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日蓮大聖人・池田大作

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法師品(第十章) 法師──民衆の中に生…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
2  法華経は「滅後のため」
 池田 ある意味で、これまでは助走にすぎなかった。法師品から、いよいよ「釈尊の遺言」である法華経のハイライト部分が始まるね。
 須田 はい。この法師品からの展開は、前章までと大きく異なっています。というのは、ここから釈尊は、自分が亡くなった後(滅後)のことを、説き始めるからです。
 池田 滅後の焦点は末法にある。何が正義で何が間違っているのか、わからなくなった時代に、人はどう生きるべきかという問題です。
 この座談会の初めに、現代を「哲学不在の時代」と位置づけたが、それでは具体的にだれが、軌道の見えない「闇の時代」に光を灯すのか。
 法師品では、その「人」を具体的に説いている。「法師」とは、現代的には「精神的指導者」といえよう。
 斉藤 この品の趣旨から言えば、法師という言葉には「法を師とする人」という意味と「師となって法を弘める人」という二重の意味があります。
 「法を師とする」のは、菩薩の「求道者」の側面です。「法を弘める師」とは、菩薩の「救済者」の側面です。
 池田 法師には、その両面がある。「求道」の面を忘れれば傲慢になるし、「救済」の面を忘れれば利己主義です。学びつつ人を救い、人を救うことで、また学ぶのです。
 「求道」即「救済」、「救済」即「求道」です。ここに人間としての無上の軌道がある。
 斉藤 「人間として」ですね。もはや在家・出家の区別などには意味がありません。法師品に、法師とは「在家出家の、法華経を読誦する者」(法華経三五八ページ)とあるように、在家・出家という区別を超えた存在です。
 日顕宗が「僧侶が上で信徒は下」などと主張していましたが、そのような差別主義は、法華経の文にも、まっこうから違背しているわけです。
 遠藤 法師は、みずから法華経を受持・読誦するとともに、人々に向かって法華経を説きます。法師の実践は、語りに語り、人々に法華経を聞かせることでした。
 池田 言論戦です。対話の戦いです。私たちの対話運動こそ、まさに法師品の心に合致している。
 釈尊の一生も、入滅のその日まで、人々に語り続けた一生でした。日蓮大聖人も、当時の日本人で、あれほど膨大な著述を残された人はいないといわれる。まさに書きに書き、語りに語り抜いていかれた。その尊いお振る舞いがあるからこそ、後世の人類は仏法を知ることができる。
 言論戦です。言論は、その時代はもちろん、後世をも照らしていく。
 私がスピーチを通して仏法を語り、世界の指導者と対話をしているのも「後世のため」という思いなのです。
 遠藤 これまで学んだ方便品(第二章)から人記品(第九章)までの八品は、「今いる弟子たちを、どう成仏させるか」が中心テーマでした。
 この説法の結果、すべての声聞の弟子たちが成仏の軌道に入りました。つまり、釈尊の直弟子の成仏を確定したのが人記品までの説法であり、その意味では「在世の衆生のため」の説法であったといえます。
 池田 たしかに、この八品を見る限りでは、そのようにも見える。しかし、法華経全体から見れば、八品もじつは「滅後の衆生のため」なのです。八品だけではない。法華経全体が「滅後のため」なのです。
 日蓮大聖人は、迹門(前半部分)は一応、在世の声聞のために説かれているが、一歩、深く見ると、本門(後半部分)と同様、滅後・末法の凡夫のために説かれたのだとされている(御書二四九ページ)。
 在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量です。「一切の人を救いたい」という仏の大慈悲は、必然的に、自分の死後を、どうするかということに焦点となっていく。
 この「仏の大慈悲」を一身に体して行動するのが法師です。「如来の使」です。
 遠藤 そこに法師品以降が大切であるゆえんがありますね。
 大聖人は、法師品から安楽行品(第十四章)までの五品は、その前の八品で明かした「一仏乗」の法を、末法の凡夫が、どのように修行すべきかを説いていると仰せです。
 (「方便品より人記品に至るまで八品は正には二乗作仏を明し傍には菩薩凡夫の作仏を明かす、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」)
 池田 「末法の凡夫」とは大聖人のことであられる。総じては、大聖人に連なる門下のことです。
