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日蓮大聖人・池田大作

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譬喩品(第三章) 譬喩──「慈悲」と「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  三車火宅の譬え
 遠藤 譬喩品は、舎利弗の深い歓喜の言葉から始まります。方便品(第二章)の開三顕一の説法を聞いて領解した歓喜です。
 舎利弗は、その喜びを全身で表現しています。
 「爾の時に舎利弗、踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し」(法華経一四八ページ)と。舎利弗は躍りあがって喜び、起って合掌したのです。
 大聖人は「色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」と仰せになっています。「歓喜踊躍」とは、我が「色法」も、我が「心法」も、ともに「妙法」と一体であると悟った喜びなのです。
 斉藤 しかし、他の弟子たちは、まだわかっていません。そこで舎利弗は、他の弟子たちのために、「未だかつて聞いたことのない法」のいわれを説いてくださいと釈尊にお願いします。それに応えて説かれたのが「三車火宅の譬え」です。
 遠藤 法華経の七譬の最初です。この譬喩品の三車火宅の譬えに続いて、信解品(第四章)では「長者窮子の譬え」が説かれ、薬草喩品(第五章)で「三草二木の譬え」、化城喩品(第七章)で「化城宝処の譬え」、五百弟子受記品(第八章)で「衣裏珠の譬え」、安楽行品(第十四章)で「髻中明珠の譬え」、如来寿量品(第十六章)で「良医病子の譬え」が次々と説かれていきます。
 池田 譬喩品のみならず、法華経全体からいっても、譬喩は重要な意味をもっている。
 方便品に「諸法寂滅の相は言を以って宣ぶべからず」(法華経一四二ページ)とあるように、仏の悟った甚深の法は、もとより言葉によっては表現しがたいものです。かといって、仏の悟りの法が仏の胸中にのみとどまっていれば、衆生の成仏の道を閉ざすことになってしまう。
 仏が譬喩を駆使して語るのは、まさに衆生の心に仏道を開示せんがためです。
 須田 それでは、三車火宅の譬喩を、あらまし紹介したいと思います。
 ──ある町に年を取った一人の大長者がいました。長者の家は大邸宅でしたが、古くて、建物は傾き、ボロボロの状態でした。
 その古い大きな家に突然、火事が起こり、たちまち家屋敷全体が火に包まれてしまう。家の中には、長者のたくさんの子どもたちがいました。
 家が燃え、崩れ落ちようとしている。危険ががいよいよ我が身に迫っている。
 しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、そのことに誰も気づかないし、気づこうともしない。
 「三界は安きことなし猶火宅の如し」(法華経一九一ページ)とあるように、焼けている家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)を譬えています。その描写がすごい。
 遠藤 毒虫、蛇、鼠、狐狼、夜叉、悪鬼、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、そして突然、あがる火の手。まるで現代のホラー映画を見ているように、これでもかこれでもかと、おどろおどろしい光景の連続です。そして、場面は一転して、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が現れる。
3  池田 優れた映画の見事なカメラワークを見ているようだね。
 「人生は火宅の如し」。一日一日を、何も考えず享楽的に生きる人生の危険を、強烈なイメージで焼き付けることに成功している。
 法華経は、人生の苦しみを非常にリアルにとらえている経典です。そこに法華経が文学的にも高く評価されてきた一つの理由があると思う。魯迅も火宅の炎を素材に「死火」という文章を書いている。
 斉藤 現実を幻ととらえる傾向の強い他の大乗経典と大きく異なるところです。諸法即実相、現実即真理ととらえる法華経らしい特徴だと思います。
 池田 それもあるだろう。しかし、その心は「慈悲」です。衆生を何とか救おうという「救済の心」であり、衆生の苦悩に対する「同苦の心」です。
