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日蓮大聖人・池田大作

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五百弟子受記品・授学無学人記品 声聞た…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 過日(一九九六年二月十六日)法華経研究家のヴォロビヨヴァ博士(ロシア科学アカデミー東洋学研究所)と池田先生との会談に同席させていただきました。
 お話は本当に感動的でした。博士は、若くしてご主人に先立たれてしまった。しかし、懸命にご子息を育てながら、四十年もの長きにわたって、こつこつと法華経を研究されてきました。しかも、社会主義政権下です。仏教研究が容易だったとは思えません。
 国境を超え、境遇を超えて、多くの人の心をとらえる、法華経の普遍性を確かめる思いでした。
 池田 博士は人格者です。人柄も実に謙虚な方であった。その人間性ゆえか、法華経の特徴を、深く、つかんでおられる。お話をしていて、よくわかります。
 法華経の真理といっても、人間の″心″を離れてはありえない。才知だけでは絶対につかめません。法華経に脈動する人間讃歌の心をどうつかむか。そこに法華経研究の魅力もあり、また難しさもあります。
 博士は、その点、″心″に触れる法華経研究を成し遂げておられる。
 須田 法華経がなぜ多くの人に受け入れられ、広まっていったのか──この点についての博士の答えも明快でした。
 法華経がもたらした、まったく新しい考え方、それは「人間は本来、自由であり、自分の力で運命を切り開けるし、人間の運命は変えられるという考え方です」と。「この法華経の思想は、人々を内面的に解放しました。そこが多くの人々を魅きつけていったのだと思います」と述べられています。
 斉藤 この「法華経の智慧」でも、さまざまな角度から、明らかにされてきたところですね。
 遠藤 二十一世紀に果たす法華経の使命についても、博士の言葉は印象的でした。
 「法華経は、人間の一人一人に『なぜ、私はこんなことをしているのか』『自分は、いずこへ行くのか』、また『人類は、いずこへ向かうのか』等と思索させます。人々が考え始めるのです。それが法華経の使命であると考えます」と。
 これはまさに、この座談会の初めで「哲学不在の時代を超えて」と題して、池田先生に語っていただいた法華経観です。
 斉藤 博士は、「(池田SGI)会長と学会のおかげで、私の研究に命が吹き込まれました。真に人類の役に立つものになったのです」と言われていました。その言葉に、″人々のために″という使命感が、にじみ出ていて、心が洗われる思いでした。
 池田 ″人々のために″それが本当の大学者の心です。また、どんな分野であれ、その心なくして大きな仕事ができるはずがない。この心が忘れ去られているのが現代です。
 須田 「人の幸せは自分の不幸」「人の不幸が自分の幸せ」と放言する人さえいます。
 斉藤 そういう人は、競争社会に毒された悲しい犠牲者ですね。
 池田 本当は、人のために生きることは、自分の幸福のためにも不可欠なのです。
 遠藤 深層心理の研究で有名なユングなどの心理学者たちは「理想的な人生」を、おおよそ、こう描いています。
 ──「幼年期」には、両親など周囲の人々の愛に包まれて安心感があり、「青年期」には、より高きもの、神聖なものを求めて努力する。「中年期」には他者に奉仕し、「老年期」には希望や智慧などの内面性に生きて、人生そのものを絶対的に肯定できる。そういう人生が完全に幸せな人生である、と。
 池田 高きものを求めて努力し、他者に奉仕して、人生を完成させる──仏法の「菩薩」の生き方に通じる。この「菩薩」の生き方を復活させることが二十一世紀の根本課題なのです。
2  レニングラード市民の戦い
 須田 ヴォロビヨヴァ博士との対話で先生が語ってくださった「レニングラードの戦い」でも、菩薩のごときドラマが、たくさん生まれたといいますが──。(レニングラードは現在サンクトペテルブルグに)
 池田 そう。九百日にわたるナチス・ドイツの包囲──この戦いで、八十万とも百万人ともいわれる市民が亡くなりました。大半が餓死であった。(包囲のエピソードは、ソールスベリー『攻防の900日』大沢正訳〈早川書房〉から引用、参照)
 ある女性詩人は、夫の遺体を子どもの橇に乗せて、郊外のピスカリョフ墓地まで運んだ。野積み遺体の中に放置するしかなかった。彼女が、疲労と空腹に耐えながら、休み休み道を歩いていると、同じように亡骸を布などで包んで橇で運ぶ、いく人もの女性たちとすれちがったという。彼女は詠んだ。
 「わたしにとって勝利など
 本当にあるのでしょうか?
