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日蓮大聖人・池田大作

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信解品(第四章) 信解──「信仰」と「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 この座談会のサブテーマは「二十一世紀の宗教を語る」ですが、これに関連して、忘れられない池田先生の語らいがあります。それは二年前(一九九三年)の三月、ハーバード大学のサリバン博士と会談された時のことです。
 須田 私もよく覚えています。聖教新聞に大きく「二十一世紀の『人間と宗教』を語る」と掲げられていました。
 遠藤 サリバン博士は、ハーバード大学の「世界宗教研究センター」の所長でしたね。
 池田 そう。その時、語り合ったことが、この「法華経の智慧」の一つの底流にもなっている。
 斉藤 語らい全体が素晴らしかったのですが、なかでもとくに印象深かったのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを論じられたところです。
 宗教と宗教は「民衆に応える」という点で「自由競争」をすべきだと、先生は強調されました。そして、その平和的論争の基準として、仏法は三証(文証・理証・現証)を説くこと、宗教にも寿命があり、死せる宗教に固執すべきではないこと、などを論じられています。
 先生の結論は意外でした。
 「ともあれ何が真理かを決める主体は『民衆』です」と。
 いえ、意外どころか、じつはそこに感動したのです。″そうだったのか。仏法者の民衆観、宗教観とは、こういうものなのか″と。
 遠藤 もし私なら、「日蓮大聖人の仏法しかありませんよ」と言いっ放しで終わったかもしれません(笑い)。
 斉藤 たしかに、私たちは、ともすれば、そういう飛躍をしがちですね。
 私が感動したのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを決めるのは「民衆自身」であるということです。これは同時に、民衆が考え、民衆か賢くなり、民衆自身が選んだのでなければ、真の民衆宗教とは言えないということでもあります。
 須田 本当にそうですね。もしかりに、ある優秀な為政者がいて、「正しい宗教はこれだ」と考えたとします。それを国民のために国教にし、「正しいのだから、皆、これを信仰しなさい」と命じたとします。極端な例えかもしれませんが、これでは、宗教は民衆に根づかないでしょう。
 正しいからといって、何かの力によって一方的に与えられたり、保護されたりしたのでは、「宗教の死」です。民衆の「精神の自由の死」につながってしまう。
 池田 そう。仏教にはもともと、権力を使って信仰を押し付けようという発想はない。アショーカ大王も自身は熱心な仏教徒であったが、全宗教への寛容に徹しています。
 日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた時、寺を寄進しょうという幕府の申し出を断ったと伝えられている。幕府に保護してもらおうなどという発想は、微塵ももっておられなかったのでしょう。
2  遠藤 「権力が主体」ではなく、「民衆が主体」ということですね。今の時代では、なおさらそうあるべきだと思います。
 斉藤 その理想に照らして見ると、今の日本は、どうでしょうか。
 国民は、賢明になろうとしているでしょうか。自分で考えようとしているでしょうか。宗教に無知な状態のまま停滞し、その無知につけこまれて不安感を煽られ、そのあげくに権力者による宗教の管理・統制の動きにも盲目的になっている。
 「法律をもっと厳しくして、悪い宗教を取り締まってください」と言わんばかりの声さえあることは、権力悪への警戒心の薄さと民主主義の未成熱を感じます。
 須田 ジャーナリストのウォルフレン氏は、日本の権力構造の本音は「民は愚かに保て」ということだと告発しました。国民が理性的にならなければ、民衆を愚かなまま支配したい権力者の″思うツボ″ではないでしょうか。
 池田 学会は民衆の集まりです。民衆が愚弄されないために戦っている。すべての民衆が「強く」「賢明」になるために、平和と文化のネットワークを広げ、教育に力を注いでいます。
 民衆が本来持っている強さ、賢さ、明るさ、温かさ。そうした可能性を引き出す原動力になるのが信仰なのです。
 愚かになるために信仰するのではない。賢明になるためにこそ信仰はある。賢さとは、人を不幸にするような知識ではなく、自他ともに向上するための智慧です。
 今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、全人格的な「信仰」と「盲信」との見わけがつかないところから起こっていると言える。
 「妙と申す事は開と云う事なり」と大聖人は仰せです。どこまでも可能性を開き、向上しょうとする特性が、生命にはある。その特性を、最大に発揮させていくのが妙法であり、真の宗教です。そして生命を開き、智慧を開くカギが「信」の一字にある。大聖人は「開とは信心の異名なり」と仰せです。
 限りなき生命の「向上」──その心を、鳩摩羅什は「信解」と訳しました。法華経の第四章「信解品」のタイトルです。
 「信解」とは、やさしく言えば「心から納得する」ということです。だれもが納得できることが大切です。法華経はそういう信仰を説いている。断じて盲信ではないのです。
 この信解品を通して、「信仰とは何か」「信ずるとはどういうことか」を語り合いたいと思う。
