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日蓮大聖人・池田大作

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序品(第一章) 如是我聞──師弟不二の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  斉藤 先日、西夏語「法華経」のマイクロフィルムが、池田先生のもとへ届けられました。(一九九五年三月、ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部から)
 今回が世界初公開で、多くの学者・研究者が待望していた貴重な資料だとうかがいました。
 池田 光栄なことです。東洋哲学研究所の創立者として、両研究所の学術協力の発展を心から念願しています。
 西夏は、十一世紀から十三世紀にかけて、中国の西北部に栄えた仏教国です。わずか二百年ほどの問に、独自の文字を開発し、多くの経典を翻訳しました。
 贈られた西夏語「法華経」のもとになったのは、私たちも親しんでいる鳩摩羅什の漢訳です。それに西夏の地域には、仏教美術で有名な敦煌(トンホアン)もあった。
 須田 なにか、近しいものを感じますね。西夏の人々は、どんなふうに法華経を読み、仏法を学んだのだろうか、と。
 遠藤 西夏語に、こんな格言があるそうです。
 「智者はおだやかに言い、人を伏す
 黄河はゆるやかに往き、人をのせる」(西田龍雄著『西夏文字の話』、大修館書店)
 斉藤 「おだやかに」とは、表面的な慇懃さのことではありませんね。
 池田 人間に向かって開かれ、人を思いやる心。人を包み込む大きさ、温かさ。かりに言葉の内容は厳しくとも、それが「おだやかさ」でしょう。
 智慧ある人は、明快に、道理を尽くして語る。だから人々は納得する。あたかも黄河が滔々と流れ、多くの人々を安らかに運んでいくように──こんな意味になるだろうか。西夏人は、きっと聡明で、開放的で、誇り高い人々だったにちがいない。信念のない、陥れんがための言論に左右されがちな日本人への警鐘ともとれます。
 さあ、私たちの「法華経の旅」も、″黄河″のごとく滔々と、前へ進まなければ。いよいよこれから「序品」に入っていこう。
2  釈尊己心の衆生
 斉藤 はい。法華経の″幕開けの章″となるのが序品(第一章)です。内容は、大きく三つに分けられます。
 第一の部分では、冒頭に「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」(法華経七〇ページ)の句があり、続いて、法華経の説法の場所となる王舎城の霊鷲山に、たくさんの衆生が集まっていることが紹介されます。
 須田 「如是我聞」とは「この通りに私は聞いた」という意味で、ほとんどの経典の冒頭に置かれている″決まり文句″ですね。
 池田 その通りだが、法華経の場合、「聞く」ということが重要な意味をもち、経典全体にわたって強調されている。だから「如是我聞」も、型通りの言葉ではあっても、他経よりも一段と深い意義がある。大聖人の仏法にも深く関係する重要な点です。
 斉藤 序品では次に、釈尊が無量義処三昧に入って、種々の不思議な現象を現します(法華経七六ページ)。これが第二の部分です。
 須田 無量義処三昧とは、仏の無量の教えの根源の法に心を定める三昧(瞑想)のことです。
 池田 この三昧の名に、これから説かれる法華経が、あらゆる教えの基礎、根拠となる究極的な教えであることが暗示されている。無量義経に「無量義とは一法より生ず」(法華経二五ページ)とあるが、この究極の一法が法華経で説かれていくわけです。
 遠藤 釈尊が、この三昧から安詳として立ち上がり、説法を始めるのが、次の方便品(第二章)ですから、序品では、釈尊は説法をしません。ただ、三昧に入って、神通力で種々の不思議な現象を現すだけです。
 須田 天から曼陀羅華や曼殊沙華などの花が仏や衆生の上に降ったり、大地が六種に震動するなどの現象が示されます。これによって、その場の衆生はかつてない気持ちになり、歓喜して一心に仏を見ます。すると仏は、眉間の白毫(白い右回りの繊毛)から光を放ち、その光が東方の一万八千の世界をくまなく照らし出します。
 池田 それだけ聞くと、いきなり「法華経はおとぎ話か」と思う人もいるにちがいない。今で言えばSF(空想科学小説)の世界か、と(笑い)。
 戸田先生も、序品で集まった衆生について、こう言われていた。
