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日蓮大聖人・池田大作

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見宝塔品(第十一章) 「我が身が宝塔」…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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11  究極の民主主義
 遠藤 相手を「宝」として尊敬するというのは、まさに究極の民主主義ではないでしょうか。
 ホイットマンは「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素がある」(『民主主義の展望』、佐渡谷重信訳、講談社)と言っています。
 須田 ホイットマンの民主主義観は、私も読んだことがあります。こう書いていますね。
 「民主主義は今のところ、やっと萌芽しつつある状態であり、それをもっぱら広範囲にわたって、十分に満足させるほど正当化する仕事は未来にゆだねられているように思われる。そのためには、主に民衆の中に完全な人間をたくさん作り出すことであり、さらに健全で、全面的に普及するような信仰心が現れることだと思う」(同前)
 斉藤 先日(一九九六年四月二十六日)、ボストン二十一世紀センターでも、「民主主義と宗教」をめぐっての講演会が開かれました。
 アメリカ公民権運動のキング牧師の盟友であったハーディング博士(デンバー大学教授)が講師でした。キング氏の足跡にふれながら、「アメリカの民主主義は、いまだ未完成である。その完成のためには、宗教に根差し、民衆と同苦する指導者が不可欠である」という点を強調されたとうかがっています。
 池田 「民主主義」の魂は「個人への尊敬」です。あらゆる人の生命を、平等に尊極なるものと見ることができるかいなか。すべて、この一点にかかっている。
 須田 多くの日本人は「わが国は民主主義国家だ」と思っているかもしれませんが、「民主主義は、いまだ未完成」とした百三十年前のホイットマンや、今のハーディング博士のほうが、はるかに真実を見抜いていると思います。
 池田 民主主義は結局、生き方だからね。チェコスロバキアの祖国の父マサリクの言葉がある。チャペック(チェコの劇作家)が紹介しています。
 「民主主義は、単なる国家形態ではなく、単に憲法の条文だけではありません。民主主義は人生観であり、人々と人間性と人性への信頼に基づくものです」(『マサリクとの対話』、石川達夫訳、成文社)。
 人間を、何かの手段としてではなく、尊い「永遠の存在」として信頼する。それが民主主義だと言うのです。
 そのように自分を信じ、人を信じる。そうすれば、「永遠なる者は永遠なる者に対して無関心ではいられず、永遠なる者は永遠なる者を悪用したり搾取したり暴力的に支配したりすることはできません」(同前)と。
 大聖人は「宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」と教えてくださっている。そのように見るのが「見宝塔品」です。
 我が身に宝塔を見、我が友に宝塔を見る。そして「宝塔」また「宝塔」の林立で、我が地域を荘厳していくのです。地球を荘厳していくのです。
 広宣流布の「宝の塔」を、我が地域に立てることです。私はこれだけやったと「永遠の金字塔」を残すことです。「我が塔は、ここに立つ」と人生を飾ることです。
 釈尊は大闘争の人生を総仕上げせんとして法華経を説いた。「妙法を広宣流布させるのだ」という釈尊の行動に呼応して、宝塔が出現した。多宝如来が加勢に現れ、十方の諸仏も集結して釈尊を取り囲んだ。全部、もとは釈尊の「広布への一念」です。戦いです。
 広布への行動によって、はじめて「宝塔」は建つ。観念ではない。現実との格闘であり、大難との真剣勝負です。
 そこに「聞・信・戒・定・進・捨・慚」の七宝で飾られた自分自身と輝くのです。
 大聖人も宝塔である御本尊を、大難のさなかで、はじめて建立された。その意味で、宝塔品に、末法の妙法流布の困難を教えた「六難九易」が説かれていることは偶然ではありません。
 次は、このことも語っていこう。

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