3  四大声聞が目覚めを語る「長者窮子の譬え」
 斉藤 信解品は、二乗作仏が説かれた歓喜から開幕します。
 譬喩品(第三章)で、釈尊は、舎利弗が将来、「大宝厳」という時代に「離垢」という世界で「華光如来」という仏になるだろうと保証を与えました。
 これまで諸大乗経では、成仏できないと厳しく糾弾されていた二乗が、将来、必ず成仏できると初めて説かれたのです。
 遠藤 それを受けて、須菩提ら声聞を代表する四人がその喜びを語ります。
 「解空第一」と言われた須菩提、「論議第一」の迦旃延、「頭陀(貪欲を払いのける修行)第一の迦葉、「神通第一」の目犍連は、「世尊が舎利弗に対して、将来、阿耨多羅三藐三菩提(仏の無上の悟り)を得るだろうと記別(成仏の保証)を授けられたことを聞いて、味わったことのないような感動を発し、心も歓喜し、身も踊躍した」(法華経二〇八ページ、趣意)と。
 この「未曾有のことに出会えた喜び」を語ったのが、信解品です。
 須田 彼らは、「僧の首」即ち釈尊の教団のリーダー、最高幹部でした。
 しかし「年並びに朽邁せり」(同ページ)、もはや年老いて枯れてしまった、と。また「みずから己に涅槃を得て、堪任する所無しと謂いて」(同ページ)、すでに自分たちは悟りを得ていて、もはや頑張ることはないと思っていた。そして「阿耨多羅三藐三菩提を進求せず」(法華経二〇九ページ)、仏の得た無上の悟りを求めていなかった。
 池田 立場がある。年功がある。経験がある。四大声聞は、そこに安住してしまっていた。
 自分は長い間、修行をして、年老いた。それなりに悟りを得た。もうこれで十分だ。師匠の釈尊の悟りはたしかにすばらしい。けれども、自分たちには、とうていおよびもつかない。だから、このままでいいんだ──と。
 このような、大幹部の無気力を打ち破ったのが、舎利弗への授記だったのです。一生涯、熱い求道心を燃やし続ける。それが、法華経の示す人生です。
 斉藤 小説『新・人間革命』(第三巻)でも紹介されていましたが、舎利弗は釈尊より年長という説があります。法華経が説かれたとされる釈尊入滅直前には、八十歳ほどの老齢だったといいます。
 また、梵本(サンスクリットの写本)をみると、四大声聞も「世尊のそばに永く座っていたので、体中が痛み、関節がうずきました」「年老いて耄碌しておりました」(『法華経』坂本幸男・岩本裕訳注、岩波文庫)と訴えています。
 須田 師である釈尊は、そのような人々に対しても「まだまだこれからだ、頑張れ!」と激励しているのです。すごいことです。
 池田 「永遠向上」の心を教えているのです。「不退」の決意を促しているのです。「進まざる」は「退転」です。仏法は、つねに向上です。前へ、前へと進むのです。「永遠成長」です。それでこそ「永遠青春」です。生命は三世永遠なのです。
 遠藤 また、二乗たちは、菩薩たちが仏法に基づいて、社会を変革し、人々を導いている努力に対しても、冷めた眼差しで見ていたと語っています。
 池田 二乗は、いわば″心が死んでいた″のです。みずからが仏になろうと欲しない。また、仏になろうと目指して努力している人に対しても、お高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。だから、諸大乗経典では「焼種」、仏となる種子を焼いてしまった者だと言われていたのです。
 しかし、仏はその二乗を根底では見捨てていなかった。″このままでは駄目だ。お前たちは、本当はそんなものではないぞ。もっとすばらしい境涯を手に入れられるのだぞ″と厳しく叱って、励ましたのです。
4  斉藤 また、梵本にはこのような記述もあります。
 「二乗たちは、自分は仏の無上の悟りを求めていないにもかかわらず、他の菩薩たちに対して『仏の無上の悟りを完成させるように励め』と教え誠めていた」(同前)と。
 池田 自身がやってもいないのに、他人にだけ、やれ、やれ、という──とんでもない。慢心です。自分がやらずして、人にやらせようというのは、組織悪の症状でもある。上のほうにそういう卑怯さがあれば、どんな組織、教団も動脈硬化になってしまう。
 何より、自分自身が成長しない。生命の停滞、生命の病気です。
 法華経に至って、二乗たちは釈尊の叱咤・激励を全身全霊で受け止めた。そこで初めて、人々に正法の声を聞かせる「真の声聞」として蘇生したのです。若返ったのです。みずみずしい向上の人生を再び歩み始めたのです。
 自分たちも仏になれるのだ! 感極まった言葉が「無上宝聚不求自得」──無上の宝聚求めざるにみずから得たり──です。(法華経二二四ページ)
 無上の宝聚(宝の集まり)とは、法華経の教えとも言えるし、仏界とも言える。また、仏界を具えた自分自身の生命とも言えるでしょう。だれもが、この「生命」という無上の宝を平等にもっている。一番大切なものを「求めずして、おのずから得て」いるのです。それを自覚できるか、否か。それを最も深く自覚させるのが法華経なのです。
 ″無上の宝″は、決して物質的な″蔵の財″ではない。
 阪神大震災(一九九五年一月一七日)で被災したある人が、「一番大切なのは、全部、お金では買えないことがわかった。それは命と空気と人間の思いやりだ」と言っていましたが、味わうべき言葉だと思う。
 遠藤 発奮した二乗たちは、感動のままに、みずから理解した法門を譬喩に託して語ります。それが有名な「長者窮子の譬え」です。
 ここであらすじを追ってみたいと思います。(法華経二一〇ページ)
 ──まだ幼いころ、父を捨てて出て行った人がいた。その人は二十年、三十年、五十年と長きにわたって、他国を放浪して、すでに年を取り、困窮していた──。