 それがわたしにとってなんでしょう
 わたしを放っといて
 わたしに忘れさせて
 わたしはひとりで生きますから……」
 遠藤 ピスカリョフ墓地には、池田先生も訪問されましたね。
 池田 献花をし、心から追善の祈りを捧げました。墓碑銘の一節に、こうあった。
 「だれ一人忘れることはないなに一つ忘れることはない」
 レニングラードの歴史は、一人として代えることのできない″百万の人生″の重みをもって、私たちに呼びかけているのです。
 ″平和を! 何としても平和を!″″こんな不幸を、二度と繰り返してはならない!″と。
 その声なき叫びを届けるために、私は世界をまわり、人々と会い、対話を続けています。
 斉藤 そういうなかで、何がレニングラードの市民を支えたのでしょうか。
 池田 さまざまな見方はあるが、「ラジオ放送」の力が大きかったと言われている。
 遠藤 有線放送ですね。普通のラジオ受信機は、持っているだけでも死刑、とされていたそうです。
 池田 そう。人々は、食べ物もない、寒い部屋にじっとして、ラジオから流れる詩の朗読や演奏を楽しみにしていた。しかし、聴くほうも生きているのがやっとなら、放送するほうも息絶え絶えだったのです。
 ある詩人は、スタジオで最後の力をふりしぼっての朗読後、飢えと衰弱で倒れ、数日後に息を引きとった。ある歌手は、倒れないようにステッキで姿勢をたもちながらアリアを歌い、その夜、亡くなった。放送局には、T字の形をした熊手のような木組みが置かれていたが、それは、弱りきって立っているのがやっとの出演者を支えるためだった。
 放送局長は、懸命に出演者を励ました。
 「何千とあるアパートのなかで、聴取者のみなさんがあなたの声を待っているのです」
 電力不足で放送が中止された時には、「配給を減らされても我慢するから再開してほしい」という市民の声が寄せられたほどです。
 ″なんとか、みんなを励ましたい″。その命がけの「声」が、凍える市民の心に勇気の灯をともしたのです。食糧も暖房も灯火も途絶え、そして、希望も失われた時に、人々の生命を支えたのは、魂に呼びかける「声」であり「言葉」だったのです。
 人間は、胃袋だけが飢えるのではない。魂にも糧が必要なのです。
3  斉藤 「本当の文化とは何か」を考えさせられますね。
 池田 艦隊のなかでも、何千人もの水兵たちが、ドストエフスキーやトルストイを読んでいたという。
 レニングラードの作家たちの、大事なエピソードがある。
 彼らは、この包囲の生活の様子を本に残そうと考えた。しかし、当局は認可しなかった。だいぶたってから認可がおりたが、そのころにはすでに、作家の多くは亡くなり、生きている作家も、ほとんど仕事ができないほど弱りきった状態だったと言うのです。結局、計画は挫折した。
 こうした様子を伝えながら、ソールズベリーは書いています。
 「人びとは、自分が必要とされているのだ、という意識で、お互いに支え合っていた。なにもすることがなくなつたとき、人びとは死に始めた。することがないのは空襲以上におそろしいことだった」
 認可が遅れたのは、当局のだれも、認可の責任をとりたがらなかったからだという。「官僚主義」が、作家たちの希望を奪い、生命を奪ったのです。「民衆の心を知らない」ということが、いかに恐ろしいことか。学会のリーダーも、心の底から自覚しなければならない。
 ともあれ、″あの人のために頑張ろう″″みんなのために歌おう″。″後世のために書こう″その心が、自分を支え、互いを支えたのです。人のために働くなかに「真実の自分」が輝く。
 「生命の底力」が湧いてくる。それが「人間」です。法華経が教えているのも、その生き方なのです。
 さあ、五百弟子受記品(以下、五百弟子品と略)と授学無学人記品(以下、人記品と略)。いよいよ法華経の前半(迹門)の中心テーマ「開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)」の締めくくりだね。
4  「救われる人」から「救う人」へ
 斉藤 はい。両品とも、題名にも明らかなように、授記が主題です。声聞への授記の″総仕上げ″の位置にあります。
 天台も、方便品(第二章)から人記品に至る八品を迹門の正宗分(法華経前半十四品の中心部分)と位置づけています。この八品は、法理的に言えば開三顕一が説かれているわけですが、ドラマとしては、声聞への授記が中心と言えます。
 池田 声聞たちの「目覚めのドラマ」だね。このドラマの意義がわからなければ、開三顕一の法理も本当の意味でわかったとは言えないでしょう。
 声聞たちの目覚めとは何か。それは、結論的に言えば、「救われる人」から「救う人」に変わったということです。人々を断じて救い切るという「大願」に目覚めたのです。声聞たちは、悪世の苦しみから逃れたい、救われたいという思いで仏の教えを求めた。
 仏は、その心を知って、苦しみから脱却する道として、声聞たちに、まず小乗の教えを説いた。
 遠藤 彼らの失敗は、その教えに執着してしまったことでした。