 大聖人は、御書の随所に、法師品など五品の経文を引用されている。法華経の中でも、法師品以降、滅後について説かれた個所の引用は圧倒的に多い。
 それは、ここに説かれた滅後の「法華経の行者」の姿が、そのまま日蓮大聖人のお振る舞いと一致しているからです。言い換えれば、法華経を身で読まれたのは大聖人お一人である、法華経は大聖人のために説かれたのである、という証明になっている。
 そして、仏を仏にした「根源の一法」である「南無妙法蓮華経」こそが法華経の真髄であり、末法のすべての衆生を救う大法であることを教えようとされたのです。
3  斉藤 それで、″法師には仏に対するのと同じ供養をすべきである″と法師品で説いているわけがわかります。
 この個所を梵本で見ると、法師について、より明確に「如来であるとみなされるべきである」「如来と等しい者である」と説かれています。
 須田 さらに、法師は、仏から派遣されて如来の仕事を行う「如来の使」であるとも説かれています。大聖人の御書で、しばしば引用されている重要な経文です。
 また、法師を一言でも誹謗する罪は、仏を一劫という長い間、面前で誹謗しつづける罪よりもさらに重い。逆に仏を一劫の間、無量の偈を持って賛嘆するよりも、法師を賛嘆する功徳のほうが勝るとも説かれます。
 池田 それは、ひとつには、仏よりも法こそが成仏の原因であり、大切だからです。法華経は、釈尊を含めて、あらゆる仏を仏たらしめた「根源の法」を説く経典です。その「本因」の法を説くのが末法の法師なのです。
 遠藤 法が能生(生まれさせるもの)、仏が所生(生まれるもの)という関係ですね。
 池田 大聖人は、この「法」のことを「慈悲の極理」だと言われている。
 (唱法華題目抄に「一切の諸仏・菩薩は我等が慈悲の父母此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ、諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠こんけつ等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕わさずとおぼしめせ法華経の一切経に勝れ候故は但此の事にはべ」)
 「慈悲の極理」──具体的には「南無妙法蓮華経」の法が含まれているからこそ、法華経は一切経に勝れているのです。あらゆる人々を救える慈悲の大法です。法師品には「法華最第一(法華最も第一なり)」(法華経三六二ページ)とある。
 遠藤 有名な「已今当」の経文も、そのことを示しているのですね。(「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」〈同前〉)
 斉藤 その意味では、「如来の使」とは「慈悲の使い」ということですね。
 法師は、法華経を受持・読・誦・解説・書写しながら(五種法師)、仏の大慈悲心を修行するわけですね。もちろん、末法は「受持即観心」で、御本尊を受け持つ修行に尽きるわけです。
 池田 仏の心を生きるのです。「すべての人を救いたい」「一切の衆生を仏に」という仏の誓願に生きるのです。それが「受持」等の五種の修行の根っこです。形式的に法華経という経巻を所持したり、読誦したり、解説することではない。仏の心を受け、仏の慈悲を生き抜くのです。
 これまでの声聞への授記といつても、所詮は、この「仏と同じ心」を声聞たちに思い起こさせるためにあった。そして、この心を、仏の滅後に実践する人が法師です。
4  「真実を語る」のが折伏
 斉藤 弘教についてですが、最近、新入会の方から「摂受と折伏は、どう違うのでしょうか」という質問を、よくいただきます。
 どうしても「強く言うのが折伏。物腰柔らかに言うのが摂受」というイメージがあるようなのですが……。
 池田 なにか″強引″であることが折伏だと思い込んでいるとすれば、それは大変な勘違いであり、誤りです。
 折伏とは「真実を語る」ことです。法華経は真実を説いているので「折伏の経典」と呼ばれる。
 末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」の素晴らしさを語り、広げていく行動は、全部、「折伏」です。
 たとえば、掃除をするのに、力強く掃除するのも、静かに掃除するのも、要は、きれいになればいいわけです(笑い)。
 須田 「折伏」という文字のイメージが、少し″こわい″感じだからでしょうか。
 池田 折伏は、喧嘩をしにいくのではない(笑い)。どこまでも慈愛です。
 戸田先生は言われた。
 「折伏を、すなおに、どんどんしなさい。それから、人を憎んではならない。けんか口論はいけない。まじめに、やさしく教えればよい。その教える精神ができればよいのです。それで反対すれば、反対した本人がだめになる。やさしく教えるという気持ちです。恋愛みたいなものです」(笑い)と。
