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日蓮大聖人・池田大作

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序品(第一章) 如是我聞──師弟不二の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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5  聞法の意義──声仏事を為す
 須田 ところで「聞く」ということは人間生命にとって、とりわけ深い意義があるように思われます。「見る」「嗅ぐ」などという他の感覚よりも早い段階に経験します。
 遠藤 この点について、『音楽する精神』(アンソニー・ストー著、佐藤由紀・大沢忠雄・黒川孝文訳、白揚社)の中で、ニューヨーク大学の音楽教師、バロウズ氏のユニークな研究が紹介されています。彼は次のように述べています。
 「胎児は子宮のなかで、戸がバタンと閉まる音にびくっとする。子宮のなかで聞える豊かで温かい雑音が記録されている。赤ん坊にとって自分の皮膚のさらに向うにある世界について、その存在を示してくれる最初のものの一つが、この母親の心臓の鼓動や呼吸なのである」と。
 須田 五感の中で最初に獲得されるのは聴覚らしいのです。広く言えば、「聞く」ということは、聴覚だけでなく、宇宙に満ち満ちた不思議なるリズムを感じとる、生命の力、と言ってもよいでしょう。
 大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」と述べられています。自分の経験からいっても、本で読んだ知識は、すぐに忘れがちです(笑い)。
 でも講義など、音声によって真剣に受け止めたものは、何倍も印象が強く、よりしっかりと記憶に定着するようです。
 遠藤 日寛上人は、人が亡くなった後でも、しばらくは題目を送って、聞かせてあげるべきであると言われています。(『富士宗学要集』第三巻二六五)
 斉藤 法華経でも「法を聞く」(聞法)ということが大変に重視されています。とくに方便品(第二章)や寿量品(第十六章)などの重要な説法の後では、必ず「法華経を聞く功徳」が説かれています。
 池田 大聖人も「此の経は専ら聞を以て本と為す」と仰せです。だから、仏の「声」が重要な意味を持っている。「妙法蓮華経」の「経」の意義について、「声仏事を為す之を名けて経と為す」と述べられるゆえんです。
 遠藤 大聖人は、仏の三十二相の中では「梵音声相」が第一の相であると仰せになっています。(御書一一二二ページ)
 「梵音声相」とは、音声が遠くまで明瞭に達し、しかも清浄で、聞く人を喜ばせるような声です。実際に釈尊の声も、そうだったのでしょう。
 池田 すばらしい声だったからこそ、人々の生命を揺るがし、蘇らせることができたのだろうね。それは、仏の己心に悟った成仏の法を顕す「真実の声」であった。
 「声」は生命全体の響きです。声にはその人の生命、人格そのものが現れている。あるフランスの作家は「声は第二の顔である」と言った。姿・形はごまかせても、声はごまかせないものです。
 須田 イギリスの科学雑誌「ネーチャー」(一九九五年二月二日、第三七三巻六五一三号)に興味深い記事が載っていました。人々はどのようなメディアの情報に騙されやすいか、調べる実験をしたと言うのです。新聞とテレビとラジオを使って、同一人物が真実を語るインタビューと嘘をついているインタビューを並べて掲載・放送し、読者・視聴者に嘘を見破ってもらうというものです。
 その結果、人々が一番騙されやすいのはテレビ。逆に、四分の三もの人が嘘を見破ったのはラジオでした。新聞はその中間だったそうです。人々は、映像には騙されても、声には騙されなかったとみることもできます。
 斉藤 「南無妙法蓮華経」という題目自体に不思議なリズムを感じます。念仏が″哀音″といわれるように、陰々滅々とした暗い音調であるのに比べて、題目には人を勇気づけ、躍動させる力強い音律があります。
 須田 題目のリズムといえば、世界的バイオリニストのユーディー・メニューイン氏が、池田先生と対談されたときに語っておられたことを思い出します。
 ──「南無妙法蓮華経」の「NAM(南無)」という音に、強い印象を受けます。「M」とは命の源というか、「マザー(MOTHER)」の音、子どもが一番、最初に覚える「マー(お母さん)、マー」という音に通じる。この「M」の音が重要な位置を占めている。そのうえ、意味深い「R」の音(蓮)が中央にある──(「聖教新聞」一九九二年四月七日付)と。
 池田 いずれにせよ、題目こそ宇宙の根源のリズムであり、尊極の音声である。
 大聖人は仰せです。南無妙法蓮華経には、一切衆生の仏性を「唯一音」に呼び現す無量無辺の功徳がある(御書五五七ページ)。また、凡夫という無明の卵を温め、孵化させ、仏という鳥へと育てる「唱への母」である(御書一四四三ページ)と。
 そして大聖人は「声もをしまず唱うるなり」と述べられている。声も惜しまずといっても、声の大小ではない。一切衆生を成仏させようという慈悲の大音声です。
 学会の行動も、この大聖人の御精神を我が心とし、広宣流布のための「声も惜しまぬ」行動である。
 題目を真剣に唱える声を根本として、温かい励ましの声、毅然とした勇気の声、心からの歓喜の声、真剣な誓いの声、明快な知恵の声、等々に満ち満ちているのが創価学会である。そこに無量の功徳がわいているのです。
 学会こそが、惜しみない声また声で、広宣流布という偉大な「仏事」を為している教団なのです。

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