 遠藤 三車火宅の譬えの後半は、その救済の物語です。
 ──長者は火宅に飛び込み、子どもたちに早く家から出るように告げます。しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、火事だということがわからない、焼け死ぬということがどういうことなのかもわからず、ただ家の中を走り回っています。
 そこで長者は、一計を案じて、子どもたちに「お前たちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよ。早く家から出なさい。好きな車をあげるから」と呼びかけます。すると子どもたちは、喜び勇んで争うようにして燃えさかる家から走り出る。こうして子どもたちは救われました。
 須田 子どもたちが、早く約束の車をくださいと父に言ったら、長者は、羊の車、鹿の車、牛の車ではなく、「等一の大車」を与えた。それが「大白牛車」です。
 三車は、三乗の法を譬えています。つまり、羊車は「声聞のための教え」、鹿車は「緑覚のための教え」、牛車は「菩薩のための教え」です。そして、実際に子どもたちに等しく与えた大白牛車は一仏乗、すなわち「仏になる教え」を譬えています。
 遠藤 言うまでもなく、「長者」は仏、「子どもたち」は一切衆生です。
 子どもたちが火宅で遊んでいるのは、衆生が苦悩の世界にいながら、そのことに気づかず、やがて苦しみの炎に焼かれてしまうことを表しています。
 羊車、鹿車、牛車で、子どもたちの気を引きつけたのは、仏が衆生を救うために、衆生機根に合わせて、三乗(声間・縁覚・菩薩のための教え)を説くことです。
 大白牛車を与えたのは、仏の真意は三乗ではなく一仏乗であると明かすこと、すなわち「開三顕一」です。
4  池田 一仏乗を表す「大白牛車」も、実に壮麗に描かれているね。これ自体、何とかして仏の境涯を伝えようとする譬喩となっている。
 斉藤 はい。経文には「七宝の大車」(法華経一七〇ページ)とあります。長者は、蔵にたくさんの宝をもっていて、そこから取り出した金・銀・瑠璃・瑪瑙などの七宝で作られた車が「大白牛車」です。その車に取り付けられた欄干の四方には、鈴が金の縄でくくりつなぎあわせられています。さらにそのうえには真珠の網が張りめぐらされています。
 池田 見宝塔品(第十一章)の「宝塔」を思わせるね。
 須田 車を曳く白牛も見事です。清らかな皮膚をして、歩く時には、平らにまっすぐ歩き、走る時は疾風のように走ります。この宝の車に乗って、子どもたちは自由自在に楽しんだと説かれています。
 池田 まさに仏の境涯です。三車を与えるという方便で火宅から救ったのは″抜苦″です。大白牛車を与えたのは″与楽″です。仏の智慧という最高の安楽の境涯を与えたのです。
 「大白牛車」とは、いかなる険難の峰も自在に走り回り、さえぎるものはないという仏の大境涯を譬えられている。大聖人も、「法性のそらに自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」と明快に仰せになっている。
 この御書の中で大聖人は、鳩摩羅什の漢訳では大白牛車の様子が略されているとしたうえで、ご自身がご覧になった梵語(サンスクリット)の法華経を参照し、壮大な大白牛車を描かれている。
 遠藤 はい。縦・横・高さがそれぞれ五百由句という壮大さで描かれています。これは、見宝塔品で説かれる宝塔よりも大きいわけです。高さは同じですが、縦・横は宝塔の二倍ありますから。
 須田 大聖人が基にされた梵語の法華経は、今日に伝わる梵文とは違うとも言われています。いずれにしても同じ御書で、銀をもって磨きあげられた階段が三十七段もあり、八万四千の宝の鈴が車の四面にかけられ、四万二千の欄干には四天王が番人を務め、車の中には六万九千三百八十余体の仏・菩薩が蓮華座に座っているとあります。
 池田 想像を絶する壮麗さです。昔よく見た牛に引かせる車を想像してはいけない(笑い)。今はあまり見かけないだろうけれども。この大白牛車を描ききる妙法の画家が出てくれれば、私は本当にうれしい。
 斉藤 「六万九千三百八十余」とあるのは、法華経の文字数と同じです。
 開目抄には「此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり」と仰せです。法華経の文字は、一文字一文字が仏であり、これだけの数の仏が、車の中に厳然といらっしゃるということになります。