 斉藤 「長者窮子の譬え」では、父(長者)は釈尊を譬えたものです。息子(窮子)は、二乗の弟子たちのことです。
 古来、この譬え自体が、釈尊の一代の教化をまとめて語ったものとして、とらえられてきました。ここで言う「五十年」とは、三十歳の成道から八十歳の入滅直前に法華経が説かれるまでの五十年間を示唆しています。
5  遠藤 あらすじを続けます。
 ──父親は、子どもが出て行った後、子どもを探し回ったが、ついに見つけることができなかった。父はやがて、ある都市に住み着き、非常に裕福になっていた。財宝が蔵にあふれ、使用人は、無数であり、家畜も数えきれない。
 しかし、父は.悩んでいた。「私はもはや年老いた。まもなく死ぬだろう。しかし、私にはこれほどの財産があるのに、譲るべき子どもが見つからない。我が子を見つけて譲りたい」と──。
 斉藤 これは、釈尊が悟りを得て、その悟った法のすべてを譲る人を探していたということです。
 遠藤 ある日、息子が父の邸宅の前にやってきた。しかし、息子は、邸宅の壮麗さと垣間見た父の立派な姿に仰天した。
 ″ここはすごい人のうちだ。こんなところにいると、つかまってしまう。早く逃げなければ″と。
 その時、我が子の姿が、父の目に入った。五十年も離ればなれでいたが、父にはかわいい我が子だとわかった。
 喜んで家来に命じて迎えにいかせたが、息子は「捕らえに来た」と肝をつぶして逃げ出した。そして、ついにつかまって、意識を失ってしまった。
 父は、我が子の心根が低くなっているので、親子の名乗りをしても無理だとわかった。そこで、やむなく一旦解放した──。
 斉藤 釈尊が悟った後、まず悟った法のすべてをそのまま説こうとしたが、人々には受け入れる機根が整っていなかったということを示しています。
 遠藤 その後、父は思索をめぐらした。まず、貧相な身なりの二人の使いをやり、「給料も二倍だよ」と誘って、我が子を雇い、便所掃除の仕事をさせた。子どもは一生懸命に働いた。次に、父自身が貧相な身なりをして、子どもに近づいて、話しかけた。そして、親しくなった。そこで父は我が子に言った。
 「お前は真面目だから、何でも言ってごらん。私のことを父と思っていいんだよ。私はお前を″息子″と呼ぶから」と言った。
 やがて父子の心は互いに理解し信頼し合って、息子は自由に父の屋敷に出入りするようになったが、相変わらず屋敷の外の小屋で生活していた──。
 斉藤 釈尊は、衆生の低劣な機根に合わせて、低い教えを説き、次第に高い教えに導いていったということです。屋敷の外にいたというのは、まだ成仏を人ごとだと思う心根だったという意味です。
 池田 ここで注目すべきなのは、長者が息子に「本当の親子と思っていいんだよ」と言っていることです。
 譬喩品でも、仏と衆生が父子の関係で語られていた。仏は衆生がどのような境涯であっても、つねに我が子として救おうとしているのです。この深い絆が仏法の眼目です。
 「親の心子知らず」というが、子どもがどのように反発しようとも、我が子はかわいい。子どもの幸せを祈らない親はない。
 仏は一切衆生の幸せを祈る。一切衆生の幸福を開くために闘う。一切衆生の親なのです。その仏の心を「信じれば」、自分自身の「智慧」が開けてくるのです。それが法華経における「信解」です。
 声聞たちは、仏という″父″が、自分たち″放浪の子″を救うために、長年の問、粒々辛苦してくれた大慈悲を知った。感激して、仏の心を信じ、領解した。その感動が「信解」の二字に込められている。
6  遠藤 やがて、父は病気になりました。死が近いことを悟った。そこで父は″息子″に言った。
 「私には多くの財宝があり、蔵に満ちている。その量と、人々にどれだけ与えるべきかを、お前はすべてわかっている。お前は、私の意を体してこの財産を管理していきなさい。なぜなら、私とお前は全く違いがないのだから。心して財産を失わないように」と。
 ″息子″は財産の管理をすべて任されるようになった。そして、その財産を大切に管理した。しかも、その財産の一分も自分のものとすることはなかった──。
 斉藤 「命じて家業を知らしめる」という段です。「知らしめる」とは、管理させるということです。
 しかし、どんなに自由に管理しても、「自分のもの」ではありません。まだ仏の智慧という財産は、自分のものにはなっていません。
 須田 日蓮大聖人が一生成仏抄で、「若し心外に道を求めて万行万善を修せんはたとえば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」と言われていることを思い出します。
 遠藤 しばらくして、父は″息子″の心根がようやく立派になり、かつての卑屈な心根を恥じ、大きな志に立ったことを見てとった。
 そこで、父は臨終に際して、親族や国王・大臣らを集めて、告げた。
 「諸君、この人物はじつは我が子なのである。私の実の息子である。家出をして五十年間、放浪していたのだ。本当の名はこれこれだ。私の名はこうだ。一生懸命に探していたが、ここでたまたま出会うことができた。今、私は、自分のすべての財産をこの子に譲る」と。
 息子はこの真実を知って、この上ない歓喜に包まれた。「このすばらしい財産を、求めずして、おのずから手に入れることができた」と──。
 斉藤 ついに息子の志が高く大きくなったからこそ、そこで名乗りがなされ、全財産が譲られた。
 衆生の機根が高まったからこそ、真実の教えである法華経が説かれた。そして、成仏という無上の宝緊が与えられたのです。
7  法華経は「仏法の醍醐味」
 須田 この「長者窮子の譬え」が、釈尊の五十年間の教説の次第を示していると見たのが、天台大師です。天台大師は、牛乳を精製して醍醐を作る過程に譬えて、「五味」という教判を示しています。