 おもしろいこと、おっしゃるね、戸田先生は(笑い)。恋愛なら、みんな一生懸命だろう。何枚も何枚も便箋をむだにして、手紙を書いたり(笑い)。今度の休みの日、どんな言葉で誘おうかなと、夜が明けるまで考えたり(大笑い)。それがうまくいって、結婚して後悔するようなことは、「折伏」にはないけれども(爆笑)。
 遠藤 「やさしく教える」という点では、釈尊の説き方もそうですね。
 釈尊は「すべての人が仏になれるのだ」という「真実」をわからせようとして、まず「諸法実相」という法理を説きました。それを聞いて、舎利弗はわかった。他の人は、わからなかった。そこで釈尊は、譬喩を説いた。今度は四人の声聞のリーダーが理解した。
 まだ、わからない人たちがいる。次に釈尊は、自分と衆生との深い縁を説いた。それによって、すべての声聞が納得できた。このように釈尊は、衆生が「納得できるように」心をくだきました。
 ″まったく! わからないやつだな(笑い)!″と見放したりしなかった。粘り強いというか、「何としても、成仏させたい」という思いが深いんですね。
 須田 その精神は、今の折伏と同じですね。
 池田 そう。大切なことは「真心が通じますように」との祈りです。祈りから智慧も生まれる。確信も、歓喜も生まれる。大変だけれども、その人が必ず幸せになり、自分も幸せになっていくことを思えば、これほど「楽しい」こともない。
 戸田先生は、よくおっしやっていた。
 「折伏というものは苦しんでやるものではない、楽しくやらなければなりません」と。
 もちろん現実には、すぐに信解できる人もいれば、そうでない人もいます。
 しかし、焦る必要はまったくない。いずれの場合も、真剣に祈り、語ったことへの功徳は絶大です。簡単にいかないから、智慧も湧き、成長できる。″種″を植えておけば、必ず将来、花開く時がきます。根本は「私にも、仏様のお使いをさせていただけるんだ」と喜び勇んで、語っていくことではないだろうか。
 遠藤 折伏している人を心からたたえていくことも大事ですね。
 池田 その通りです。その人は「如来の使」であり、仏のごとく敬わなければいけない。それが法師品の心です。この心があるところに、福運はつくし、勢いがつく。結果として、多くの人を救っていけるのです。
 広宣流布に生きている学会員を、仏のごとく大切にする。その心がわかれば、法師品は、否、法華経は分かったことになるのです。
5  衣座室の三軌
 一、「慈悲の部屋」
 遠藤 滅後の弘教の在り方として、法師品では「衣座室の三軌」が説かれます。
 「薬王、若し善男子、善女人有って、如来の滅後に、四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何が応に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾していまし応に四衆の為に広く斯の経を説くべし。
 如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは、一切法空是れなり」(法華経三六六ページ)と。
 池田 「如来の室(部屋)」「如来の衣」「如来の座」──香り高い表現です。
 衣座室の三軌は、「如来の心」を象徴的に説いたものです。
 「仏は、このような心で法華経を説いているのですよ」「このような心に立てば、仏のように、難があっても弛まず民衆を救っていけるのですよ」とアドバイスし、弘教を勧めているのです。
 では「大慈悲」が、なぜ、如来の「室」に譬えられるのだろうか。
 斉藤 慈悲とは、「慈しみ」であり、深い意味での「友情」です。
 同じ人間として、また、同じ生命として、共通の絆を感ずることです。「愛」といってもいいと思いますが、簡単に憎しみに転ずるような利己的な愛ではない。生命への洞察に根差した人間愛です。
 ともに幸福になろう、ともに成長しようという真の連帯感とでも言いましょうか。
 須田 また、慈悲とは「ともに悲しむ」心であり、「同苦」の心でもあります。苦しんでいる人を見たら手を差し仲べずにいられない。苦しみをともに担いたい。そういう深い感情です。
 池田 そう。慈悲は、上に立って見下ろすようなものではない。
 タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感である。相手への尊敬が基本になっている。だから「慈悲の部屋」なのです。慈悲の生命空間の中に友を招き入れ、包み、同じ部屋にともに座って人生を語っていくのです。
 「人間として」平等の立場で、語り合い、学び合い、ともに「より正しい人生」に目覚めていく。その「場」そのものが折伏なのではないだろうか。
 遠藤 はい。実際、いかにも救ってやろうというような傲慢は反発を招くだけだと思います。