 池田 大白牛車とは法華経そのものです。その実体は、仏の妙なる生命です。南無妙法蓮華経の大生命そのものです。ゆえに大聖人は「抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり」(大白牛車御消息一五八四ページ)と断言しておられる。
 遠藤 この「大白牛車」の荘厳な様子は、火宅の姿と対極をなしている、とも言えますね。
 池田 その通りです。愚痴と無明に覆われた衆生は、みずからの住む家が火宅となって燃え盛っていることに気づかないばかりか、自身の命に仏の生命が具わることにも、まったく気づいていない。その内なる「燦爛と輝く生命」を譬えによって教えているのです。
5  法華経の譬喩の影響力
 斉藤 この三車火宅の譬えをはじめとする七譬のほかにも、法華経には、実に多くの譬喩があります。
 ざっとあげてみるだけでも、授記品(第六章)の大王膳の譬え、化城喩品(第七章)の三千塵点劫の譬え、法師品(第十章)の高原で水を掘り出す譬え、寿量品(第十六章)の五百塵点劫の譬え、薬王品(第二十三章)の十喩、妙荘厳王品(第二十七草)の一眼の亀の譬え等々、枚挙に暇がありません。
 法華経がなぜ、これほど譬喩に富んでいるのか。それは、インド人の思惟方法にも関係がありそうですが、それ以上に、法華経が「民衆に呼びかける経典」であるからだと思います。
 須田 事実、こうした法華経の卓越した譬喩は、時代や国を超え、多くの人々を魅了してきました。
 中国の民衆の問でも、法華経信仰が広がるなかで、法華経を礼讃した『感応伝』や法華経信奉者の伝を集めた民衆文学(『弘賛法華伝』や『法華伝記』)、法華経に基づく説話文学などが発達しました。この背景に、法華経の譬喩のもつわかりやすさや啓発力があったことは容易に想像できます。
 遠藤 その一方で、キリスト教の新約聖書にも影響を与えているという説もあります。たとえば、中村元博士は新約聖書にある「放蕩息子の譬え」(「ルカによる福音書」)には、法華経信解品(第四章)の「長者窮子の譬え」と似た構想がうかがえる、と指摘されています。
 さらに博士は、そうしたことを断定はできないとしながら、「西洋における愛の宗教が東洋の慈悲の理想の影響を受けて成立したということは、可能である」(『インドとギリシアとの思想の交流』、『中村元選集』16,春秋社)とも述べています。
 斎藤 日本においても、多くの仏典の中で、法華経ほど文学の題材として取り上げられたものはありません。
 日本に仏教が渡来して、しばらくして、奈良時代になると、知識階級を中心に仏教を取り上げた歌が詠まれるようになりましたが、法華経はあまり題材として取り上げられていませんでした。
 しかし、その一方では、民衆の問で法華経を取り上げた文学作品が生まれています。善悪さまざまな報いを受けた人々の体験を集めた『日本霊異記』という仏教説話集には、他の経典よりも法華経から圧倒的に多くの話題がとられています。
 池田 日本に伝来した法華経が、奈良時代、エリートの中でよりも、むしろ民衆の中で受け入れられていった。いかにも現実の民衆を救う経典というにふさわしい話だね。
6  須田 平安時代に入り、伝教大師が法華経を根本とした日本天台宗を創設したころから、法華経は、中央の知識階級も含め、文学の世界でも経典の王座を占めるようになりました。貴族社会でも、法華経の講会が盛んに行われ、法華経は一般教養として欠かせないものとなりました。
 池田 清少納言の『枕草子』では、法華経の説法を中座しようとした清少納言に藤原義懐が「やあ『退くもまたよし』」(お帰りですか。それもよろしい)と皮肉ったのに対して、清少納言が「『あなた様』も、五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と言い返したことが描かれている。
 これは、法華経方便品(第二章)で、五千の上慢が法華経の説法の場から退場したのを、釈尊が「このような増上慢の人は、退くのもよいだろう」と言ったことに基づいた話です。法華経がかなり浸透していたことがうかがえます。