 これは「五時」の教判として有名です。
 一覧にしてみますと、次の通りです。
 ┌──────────┬────┬────┬────┐
 │長者窮子の譬え   │ 意味 │ 教説 │ 五味 │
 ├──────────┼────┼────┼────┤
 │子を見つけて追わせる│ 擬宜 │ 華厳 │ 乳味 │
 │屋敷で働くよう誘う │ 誘引 │ 阿含 │ 酪味 │
 │父子の信頼が強まる │ 弾呵 │ 方等 │ 生蘇味│
 │家業を管理させる  │ 淘汰 │ 般若 │ 熟蘇味│
 │家業を正式に相続  │ 開会 │ 法華 │ 醍醐味│
 └──────────┴────┴────┴────┘
 遠藤 法華経は「仏法の醍醐味」ですね。法華経を知らなければ、仏法の本当に″おいしい″ところを知らないことになります(笑い)。
 釈尊がはじめみずからの悟りの世界を、あらあら示しました(華厳)。しかし、二乗には全くわからなかった。
 そこで、釈尊は、人々の低い志に合わせて、低い目標を設定した小乗の教えである阿含経を説いた。
 次に、志が高い人々のために、大乗の諸経典を説いた。けれども二乗たちは、小乗の教えに執着して、大乗の教えを見向きもしなかった。
 斉藤 二乗たちは、そのことを回想して、″一日の給料をもらえただけで、たくさんもらえたと満足していて、さらにもらおうとは思わなかったようなものである″と言っています。
 池田 少欲知足は大切だが(笑い)、正法に対しては貪欲であらねばならない。欲を消し去るのではない。何を欲するかが大事なのです。「煩悩即菩提」です。無上の悟り、菩提を求める欲は、即ち菩提となる。
 ″自分は、この程度でいいのだ″というのは、謙虚に似て、じつは、生命の可能性を低く見る大慢なのです。
 遠藤 二乗たちは、小乗の小法に執着して大乗に向かいませんでした。そこで、釈尊は、二乗を厳しく弾呵したのです。
 信解品で、四大声聞は「昔、釈尊は、菩薩の前で、声聞で小法に執着して求める者を非難されたことがあった。それは、実には、大乗をもって教えようとされたのでした」(法華経二二三ページ、趣意)と振り返っています。「大乗」とは、唯一の真の大乗である法華経のことです。これが仏の真の「財産」です。
8  「信解」の意義
 須田 さて、このように信解品は、声聞たちが「仏の教えを信じ、領解して(納得して)、心から喜んだ」姿を措いています。
 ゆえに「信解品」というわけですが、この「信解」は、梵語(サンスクリット)では「アディムクティ」です。この言葉は本来、「傾倒」とか「意向」を意味します。「〜に対して心が向いていること」です。心が指し示すことですから、「こころざし」と言ってよいと思われます。
 また「ムクティ」は、「解脱」を意味する「モークシヤ」と語源的に関連するといわれています。
 その意味で、「正法華経」(竺法護訳)で「信楽品」と訳された同品が、「妙法蓮華経」(羅什訳)では「信解品」と訳されたことは、原義をより深く解釈したものだと思います。
 池田 日蓮大聖人は御義口伝で、妙楽の『法華文句記』を引用し「正法華には信楽品と名く其の義通ずと雖も楽は解に及ばず今は領解を明かす何を以てか楽と云わんや」とされている。
 重要なことは、この「信解」という二文字の中に「信心と智慧」「信仰と解脱(悟り)」という仏法上の根本問題が凝縮されていることです。
 ひいては「信仰と理性」「信じることと知ること」という哲学と文明の根源的な課題にも連なってくる。きわめてデリケートな問題であるし、認知科学、心理学など諸分野の学問とも関連してくる。また仏教でも古来、精緻な考察が重ねられています。
 一回の語らいで論じつくせるものでないことは当然ですが、避けて通れないテーマであることも確かです。
 パスカルが、信仰なき人々に対して「宗教が理性に反するものではないことを示さなければならない」(『パンセ』前田陽一・由木康訳、『世界の名著』24所収、中央公論社)と言った言葉は今も生きている。多くの現代人にとって、「信じること」なかんずく「信仰」は、理性に反する行為か、少なくとも理性を眠らせる側面をもつと考えられている。
 たしかに、そういう狂信的宗教が存在することも事実ですが、だからといって、検証もせず「すべての宗教が同じだ」というのは飛躍であり、それこそ理性に反する。根拠無き盲信の類と断じてよいでしょう。
 高等宗教は本来、理性をないがしろにしていない。人間の理性を抑圧しながら、人類の普遍的な信頼を勝ち取ることは不可能です。なかんずく「智慧の宗教」といわれる仏教は、きわめて理性的な宗教です。人間を超越した人格神などを信じないゆえに、西洋的な宗教観からは「仏教は宗教と言えるのか」と疑問を呈する人さえいるほどです。
 須田 とくに原始仏教では、その傾向が強い気がします。大乗仏教になると「信」が強調されるわけですが……。
 池田 それはその通りだが、原始仏教の場合も、仏道修行の根底には、釈尊への「信」があり、釈尊の説いた法への「信」があった。その「信」を出発点にして、知的な探究も成立したし、分析的な知性のみならず、直観知など精神の深層までも動員しての「全人格的な思惟」が可能になったのです。
9  斉藤 宗教だけでなく、どんな修行でも、はじめから師匠を疑っていたのでは、修行になりません。
 牧口先生は、こう言われています。
 「生活は、すべて最初は模倣である。他人が行っていることを見よう見まねで、信じて生活をするのである。同様にお華でも、踊りでも、剣道でも、柔道でも、師匠のいうとおり信じて模倣するのであり、その上に立って模倣から創造に進むのである。それが生活法である」と。