 須田 信解品(第四章)では、声聞たちが、「われわれは、生死の中でさまざまな苦しみを受けて迷い、無知であったために、小法を求め執着した」(法華経二二一ページ、趣意)と告白しています。
 池田 そう。小法とは小乗の教えのことだね。しかし、仏の本意は小乗にはなかった。弟子たちを単に「救いを求める人」で終わらせたくはなかった。そこで、仏の本意を明かす法華経を説くのです。
 ──求めるべきは、小乗の悟りではなく、仏の智慧である。すべての人に仏の智慧を得させて、仏と同じように自在に人を救っていける境涯へと仕上げたい。それが仏の本意である、と。
 斉藤 「仏と同じ」とは師弟不二ですね。
 池田 その通りです。法華経を聞いて、″自分は、仏と同じく「救う人」でありたい″という「師弟不二の願い」に立った人が、法華経の「菩薩」です。その誓願は同時に「仏子の自覚」でもある。″自分は、仏の子である。だから智慧という仏の財産を全部受け継いでいけるのだ″という自覚です。
 先ほどラジオでの、菩薩行にも通ずる戦いの話をしたが、声聞たちは「仏の声を聞く」声聞から、「仏の声を聞かせる」菩薩としての声聞に変わった、と言ってよいでしょう。
 迹門正宗分の八品は、声聞たちが、このように人間革命していくドラマです。これまでは、舎利弗そして四大声聞が、この目覚めのドラマを演じたが、五百弟子品と人記品では、いよいよ、すべての声聞が舞台に躍りでてくる。
5  五百弟子品・人記品──すべての声聞に授記
 須田 それでは、両品の概要を見ておきたいと思います。まず五百弟子品ですが、この品では最初に、前の化城喩品(第七章)の説法を聞いて歓喜した富楼那に対して、授記がなされます。富楼那は、釈尊の弟子の中で「説法第一」「弁舌第一」と言われた人です。
 遠藤 ある時、彼は、伝道の旅に向かいます。その出発前のエピソードが、経典に綴られています。
 同名の別人のエピソードという説もありますが、説法第一の富楼那らしい面が示されています。先生もかってのスピーチで、この富楼那の勇気ある弘教の姿をたたえられました。(「青年よ真実の雄弁の力を」『池田大作全集』第74巻)。ここで少しご紹介し、述べたいと思います。
 ある国への弘教を富楼那が申し入れると、釈尊は言います。
 「富楼那よ、かの国の人々は、気が荒く、ものの道理がわからず、人の悪口ばかり言うそうだ。彼らは君をあざけったり、ののしるだろう。その時は、どうするつもりか」
 富楼那は答えます。
 「そうしたら、こう思います。『この国の人々は、いい人たちだ。私を手でなぐったりしないのだから』と」
 「それで彼らが、君をなぐつたら、どうする?」
 「こう思います。『この国の人々は、いい人たちだ。私を棒でたたいたりしない』と
 」「棒でたたかれたら、どうするのか」
 「『私を鞭で打ったりしないから、いい人たちだ』と思いましょう」
 「鞭打たれたら」
 「『刀で傷つけられないからよい』と」
 「刀で傷つけられたら」「
 『殺されないから、よい人たちだ』と」
 「それでは富楼那よ、かの国の人々に殺されたら、君はどうするのか」
 覚悟の弟子は、きっぱりと答えます。
 「みずから死を求める人間すらいます。私は求めずして、仏法のために、この貧しく、汚い身を捨てることができるのですから、大いに喜びます」と。
 この答えを聞いて、釈尊は安心した。
 「善きかな、富楼那よ、その決意があれば大丈夫であろう。行ってきなさい」
 こうして彼はその国で、多くの人を入信させたと伝えられます。(「中部経典」「相応部経典」『南伝大蔵経』11、15)
 池田 願いを成就したのですね。
 彼の名前は、「満願子」「満足」等と漢訳されているが、その名にふさわしい、満足の人生だったでしょう。
 須田 説法第一、弁舌第一というと、「話が上手」「弁舌さわやか」というイメージが浮かびますが、五百弟子品のサンスクリット本に「富楼那は四衆に法を示し、教え、ほめ励まし、喜ばせ、法を説いて倦むことがない」とありますように、表面的なテクニック、いわゆる話術の巧みさではありませんね。
 池田 今の経文は、羅什訳で「能く四衆に於いて示教利喜し……」(法華経三二五ページ)とあるところだね。
 法を説くことによって、衆生を歓喜させる──そこに力点を置いた
 本当に歓喜すれば、人は変わります。富楼那の弁舌の力の源泉は何だったのか。一つは、師の教えを何としても弘めたいという「情熱」ではないだろうか。
 燃えるような情熱がなくては、どんなに弁舌が巧みであっても、多くの人の心を動かすことはできないでしょう。そして情熱の源は「確信」です。
 また、富楼那の人柄が誠実であったからだと思う。いわば「真心の人」です。その真心に多くの人が心を打たれたのではないか。
6  斉藤 富楼那は、この品で「法明如来」の記別を受けます。人々を「法の光明」で照らすという意味であると思います。
 池田 富楼那の姿は、広宣流布に励む学会員の栄光に通じる、と言ってよいでしょう。
 遠藤 富楼那への授記を聞いて、千二百人の阿羅漢たちが歓喜します。釈尊は彼らに授記しようと述べ、そのうちの五百人に授記がなされます。これが題名の「五百弟子」です。釈尊の最初の弟子である僑陳如(阿若僑陳如)がその代表です。