 池田 大聖人は立正安国論で、客と対話する主人を「蘭室の友」と呼んでいます。蘭の部屋では、その香りが自然に衣服などに染みついていきます。同様に、対話は、慈悲の香りが相手を包み込むようでありたい。
 弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。弘教は、相手の仏界を礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。
 「気の毒だという気持ちが折伏の根本である」と戸田先生は言われていた。慈悲が根本だということです。相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような対立的な心で弘教するのではないのです。
 須田 対話ですから、相手の話を聴くことが必要ですね。一方的にしゃべりまくって、それで「対話した」と思っている人がいますけれども(笑い)。
 池田 そう。相手の話を遮ったり、頭ごなしに結論を下すのでは、対話とは言えない。
 ″ちょっと変だな″と思っても、いちいち突っ込んだりしないで(笑い)、相手の話にうなずいていくくらいの心の広さが欲しい。そうすれば相手の人も安心して、こちらの話を聞いてくれる。
 その意味で、仏はまさに対話の名人です。釈尊も大聖人も、お会いするだけでうれしくなり、心があたたかくなるような人格であられたにちがいない。だからこそ人々は仏の言葉を喜んで聞いていったのではないだろうか。
 須田 「慈悲の部屋」という言葉からは、そういうあたたかく、広々とした人格がイメージされます。
 池田 釈尊の、こんなエピソードが伝えられている。(「優波離経」、『南伝大蔵経』10、大蔵出版、参照)
 ジャイナ教を信仰していたウパーリという人がいた。釈尊を論破しようとしたが、反対に釈尊の人格と智慧に感激して、仏教の信者になりたいと申し出た。
 ところが釈尊は、ウパーリを感服させたことを得意がるどころか、「熟慮しなさい。熟慮することが、あなたにふさわしい」と諭したのです。
 ウパーリは、ますます感動して答えた。
 「私は、こんな話を耳にしました。『沙門のゴータマ(=釈尊)は、我に供養せよ、他に供養してはならない。我が弟子に供養せよ、他の弟子には供養してはならぬ。われと我が弟子に供養すれば功徳がある。他に供養しても功徳はない、と言っている』と」
 このような、一方的に自分を押しつける釈尊ではなかったことがわかり、ウパーリは再度「私を仏教の信者として受け入れていただきたい」と懇請したのです。
 このことを知った、ジャイナ教の師匠は、弟子たちを連れてウパーリの家に行く。ウパーリは丁重にもてなしたが、師匠はウパーリを「おなえは愚か者だ」と非難した。「論破しにいって、かえって誘惑され、教化されて帰ってくるとは!」
 ウパーリは礼儀を尽くし、淳々と説いた。
 「そのような誘惑は、むしろ善です。これをもって、私の仲間が、すべての王族やバラモンが、世界中の人々が、教化されるならば、それこそ全世界が、永遠の幸福につつまれるでしょう」
 遠藤 痛快な話ですね。
6  二、「柔和忍辱の心」
 須田 次に「柔和忍辱の心」が、如来の「衣」に譬えられているのは分かりやすいですね。衣が寒熱から身を守るように、柔和忍辱の衣があれば、難に紛動されないということです。
 池田 そう。私たちの弘教においても大切なことです。どんな圧迫があろうとも、にこやかに、悠々たる境涯でいきなさいということです。
 滅後の弘教においては、難は必然です。そこで「忍辱の心」が必要になる。耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもない。耐えて勝つのです。心は何があってもへこたれないのです。広宣流布は精神の闘争です。心が負けていては「忍辱の心」にはなりません。
 斉藤 大聖人は撰時抄で「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」と仰せです。
 「身を随えられる」とは、難を受けて忍ぶことです。「心は随えられない」というのは、心では負けていないということです。
 池田 それが「忍辱の心」です。大聖人が佐渡に流されたのは、身をば随えられたのです。しかし、お心は「流人なれども喜悦はかりなし」との大境涯であられた。
 忍辱の心とは、最も強い心です。真の勇気があるから、耐えられるのです。勧持品(第十三章)に「忍辱の鎧」とあるのは、その強さを譬えているのでしょう。
 仏の別名を「能忍」(能く忍ぶ)という。釈尊も大聖人も「耐える人」であられた。
 遠藤 法師品では、法師が難に遭うことを強調しています。
 大聖人が身で読まれた「此の経は、如来の現に在すすら、猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」(法華経三六二ページ)の文も法師品で説かれます。