 遠藤 生まれたばかりの赤ちやんが、親の言うことも、まったく信じないで(笑い)、ミルクも毒ではないかと疑い(爆笑)、水も飲むのを拒否する(笑い)それでは生きることすらできません。「生きる」ということは、何らかのものを「信じる」ところから出発するわけです。
 社会自体が、互いの信頼なくしては成り立ちません。
 池田 そう。こういう生活上の「信」は、宗教的な「信」そのものではありませんが、両者は決して断絶しているのではない。連続しています。
 オルテガ(スペインの哲学者)は「人は観念を持つ。だが信念の中で生きる」(「観念と信念」桑名一博訳、『オルテガ著作集第八巻』8所収、白水社)と言った。人が何かの「観念を持つ」すなわち「考える」場合にも、その考えている人が立っているのは、何らかの「信念」という大地の上なのであり、信念は「生の容器」である。
 「われわれがなにかについて考えはじめたときには、信念はすでにわれわれの深部で働いているのである」(同前)
 「信念はわれわれの生の基盤を、つまり、そのうえで人間の生が展開される大地を作りあげている(中略)われわれの行為は知的な行為を含めて、すべてわれわれの真正なる信念の体系がいかなるものであるかにかかっている。われわれはそのような信念のうちに『生き、行動し、存在している。』その結果、われわれは、そのような信念について明白な意識を持たず、信念のことを考えないのが普通である。ところがそのような信念は、われわれが明晰な意識を持って行なったり考えたりするあらゆる行為のうちに含まれていて、潜在的に作用している」(同前)
 彼は、「信念」は「知の下部構造をなす」(同前)とも言っています。
 こういう議論からも、現代の通念となっている「信じることと知ることの対立」は決して自明のことではないと言えるでしょう。
 「信」は人間の生の基本的条件であり、人間は「信ずるか」「信じないか」を選択することはできない。選択できるのは「何を信ずるか」ということだけなのです。そして、この「何を信じ、何を信ずべきでないか」を体系化したのが宗教であり、その意味で宗教は万人の人生・日常と不可欠に関わっているのです。
 須田 ただ多くの人は、自分がよって立つ大地である「信念」について、余り自覚していないということですね。
 斉藤 オルテガ流にいうと、自覚できないほど、どっぷりと「そのなかで生きている」わけです。そのままでは、自己の信念の正当性について「理性的な吟味」を始める余地がありません。
 その意味で、「信じる」ことから自分は縁遠いと思っている人ほど──そう信じきっている人ほど──自分自身の生の基盤について非理性的であると言うことも、できるのではないでしょうか。
 池田 大地という譬喩で言えば、ふだんは意識していない大地の存在を強く意識するのは地震の時です。それと同じように、自分を支えている信念は、それが崩れた時ほど、強く自覚される。
 個人で言えば、人生の深刻な壁にぶつかって、それまでの生さ方を見つめ直す時です。釈尊のもとに来た多くの人々も、そういう苦悩が、新たな「信」の世界を求めさせたと言えるでしょう。
 文明で言えば、すべてに行き詰まった結果、文明の根底にあった基本的価値観が問い直される時がある。現代がそういう時代であることは間違いないでしょう。とくに「信と解」に即して言えば、近代思想の特徴であった「信と知の分離・対立」という前提自体が問い直されている。そして新たな「信と知の統合・止揚」が求められているのではないだろうか。
10  遠藤 かつて池田先生が、この点について創価大学で「スコラ哲学と現代文明」と題して講演されたのを思い出します(一九七三年七月)。中世の″暗黒時代″の″御用哲学″のように見られてきたスコラ哲学に、まったく新しい光を当て、ポスト近代の課題である「信と知の統合」「全人格的な知」への大きな糧となり得ることを示唆されたので、目がさめる思いがしました。
 須田 たしかに、理性が他の何物にも依存せず自立的であるという見解は、過去のものになっているようです。
 たとえば科学史の分野でも「パラダイムの転換」などということが言われています。今までは、科学上の知識はどのような時代でも変わることのない普遍的・客観的な知識であるととらえられてきましたが、じつはそれも科学者自身がもっている「その時代に支配的な物の見方(パラダイム)」と不可分であるということが言われるようになってきました。
 遠藤 その見解はいまや、極めて多くの学者が受け入れるようになっています。つまり、理性の働きの根底にも、たとえば科学者自身が自明のものとして信じ、受け入れている物の考え方、価値観が働いており、理性の根底には信があるということが認められつつあります。
 斉藤 この点については、現代の哲学者もさまざまな角度から述べています。たとえば、現代哲学に大きな影響を与えたオーストリア生まれの哲学者ヴィトゲンシユタインは、人間が知ることの根底には、その人が信じている何らかの「世界像」がある、と主張しています。
 つまり、人間の根底には証明不可能の「信」があり、一切の「知」の働きも信から離れて存在するものではないということだと思います。たとえば、一切のものを疑ってなにものも信じないという「懐疑主義」を標榜している人がいたとしても、その人は「疑う」こと自体を信じていることになります。
 須田 ガーダマーというドイツの哲学者も、人間がどこまでも歴史に制約された存在であるということを強調しています。人間は自分が生まれ、成長した社会から離れて自分を作ることはできない。その社会が前提にしているものを信じて受け入れるところから人間は出発するといえます。
