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日蓮大聖人・池田大作

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勧持品(第十三章) 「弟子が師子吼」「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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14  殉教こそ宗教の生命
 池田 全体主義の迫害と戦ったシュテファン・ツヴァイク(オーストリアの作家)は書いています。
 「ある思想がこの地上で本当に生きたものとなるのは、その思想のために生き、その思想のために死ぬような証人や確信者を、その思想がみずからのためにつくりだすことによってはじめて可能だ」(『権力とたたかう良心』高杉一郎訳、『ツヴァイク全集』17、みすず書房)と。
 「殉教者」こそ、宗教の誉れです。教団の礎です。「殉教」の心がなくなった時から、宗教の死が始まるのです。
 遠藤 その心が、勧持品の肝要ですね。
 池田 三類の強敵は、宗教のために他人を迫害し、殺そうとする。それと反対に、法華経の行者は、信仰のために自分が死んでいこうとする。
 象徴的に言えば、人を火あぶりにするの僭聖増上慢です。それに対して、社会を救うために、自分が火刑に赴くのが法華経の行者です。大聖人がそうであられた。牧口先生、戸田先生がそうであられた。戸田先生はよく言われていた。「三類の強敵よ、早く出でよ。その時こそ、ともに喜び勇んで、敢然と戦おうではないか」と。
 勧持品二十行の偈で、菩薩たちは「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」(法華経四二〇ページ)と誓っています。不惜身命の人が成仏するのです。今、一人立つ死身弘法の人が仏になるのです。
 斉藤 「たとえ一人になっても」──ハワイでの講演で先生が引かれた、ガンジーの言葉にもありました。「たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え! 世界から血走った眼で睨まれようとも、君はまっこうから世界を見すえるのだ」(″The*Collected*Works*of*Mahatma*Gandhi*Online,*vol.83″*Publications*Division,*Ministry*of*Information*and*Broadcasting,*Goverment*of*India,*Navajivan*Trust)
 この後、講演を受けて、コロンビア大学のサーマン教授は語られました。
 「世界が平和であるためには、暴力によって死ぬことを決意している人よりも、非暴力のために喜んで死のうという人が、もっと多くならなければなりません。それこそ、まさに、池田会長が『人間革命』と呼ぶものの核心なのです」(ボストン二十一世紀センター「ニューズレター」第三号)
 私どもも、今こそ弟子として、敢然と正義を「師子吼」してまいります。

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