 須田 世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』においても、法華経が最も多く言及されています。登場人物たちが主催する重要な仏事にも、「法華八講」と呼ばれる法華経の講義が多く登場します。また、物語のなかでは、二十三歳の主人公の光源氏が天台三大部(『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』のこと)と、その注釈書(『法華玄義釈籖』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』のこと)を合わせた六十巻を読んだと記され、法華経に精通しているように設定されています。
 斉藤 有名な″雨夜の品定″の構成が、法華経の「三周の説法」の形式をふまえたものとする学者(一条兼良)もいますね。
 遠藤 平安時代中期以後には、天皇をはじめ多くの貴族等が法華経各品に題材をとった和歌を残しています。こうした一品経詩といわれる形式は、中国でも盛んであったことから影響を受けたともいわれています。
 学者のある調査によると、一番詠まれたのは、やはり方便品、寿量品ですが、その後に続くのは、提婆達多品(第十二章)、そして法華経の七譬が説かれている譬喩品、信解品、薬草喩品、五百弟子品だということです。(高木豊『平安時代法華仏教史研究』平楽寺書店、参照)
 たとえば、「ゑひのうちにかけし衣のたまたまも昔のともにあひてこそしれ」(選子内親王『発心和歌集』、『釈教歌詠全集』1所収、東方出版)は、「衣裏珠の譬え」を素材としています。(酔っているうちに衣の内側に繋けた珠も、たまたま昔の友に会ってはじめて知った、の意。「ゑひのうち」と「〈衣〉のうちに繋ける」、「衣の珠」と「たまたま」をかけている)
 また、「世の中に牛の車のなかりせば思ひの家をいかでいでまし」(よみ人しらず『拾遺和歌集』)は「三車火宅の譬え」です。(世の中はもの憂い。救い出してくれる牛の車がなければ、思いの火に焼かれる家をどうして出ることができようか、の意。「牛」と「憂し」、「思ひの家」と「火の家」をかけている)
 池田 掛け言葉として自在に使えるほど、法華経の譬喩が人々の間に浸透していたといえるかもしれないね。
7  法華経の譬喩の特色
 須田 それにしても、これほど人の心を引きつける法華経の譬喩の力は、いったいどこから来るのでしょうか。
 とくに、「すべての衆生を仏に」と主張する開三顕一については、二十八品のうち八品も費やして展開されています。その中に、法華経の七大譬喩のうちの五つがある。少し、くどい(笑い)と思う人がいるほどの粘り強さで説かれています。そこに、釈尊の並々ならぬ思いの探さを感じるのですが。
 池田 そこなのです、法華経の「譬喩の豊かさ」の根源は。
 譬喩とは何か。天台はこう解釈している。
 「仏の大悲はやむことなく、巧みなる智慧は無辺に働く。ゆえに仏は譬喩を説き、樹木を動かして風を教え、扇をかかげて月をわからせる。このようにして、真理を悟らせるのである」(『法華文句』、大意)
 大聖人は、この釈を引かれ、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」と仰せです。巧みなる譬喩を生む源泉は慈悲」なのです。
 しかも続いて、「彼の為に悪を除く」のが「彼の親」であるとの言葉を挙げられている。たとえ、子に憎まれようとも、子の心に巣くう悪を取り除こうと戦う「厳愛」である、と。
 斉藤 その仏の心は、譬喩品の随所にちりばめられています。
 「是の諸の衆生は皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし」(法華経一七八ページ)
 「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」(法華経一九一ページ)等々。
 須田 この「今此三界」の文は、仏と衆生の関係を明かした重要な経文ですね。
 池田 七大譬喩はすべて、衆生に対する仏の慈悲を明かしているのです。中でも代表的な三車火宅、長者窮子、良医病子の三つの譬えでは、仏は″子を救う父″として描かれています。また、種々の草木を平等にうるおす慈雨や大雲として(三草二木の譬え)、旅人を導くリーダーとして(化城宝処の譬え)、友人を守る保護者として(衣裏珠の譬え)、臣下をたたえる王として(髻中明珠の譬え)も描かれている。
8  法華経の譬喩は、衆生の機根に応じて説かれた随他意の言葉ではない。「仏の心」を明かし、人々を「仏の心」へと引き入れる「随自意の譬喩」なのです。
 大聖人は「法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり」と仰せです。