 「舎利弗およびその他の声聞衆が万二千人、菩薩方が八万、耶輸多羅等の眷属が六千人、阿闍世の眷属が何千人、また八番衆の眷属といいますと天・竜・夜叉・乾闥婆けんだつば・阿修羅・伽楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽らごらがというような連中が、何万人という眷属を連れてきている。霊鷲山会に、ざっとその数を計算しても、何十万という衆生が集まったことになる。菩薩だけ集まっても八万人。声聞だけ一万二千集まるといってもたいへんです。拡声器もなかった時代に何十万の人を集めて釈尊が講義したと思われますか。法華経の文上からみれば集まったことになっている。これはたいへんな数です。何十万の人を集めて講義したと。それならウソかと。ウソではない。ではほんとうに集まったのか。何十万の人に拡声器もなくて、いくら仏が大音声を出したからといって講義できましょうか」
 「八年間、それらの人たちが集まっていたと言うのです。八年間集まっていたら飯をたくだけでもたいへんです。便所なんかどうしたと思いますか。ではウソかというのか。ウソではない。集まったともいえるし、集まらなかったともいえるのです」
 「その何十万と集まったのは釈尊己心の声聞であり、釈尊己心の菩薩なのです。何千万いたってさしつかえない」(『戸田城聖全集』6)
 戸田先生は、法華経を、仏法を、人間の現実とかけ離れた架空の話や、観念論にはさせたくなかった。また、絶対にそうではないという確信があった。生命の法であり、己心の法であることを如実に知っておられたのです。この観点からみれば、東方を照らす仏の白毫の光についても、生命の深い真理を表していることがわかる。
 大聖人は「白毫びゃくごうの光明は南無妙法蓮華経なり」と仰せです。妙法の光であるからこそ、下は無間地獄から、上は有頂天に至るまで照らし出したのです。無間地獄の衆生ですら成仏させる力をもっているのが妙法です。
 遠藤 その光で照らし出された世界では、それぞれの国土の仏が説法し、その教えを受けた人々が実にさまざまな修行をしている。さらに仏が入滅し、入滅後の人々が仏を慕って仏塔を供養する──そうした有様が映画のようにつぶさに映し出されていきます。
 池田 宇宙をスクリーンとする、壮大きわまりない映画だね。全宇宙が法華経の舞台であり、すべての仏が妙法を根本として成仏した。この根源の一法たる妙法を説き顕すのが法華経なのです。その大法が、これから説かれるゆえに、その瑞相として、さまざまな不思議な現象が現されるのです。
 斉藤 そのことが序品の最後、第三の部分で明かされていきます(法華経七七ページ)。釈尊は諸々の不思議な現象をなぜ現したのか──皆の驚きと疑問を代表して弥勒菩薩が問い、文殊師利菩薩が答えます。
 そのなかで、文殊は過去世の体験を語ります。かつて日月燈明仏という過去仏が、同じような瑞相を示して法華経を説いた。だから今の釈尊も、きっとこれから法華経を説くだろう、と。
3  普遍的法華経──法華経の成立
 池田 日月燈明仏が説いた究極の教えも法華経、釈迦仏がこれから説く教えも法華経──この点が重要です。
 しかも、序品では文殊が過去世に出会った日月燈明仏だけでなく、それ以前に二万の日月燈明仏がいたとされている(法華経九二ページ)。ここには、すべての仏が説く究極の大法が法華経であることが、暗示されています。
 それだけではない。化城喩品(第七章)では大通智勝仏が、常不軽菩薩品(第二十章)では威音王仏が法華経を説いている。
 日月燈明仏の弟子の妙光菩薩も、大通智勝仏の弟子の十六人の菩薩も、それぞれ仏の入滅後に法華経を説いている。威音王仏の滅後には、不軽菩薩が、いわゆる″二十四文字の法華経″を唱えている。法華経は、常に「滅後のため」の教えなのです。
 さらに、これら過去仏が説く法華経は、膨大な量であることが示されている。「日月燈明仏の法華経」は六十小劫という実に長い時間をかけて説かれた。「威音王仏の法華経」は二十千万億の偈から成る。「大通智勝仏の法華経」に至っては、八千劫以上もかけて説かれ、ガンジス河の砂の数ほどの偈から成るとされている。
 法華経とは、私たちが今日、見ることができる八巻二十八品の「釈尊の法華経」だけをいうのではないということです。説かれた形態は違っていても、すべて法華経なのです。
 斉藤 いわば″普遍的な法華経″が想定されていますね。
 池田 そう。法華経の本質を体得された戸田先生は、注目すべき法華経観を提示している。