 須田 法師が難に遭う理由は、法華経が難信難解の経であるからだと説かれています。難信難解だから、釈尊の在世ですら怨嫉が多かった。まして、滅後においては、さらに難が大きい、と。
 池田 「況んや滅度の後をや」──なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。
 「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。かりに仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。
 「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、とくにそういう時代のために説かれた経典です。
 「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。
 須田 その意味では、何の難もないのは本当の意味で正法を弘めていないということですね。宗門などは、戦時中も現在も、何の難も受けていない。
 それに対して牧口先生以来、現在に至るまで、創価学会が難を受けきっているということは、まさに法華経を身読している姿です。学会が「仏の心」を実践しているという証明です。
 斉藤 迫害につきものなのが策謀です。釈尊の時代も、でっち上げのスキャンダルや、冤罪が絶えなかった。
 悪人たちは自分たちが殺人を犯した上、その罪を釈尊の門下にかぶせることによって、仏教教団を社会的に抹殺しようとさえしました。
 須田 大聖人の場合も、念仏者などの一派が鎌倉で殺人や放火を犯し、それを大聖入門下がやったと言いふらして、大聖人を佐渡へ流罪させました。この時も大聖人の教団があたかも危険な集団であるかのようなイメージを作りだすことによって弾圧したのです。いつの時代でも正法迫害の構図には似たものがあります。
 遠藤 だからこそ「忍辱の衣」が放せないのですね。
 池田 こんな話が残っている。
 一人のバラモンがいた。彼は、妻が仏教に帰依したことを快く思っていなかった。
 妻が、あんまり釈尊の事をたたえるので、一度、論破してやろうと行ってみたが、かえって釈尊の説法に感心し、自分も帰依する。これを苦々しく思ったのは、仲間のバラモンたち。さっそく祇園精舎へ押しかけ、口汚くののしった。
 これに対して釈尊は、どうしたか──。
 遠藤 興味深いところですね。
 池田 釈尊はバラモンの一人に尋ねた。
 「バラモンよ、あなたのところへ、友人・親戚等が、客として来訪することがあるか」
 「ある。時々、来訪する」
 「彼らを、食事を出してもてなすことがあるか」
 「ある。時々、食事を出してもてなしている」
 「もし彼らが、出された食事を受けなければ、それは誰のものになるか」
 「もし彼らが受けないならば、それは私のものになる」
 「バラモンよ、そのように私は、あなたからの讒謗ざんぼうも誹謗も非難も受け取らない。それらは、あなたのものになるのです」(「婆羅門相應」、『南伝大蔵経』12,大蔵出版、参照)
 須田 まさに「柔和忍辱」にして、相手の痛いところを突いています(笑い)。
 遠藤 「柔和忍辱の衣」を着ることによって、悪口も「心に入らなくなる」わけですね。
 斉藤 入らなくなった分、悪口は、言った人のもとに戻って、当人が苦しむ(笑い)。
7  三、「一切法空の座」
 遠藤 第三に「一切法空が如来の座である」とは、どういうことでしょうか。
 池田 自在の智慧ということです。すべてはつねに変化している。無常の存在である。空である。そういう世界の諸法実相を、ありのままに見て、何物にもとらわれない境涯を指しているといえるでしょう。
 須田 言葉では理解できますが、実際にはなかなか、そういう境地にはなれませんね。
 池田 大聖人は「座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり」といわれている。不惜身命の行動こそが一切法空の座に居ることになるというのです。
 人間のつねとして、何かに執着し、とらわれがちなものです。たとえば名声や地位などにとらわれ、それを手放したくないと惜しんでしまう。それは人間として、ある意味では自然かもしれないが、その執着をあえて乗り越え、身命をも惜しまず戦っていくということが「空座に居する」ことです。
 「我が人生を広宣流布のために捧げていこう」というのが信心です。その信心に「空」の極意がある。もちろん、それは命を粗末にするということではない。自分の尊い生命を、仏法のために惜しまず使っていくということです。
 斉藤 その不惜身命から、人を救う智慧も生まれるということですね。
 池田 その通りだ。身を惜しまぬ自分になることが、人を救える自分になることなのです。