 衆生の心が「仏の心」と一体になるために説かれたのが、法華経の譬喩です。
 斉藤 法華経の譬喩は、衆生を仏の境涯に高めるカをもっているのですね。
 池田 そうです。さきほど、譬喩には″能動的に考えさせるカ″があると言いましたが、牧口先生も同じ発想の教育方法を考案されていた。
 郷土科とか実物教育といわれるものです。身近な郷土に実際にあるものを体験させ、その体験と比較しながら、直接には体験できない知識をも得させていく。いわば実際の体験を譬喩として、生徒自身が考えを広げていくのです。だから、生徒の「自由行動」が大切だと言われている。
 分かりやすい譬喩を使って教えるということは、自分で考えさせることに通じる。だからこそ、教えられた人の側に変革が起こる。
 それに関連することですが、法華経の七譬を「生命の病を治す薬」ととらえた人もいます。四、五世紀ごろにインドで活躍した天親(世親)です。
 たとえば、第一の「三車火宅の譬え」は「顛倒して諸の功徳を求める増上慢心」という病を治す薬です。顛倒とは、三界の火宅の中で幸せを求めようとすることです。
 また第四の「化城宝処の譬え」が治すのは「じつは無いものを有ると思いこむ増上慢心」の病です。二乗の小さな悟りが″有る″と思っている声聞に、それは化城(幻の城)に過ぎない、つまり″無い″と教えているからです。五番日の「衣裏珠の譬え」の薬は「じつは有るのに無いと思いこむ増上慢心」を治そうとする。衆生が無いと思い込んでいた宝石(仏性)が衣の裏(生命の中)に有ると教えているからです。
 このように七譬は、生命の病を治す「良薬」とされている。とすると釈尊は、衆生の生命を癒し、蘇生させる「名医」と言えます。
 「名医」そして「厳父」。そこに一貫して輝いているのは、衆生を幸福にせずにおくものかという、燃えるが如き「慈悲」です。
 斉藤 仏が衆生に対して「名医」と「厳父」の両方の役割をもっていることを示しているのが、七譬の第七、寿量品の良医病子の譬喩ですね。
 池田 寿量品の仏は、過去遠遠劫より未来永劫にわたって衆生救済の活動を続ける仏です。永遠の寿命を持ちながら、″衆生の救済のために出現し、救済のために入滅していく″仏です。出現も入滅も衆生救済のためです。つまり、″慈悲の生命″そのものを表している仏なのです。
 遠藤 七譬の最初の三車火宅の譬えでは、仏は「父」として示されました。「今此三界しの文には、父である仏が、子である衆生をどこまでも救う慈悲が示されています。
 この「父である仏」が、寿景品では、永遠の慈悲の活動である久遠の仏として示されたわけですね。
 池田 そう。百六箇抄には、「今此三界」の文について、「密表寿量品」──密かに寿量品を表す──と言われています。
9  譬喩即法体
 須田 法華経に説かれる譬喩には、もう一つ、大きな特徴があるように思われます。それは釈尊が弟子に法華経の深遠な法理を何とか伝えようとしただけではなく、弟子たちもまた、釈尊の説法を理解した証として譬喩を用いて応えている点です。譬喩で説明するとなれば、教える師匠が弟子へ語るものと、普通は考えます。ところが、法華経の場合は、必ずしもそうした一方通行のみではないわけです。弟子も同じく譬喩を語っています。
 斉藤 たとえば、三車火宅の譬えを領解した四大声聞が、信解品で自分たちの理解を長者窮子の譬えで示します。また、五百弟子受記品では、化城喩品の因縁説を理解した声聞たちが、衣裏珠の譬えをもって応えています。
 池田 仏の巧みな譬えを聞いて、「ああ、よくわかった」というだけでは、まだ十分な理解ではない。本当に深い会得は、全人格的な変革を促すのです。
 いわば、「わかる」ことは「かわる」ことなのです。
 境涯が高まれば智慧が生まれます。だから弟子たちも譬喩を説けたのです。
 また、釈尊が譬喩を用いたのは、あくまでも一切衆生のためです。一切衆生の仏道を開くためです。その譬喩の心、譬喩に込められた仏の心がわかったがゆえに、弟子たちも、譬喩をもって応えたのではないだろうか。
 「わかった」という喜びが、「伝えずにはおられない」という心を弟子たちにもたらしたのです。
 遠藤 次元は違いますが、「わかった喜び」といえば、アルキメデスの浮力に関するエビソードを思い出します。確か、王冠が純金でできているかどうか、王冠を傷つけずに調べるよう、王から命ぜられた話です。アルキメデスは、公衆浴場の湯ぶねから溢れ出るお湯を見て、雷に打たれたように金の重量の計り方を思いつき、我を忘れて裸のまま飛び出して「ユリィカ(わかったぞ)! ユリィカ!」と何度も叫んだということです。この「ユリィカ」というギリシャ語はやがて、「発見の喜び」を告げる言葉として、欧米で使われるようになりました。