 阿羅漢とは、小乗の悟りを得た最高位の声聞のことです。
 五百人の阿羅漢とは、おそらく釈尊教団の草創期を担った弟子たちではなかったかと思われます。
 他の経典には、釈尊が五百人の弟子を伴って遊行したという話が記されています。五人に同じ如来の名前(普明如来)を与えて授記したのも、そのためかもしれません。
 なお、残りの七百人への授記はどうしたのかというと、必ずしも明確には経文に示さていません。法師品(第十章)の冒頭で、法華経の会座にいるすべての衆生に授記がなされていますので、その中に含められているのではないかと思われます。
 須田 次の人記品では、最初に阿難と羅喉羅に授記が与えられます。
 阿難は、釈尊の弟子の中で「多聞第一」(釈尊の教えを多く聞くことにおいて最も優れている人)と言われ、釈尊の滅後には経典の結集に尽力しました。
 また羅喉羅は、釈尊の出家前の実子で、弟子になってからは「密行第一」(人知れず修行に努力することに最も優れている人)と言われました。
 さらに、まだ阿羅漢になっていない学・無学の声聞二千人に対しても授記されていきます。「学」とは有学、つまり、まだ学ぶべきことが残っている者、「無学」とは学ぶことがない、つまり、すべて学び終えた者です。
 池田 今の日本語とは、意味が、さかさまだね(笑い)。無学のほうが偉いのです。(笑い)
 須田 はい。学・無学の違いはあっても、どちらも、まだ阿羅漢の悟りを得ていない声聞です。
 斉藤 要するに、この二品で、修行の到達度に関係なく、すべての声聞に授記されたわけです。与えられた如来の名前(名号)、活躍する時代(劫)と場所(国)は、次のようになります。
 ┌──────┬─────┬────┬─────────┐
 │弟子名   │ 劫   │ 国  │  名 号    │
 ├──────┼─────┼────┼─────────┤
 │富楼那   │宝明   │善浄  │法明如来     │
 │五百阿羅漢 │     │    │普明如来     │
 │阿難    │妙音偏満 │常立勝旛│山海慧自在通王如来│
 │羅喉羅   │     │    │蹈七宝華如来   │
 │学無学二千人│     │    │宝相如来     │
 └──────┴─────┴────┴─────────┘
 後の勧持品(第十三章)では、釈尊が「我れは先に総じて一切の声聞に皆な已に授記すと説けり」(法華経四一三ページ)と述べています。
 池田 声聞への授記──その心は、前にも述べたように(授記品〈第六章〉)、「一切衆生への授記」です。声聞に、とどまるものではありません。すべての人が成仏できる。すべての人が、仏の智慧を譲り受けて、「人を救う人間」になれる。そういう考えが、阿羅漢も学・無学もなく、すべての声聞に授記されるというなかに示されています。
 日蓮大聖人は「二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり」と仰せです。
 一切の声聞は、爾前権教で不成仏とされた。しかし、法華経に至って成仏を許された。これは、十界の成仏を明かしたことになるのです。なぜなら、一人の声聞には十界の生命が具わっている。ゆえに、一人の声聞に授記したことは、その生命の十界が成仏できるということです。十界が成仏できるということは、どの界の衆生も成仏できるということになる。反対に、声聞界が成仏できなければ、菩薩の生命の声聞界も、仏の生命の声聞界も成仏しないことになる。
 遠藤 菩薩も仏も成仏しないのでは、仏法は成り立ちませんね(笑い)。
 池田 だから「二乗成仏」が仏法の要なのです。そもそも声聞は、つねに釈尊の周囲にいた、最も身近な人々です。その人々を成仏させられないのでは、何のための仏法かということになりかねない。
 一方、二乗は「焦種」といって、仏種を焦がし亡ぼしているとされる。そういう二乗も成仏させられるということを通して、一切衆生を成仏させる法華経の力を示したのです。
 一切衆生に対して「あなたも仏と同じ境涯になれる」と宣言したのです。これが″授記の心″です。
7  須田 御義口伝に「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは学無学の人に如我等無異の記を授くるに非ずや」とあります。また「智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説きて而強毒之にごうどくしするなり」とあります。ここのところですね。
 池田 これが広宣流布の心です。智者、愚者を問わず、妙法を説いていく。信じる者も信じない者も問わず説いていく。信じない者も、毒鼓の縁、いわゆる逆縁の功徳で救っていく。ここに真の″授記″があるのです。
 このことを実践してきたのが創価学会員です。学会の中にこそ、法華経の心は生きているのです。
8  「人の開会」と「法の開会」
