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日蓮大聖人・池田大作

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化城喩品(第七章) 因縁──永遠なる「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  須田 ある壮年部の方が、しみじみ言っておられました。
 「今の世の中、情けないことばかりだ。政治家たちは責任をなすりあい、自分の地位を守るのに汲々としている。嫉妬と無責任、無感動、無慈悲が、大手を振って歩いている。そんな日本にいて、本当に情熱をもって理想に生きている人は、何人いるのだろうか」と。
 池田 多くの民衆の思いを代弁していますね。ちょうど百五十年前(一八四六年)、「現代は情熱のない時代だ」と、キルケゴール(十九世紀のデンマークの哲学者)は言いました。
 「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃え上がっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまう」(『現代の批判』桝田啓三郎訳、岩波文庫)と。
 今も彼の時代と似ているようだ。
 遠藤 彼の著作『現代の批判』については、以前、池田先生が、アメリカの青年部に語られました。
 情熱がなく、反省的な時代は「妬み」に支配される。それが定着すると、傑出したものを引きずりおろし、人間を水平化させようとする──ここに、彼の主張の核心がある、と。
 須田 そうでした。鋭く「今」の状況を射抜いていますね。
 池田 そう。キルケゴールの思想が国外で注目されだしたのは、彼の死後(一八五五年)、半世紀以上たってからです。多くの思想家が、これを現代への予言書として推賞した。ヤスパースは「あたこも昨日書かれたかのようなおもむきである」(『現代の精神的状況』飯島宗享訳、『ヤスパース選集』28、理想社)と感嘆したという。
 なぜキルケゴールは、これほどまで深く、「現代」を洞察しえたのか。それは、一つには、彼が自分の寿命が短いことを自覚し、その短い生涯のうちに、なすべきことをなそうと戦ったからです。
 遠藤 権威の聖職者やマスコミの中傷にも、ペンの力で立ち向かいました。そのさなかに、四十二歳で亡くなっています。
 池田 彼は自分で、三十四歳まで生きられないと信じていた。母を亡くし、七人兄弟の五人までを失い、比較的長生きした二人の姉でさえ三十三歳で亡くなっている。その姉以上には、生きられないにちがいない、と。彼が満三十四歳を迎えた時の日記には、「奇跡だ。まったく合点がゆかない」(工藤綏夫『キルケゴール』〈清水書院〉の中で紹介)と記している。
 そして、三十代を中心にした十年余のうちに、およそ四十冊の著書と二十巻におよぶ遺稿を書き残した。『現代の批判』はその一冊です。このなかで彼は、現代の「水平化」を食い止めるには、個人個人が「不動の宗教性を獲得するしかない」(前掲『現代の批判』)と結諭した。
 その哲学は″自分自身の使命を知らねばならない。そのために生き、そのために死のうと思える理想を発見することが必要なのだ″との一点に貫かれていた。
 斉藤 そうした「理想」「使命」に目覚めさせるのが二十一世紀の宗教ですね。
 池田 そう。法華経が現代に贈る「智慧」です。自分は何のために、この世に生まれたのか。何をこの世でなすべきか。それを衆生に気づかせるために仏は出現したのです。
 方便品(第二章)から始まって、まず仏は「法理」を説きました。舎利弗はわかった。次に「譬喩」を説きました。四人の声聞は悟った。さらに多くの衆生を目覚めさせなければならない。そのために仏は何を説いたのか。その智慧の発光のドラマが化城喩品です。
2  三千塵点劫──長遠の師弟関係の始まり
 斉藤 化城喩品のキーワードは「因縁」です。
 遠藤 「因縁」というと、今では、「因縁をつける」とか(笑い)、「因縁話」とか(笑い)、あまり良いイメージで使われていないようです。もちろん、それは仏教本来の「因縁」(原因、条件の意)から派生し、世俗的な意味を帯びたものです。
 斉藤 化城喩品の「因縁」は、釈尊と声聞の弟子たちとの過去世からの深い「結びつき」であり、師弟の「絆」を明かしたものです。