 池田 何らかの信念が、その人の生きる基盤となっている。だから、その人の信念それ自体は最大に尊重されなければならないことはいうまでもない。しかし、その信念も「理性」と「事実」による検証(テスト)をうけなければ、自分の主観の中で終わってしまい、他に対する普遍性をもちません。
 法華経で説かれる信が、解と一体になった信、すなわち「信解」であるということは、その信が単なる主観にとどまっていないことを意味しているといえるでしょう。
 もちろん、仏の悟った根源の法は「言語道断・心行所滅」(『摩訶止観』)で、言葉や理性の働きで把握し尽くせるものではありません。しかし、言葉や理性が及ぶ範囲では、その働きを最大に尊重していくのが仏法の立場です。仏の悟りは理性が及ぶところではないとしても、少なくともその悟りは理性に敵対し、理性的批判を拒絶するものではないのです。
 信解の「解」とは、「智慧」のことです。理性そのものではないが、理性と合致し、理性がその一部であるような「智慧」です。極限まで理性的でありながら、同時に全人格的である「智慧」──それを「信」によって得るのが「信解」です。
11  遠藤 日蓮大聖人も、極限まで理性的であろうとする仏教の王道を行かれています。
 たとえば、あえて「疑い」を提起することによって、御自身の立場を確認されていったと思われることが多くあります。
 一例として、立宗宣言をされる前、大聖人は各地の寺院などを回られました。その際、「而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ」(報恩抄二九四ページ)と、宗派にわかれて争っている当時の仏教界に対して疑いを持たれたと述べられています。
 当時の権威に盲従することなく、経典を基準にみずから思索を深められ、御自身の信念を裏付ける確証を追究されたのです。
 斉藤 佐渡流罪の際もそうです。法華経の行者である日蓮大聖人がなぜ難に遭うのかという内外の疑難に対し、開目抄で「此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし」と仰せのように、その疑問を正面から受け止められ、疑問の検討を通して、御自身が末法の御本仏であられるという結論を示されています。
 ここでも疑問を拒否せず、それを通してより高いレベルの答えを出されている。大聖人が示された信は、知的な批判を恐れるようなものではなかったことがわかります。
 池田 開目抄には「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」との有名な御文がある。御自身が立てられた教義は、どのような批判にも破れることはないとのご確信の表明だが、大聖人がどれだけ知性を重んじられたかということが拝せられる。
 また諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」と、行と並んで学の努力を強調されている。
 知の探求・検証がなければ仏法は無い、とまで断じられている。このように理性の働きを最大に尊重していくのが大聖人の仏法なのです。
12  法華経の「信」──以信代慧
 須田 話題が法華経に戻りますが、法華経に説かれる「信」には、「信解(アディムクティ)」のほかに、サンスクリットで「シユラッダー」と言われる「信」があります。
 「シユラッダー」の「ダー」は「置く」という意味の語に由来するとされ、「シユラッダー」は「信を置く」「信を起こす」という意味になります。そこで、仏道修行の最初に位置づけられるのです。仏典よりも古い時代の『ヴエーダ』(バラモン教の聖典)などでは「好奇心をもつこと」「焦がれ求めること」という意味で用いられています。
 宗教的な感情の源泉として″驚き″があるとされますが、″驚き″がもつ、対象への畏怖や好奇心などの心情が「シエラッダー」の意味合いとしてあります。自身にとって思議の及ばないものへの″敬虔な心″です。この″敬虔な心″をもてずに欲望に駆られているのが「イッチャンティカ」すなわち「一闡提」です。
 斉藤 この「シエラッダー」の信を起こし、仏道修行していくと、その不可思議であったものを体得する智慧が磨かれ、悟りと功徳へと進むわけです。
 遠藤 ですから華厳経では、「シュラッダー」の信を「道の元」「功徳の母」と位置づけています。また法華経で説かれる「以信得入(信を以て入ることを得たり)」(法華経一九八ページ)の信も、この「シエラッダー」です。御書には「信を以て源とす」とあります。
 池田 仏法の「信」とは、理性を振り捨てて盲目的に帰依するというような「狂信」では決してない。敬虔な探求心を出発点として智慧を育んでいこうとする、理性的な精神の営みなのです。
 斉藤 また仏法では「信」を表す言葉に「プラサーダ」という語もあります。これは、水や声などに濁りがなく澄み渡り、輝き渡っているさまを表す言葉です。仏法を聞いて迷いがなくなり、心が浄らかで澄みわたった状態をいい、「浄信」と漢訳されます。
 この「浄信」の完成された状態は、どのようなできごとにも心が乱れずに平安を保ち、生きとし生けるものが平等であり尊厳であることを知る境地とされます。
 池田 そう。正しき「信」の効用は、心を洗い、清らかにすることです。心が清らかであってこそ智慧は輝く。
 「理性は情念の奴隷」(ヒューム『人生論』土岐邦夫訳、『世界の名著』27所収、中央公論社)であると考えた哲学者もいました。また、アウグスティメス(キリスト教の初期の哲学者)のように、「進行が理性に先立つことがある」(ハルナック編『省察と箴言』服部英次郎訳、岩波文庫)と主張した人もいました。