 斉藤 これまで語り合ってきましたように、響喩品(第三章)に始まって、舎利弗以下の声聞が次々と成仏の授記を受けますが、これは、「救われる人」から「救う人」への革命──つまり、声聞が菩薩になったということですね。
 遠藤 方便品(第二章)には「但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化して、声聞の弟子無し」(法華経一四五ページ)とあります。これは、方便品のところですでに確認した「人開会」です。
 一乗の道(法華経)によって教化される衆生は、すべて菩薩であると言うのです。
 斉藤 「開会」とは、別々のものと思われたものを、より高い次元から捉えて、統一することです。
 開会を「法」で言えば、仏は、ただ一仏果を説くだけで、三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)という別々の教えはないとする。三乗を別々の教えと見るのは、教えを受けとめる衆生の側であって、より高い仏の次元では、成仏へのただ一つの道、一仏果を説いているだけであると統一するのです。
 「人」で言えば、仏は、成仏を目指す菩薩を教化しているだけであって、教化する弟子に声聞や縁覚・菩薩の区別はないとします。この「人開会」では、仏は、すべての衆生は生命の奥底に「成仏を目指す心」「仏の智慧を求める心」があると見ている。その次元から、すべての衆生は菩薩であると統一するのです。
 五百弟子品の冒頭で、富楼那は、三千塵点劫以来の釈尊との師弟の因縁を説いた化城喩品(第七章)の説法を聞いて、自身の「深心の本願」(法華経三二五ページ)を自覚しています。つまり、自分は、はるかな昔から成仏を願い、師である釈尊とともに菩薩の実践をしてきたのだと。声聞である以前に、菩薩だった。それが本来の自分であるという自覚です。
 この「深心」の次元で、一切の衆生が本来、菩薩であると明かすのが法華経の「人開会」です。表面の姿ではなく、いわば″生命の次元″で、衆生を平等に見て、統一するわけです。
 池田 その平等の″生命の法理″を明らかにしたのが、十界互具であり、一念三千だね。
 須田 人記品でも、阿難の「多聞第一」は、声聞としての実践ではなく、菩薩としての「本願」に基づくものだと明かされます。仏の侍者として法を多く聞き、伝持することによって、人々を成仏に導いていけるからです。
 遠藤 羅喉羅の「密行第一」も同じです。羅喉羅が釈尊の子として生まれ、釈尊が悟りを得てから弟子となったのは、決して声聞になったのではなく、一心に成仏を求めるための密行であると説かれます。つまり、人知れぬ菩薩行だということです。学・無学の声聞たちも同様です。
 池田 このように、「すべての声聞は本来、菩薩である」と開いているのが五百弟子品と人記品です。この両品は、″声聞開会″をテーマとしていると見ることができる。
 もちろん、「本来菩薩である」とか「成仏が確定した」というのは、迹門の立場からの見方です。本門(文底)の立場では、「我心本来の仏なり」なのです。
 迹門は、″菩薩行を実践して仏に成る″という従因至果(因から果へ、九界から仏界へ)の立場をとります。
 これに対して、本門では、″久遠の仏が菩薩行を実践する″という従果向因(果から因へ、仏界から九界へ)の立場をとる。この立場から言えば、菩薩の心とは本当は、仏の心にほかならない。
 また「深心の本願」を思い出すというのは、「久遠の下種」に立ち戻るということです。
 つまり、仏に成ろうと一生懸命、努力してきたと思ったが(従因至果)、法華経の山に登って見れば、一気に視界が開けて、宇宙の大パノラマが見えてきた。そこでは本有常住の久遠の仏が休みなく十界の衆生を導いて菩薩行をしておられる(従果向因)。その振る舞いは久遠から三世にわたって不断に続き、変わることがない。
 そして自分自身を見ると、久遠の凡夫として、仏と師弟不二である。師弟一体で広宣流布へ、菩薩行をしている。
 そういう生命の深き実相を、法華経の会座の衆生に示すのが本門です。
 このことについては、いずれくわしく論ずることにしよう。
9  ″人間よ
 池田 さて、この人開会だが、開いていえば、すべての差異を一歩深い次元から乗り越えて、「皆、平等に尊貴なのだ」と示していくことに通じる。
 たとえば冷戦時代、社会主義国への扉は凍てついた氷のように、また鉄のように閉ざされていた。
 しかし、資本主義、社会主義の違いは違いとして、「皆、ともに人間ではないか」という次元で交流できないはずがない。私はそう信じていた。
 斉藤 先生が旧ソ連へ行かれた時も、「なぜ宗教者が宗教否定の国に行くのか」など、多くの非難がありましたが、先生の答えは明快でした。「そこに人間がいるからです」と。
 これこそ現代における「人開会」ではないかと感動したことを思い出します。
 遠藤 その「人間次元での交流」というのが、具体的には文化・教育の交流なのですね。これこそ法華経の実践ですね。
 池田 ロシアにも、すべての差異を超えて、人間よ人間に帰れ、と叫んだ文学者たちがいる。たとえばトルストイであり、ドストエフスキーです。