 「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである。その極理は一つであっても、その時代の衆生の仏縁の浅深厚薄によって、種々の差別があるのである。世間一般の人々で、少し仏教を研究した人々は、法華経を説いた人は釈迦以外にないと考えている。しかし、法華経には、常不軽菩薩も、大通智勝仏も、法華経を説いたとあり、天台もまた法華経を説いている」(『戸田城聖全集』3)と。
 極理は一つだが、表現形態には種々の違いがある。しかし、すべて法華経なのです。
 一切衆生の真の幸福と安楽のために、仏みずからが悟った法、成仏の法を、すべての民衆に向かって開き示した教え──それが″普遍的な法華経″です。
 大聖人は、法華経に「広・略・要」を立てられています。「要」の法華経とは、御自身の南無妙法蓮華経です。現時において修行すべき法華経とは、この「要」の法華経です。
 広・略については、何が「広」で、何が「略」かは明確には示されていませんが、過去仏の膨大な量の法華経が「広」の法華経だとすれば、二十八品の法華経が「略」の法華経。二十八品が「広」だとすれば、不軽菩薩が唱えた二十四文字の法華経などが「略」になる。
 また戸田先生は、(1)法華経二十八品(2)天台の摩訶止観(3)大聖人の南無妙法蓮華経を「三種の法華経」と呼んでおられます。
 斉藤 話が少しそれるかもしれませんが、さまざまな法華経があり得るという法華経観は、二十八品の法華経が、果たして釈尊の「直説」をそのまま伝えるものなのか、後世の編纂者たちの「創作」なのかという問題にも光を与えてくれます。
 つまり、核心となる思想は釈尊の直説だが、今の表現形態は、編纂当時の時代状況を反映しているとは考えられないでしょうか。
 池田 核心となる釈尊直説の思想が、編纂当時の時代状況、思想状況に応じて、ひとつの形をとったと考えられます。
 時代が釈尊の思想を希求し、釈尊の思想が、時代を感じて出現してきた。「感応道交」(仏と衆生が互いに通じあうこと)です。普遍的な思想とは、そういうものです。真実の思想の生命力と言ってもいい。形態は新たになったとしても、時代状況の中では、それが、より、その思想の「真実」を現しているのです。その意味で、私は、直説か創作かと問われれば、直説だと言いたい。
 もちろん、時代状況も反映しているし、その時代の歴史的な研究によって明らかになる面も多いと思う。真摯な学問的成果なら、大いに受け入れるべきでしょう。それでも、法華経の思想的価値は決して揺るがないし、いよいよ輝いていくと私は確信します。
 須田 学問的には、法華経が紀元一世紀ごろに成立したことは、現在、多くの学者に支持されています。
 当時、仏教の正統を自認していた小乗部派仏教教団が閉鎖的・権威的になり、民衆から遊離した。
 そのなかで、釈尊を象徴する仏塔を礼拝・供養する信仰活動が、在家の人々を中心に興ります。権威化した僧ではなく、仏に直結しようとする信仰です。それが大乗仏教運動となって、般若経、法華経、華厳経などの大乗経典が編纂されていったようです。
 そのさい、小乗教団の側から「大乗経典は勝手な創作で、非仏説である」という非難がなされました。いわゆる″大乗非仏説″論は、すでに大乗仏教の誕生当時からあったわけです。
 遠藤 ″伝統ある″小乗仏教にとっては、大乗仏教は、いかがわしい″新興宗教″としてしか映らなかったのかもしれません。
 しかし、釈尊の入滅から数百年経過していたとしても、大乗経典が、釈尊とは全く無関係の勝手な創作であるとは言い切れない。文字としてまとめられたのは後年であっても、その問に、釈尊の言説が口承として伝えられていたことは十分に考えられます。これは、法華経だけでなく、同じころに成立した他の大乗経典についても言えることです。
 小乗の経典にしたところで、釈尊の入滅後に、弟子たちによってまとめられたものです。
 池田 インドには、大切な教えは文字に書きとどめるのではなく、暗誦し、心にとどめていく習慣があったようだ。竜樹の『大智度論』にも「仏口の所説を弟子誦習し、書して経巻を作る」とある。この「経巻」とは大乗経典を指している。
 それにしても、法華経編纂者の編集能力はすばらしい。文字や暗誦で伝えられてきた仏説の中から、釈尊の思想の核心を選び取り、見事に蘇らせている。編纂者の中に、釈尊の悟りに肉薄し、つかみ取った俊逸がいて、見事にリーダーシップを発揮したとしか思えません。