 それぞれの立論には違いがあるが、理性は決して自己満足という傲慢に陥ってはならないことを教えている点では共通しています。
 限りなく、現在の自己を超越していく──そこに真の理性の渇仰がある。自己の届き得ぬ高みにまで、向上し、超え続けようとする。そのエネルギーとなり、基盤となるのが、現在の自己を超えた何かへの「信」なのです。信が知を清め、強め、高めるのです。
 「浄信」は磨き抜かれた「信」であり、同時に鍛え抜かれた「知」なのです。
 須田 法華経の方便品(第二章)では、舎利弗が釈尊に対して″信じますので教えてください″と請う時に「シユラッデー」と「プラサーダ」の両面の「信」をもって信ずることを誓っています。漢訳では「敬信」と訳されています。
13  遠藤 これまで見た三つの「信」をまとめてみると次のようになるでしょう。
 ──仏法を聞き、その素晴らしさに畏敬の念を抱いて「シユラッダー(敬信)」を起こして実践に入り、「アディムクティ(信解)」を貫くことによって、心が鍛え磨かれ、だれもが平等に尊厳であると覚知する「プラサーダ(浄信)」という大境涯の完成に向かう──。
 池田 仏法の「信」は、「限りなき向上」へのエンジンです。知性を含めた全生命を向上させ、開花させ、秘めた力を発揮させていく原動力です。
 須田 ところで、これらの信とは異質な「信」があります。それは「バクティ」と呼ばれる信です。これは、神に対する絶対的な熱烈な信です。
 語源的には「わかち持つこと」「一部となること」という意味合いがあります。
 たとえば″万物の根源であり宇宙に遍満しているブラフマン(梵)と一体になる″など、自身を超越した神秘的なものとの一体化を目指し、自分らしさを殺してまでも献身的な信仰実践に突き進むものです。
 神々への絶対的な信仰を示すものとして、インドでは、しばしばこの「バクティ」という語が使われますが、仏教ではほとんど用いられません。「バクティ」という信は、仏法の信の在り方とは違うものです。
 池田 そうです。自分をなくして、大きなものに飲み込まれるのではない。
 我が生命こそ無限の宝蔵である。我が身そのものが功徳聚である。我が身が法華経である。ゆえに、崩れざる幸せは、外からやってくるのではない。すべて我が内なる生命から馥郁と薫り出してくるのです。
 仏法の信は、本当の自分の確立です。そして、宇宙大の無限の地平が自分自身の生命に開かれていることに気付くことです。宇宙に対して生命を開き、宇宙に包まれている自分が、宇宙を包み返すのです。大宇宙と交流し、交響するのです。信は、その跳躍のためのジャンプ台です。
 遠藤 法華経が仏教一般の立場よりもさらに踏み込んで信を強調している理由をどのように考えるべきかということですが……。
 斉藤 法華経においては釈尊の説法が開始された方便品で、すでに信が繰り返し強調されています。それは諸法実相・十如是が説かれた後、舎利弗が釈尊に未聞の法門を説かれるよう要請するところに表れています。釈尊は、その法門を説けば人々は驚き疑うであろうとして舎利弗の要請を三度にわたって制止します。
 しかし、舎利弗は″会座に連なった大衆は必ずその法を信じてまいります″と誓って、仏の説法を求めます。その熱烈な「信」に応えて、釈尊は一切衆生に仏知見を開き、示し、悟り、入らしめることが、仏が世に出現した目的であることを明かし、開三顕一の法門を本格的に説いていくのです。
14  池田 その通りです。法華経の説法自体が、「信」を大前提にして開始されていくのです。
 遠藤 方便品の説法を聞いて、声聞の中で初めに成仏の悟りに達した舎利弗も、自分の智慧ではなく、信によって仏の悟りの世界に入ることができた(以信得入)とされます。
 『大智度論』に「仏法の大海には信を能入と為し、智を能度と為す」と説かれるように、信から始まる仏道修行によって智慧を獲得し、その智慧の力によって「仏法の大海を度る」(成仏する)というのが仏教一般の原則です。ところが法華経では自分の智慧を強調するよりも、信によって悟ると強調されます。まさに信が智慧の代わりになっています。(以信代慧)
 池田 ここに深い意義があるのです。法華経も「智慧」即「成仏」であることは同じです。
 ただ法華経においては信の中に既に智慧が含まれている。それが「信解」です。
 大聖人は「解とは智慧の異名なり」「信の外に解無く解の外に信無し」と端的に教えてくださっている。
 信なくして解(智慧)はないし、解(智慧)として現れない信もにせものなのです。
 「解」とは「解脱」の解であり、「解放」の解にも通じる。一切の苦悩の鎖から解き放たれた自在・自由の境地。それが「解」であり、その智慧の境地は「信」によってのみ得られる、と言うのです。
 遠藤 法華経の分別功徳品(第十七章)では「其れ衆生有って、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有ること無けん」(法華経五〇一ページ)と、「一念の信解」を強調しています。
 また「如来の滅後に、若し是の経を聞いて、而も毀呰せずして随喜の心を起さん。当に知るべし。己に深信解の相と為す」(法華経五〇七ページ)とあります。
 妙法を初めて聞いて随喜する「初随喜」の人は、既に「深い信解」を得た姿であると説くのです。信解に成仏の実質があることを示していると考えられます。
 池田 くわしくは分別功徳品のところで論ずることになると思うが、四信五品といっても初めの「一念信解」と「初随喜」に法華経の本意があるのです。
 須田 なぜ法華経が「信」を強調するかという問題は、法華経が仏の随自意の経であるという点にカギがあるのではないでしょうか。