 須田 ドストエフスキーは、ヴォロビヨヴァ博士と同じ、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)の生まれですね。
 池田 その通りです。当時、知識人、いわゆるインテリたちは、ヨーロッパの思想に傾倒する「西欧派」と、国粋主義的な「スラヴ主義派」にわかれて対立していた。
 ドストエフスキーは彼らを、ともに、民衆から分離した「不幸な放浪者」と呼んだ。そして叫んだ。
 「おお、わが国のスラヴ主義とか西欧主義とかいうものは、歴史的に必然なものであったとはいえ、要するに、すべて大きな誤解にすぎないのである」
 「ロシヤ人の使命は、疑いもなく全ヨーロッパ的であり、全世界的である。真のロシヤ人になること、完全にロシヤ人になりきることは(この点をはっきり銘記していただきたい)、とりも直さず、すべての人々の同胞となることである」(『作家の即記』米川正夫訳、『ドストエフスキー全集』15、河出書房新社)と。
 「『人間』になりきれ」「そうすることによって、すべての人の友となれ」と呼びかけたのです。
 遠藤 先生が、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館を訪問された時(一九七四年九月)の印象記を思い出しました。
 「遠い将来、私たちの孫のまた孫の……、後続の幾世代を経たあと、人々がそこに発掘するものは、つねに『人間』なのである。そのときには、社会主義とか資本主義とかいう体制の次元をはるかに越えて、人類がいかに人間らしい文化を生み出したのか──その創造性の奥にひそむ人間生命の輝きこそが、人々の胸をとらえるであろうことは、予想に難くない」(「私のソビエト紀行」『池田大作全集』第118巻)
 今から二十年以上も前のことです。その通りに、人類は向かいつつあります。
 斉藤 ドストエフスキーの思想も、池田先生が一貫して切り開いてこられた「人間主義」「世界市民」の潮流に通じているように思えてなりません。
 池田 ロシアは偉大な国です。あれほどの世界的な文学を生み、音楽を生み、そして社会主義という壮大な実験を経て、新しい人類史を開こうとしている。
 ロシアの人々は、人類の先駆です。これから人類が経験するであろう悩みを、先んじて背負っておられると思う。ゆえに悩みは大きい。使命も大きい。
 「すべての人々の同胞となる」。何とすばらしい使命感であることか。われわれは、最もっと、ロシアの崇高な精神を学ばねばならない。
 ところで、五百弟子品といえば、「衣裏珠の譬え」(「貧人繋珠の譬え」「衣裏繋珠の譬え」とも言う)を語らないわけにはいかないね。
10  衣裏珠の譬え──目覚めた喜び
 遠藤 はい。「衣裏珠の響え」は、五百の弟子が、釈尊から授記されたあとに述べた「歓喜の証」です。五百人の阿羅漢たちは、我を忘れるほどの喜びに満たされ、仏の足下にひざまずいて敬礼します。そして、自分たちが犯した過ち、つまり、阿羅漢の小さな智慧で満足し、如来の智慧を求めようとしなかったことを悔いて、みずからを責めます。
 その愚かな自分たちを″貧しい流浪の人″に譬えて語ったのが「衣裏珠の譬え」です。
 ──ある貧しい男が親友の家に行って、ごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまった。この時、その親友は公用で急遽出かけなければならなくなった。
 そこで親友は、酔いつぶれている友人の衣の裏に「無価の宝珠」、すなわち値段のつけられないほど高価な宝の玉を縫いつけて、出かけていきました。
 貧しい男は酔いつぶれて寝ていたために、そんなことはまったく知りません。目が覚めて起きてからも、あちこち他国を流浪します。
 そのうちお金がなくなり、生活が苦しくなってきます。衣食のために働きますが、苦しさは変わりません。少しでもお金が入ると、それで満足していました。
 斉藤 その日暮らしですね。
 池田 今も精神的な「その日暮らし」の人は多い(笑い)。
 遠藤 私たちも、そうならないよう、気をつけないと(笑い)。
 須田 やがて親友は、男に出会います。そのみすぼらしい姿を見て、男に言います。
 「君は何と愚かなんだ。どうして、そんなに衣食に窮しているのか。私はあの時、君が安楽な生活ができるよう、また、欲しいものは何でも手に入るようにと思って、『無価の宝珠』を君の衣の裏に縫いつけておいたのです。今も、そのままあるではないか。それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく苦労し、悩んでいる。まったく愚かだ」と。
 貧しい男は、親友が教えてくれた宝珠を見て、大歓喜しました。
 斉藤 ″無価の宝珠とは何か″。経文には「一切智の心」であり、「一切智の願」であるとあります。
 一切智とは仏の智慧です。つまり、「無価の宝珠」とは、「仏の智慧を求める心」であり、「成仏を願う心」です。