 かつて戸田先生に「折伏をするというのは、自分自身への折伏にも通じるものですか」という質問をしたことがあった。先生は、こう答えられた。
 「自分自身が南無妙法蓮華経で生きているということです。それ以外に折伏はないのです。手練手管も方法もなにもありません。ただただ、自分は南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めることを末法の折伏というのです」と。
 また「自分は南無妙法蓮華経だと決めるのが、最後の折伏です」とも言われていた。
 青年に本当のことを教えておこうという、決然たる口調であった。
 「自分は南無妙法蓮華経だと決める」――一切法空、そして不惜身命の意義を、ものの見事に表現し切っています。諸君も、この言葉を手がかりに、信心の真髄を探求してもらいたい。そこに、本当の教学があるのです。
8  慈悲・忍耐・智慧の修行
 須田 「衣座室の三軌」について語っていただいたわけですが、如来の部屋にいて、如来の衣を着、如来の座に坐す法師とは、まさに「法師が如来に等しい」ということを言っているとも考えられます。
 「如来の使」ということも、その振る舞いが、そのまま仏の振る舞いと見なされるということではないでしょうか。一国の「大使」が、その国の意思を体現するのと似ています。
 池田 そうとも言えるね。
 斉藤 また、この三軌は、法華弘通の大願に生き抜くなかで、法師に具わる「仏の徳」を表現したものではないでしょうか。
 池田 それも考えられる。大聖人は「衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり」と仰せです。
 「法報応の三身」とは仏の徳です。簡潔に言えば、真理と智慧と慈悲です。その徳が具わるのです。
 また「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり」(同)とも仰せです。題目を唱え弘める修行によって、「仏の徳」が具わるのです。
 信心の「一念」に、徳が成就するのです。特別な力などなくともよい、妙法を唱える歓喜、妙法を語れる歓喜に燃えていることが、一番大事なことです。その歓喜の信心に「衣座室の三軌」は含まれるのです。慈悲・忍耐・智慧の徳が含まれているのです。
 斉藤 法師品で「一念随喜」が強調されています。妙法を聞いて随喜するだけで、すべての衆生が成仏できるとまで説かれています。
 また「是の人(=法師)は歓喜して法を説かんに、須萸も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり」(法華経三五九ページ)とあります。
 阿耨多羅三藐三菩提とは仏の悟りです。法師が歓喜して法華経を説く。それをわずかの間でも聞けば、それが出発点となつて必ず成仏できる、と。
 池田 法師自身が、法華経を聞いて歓喜の心を起こした人です。その法師が説いた法華経を他の人が聞いて、歓喜の心を起こす。その「歓喜」と「歓喜」の連鎖の中に、滅後の「成仏の道」があるのです。
 大聖人は仰せです。
 「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一たい・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」と。
 これを、そのまま行動しているのが創価学会なのです。
 斉藤 先に、「哲学なき時代」に、「精神の指導者」として社会を照らすのが「法師」であると言われました。創価学会は、民衆自身がこの法師です。すばらしいことだと思います。
 遠藤 多くの既成宗教では、弘教するのは実際的には聖職者です。また大集会や、アメリカではテレビ番組を通しての布教も盛んなようです。
 これに対し学会は「民衆による民衆のための弘教」です。また座談会をはじめとした少人数の集いが中心であり、一対一の対話がベースになっています。ここに「二十一世紀の宗教」の弘教の在り方があるのではないでしょうか。
 須田 そういえば、国際宗教社会学会のブライアン・ウィルソン元会長は、池田先生との対談(「社会と宗教」『池田大作全集』第6巻)の中で、こう述べています。
 「個人的な触れ合いは(中略)たしかに最も効果的な布教の方法であるように思われます」
 「いまの世の中では、誰もが、たとえば広告などについては冷笑的な見方をするようになっていますが、そうした中にあっては、個人的な誠実ということそれ自体が、きわめて爽やかなものとなりえます。その結果、伝えられるべき事柄は、たとえそれが比較的無知な布教者によるものであっても、技術的には巧みでその実まったく権威ぶった情報しか伝えないマス・メディアの広告などに比べて、より十分に伝達されるのです」