 須田 現在では、研究が進むにつれて、早くから成立した小乗経典の中にも、大乗経典に説かれる思想の萌芽が含まれており、大乗経典は釈尊の思想を正しく発展させたものであることが主張されるようになっています。
 その意味で、小乗経典だけが仏説で、大乗経典は非仏説であるというのは妥当ではなく、小乗経典も大乗経典もともに釈尊を源流としていることが明確になっています。
 斉藤 いずれにしても、釈尊を希求し、釈尊に肉薄する信仰と智慧は、大乗経典の中で、法華経が随一です。法華経は、ある意味で、″紀元一世紀の釈尊論″だとも言えるのではないでしょうか。
4  「如是我聞」の意義
 斉藤 序品の冒頭の「如是我聞」の意義についても、″普遍的法華経″の観点から捉えていくことができるのではないかと思います。つまり、「如是」とは何を指すのか、″このように聞いた″中身は何かという問題です。それは一応、「法華経二十八品」を指していると言えますが、それだけにとどまりません。
 遠藤 この「所聞の法体」──″何を″聞いたのか──について妙楽大師は「二十八品全体」だと普通に解釈しました。しかし大聖人は、そのうえで、法体とは「諸法の心」であり、それは「妙法蓮華経」であると仰せです。
 御義口伝では、天台大師の「如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり」(『法華文句』)という言葉をあげて、そのことを教えられています。
 池田 大聖人は「文・義・意」という原理を示されている。
 文とは経文の文面のことであり、義とは文が指し示す教義・法理に当たる。経文の文面を見ているだけでは、この「義」までしかとらえられません。
 しかし、いかに法華経の「文」と「義」を論じても、その「心(意)」に触れなければ意味はない。大聖人は、結論的に「法体とは南無妙法蓮華経なり」と仰せである。
 「法体」「諸法の心」とは、二十八品全体に脈打つ「仏の智慧」そのものです。その智慧が「南無妙法蓮華経」です。
 それを「その通りに聞く(如是我聞)」とは、「信心」です。「師弟」です。師匠に対する弟子の「信」によってのみ、仏の智慧の世界に入ることができる。「仏法は海の如し唯信のみ能く入る」と、天台の『摩訶止観』にある通りです。
 この観点から言えば、法華経の「如是我聞」とは、全生命を傾けて仏の生命の響きを受け止め、仏の生命にふれていくことです。「如是」は、「その通りだ」と聞き、生命に刻んでいく信心、領解を表している。また、それが全人格的な営みだからこそ「我聞」とあるのです。全人格としての「我」が聞くのであって、単に「耳」が聞くのではない。
 また、この「我」とは、普通は、経典結集の中心者とされる阿難等です。しかし、その「心」は、末法の今、この自分自身が「我」である。自分が、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の説法を、全生命で聞き、信受していくのが「如是我聞」の本義なのです。
 大聖人は「廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり、其の聞物は南無妙法蓮華経なりされば皆成仏道と云うなり」と仰せです。
 自分の外に置いて読むのではない。すべて「我が身の上の法門」であり、「我が生命の法」であると聞くべきなのです。
 遠藤 それで明快になりました。竜樹の『大智度論』では「如是の義は、即ち是れ信なり」と言い、天台の『法華文句』では「如是とは信順の辞なり」と言っています。
 この「信」について、竜樹はおもしろい譬えを述べています。すなわち、信は柔らかい牛皮、不信は硬い牛皮で、柔らかい牛の皮は、用途にしたがって使えるが、硬い牛の皮はそうはいかないと。つまり、信ある人は仏の教えにしたがって、その通りに聞いていけるが、不信の人は、その通りに聞けないわけです。
 天台の「信順」という言葉も、意味深いと思います。この「順」について天台は「順は則ち師資の道成ず」と述べています。順ずれば、そこに「師弟の道」が成り立つ、と。
 池田 「如是我聞」の心とは「師弟不二」の心です。それが仏法伝持の極意です。
 一切衆生を救おうとする仏の一念と、その教えを体得し弘めようとする弟子の一念が、響き合う「師弟不二」のドラマ──それが「如是我聞」の一句に結晶しているのです。
 しかも、法華経は「滅後のための経典」です。「仏の滅後の衆生救済をどうするか。だれが法華経を受持し、弘めるのか」。序品の舞台からすでに、この根本のテーマが奏でられている。