 この心は、化城喩品で説かれているように、三千塵点劫の昔に、菩薩であった釈尊から法華経を聞いて植え付けられたものです。それが、かつて親友によって衣の裏に宝珠が縫いつけられたということです。″親友″とは、言うまでもなく釈尊です。
 遠藤 貧しいまま流浪し、その日暮らしに満足している姿は、小乗の教えを学び、阿羅漢の悟りに満足して、仏の智慧を求めようとしない声聞の境涯を表しています。
 また、親友と再び会って、無価の宝珠のことを知らされるのは、今、釈尊から法華経を聞いたことに当たります。すなわち、今、法華経を聞くことによって、三千塵点劫の昔に起こした、成仏を願う「本願」を思い出したのです。
 池田 「本来の自分」に戻ったのです。それが「声聞の目覚め」です。″無明の酔い″から覚めたのです。キーワードは「思い出す」です。自分の原点に帰ることです。自身の生命の根源の法を自覚することです。「汝自身に帰れ」ということです。
 それを「忘れさせる」のが「無明」の酔いです。天台大師が、この酔いについて重い場合と軽い場合があるとしているね。
 斉藤 はい。重酔と軽酔ですね。重酔は、まったく覚えていない状態です。いわゆる泥酔といえるでしょう。軽酔は、かすかに醒めているのですが、その後、忘れてしまう状態としています。
 池田 酔いの程度に違いはあるにしても、覚えていないことには変わりがない。それが無明なのです。心が無明に覆われているために、自分の生命の素晴らしさがわからないのです。
 遠藤 酔いと無明──お酒の好きな人には、なるほどと、うなずける譬えかもしれません。(笑い)
 須田 酔っている人は、自分が酔っていることを、なかなか認めませんしね(笑い)。
 斉藤 起こすのも大変です(笑い)。
 池田 みんなだって、信心に目覚めるには、婦入部の人とかに、さんざん世話になったのじゃないかな(爆笑)。
 須田 大聖人は御義口伝で「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時無明の酒めたり」と仰せです。
 題目をあげたときの爽快さは、生命が無明の酔いから醒める喜びですね。
 遠藤 経文には「貧人此の珠を見て其の心大いに歓喜し」(法華経三四一ページ)とあります。この経文について大聖人は、御義口伝で「此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せです。
 池田 そう。「本来の仏なり」です。
 五百弟子品では「深心の本願」と表現されているが、要するに全人類を救っていこうという「大願」です。この「大願」を思い出したのです。
 大聖人は「大願とは法華弘通なり」と仰せです。この「大願に立つ」ことが、「宝珠を見つける」ということなのです。
11  遠藤 「無価の宝珠」というと、なんとなく、何でも願いが叶う「打ち出の小槌」のようなイメージでしたが(笑い)。
 池田 大願に生きることによって、他のすべての願いが叶うのです。
 戸田先生は、ある会合で、信心の功徳に満ちあふれた体験発表を喜ばれたあとで、「さきほどの体験にあるような功徳は功徳のうちには入りません。私の受けた功徳をこの講堂一杯とすれば、ほんの指一本ぐらいにしか当たりません」と、もっともっと大功徳を受けなさいと言われていた。(一九五三年〈昭和二十八年〉、星薬科大学講堂で行われた蒲田支部総会)
 私も、その会合に出席し、青年部幹部として話をしたので、情景を鮮明に覚えています。戸田先生は、妙法の不可思議の大功徳を、生命で実感しておられた。その大功徳を、全学会員に一人残らず、等しく実感させたかったのです。その慈愛を痛いほど感じました。
 そのためにも、広宣流布の大願に生きよ、と叫ばれたのです。広宣流布へ働くことによって大功徳を受けさせるために、そう言われたのです。広宣流布に働くことは、他のだれのためよりも、「自分のため」なのです。
 遠藤 よくわかりました。そうしますと学会活動には、深い深い意義がありますね。
12  「宿命」をも「使命」に
 池田 「大願」に立てば、一切が生きてくるのです。何ひとつムダがない。
 大聖人は「願くは我が弟子等・大願ををこせ」と叫ばれた。そして、こう仰せです。
 「をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と。
 また「露を大海によせ土を大地に加るがごとし生生に失せじ世世にちざらむかし」との御金言もある。
 「つゆ」のように、はかない命。「ちり」のように、取るに足らない我が身。それが信心の「大願」によって、永遠となる。
 法華経の大海とともに、妙法の大地とともに、永遠に消えることも朽ちることもない。仏の大境涯に連なるのだ、とのお約束です。私たちは、そういうダイナミックな劇を演じているのです。
 須田 ″演じている″といえば、五百弟子品には「内に菩薩の行を秘し、外に是れ声聞なりと現ず 少欲にして生死を厭えども 実にはみずから仏土を浄む」(法華経三三〇ページ)と説かれています。
 外側には、生死を厭う声聞の姿を現しているけれども、本当は仏土を浄化する菩薩行を実践しているのだ、と。