 だから、サンスクリット語の法華経ではこの品の題名は「過去世からの結び付き」(プールヴァ・ヨーガ)とあります。また、竺法護訳の『正法華経』では、三千塵点劫という大昔について説いていることから「往古品」(大昔の章)と訳されています。
 羅什三蔵が「化城喩品」と訳したのは、この品の後半で有名な「化城宝処の譬え」が説かれるからです。
 池田 釈尊は今世だけでなく、果てしない過去から、うまずたゆまず、一貫して弟子の声聞たちを導いてきた。そういう過去からの「因縁」を教えたのです。
 ″今世だけのことではないのだよ。いつも私は君たちと一緒だった。君たちはいつも私と一緒だったのだ″──この熱いメツセージが、声聞たちを目覚めさせたのです。
 そして彼らは、小乗の悟りをもたらす二乗の法は方便であり「化城」だったのだ、成仏という「宝処」こそ本当の目的地だったのだ、お師匠さん(釈尊)は、その宝処にわれわれを連れていってくれるために、これほどまでに忍耐強く、これほどまでに慈愛深く、これほどまでに巧みに導いてくださったのだ──と感動するのです。これが「化城宝処の賛え」の意義です。
 須田 それで、化城喩品という題名でよいわけですね。師弟の関係の長さを説いた「三千塵点劫」とは、気の遠くなるような長遠の時間です。
 次のように説かれています。
 まず三千大千世界にある大地を全てすり潰して塵にし、東方に向かって千の世界を過ぎたところで一つの塵を落とします。さらに千の世界を過ぎたところでまた一つの塵を落とし、同様にして全ての塵を落とし終わるところまで行きます。そして塵を落としたところと落とさないところを問わず、それまで経過した範囲の全ての世界をまたすり潰して塵とし、その塵の一つを一劫と数えると言うのです。
 数えるといっても、数えきれるものではありません。そもそも、最初にすり潰す三千大千世界は、古代インドの世界観で言えば全宇宙ですし、今日の天文学の知識に当てはめれば、太陽系を十億も集めたほどの広大な世界となります。また、一劫という時間も計り知れない。過去世の因縁を明かすにしても、どうしてこのような久遠の過去まで遡らなければならないのでしょうか。
 遠藤 それについて天台は「化導の始終」、つまり弟子たちに対する釈尊の化導の始めから終わりまでを明かすのが化城喩品である、と言っています。始まりは三千塵点劫の昔、終わりは今の法華経の説法です。
 池田 その「始まり」にカギがあるのです。「始まり」に何があったのかがわかれば、今、法華経で成仏の教えである一仏乗を説く意味もわかる。結論的に言えば「下種」が重要なのです。
 日蓮大聖人は「三千塵点劫の時に仏果の種子を下種し、法華経に至って種子を顕し開顕を遂げる」(御書二八四ページ、趣意)と仰せです。
 種を植え(下種)、育て(熟)、実りを得る(脱)──。成仏という果実を今、「授記」によって約束するにあたり、その原点である「下種」の時のことを教えているわけです。
 では下種の時とは、どういう時か。釈尊の化導の始まりに何があったのか。まず、化城喩品の説くところを追ってみたらどうだろうか。
3  斉藤 はい。化城喩品では、初めに、仏の出現が説かれます(法華経二七三ページ)。仏の名は「大通智勝仏」です。また、この仏の国土は「好成」といい、その時代(劫)は「大相」と名づけられています。これらの名に、この時代がどういう時代であったかがうかがえます。
 「大通智勝仏」という名は、″大いなる神通と智慧によって最も勝れた仏″という意味で、この仏が″智慧の完成者″であることが示唆されています。また時代の名である「大相」は″偉大なる姿″という意味であり、国土の名である「好成」は、″好き生成″″好き生誕″″好き起源″等の意味になります。
 池田 大通智勝仏という、大いなる精神的指導者が世に出現し、これから新しい偉大な時代が形成されていく──そういう″始まりの時″を表しているのでしょう。
 新しい時代が始まる時には、いつも精神の変革者が現れる。自身が精神の新しい次元を開き、旧思考にとらわれた人々の心を解放する。あるいは、目に見えない形で深い精神的影響を与えていくのです。
 私どもも、先覚者の誇りをもって前進したい。大聖人は「南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり」と仰せです。
 須田 その大通智勝仏の成仏について、化城喩品では、かなりくわしく説かれています。ここで、分かりにくいのは、大通智勝仏が道場に坐して魔軍を破った後にも、十劫もの間、成仏しなかったと説かれていることです。
