゃっていた。
 この世は「一睡の夢」です。長命だ、短命だと言っても、永遠から見れば、なんの差もない。寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。どう自分の境涯を変えたのか。どれだけ人々を幸福にしたのか、です。
 今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。この一生で「永遠」が決まるのです。それが一生成仏です。
 斉藤 たとえ短命であっても、不朽の人生になれるということですね。
 池田 そうです。そのうえで、私は全同志に「健康で長生き」していただきたい。
 寿量品に「更賜寿命(さらに寿命を賜え)」(法華経四八五ページ)とある。寿命とは生命力です。御本尊から、さらに偉大な生命力を賜って、生きて生きて生き抜くのです。それが寿量品です。命を若々しくする秘法です。
 斉藤 たしかに寿命を延ばした人も、たくさんおられます。入会前に、医者から″あなたは長生きできないね″と言われたほど病弱だったご婦人が、信心したおかげで健康になり、百歳を過ぎた今でも元気に座談会に出てこられていた。そう言った医者のほうが、とっくに亡くなってしまった──そういう方がおられました(笑い)。
 池田 人生の年輪を重ねるごとに、心がいよいよ若さを増していく。つねに「さあ、これからだ」と力強く前進する。
 これが真の「健康」です。本当の「長寿」です。広宣流布のために生き抜こうという人は、必ずそうなれるのです。そのための信心です。
14  未来の人々を救うメッセージ
 遠藤 寿量品のあらましですが、久遠の釈尊の″過去の常住″が説かれたところまで述べてきました。寿量品では次に、仏が″未来においても常住する″ことが明かされていきます。すなわち、「私が、もと菩薩の道を実践して成就した寿命は、今なお尽きていない。さらに五百塵点劫に倍して続くであろう」(法華経四八二ページ、趣意)と述べられます。
 斉藤 未来に向けてのメッセージですね。「衆生を救う」という観点から言えば、過去よりも、むしろ未来の方に寿量品の本意があります。大聖人は、寿量品はもっぱら釈尊滅後の衆生のため、なかんずく末法のために説かれたと仰せです。
 ただ、過去を説いているのは、″成仏の本源に遡る″意味があるのではないでしょうか。
 池田 そうかもしれない。仏の生命の根源の姿を示してこそ、生死に苦しむ未来の人々を救えるからです。
 その一番の本源を示唆するのが、今の「我本行菩薩道(我もと菩薩の道を行じて)」(法華経四八二ページ)の文だね。
 斉藤 久遠における釈尊の成仏には、″成仏した本因″があったということです。ここを深く究めると、大聖人の文底仏法に入ってきます。
 須田 大聖人は「開目抄」で「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せられています。では、寿量品のどの文の底なのか──古来、いろいろと論議されてきました。日寛上人は、この「我本行菩薩道」の文の底に沈められていると明快に述べられています。
 池田 そうだね。「永遠の大生命」を自覚した仏の不可思議な境地を、天台は「一念三千」として表現した。その一念三千も、寿量品を魂とします。
 ただ、寿量品では、釈尊の成仏後(本果)の不可思議な姿をもって永遠の生命を示した。これが「本果妙」です。しかし問題は、現実の人間がどうしたら永遠の大生命を自覚できるかです。それを説くのが大聖人の「本因妙」の仏法です。
 その点についても、後に掘り下げる機会があるでしょう。
 須田 ところで、仏が常住不滅であり、未来も常住するのであれば、「仏は、なぜ入滅するのか」という問題が、生じてきます。
 経文では″もし仏が入滅しなければ、衆生は、仏にいつでも会えると思い、仏を求め、尊敬する心をもとうとせず、怠慢になってしまう。そのために、仏はあえて方便として入滅する″と説いています。
 「方便現捏槃(方便して捏槃を現ず)」(法華経四八九ページ)の教えです。
 斉藤 これについても、また論じていただくことになると思います。ともあれ、寿量品は、一切経の魂です。仏法とは何か。何を説いたのか。その答えが寿量品にあります。
 池田 そう。日蓮大聖人は「一切経の中に、この寿量品がなかったならば、天に太陽と月がないようなものであり、国に大王がなく、山河に宝珠がなく、人に魂がないようなものである」(御書二一四ページ、趣意)と言われている。
 寿量品を学ぶことは、仏法の真髄を学ぶことであり、生命の真髄を学ぶことであり、自分自身の「真実の姿」を学ぶことなのです。
 それがわからなければ、何をやっても、根本は無明です。迷いであり、苦しみです。まさに″天に太陽と月がない″暗黒の世界です。
 そこに″希望の太陽″を昇らせるのが寿量品です。それを「人間革命」という。
 須田 そう言えば、冒頭に話の出たキューブラー・ロス女史が、こう書いていました。
 「自分自身を癒さないかぎり、世の中を癒すことはできません」(鈴木晶訳、前掲書)
 「手遅れになる前に、この世界を癒さなくてはなりません。そして世界を癒すためには、まず自分自身を癒さなくてはならないのです。どうかこのことを胸に刻んでください」(前掲『「死ぬ瞬間」と臨死体験』)と。
15  「人間革命の世紀」へ!
 池田 その通りです。世界を変えるためには、自分自身が変わらなければならない。その「変える」べき根本は、生命観にある。生死観にある。自分観にある。この生死という問題に、根本の指針を与えるのが法華経の寿量品です。
 一般論としても、永遠の何かを信じることが、人間をより人間らしくする。内村鑑三だったか「私は健全なる来世観ほど、人を偉大になすものはないと思ひます」(『キリスト教問答』角川文庫)と言っている。そうでしょう。
 ″人生はこの世限り″と思っていては、本当に深い人生を生きることはできないのではないだろうか。永遠性を知らなければ、根底が刹那的になる。
 譬えていえば、浅瀬を泳いでいるようなものです。赤ちゃんが夏にビニール製のプールで遊んでいる。赤ちゃんのうちはそれでいいかもしれないが、小学生になり、本物のプールを知れば、それでは満足できなくなる。さらに海で泳ぐ喜びを知れば、いくら波のあるプールでも物足りなくなる。人生も同じです。
 自分の中に広がる″生命の大海″に目覚めてこそ、本当に充実した「大いなる人生」を生きられるのです。今、人々は、いよいよ「生と死」を見つめ始めた。「人間」を見つめ始めた。二十一世紀への胎動です。
 「生命の世紀」とは、「人間革命の世紀」です。寿量品の「永遠の生命」を根底にした大文明が花開く世紀なのです。

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