 池田 そう、「誠実」だね。口べたでもいいのです。誠実が相手に伝わればいいのです。戸田先生はよく「折伏すれば、信用が残るよ」と言われていた。
9  悪世に妙法を弘める人が尊い
 遠藤 こうして「法師」について学びますと、まさに「慈悲」ゆえに、あえて悪世に生まれてきたことがわかります。
 池田 法師品に、この人は「生ぜんと欲する所に自在」(法華経三六〇ページ)とある。願ったところに生まれてくると言うのです。
 大聖人は、成仏した生命は九界の世界に、たちまちのうちに戻ってきて、自在に衆生を救っていくと述べられている。
 (「滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」)
 私どもは、あえて、苦悩の世に生まれてきたのです。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」と、大聖人は仰せです。
 大聖人のお心を拝して、広宣流布のために生きている学会員は、「法師の中の大法師」です。そして、一回の人生を終えても、「須萸の間」に、また生まれてくるのです。
 今世を戦い切って、霊山に行って、息をはずませ報告する。「大聖人様! 立派に使命を果たしてきました!」
 大聖人は「ご苦労。よく頑張った。さあ次は、どこへ行くつもりか」と(笑い)。
 「少しぐらい休みたい」と思う暇もない(爆笑)。
 また、休みたい人は休んでいいのです(笑い)。自在なのです。
 「自在神通の慈悲の力」とある通り、慈悲ゆえに「須萸の間に」また使命の庭に元気いっぱい戻ってくるのです。きょう寝て、あす目がさめるようなものです。
 須田 衆生を慈しみ、愍むゆえに、「願って」悪世に生まれてきた──妙楽大師は、そのことを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」(『法華文句記』)と呼びました。
 法師は本来、仏道修行の功徳によって善処に生まれるところを、願って悪世に生まれ、仏法を弘通するということです。
 池田 戸田先生も、「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。
 また、「戸田は妻を失い、娘まで亡くした。事業も失敗した。そういう苦悩を知っているからこそ、創価学会の会長となったのだ」とも言われていた。
 苦労もない、悩みもないというのでは民衆の心がわかるわけがない。人生の辛酸をなめた人であってこそ人々を救うことができるのです。
 自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
 願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
 斉藤 大聖人は法師品の「大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず」(法華経三五六ページ)および「衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ」(法華経三五七ページ)の二つの文について「御義口伝」には「大願とは法華弘通なり愍衆生故みんしゅうじょうことは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり」と仰せです。
 まさに妙法を世界に弘めている学会員こそ、無量の福運を積み、広宣流布するために生まれてきた御本仏の本眷属なのですね。
 池田 だから尊貴なのです。だから、互いに尊敬すべきなのです。
 冒頭、インドの話が出たが、インドの国父、マハトマ・ガンジーは言っています。
 「私がもし生まれ変ることがあるならば、不可触賎民として生まれてきたい。悲しみや苦痛や彼らに与えられた侮蔑を分かち合い、みずからと不可触賎民をその悩める境遇から救い出すように努めるために」(Yuung India, 27-4-1921 & 4-5-1921, ″The Collected Works of Mahatma Gandhi″ Publications Division, Ministry of Information and Broadcasting, Goverment of India)
 この心は「願兼於業」に通じると思う。慈悲です。「ともに生きる」ということです。
 いちばん苦しんでいる人の中に生まれてくるのです。
 いちばん苦しんでいる人の中に仏はいるのです。
 いちばん苦しんでいる人を、いちばん幸福にするために仏法はあるのです。
 法師品は、民衆のために、民衆とともに生きる「精神の指導者」の崇高な心意気を教えているのです。

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