 「其の仏は本と道場に坐して、魔軍を破し已って、阿耨多羅三藐三菩提(=無上の悟り)を得たまうに垂んとするに、而も諸仏の法は現に前に在らず。是の如く一小劫、乃至十小劫、結跏趺坐して身心動じたまわず。而も諸仏の法猶お前に在らざありき」(法華経二七六ページ)とあります。
 池田 魔軍を破るとは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われる。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面です。衆生を救う慈悲と智慧が現れてこそ本当の悟りなのです。
 化城喩品は声聞たちへの説法です。声聞たちは、煩悩を断じて静寂な境地に入ることが悟りだと思っている。仏の真の悟りは、それとは違うことを示すために、あえて大通智勝仏の成仏をこのように描いているのかもしれない。
 もちろん、慈悲・智慧といい、煩悩といっても、「空」であり、実体論的にとらえてはならないことは言うまでもない。そのうえで、分かりやすく言うならば、仏の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のです。「煩悩・業・苦の流転」を押し返して、「慈悲と智慧の清流」になる。生命の「悪の波」を「善のうねり」へと変える。
 煩悩に煩わされないという意味では、静寂で澄みきった境地だけれども、同時に真の躍動があるのです。それは大海のごとき境涯です。いかなるときも、深みでは絶対の静寂と安定がある。
 そしてつねに「善のうねり」が生命に躍っている。妙法の働きが「如如として来る」ので、如来です。これが、妙法と完全に一体化した仏の悟りの姿です。
 遠藤 おもしろいのは、その十劫の間、諸天が大通智勝仏を供養し続けます。忉利天とうりてんは壮大な獅子座(仏が座る所)を供養し、梵天王たちはつねに天華を降らせ、四天王たちは天鼓を嶋らし続けます。いわば無上の悟りを得ようとしている仏への″応援団″です(笑い)。
 池田 衆生の代表である諸天が″応援団″になったというのは、仏の出現を待つ衆生の心を表現しているといえよう。
 広げて言えば、学会の音楽隊、鼓笛隊をはじめ、すべての合唱団、音楽グループなども、個人の成仏へ、広宣流布へと励ましていく応援団です。諸天といっても、遠いところにいるのではありません。
 遠藤 大通智勝仏が無上の悟りを得た時に、世界中が日月にも勝る光で満たされます。
 池田 仏の生命に妙法が浸透しきり、衆生を救う広大な慈悲と無量の智慧の香りが、全宇宙に向かって放たれたのです。光は、そのシンボルでしょう。
4  十六王子の大通覆講
 須田 次に、いよいよ大通智勝仏の出家する前の子どもであった十六大の王子が登場します(法華経二七八ページ)。その中の十六番目の王子が釈尊です。王子たちは、父が成仏したことを聞き、父のもとに向かいます。そして、説法を要請します。
 また、十六王子だけではなく、四方(東西南北)、四維(東南・南西・西北・北東)、そして上・下の十方の世界の梵天が、こぞって、大通智勝仏の説法を請います。いわゆる「梵天勧請」ですが、それが宇宙大の規模でなされ、その様子がくわしく説かれています。
 そのなかで、「救一切」「大悲」「妙法」「尸棄」という四人の梵天王の名前が挙げられています。「尸棄」は代表的な梵天王の名ですが、それ以外は、通常のインド神話の中では登場しません。「救一切」「大悲」「妙法」などの名が挙げられているのは、衆生を救済するために、大慈悲で妙法を説き弘めていく仏の出現を待つ心を表しているのではないでしょうか。
 池田 そうでしょう。大通智勝仏が出現する前は、衆生は苦悩し、時代は行き詰まっていた。経文では、その閉塞状況を「冥き従り冥きに入って」(法華経三一六ページ)と表現している。人々は闇から闇へという悪の流転を止める仏の出現を生命の奥底では求めていた。その心が表されています。
 戸田先生もよく「商売でも何でも、民衆が求めているものが広まるのです。広宣流布も民衆が今、妙法を求めているから、必ずできるのです」と言われていた。
 遠藤 十六王子や梵天の要請に応えて大通智勝仏が説法を始めますが、その時、最初に説いたのは四諦および十二因縁の教えです。これを聞いて多くの声聞衆が誕生します。
 しかし、十六王子は、四諦・十二因縁の説法に満足せず、仏の真実の悟りを説かれるよう、さらに求めます。
 池田 四諦・十二因縁の法は、仏の悟りの一面を示した方便の教えです。いろいろ言うべきことはあるが、要するに、これらの教えの基本は″苦しみの原因である煩悩を滅して、安穏な境地を得させる″という点にある。