 斉藤 続いて「衆に三毒有りと示し、又邪見の相を現ず 我が弟子是の如く 方便して衆生を度す」(同)とあります。みずから貪・瞋・癡の三毒に冒されている姿を示すのも、邪見にとらわれている姿を現すのも、すべて人々を救うための方便である、と。
 池田 私どもでいえば、久遠以来の「大願」を果たすために、今世に生まれてきた。そう確信すれば、今世の苦悩の姿も、迷いの姿も、全部、人を救うための方便だとわかるのです。
 すなわち、初めから何の悩みもない恵まれた姿で人々の前に現れたのでは、だれも妙法の偉大さがわからない。また、そういう人には、民衆の心もわからないでしょう。
 どんな宿業の苦しみも、それを克服して勝利の実証を示すために「あえて自分が選んだ苦しみ」なのです。そう確信することです。勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。
 「大願」を自覚すれば、すなわち「我、本来仏なり」と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。多くの人々と同じように「悩める民衆」の姿で生まれ、どこまでも「民衆とともに」幸福になっていくそれが私どもの使命のドラマなのです。
13  「大願」に立った庶民がつくった創価学会
 斉藤 「すべてを生かす」といえば、創価学会には、実に多様な人々がいます。これも偏った「小願」ではなく、全人類のための「大願」に立っているからこそですね。
 須田 才能や環境に恵まれ、学歴のあるリーダーもいます。また学歴や肩書はなくとも、人生の苦労を知り、民衆の心を知っているリーダーもいます。それぞれに使命があり、役割があると思います。
 池田 その通りだ。しかし、忘れてならないことは、戦後の焼け野原の時代から、学会を死にもの狂いでつくってきたのは、絶対にインテリではないということです。庶民のなかの庶民がつくったのです。″病人と貧乏人の集まり″と蔑まれた民衆が、世界に広がる、今の平和・文化・教育の大集団を築いたのです。インテリには、強さもあるが、弱さもある。とくに日本のインテリは「民衆を守ろう」とするよりも「自分を守ろう」とする傾向が強いようだ。そんな保身は「大願の人生」には必要ない。
 捨て身です。「ちりを大地にうづむとをもへ」です。青年は「苦労」が大きければ大きいほど、その分、「民衆の心を知ることができるのだ」「使命が大きいのだ」と決めて頑張ることです。
 ともあれ、二乗たちに「生命の根源に帰れ」「大願を思い出せ」と呼びかけたのが法華経です。その具体的行動は、民衆のなかで、民衆とともに人生を生きることであった。
 何よりも、「民衆に学べ」です。あのドストエフスキーは、インテリたちに、こう警告します。
 「いかに真実を語るべきかを、民衆に学ぼうではないか。同時にまた民衆の謙虚と、実際性と、理知の現実性と、まじめさを学ぼうではないか」
 「(=社会を)なぜ活気づかせることができないかというと、諸君が民衆によろうとせず、民衆が諸君と精神的に一体となっていず、まるで無縁の存在にひとしいからである」(前掲『作家の日記』)と。
 遠藤 長い流刑生活を、民衆とともに生き抜いた彼ならではの信念ですね。
 池田 とくに彼は、自由主義思想によって一度は手放した「信仰」を、「民衆のおかげで」魂に取り戻したのだと言っている。彼にとって民衆は、人間としての″根っこ″である信仰を教えてくれた″大地″だったのです。
 興味深いことに、ドストエフスキーは、死の当日、奥さんに聖書を開かせ、子どもたちに「放蕩息子の話」を読んで聞かせるょうに頼んだという。(エーメ・ドストエフスキー『ドストエフスキー傳』高見裕之訳、アカギ書房、参照)
 遠藤 「放蕩息子の話」とは、父から離れた息子が、遠くで生活するうちにおちぶれ、再び父のもとに帰ってくるという物語ですね。
 須田 法華経の「長者窮子の譬え」(信解品〈第4章〉)に似ていることから、この物語が、法華経の影響を受けていると見る学者もいます。
 池田 ドストエフスキーは、信仰によって、精神の「放浪」をやめたいと願った。同時に他の「放浪者」たちを連れ戻したかった。信仰が息づく「民衆」の大地に帰らせたかった。
 「放浪者」は「長者窮子の譬え」の「窮子」に通じる。「衣裏珠の譬え」の「貧人」にも通じるだろう。ある意味で、今、人類全体が「放蕩息子」であり「貧人」なのではないだろうか。
 その、さ迷える人類に向かって、「ここに、帰るべき生命の大地がありますよ」「放浪をやめるカギは、あなたの胸中にあるのですよ」と呼びかけるのが、私どもの人生なのです。その行動にのみ、生命の「貧人」でなくなる真の道がある。
 日蓮大聖人は、迫害の嵐の中で「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし」と宣言なされた。
 このご確信、この誇りに、私どもも連なりたいものです。

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