 池田 その通りです。随他意の教えは、文字どおり、衆生の境涯に応じて説いたものです。ゆえに、受け入れられやすい。「易信」であり「易解」です。しかし凡夫の想像も思惟も超えた仏の境涯は「難信」であり「難解」です。だからこそ「信」を強調するのです。
 大聖人は、己今当(過去・現在・未来)の経と法華経との違いについて、伝教大師の『法華秀句』の次の句を何度も引いておられる。
 「当に知るべし已説の四時の経・今説の無量義経・当説の涅槃経は易信易解なることを随他意の故に、此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に
 随自意の経は、凡夫の境涯のワクを、はるかにはみ出しているゆえに、「智解」できない。「信解」するしかないのです。
 あたかも、宇宙ロケットを知らない人々に、いくら説明しても理解を絶しているように、生命の宇宙を自在に遊戯する妙法という秘術は、凡夫の思議を超えている。だからこそ強い「信」の力によって、妙法の軌道に乗る以外にないのです。
 その「信」は盲目的なものではなく、文証・理証・現証に基づくものです。
 牧口先生は、こう言われている。
 「われわれは、医学の知識がなくても、医者を信用することによって病気を治すのである。そのさい意識的にせよ、無意識的にせよ、次の三条件に合致する医者を選ぼうとするだろう。
 一、学歴や肩書や専門等を考えるのは文証にあたる。
 二、その医者が多くの病人を現に治しているかどうかは、さらに大事な条件であって、これが現証である。
 三、しかもその治療法は、医学上、合理的なものであることが納得できるならば、もはや何の不安もない。これが道理、すなわち理証である」
 遠藤 なるほど、こういう日常レベルでも「以信代慧」はあるし、「三証」もあるわけですね。まさに一切法即仏法ですね。
15  池田 法華経が「信」を強調する理由を、生命の次元でいえば、法華経の目的は生命の根本的な無知、すなわち「元品の無明」を断ち、「元品の法性」すなわち″本来の自己自身を知る智慧″に目覚めることにある。この法性を″仏性″″仏界″と言ってもよいでしょう。
 ところが、これは生命の最も深層にあるゆえに、より表層にある理性等では開示できない。それらを含めた生命の全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、初めて″仏性″″仏界″は、自身の生命に顕現してくるのです。
 大聖人は「此の信の字元品の無明を切る利剣なり」と仰せです。「信」は「開」であり、「疑」は「閉」です。
 妙法に対して自身を開けば、妙法が自身に開かれるのです。だからこそ「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(日寛上人「三重秘伝抄」)なのです。「信」も仏界、その結果の「智慧」も仏界です。
 宇宙の根源の「法」を、その宇宙の一部である人間の小さな頭でつかむことはできません。その「法」が自身の生命に顕になるように、心身を整える以外にないのです。
 そのための妙法への「信」であり、「帰命」です。大聖人は「信は不変真如の理なり」「解は随縁真如なり」と仰せです。帰命でいえば、信は「帰」、解は「命」です。
 妙法を信じ、妙法に「帰する」ことによって、妙法が自身の上に顕現し、妙法に「命く」生命となるのです。妙法が躍動する生命になった証が、随縁真如の「智慧」であり、信解の「解」です。
 「信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」と仰せの通りです。
 その意味で、信と解は対立するものでないことはもちろん、信が解を支えるというだけの静止的なものでもない。
 本来、一体のものであるが、あえてわければ、「信から解へ」、そして解によってさらに信を強める「解から信へ」──この双方向のダイナミックな繰り返しによって、無限に向上していくのが「信解」の本義といえるでしょう。
 そう考えれば、梵語の「アディムクティ」が「志」とも訳せることは興味深い。成仏といっても、一つの静止した状態のことではない。智慧即慈悲を深めつつ、限りなく向上し続ける境涯──--それが仏界です。人間としての限りなき向上へ。その「志」に進む両輪が「信」と「解」なのです。
 斉藤 現代の世俗的社会では、「信仰」というと「理性」を休眠させ、閉ざされた主観の世界に安住するというイメージがあります。しかし、法華経の「信解」は全く違うことが、よくわかりました。
 池田 そう。法華経の説く「信仰」は、人生という難問題に対して、安易な回答を得ようとするのではない。むしろ、そういう安易さを拒否し、「信」と「解」という、″生命探究の二つの武器″を握りしめて、限りなく問い続け、限りなく向上していく。そのエネルギーを与えてくれるものなのです。
 近代の「知」は「信」と分離することで″自立した″と錯覚した。しかし、じつは、物質主義をはじめ″検証なき信(自明の前提)″の上に安住する場合が多かったのではないだろうか。そこから近代の苦悩と流転が始まった。
 今、必要なのは、現代の諸科学をも視野に入れた、新しき「信と知の統合」です。それは壮大な文明的挑戦です。「信念なき知識」と「理性なき狂信」に引き裂かれた人間社会を復興させる試みです。
 また、生命という″親″のもとに、″放浪の息子(近代の知)″が帰還する物語ともいえる。
 「信解」。それは、現代という「精神の漂流時代」を正しく方向づけ、生命の高みに向かって進歩させていくキーワードと言えるのではないだろうか。

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