 しかし、煩悩を滅するというのは方便であり、仏の本意は、自分が得た無上の悟りを得させることにあります。そこで、十六王子という人を得て、かつ、時を待って法華経を説き、本意を明かすのです。
 斉藤 大通智勝仏は八千劫の間、法華経を説いた後、さらに八万四千劫の間、禅定に入ったと説かれます。そして菩薩となった十六王子は、大通智勝仏が禅定に入っている間、また、その後も、仏と同じく法華経を説いていきます。これがいわゆる「大通覆講」です。覆講とは、師が説いた法華経を再び説くという意味です。
 池田 大通智勝仏と十六王子が説いたのは、どちらも同じ法華経であった。十六王子は、まさに師弟不二の道を歩んだのです。
 須田 十六王子は菩薩として法華経を説き、それぞれ無数の衆生を教化しました。これらの衆生は、それぞれの師である菩薩とともにさまざまな仏の国土に生まれ、師の化導を受けます。有名な「在在諸仏土常与師倶生(在在諸仏の土、に常に師と倶に生ず)」(法華経三一七ページ)とは、このことです。
5  遠藤 そして最後に、釈尊は、十六番目の王子が釈尊であり、その教化された衆生が、今の声聞たちである、また滅後の声聞であると明かします。
 そして、声聞たちに、こう語りかけます。
 「私は十六番目の菩薩として、かつてあなたがたのために法華経を説いた。このゆえに方便を用いてあなたがたを導き、仏の智慧に向かわせてきたのである。この″本因縁″を以って、今、法華経を説いて、あなたがたを仏道に入らせるのである」(法華経三一八ページ、趣意)と。以上が釈尊と声聞たちの「宿世の因縁」です。
 方便品や譬喩品(第3章)の説法を領解できなかった富楼那、阿難などの声聞は、この化城喩品の因縁を聞くことによって初めて得道し、次の五百弟子受記品(第八章)、授学無学人記品(第九章)で成仏の授記を受けることができました。
 池田 釈尊と声聞たちとの深い深い「結び付き」が明かされてきたわけだね。その根源は三千塵点劫の昔、大通覆講の時に、釈尊から法華経を聞いたことにある。
 斉藤 それが「下種」ですね。
 池田 そう。その時、声聞たちは法華経を聞いて、仏つまり大通智勝仏と同じ無上の悟りを得たい、という「願い」を生命の奥深くに持った。「求める心」が起こったのです。
 五百弟子受記品(第八章)では、声聞たちが「世尊は長い間、常に私たちを憐れんで教化してくださり、″無上の願い″を種えてくださった」(法華経三四一ページ、趣意)と、言っている。
 斉藤 下種されたとき、生命に「無上の願い」が植えられたのですね。
 池田 「無上の願い」とは、仏の無上の悟りを自分も得たい、という願いでしょう。それを得られるというのが、法華経の教えでもある。
 仏の無上の悟りとは衆生を救う慈悲と智慧の顕現ですから、それは「仏のように一切衆生を救いたい」という願いでもあるのではないだろうか。
 斉藤 同品では、富楼那の言葉として「ただ仏世尊だけが弟子たちの″深心の本願″をご存じである」(法華経三二五ページ、趣意)ともあります。「深心の本願」とは心の奥底にもっている本来の願いということでしょう。
 「無上の悟りを得たい」「一切衆生を救いたい」という願いを、だれもが本来、持っているということだと思います。
 池田 それが「仏性」ではないだろうか。法華経では「仏性」という言葉は出てこない。しかし「生命根源の願い」という形で仏性を表現しているのかもしれない。
 須田 そうすると、「過去の因縁を知る」ということは、「生命の根底にある願いを知る」ことに通じ、「自己の根底の仏性を知る」ことに通じるわけですね。
6  師弟こそ究極の「人間の絆」
 池田 その根源的な願いを、私たちの実感できる言葉で言い換えれば、「自他共の幸福を願う心」とでも言えようか。言ってしまえば何だ、と思うかもしれない。誰でも知っている心ですから。しかし、この心に生ききることは至難だ。煩悩、無明、欲望、エゴイズム、分断の心などが妨げるからです。
 だから、この心を生ききるには、「師」が必要なのです。そのことを、長遠の時間にわたる師弟の因縁を通して、化城喩品で教えているのではないだろうか。
 要は、ここでいう因縁とは「人間と人間の永遠の絆」のことです。決して、人間を離れたものではない。人間を外から縛るものでもない。
 反対に、弟子の自分が、自分の生命の根本にある「成仏の因」を自覚する。すなわち久遠の「本願」を思い出す。そして、その因を仏果へと育ててくれる師匠という「縁」のありがたさを自覚するこの「最高の絆」への感謝と感動が、化城喩品の心なのです。