 池田 アルキメデスの歓喜がこの「ユリィカ」に脈打っているゆえに、長く伝えられるだけの力をもったのでしょう。
 弟子が語った法華経の譬喩も、″伝えずにおられない″喜びが込められているのです。
 おもしろいのは、釈尊が法華経を説くのは、舎利弗が過去世に願って実践していた道を思い出させるためである、とあることです。(「我今還って、汝をして、本願所行の道を憶念せしめんと欲す」〈法華経一五五ページ〉)
 「わかる」「伝わる」というのは「思い出す」ことです。自分の中に既にあるから思い出せる。法華経で、譬喩とともに因縁を重視するのは、そのためです。寿量品は、久遠以来の究極の因縁をを説いているとも言える。
10  斉藤 このように言った文学者がいます。
 「日常用いているありふれた言葉が、その組み合わせ方や、発せられる時と場合によって、とつぜん凄い力をもった言葉に変貌する。(中略)われわれが使っている言葉は氷山の一角だということである。氷山の海面下に沈んでいる部分は何か。それは、その言葉を発した人の心にほかならず、またその心が、同じく言葉の海面下の部分で伝わり合う他人の心にほかならない」(大岡信著『詩・ことば・人間』講談社)と。
 池田 譬喩とは、ある意味で、言葉の組み合わせ方を日常とは違う仕方に変えることであり、伝えたい内容にぴったりの適切な表現を選ぶことでもあるね。
 その時、ありふれた、分かりやすい言葉が日常の意味を超えて、言葉の海面下に沈んでいた心と心、人格と人格の全体を結び付ける力を持つのです。それが本当の意味の「わかる」とか「伝わる」ということです。そこに譬喩の力もある。
 遠藤 私自身の体験で恐縮ですが、かつて失意のどん底にあった時、先輩から″大変だったね″と言われた、たった一言に心からの励ましを感じ、胸を揺さぶられる思いがしたことがありました。
 今思うと、相手を思う一念に、人は感動し、心が動かされるのですね。
 池田 そうです。言葉であって、言葉ではない。言葉の力は、心です。心が根底にあるから、言葉が生きてくる。大聖人も「ことばと云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」と仰せられている。同じことを言っても、言う人の心の深さで、まったく力は違ってくる。
 また、大聖人は「当体義抄」で伝教大師の文を引かれて「法華経の七喩は即ち法体であり、法体は即ち譬喩である」と言っている。譬喩即法体──法華経の譬喩というのは、仏の心そのものであるということです。そして、この譬喩即法体の究極が南無妙法蓮華経であると、大聖人は当体義抄で明かされています。
 須田 かつて、法華経には法理に関する部分が少なく、仏を賛嘆する言葉や譬喩ばかりが多いと論難する者がいました。
 池田 富永仲基や平田篤胤が有名だね。
 須田 はい。江戸時代の思想家の富永仲基は、学者として研究した結果、「法華経は終始、仏を賛嘆するばかりで、全く経説としての実がない」と結論し、法華経で用いられている譬喩もみずからの教えの優越性しか言っていないと批判しています。(『出定後語』、『日本思想体系』43所収、岩波書店、参照)
 また、国学者の平田篤胤になると、大乗経の中でも法華経を最も劣ったものとしています。たとえば、「じつは同じ大乗といっても、ほかの経よりいっこうに味わうものがなく、ただただ、滅法、″大ばなし″ばかりで、そのわけを説かない。この経一部八巻二十八品はただかさばるだけで」「能書きばかりで、肝心の丸薬がない」(『出定笑語』、『新修平田篤胤全集』10所収、名著出版。現代語訳に改めた)と法華経を罵倒しています。
 池田 大聖人も「二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へ」と、一見すると同じ趣旨に見えることを仰せです。しかし、結論は全く違います。すなわち「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(同)──仏が賛嘆しているのだから、われわれも大いに賛嘆すれば、功徳はいよいよまさるのだ、と。仏と同じ心に立とうということです。この姿勢、つまり信がなければ、仏の心を顕そうとした法華経は永久にわかりません。
