Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

授記品(第六章) 授記──万人を「絶対…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
10  座談会は楽しき「授記の広場」
 須田 そうしますと、座談会のもつ意義は、ますます大きいですね。座談会こそ「人間革命の広場」「生命の触発作業の最前線(フロンティア)」ですから。
 池田 そこです、強調したいのは。
 牧口先生は「大善生活実験証明座談会」と名づけました。「大善生活実験証明」とは、妙法を根幹にした「信心即生活」の素晴らしさ、社会と人々に尽くす「人間革命」の生き方を、だれにも納得できるよう、事実の姿で示そうということです。学会の座談会は、その発祥の時点から、広々と民衆に開かれている。
 遠藤 学会が何をしているか、なぜ発展したかを知りたければ、続けて座談会に出て研究すればいいんですね。「実験はうまくいってますか──」と。(笑い)
 池田 学会の座談会は、社会に「智慧」と「活力」を送る草の根の広場です。
 功徳の体験を聞いて決意する。「よくぞ戦い、よくぞ打ち勝ったな。そうだ、私も宿命転換できるのだ。私も頑張ろう!」。
 奮闘する友をたたえる。「この人のように、この人を模範に、私たちも成長しようではないか」と。
 それが一生成仏への励みになり、広布への使命感を呼び起こす。これこそ、授記と同じ効果でしょう。その意味で、座談会は、仏子に励まされ、仏子を励ましゆく「授記の広場」とさえ言えるのではないだろうか。
 須田 さきほどの、広布功労の同志への顕彰も、同じ意義ですね。
 池田 そう。″たたえる″心が″たたえられる″自分をつくるのです。もう一つ言っておこう。
 牧口先生が逮捕(一九四三年七月六日)されたのは、座談会に出席するために訪れた伊豆の下田であった。そのころ、座談会は特高刑事が監視するなかで開かれ、神札問題等で何度も圧迫を受けながら、先生は一歩も退かれなかった。座談会は、権力に対する精神闘争の熾烈な″戦場″でもあったのです。
 また大聖人の宗教改革の闘争も、今の「座談会」とも言うべき対話の集いから始まったと見ることができる。
 斉藤 大聖人ご流罪中、門下の人々は、大聖人からのお手紙を寄り合って読み、大難を乗り越えていきました。その励まし合いの集いも、座談会だと思います。
 池田 このように座談会の「伝統」には、大聖人以来、牧口先生、戸田先生以来の「偉大なる闘争の精神」が込められている。その精神を満々とみなぎらせて、一回一回の座談会を、楽しく、明るく開きゆく意義は、どれほど大きいか。
 道なき現代に、人類の幸福への「確固たる軌道」を切り開いていく。この生き抜く「強さ」「明るさ」を、大座談会運動から脈動させたいのです。
 「あなたの心」へ! 「あの友の心」へ!──と。

1
10