 斉藤 天台は、仏の「一大事因縁」について「衆生に此の機有って仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす」(『法華文句』)と言っています。
 やはり弟子(衆生)を因、仏を縁に配しています。
 池田 そう。因と縁では当然、因が中心です。縁はそれを助けるものです。師弟の道も、弟子の自覚が中心です。弟子がどれだけ強き求道心に立つか、どれだけ強き使命感に立つか、その一念の強さに師匠が応じるのです。
 それを前提にして、仏はいかなる弟子も見捨てることなく、三世にわたって営々と化導している。教育している。慈愛を注いでいる。この大慈悲を法華経は強調していると思う。
 弟子は師匠を信じ、求める。師匠は弟子を守り、鍛える。誓いを忘れた弟子たちをも最終的には見捨てない。この最高に麗しい「人間の絆」こそ、仏法の師弟です。
 斉藤 仏法の師弟は、決して上から下へという一方通行の関係でもなければ、道理に合わない封建的なものでもないということですね。
 遠藤 若干、飛躍するかもしれませんが、国際宗教社会学会のドブラーレ元会長は、「創価学会のもつ最も重要な要素」として、こう述べておられます。
 「リーダーシップは、どのような組織にとっても重要ですが、創価学会の場合には代々の会長のあいだに象徴される師弟の関係性というかたちで浸透しているように思います。
 組織的な団結とだけ聞くと、われわれヨーロッパ人には理解しにくい面もありますが、しかし創価学会の団結は師弟という人間の絆によって築かれたものであって、その指導性のなかに団結の大きな力を感じました」(「聖教新聞」一九八五年一月十六日付)と。
 学会の核にあるものを「人間の絆」ととらえておられます。
 池田 鋭い洞察です。
 戸田先生は「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」(『戸田城聖全集』3)と叫ばれた。そのための学会の組織です。その骨髄が師弟です。
 その意味で、仏法の師弟は「広宣流布へ」「仏国土へ」という「同じ目的」に向かって進む同志であり、先輩・後輩の関係の延長線上にある。両者が相対し、向かい合った形だけではなく、根底では同じ方向を向いた関係にあるのです。
7  遠藤 絶対に切れない絆ということで、戸田先生が、牧口先生をしのばれた言葉を思い出します。
 「私のこのたびの法華経の難(=二年間の投獄)は、法華経の中の次の言葉で説明します。(=すなわち)『在在諸仏土 常与師倶生』と申しまして、師匠と弟子とは、代々必ず、法華経の功力によりまして、同じ時に同じに生まれ、ともに法華経の研究をするという、何十億万年前からの規定を実行しただけでございます。
 私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです」(一九四五年〈昭和二十年〉九月の出獄間もない手紙)
 須田 戸田先生は、牧口先生の三回忌には、こう追悼されています。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」(『戸田城聖全集』3)と。
 ある宗教学者は、このー文にふれて、大変に感動しておられた。そして「宗教的出会いの原点が、ここにある」と言われていたそうです。
 斉藤 他の弟子が、迫害を招いたのは牧口会長のせいだとして、牧口先生を憎み、悪口を言っていたとき、戸田先生だけが「牢獄まで連れていってくださいました」と感謝されているのですね。
 池田 この峻厳な師弟の絆──それを自覚すれば、限りない力がわく。無限の希望がわき、無限の慈愛がわき、無限の智慧がわくのです。
 日蓮大聖人は、竜の口の法難の際、殉死の覚悟でお供した四条金吾に、仰せになった。
 「もしもあなたの罪が深くて地獄に入られたならば、どんなに釈迦仏が日蓮を仏にしようとなされても、従わないでしょう。あなたと同じく地獄に入ります。日蓮とあなたが、ともに地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も、きっと地獄にこそおられるにちがいありません」(御書一一七三ページ、趣意)
 化城喩品では、こういう崇高な絆を教えることによって、弟子たちがやっと自分たちの「本願」を思い出した。根本の「使命」を思い出した。そうなれば、成仏という軌道に入ったわけです。そこで「授記」をしたのです。