 それがあれば、そうした批判がどんなに浅薄かがわかるのです。わずかな「正き事」の中に、一切衆生の成仏の種子が厳然とあるのです。
11  須田 今日の研究者の間でも、富永仲基らの論難は的外れであることが指摘されています。
 中村元博士は「迹門(『法華経』の前半)全体としては、いかなる体系的な抽象的哲学的思索も認められず、ただ仏の諸々の教法が一乗に帰するということだけが、豊富な言辞と多様の譬喩と以って掛り返し説かれているだけである。したがって、その中に何らかの或る特殊な哲学体系を求めるならば何ものも得られないであろう」
 「しかしながら、われわれは、『法華経』が特殊な哲学を述べていないという点に、かえってこの経典の重大な哲学的立場を読み取ることができる」(『インド思想の諸問題』、『中村元選集』10、春秋社)と述べています。
 斉藤 さて、法華経の譬喩を通して、「人を励ます言葉」「人を賢くする言葉」の力について語っていただきました。
 しかし社会には「人を陥れる言葉」「人を利用する言葉」、そして人間としての人権感覚まで「マヒさせる言葉」が氾濫しています。悲しむべき現実です。
 須田 「信なき言論、煙のごとし」と戸田先生は喝破されましたが、見える煙なら避けることもできます。しかし今、日本は、「ウソの言論」の煙に包まれて、どこにも逃げられない。いや逃げようとすらしません。
 池田 「火の宅」ならぬ「煙の家」だね(笑い)。
 須田 もう亡くなられましたが、創価大学の樺俊雄教授(社会学)が、こう警告されていました。
 「政界や財界の支配階級が自己の政策を推し進めるために世論を自己の都合のいい方向に押し曲げるために、マス・コミを自己の勢力のうちにだきこもうとしている」
 「そういうファシズム的政治体制がはっきりした形をとって現れる前に、これを未然に阻止するのが何よりも大切である。戦前の経験によっても、体制側はかならず最初は緩やかな形でしか規制措置を出してこない。はじめは緩やかな形ではあるが、しかし後にはテンポを速めて急速に態勢を整えてくるものである。そうなったときに反撃を加えるのには、大へんな努力が必要である。それゆえ、保守反動の勢力が動きはじめた今こそ、これを徹底的にたたくべきである」(『歴史は繰り返すか』勁草書房)
 池田 そう。社会のわずかな変化にも、その底流を鋭く見抜かねばならない。そして「悪の芽」はつみ、「善の芽」は伸ばすことです。どんな現象も、必ず意味があるし、必ず価値へと変えていけるのです。
 次元は違うが、ゲーテは『ファウスト』の終わりで、「すべて移ろい行くものは、永遠なるものの比喩」(高橋義孝訳、グラフ社)であると言っています。
 斉藤 私たちも、ともすると、現実生活を離れた理論のなかに仏法の深い真髄があるかのように錯覚しがちですが、足下の現実こそが仏法であるということを、法華経の譬喩は教えてくれていると思います。
12  池田 生活の上に現れる信心の実証は、妙法の功カを説明する「譬喩」です。現実生活の実証は、妙法の真理を雄弁に物語っているのです。
 四条金吾、池上兄弟など、大聖人の門下が苦難を乗り越えた実証の姿は、同じ問題に直面した私たちにとって大きな激励となっています。
 大聖人は、心をあわせて迫害と戦った池上兄弟に対して「未来までの・ものがたり物語なに事か・これにすぎ候べき」と称賛されている。そのお言葉通り、今、兄弟の物語は世界で語りつがれている。
 この原理は、私たちにとっても同じです。私たち一人一人の勝利の体験が、多くの人に勇気と希望を与える。すなわち、その体験は、妙法の力を表す譬喩となっているのです。人々が、その「一人の勝利のドラマ」を、さらに多くの人に語っていくこともできます。
 牧口先生は、体験発表を中心とする座談会運動を創られた。難解な「理論」を表にして説くのではなく、分かりやすい「体験」を表として、妙法を人々に教えられた。
 個別の体験は普遍の妙法の「譬喩」です。体験中心の座談会は現代の「譬喩品」であり、現代の「七譬」であり、「無量の譬喩」です。慈悲と智慧の結晶である「譬喩」法華経と同じ心に立って、創価学会は″布教革命″を巻き起こしたのです。
 法華経の譬喩の心は、創価学会の六十五年の歴史の中に生きています。私たちは、末法万年にわたって語りつがれるであろう「法華経の広宣流布」の物語を日々、馥郁と綴っているのです。

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