 これまで方便品で「法」を聞いても、譬喩品で「譬喩」を聞いても、いわば他人ごとであった。それが「自分自身のことなんだ」「私のことを説かれているんだ」とパッとわかったのです。これが大事なのです。
 戸田先生当時、どの学会員も皆、貧しかった。しかし先生は、「貧乏人と病人の集まり」とさげすまれた人々に対して、「あなた方こそ、法華経に説かれた地涌の菩薩なのですよ」と繰り返し、繰り返し、忍耐強く教えてくださった。
 また学会員は「如来の使」であり「大聖人の分身」であるとまでたたえられて、「凡夫の姿こそしておれ、われら学会員の身分こそ、最尊、最高ではありませんか」(『戸田城聖全集』1)と呼びかけてくださった。
 この先生の言葉通り、久遠の使命を「確信」した人は、誇りも高く、先生とともに「広宣流布の大道」を突き進んだ。
 それはすなわち「成仏の大道」です。自身の久遠の「本願」を思い出し、自覚する道だったのです。
 化城喩品は迹門であり、法義の深さは違うが、自分自身が壮大なる「三世の師弟のドラマ」の主人公なのだと教えた点で、通じるところがあるのではないだろうか。
8  化城宝処の譬え
 斉藤 化城喩品では仏と在世の弟子たちとの因縁を説いた後、さらに「化城宝処の譬え」が説かれます。(法華経三〇九ページ)
 須田 譬喩の題材になっているのは砂漠を旅する隊商の一行です。
 宝のある場所(宝処)を目指して五百由旬もの険しい遠路を、一人の導師に導かれた隊商が行きます。しかし、途中で人々は疲労の極に達し、もうこれ以上進むことはできない、と導師に言います。ここで引き返しては、これまでの苦労がむだになってしまいます。
 すばらしい宝を捨てて、なぜ帰ろうなどというのか、と人々を憐れんだ導師は、三百由旬を過ぎたところに神通力によって一つの城(都市)を作り、あの城に入れば安穏になれると励まします。この言葉を聞いて歓喜した人々は進んでその城に入り、疲れ切っていた体を休めました。
 人々が休息を十分にとったことを確認した導師は、その城をたちまちに消し去り、あの城は、あなたがたを休息させるために私が作った幻の城に過ぎない、真の目標である宝処は近い、と説くのです。
 導師が見せた幻の城(化城)とは、仏が衆生を導くために説いてきた三乗の方便の教えを譬え、宝処とは衆生が最終的に目指すべき一仏果を譬えています。
 とくに二乗の悟り(化城)は方便で、仏の無上の悟り(宝処)のみが目指すべき真実の悟りであることを明かしています。
 遠藤 誰もがイメージできる、分かりやすい譬えですね。人々は三乗の教えに安住しがちでしたが、仏は低い境涯でよしとする心を打ち破って、一仏果という真実の目的を示しました。そのことが幻の城をかりに作って、さらにそれを消滅させるというところに表れています。
 池田 その通りだが、しかし、それはまだ一往の義です。法華経の文だけを読めば、「化城を去ってその後に宝処に至る」と取るのが自然だが、日蓮大聖人はそのような解釈からさらに進んで、化城と宝処は別々ではなく「化城即宝処」であると仰せです。
 須田 御義口伝の次の御文ですね。
 「十界皆化城・十界各各宝処なり化城は九界なり宝処は仏界なり、化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり此の五百由旬とは見思けんじ塵沙無明じんじゃむみょうなり、此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを化城即宝処と云うなり、化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり念念の化城念念の宝処なり
 斉藤 化城を方便、宝処を真実として別々にとらえた場合、方便は手段、真実は目的ですから、手段によって目的に到達するという発想になります。それに対して「化城即宝処」ととらえる場合は、手段の中に目的が含まれているということになります。
 遠藤 目的と手段を別々なものととらえた場合には、あくまでも価値があるのは目的であって、手段は二義的なものとなります。目的が達せられるならば、途中の過程はどうでもいいということになりがちです。
 池田 仏界を目的とするならば、九界はそれまでの過程となる。しかし「九界を脱却して仏に至る」という発想では、九界と仏界は相容れないものとなり、九界即仏界にならない。それは、御義口伝に示されているように、三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)を断じて、悟りに至る、という爾前権教の考え方です。
 法華経の本意は九界即仏界、方便即真実ですから、化城と宝処は別々のものではない。化城即宝処なのです。
 その立場に立てば、じつは過程がそのまま目的である。つまり、仏道修行の果てに成仏があるというのではない。仏法を行じ、弘める振る舞いそのものが、すでに仏の姿なのです。
 須田 日寛上人が「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(『三重秘伝抄』)といわれているのと同じ意義ですね。
 池田 そうだね。人間ではない、「超人」的な仏がどこかに存在するというのではない。大聖人が「仏とは九界の衆生の事なり」と仰せのように、妙法を持ち、弘める凡夫がじつは仏であるということが大聖人の仏法の真髄なのです。
 仏の境涯とは、一つ一つの振る舞い、一瞬一瞬に仏の智慧と慈悲が現れているということです。まさに「念念の化城念念の宝処」なのです。
9  斉藤 そしてまた「即の一字は南無妙法蓮華経なり」と仰せられていることが重要ですね。九界の現実の上に仏の境涯を現していく、その原動力が南無妙法蓮華経であるとの仰せですね。
 遠藤 化城即宝処の法理に関連して、先生がかつて「広宣流布とは流れそれ自体である」と言われたことを思い出します。私たちは、広宣流布とは大多数の人が正法に帰依したという一つの到達点をイメージしていたのですが、先生はそのような発想を超えて、仏法弘通の実践そのものが広宣流布であると教えてくださいました。
 また先生は戸田先生との出会いを通して入会されるさい、「いつかは目標に通じる歩みを一歩々々と運んでいくのでは足りない。その一歩々々が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)というゲーテの言葉を引いてその時の心境を述べられたそうですが、化城即宝処の法理は、このゲーテの言葉を思い起こさせます。
 池田 広宣流布を理想が成就した時点ととらえることも無意味ではないが、やはり、仏法弘通の息吹そのものが大切であるということを示しておきたかった。
 ″途中″はすべて″手段″だと考える人間が出てきてはいけない。そういう人は、目的のために人間を手段にし、多くの犠牲を生んだ、従来の革命運動の過ちを犯してしまう危険がある。
 仏法は、あくまでも「人間のための宗教」です。どのような場合であれ、人間を手段とし、犠牲にするようなことがあってはならない。これが仏法者としての私の信念です。
 前進するためには、目標という「化城」を設定しなければならない。しかし、その「化城」に向かっての前進、行動は、深く見れば、それ自体、仏の所作なのです。その舞台が、すでに「宝処」なのです。
 斉藤 成仏といっても双六の「上がり」のようなものではないですね。最終的な到達点があるというように説くのは、やはり一つの「方便」であって、実際の生命は生きている限り動いているのですから、動かない到達点があるというものではない。広布のために戦い続けていくことそれ自体が仏であるというべきですね。
 池田 だから、すべての活動を楽しんでいくことです。苦しみきった仏の所作などない(笑い)。
 「さあ喜んで、広宣流布の苦労をしていこう」「さあ、またこれで福運がつく」「また境涯を広げられる」と喜べる自分になれば、それ自体、仏界が輝いている証拠でしょう。
 遠藤 反対に、「ああまた次の目標か」(笑い)と、グチをこぼしているのでは、「化城即宝処」になりませんね。
 池田 グチをこぼすのも楽しい境涯になればいい(爆笑)。生きている限り、何か問題があるのは当然です。それをいちいち一喜一憂していたのではつまらない。
 目標に向かって、懸命に挑戦する、ひたぶるに戦う。歯をくいしばって道を開いていく──振り返ってみれば、その時は苦しいようでも、じつは一番充実した、人生の黄金の時なのです。三世のドラマの名場面なのです。
 大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり我等が居住の山谷曠野せんごくこうやみな皆常寂光かいじょうじゃっこうの宝処なり」と仰せられています。これはまさに、妙法を持ち、行ずる私たちの境涯を教えられています。
 いずこにあっても、いかなる境遇にあろうとも、私たちの根底は「歓喜の中の大歓喜」なのです。

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