 日月燈明仏の後を継いで、弟子の妙光菩薩が法華経を説き、日月燈明仏の八人の王子をはじめ人々を成仏させていく──これも、その一つです。
 斉藤 未来永遠にわたって衆生を救うことに仏の願いがあり、仏が出現する目的があるわけですね。
 池田 その通りです。日蓮大聖人は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と仰せになっている。
 次元は異なるが、一般にも、本当に民衆を思う強い一念は、その人が亡くなった後でも人々の心を動かしていく。
 マハトマ・ガンジーは、こう遺言したと伝えられている。
 「もし私の精神が世界の光明であり得るなら、私は墓の中からでも語り続けよう!」(ガンジー記念館副館長のバンディ博士が講演で紹介)と。
 そして、未来の人類まで救おうという師匠の一念を「不二」で分かちもつ弟子の戦いによって、現実に人は救われていく。現実に「法」が、慈悲の働きを及ぼしていくわけです。師匠がいる間は、まだ、いいかもしれない。師弟というのは、それが本物であるか否か、師がいなくなったときに試されるのです。仏法は厳しい。
 釈尊が入滅して、皆が嘆き悲しんでいたとき、一人の老僧がもらしたという。
 「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者からうまく解放された。〈このことはしてもよい。このことはしてはならない〉といって、われわれは悩まされていたが、今これからは、われわれはなんでもやりたいことをしよう。またやりたくないことをしないようにしよう」(『ブッダ最後の旅──大パリニックバーナ経』中村元訳、岩波文庫)と。
 この老僧を、諸君は、とんでもない人間だと思うだろう。しかし、現実に人の心というのは、こういうものなのです。二十一世紀のリーダーである諸君の使命は重大です。
 斉藤 はい。心してまいります。
 先ほどの序品の話ですが、妙光菩薩が、日月燈明如来の滅後、如来と同じように法華経を説いたことも「如是我聞」の実践となるのでしょうか。
 池田 そうなるだろう。仏の入滅を転機として、″救われる弟子″から″救う弟子″へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。だから「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む、その″大闘争宣言″とは言えないだろうか。
 法華経成立の観点からいえば、二十八品の法華経は、仏の滅後、仏と同じ境涯に立って全民衆を救おうと「如是我聞」した弟子たちによってこそ、まとめられたのであろう。その意味からも、法華経は「師弟不二」の経典です。
 また戸田先生の「獄中の悟達」も、一次元から言えば、先生が法難の中で、御本仏日蓮大聖人の「常住此説法(常にここに住して法を説く)」(法華経四八九ページ)を「如是我聞」された姿、ととらえられるのではないか。
 須田 弟子が立つといえば、池田先生の『若き日の日記』の、戸田先生が逝去された後のところを読ませていただき、改めて感動しました。
 一日一日、恩師の心を我が心として、学会をどう守り、築いていくか、苦闘されたことが記されています。恐縮ですが、一部を紹介させてください。
 「当日の焼香者、十二万人。誠心の人であり、先生を、心からお慕い申し上げる方々である。
 今後、この方々を、さらにさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決意。父にかわって」(昭和三十三年四月八日。本全集第37巻収録、以下同じ)
 「多数の幹部たちは、先生の死を忘れたのか、と憤りを感ずることあり。くやしい」(同五月二十五日)
 「恩師の慈悲が、生命に脈々と流れている感じの毎日」(同十一月十日)
 「若あゆのごとく、躍動する若人。この人たちのため、自分は一生戦おう。犠牲になってもよい。恩師がそうであった」(同十二月十二日)
 「恩師の生命の叫びが、一日一日、消えゆくようでならない。断じて消してはならぬ。組織あり、教学あり、社会の地位あり──大切なのは、慈悲だ。慈悲ある人だ。不退の求道だ。無限の求道の人だ」(昭和三十四年二月二十日)
 「首脳たちが、もっと会員のことを真剣に思うべきである。自己を投げだして、会員に奉仕することだ。その叫びに、その姿勢のみに、皆は喜んでついてくるのだ。ずるい指導者になるなかれ。会員が可哀想だ」(同七月二十三日)
 池田 今も、まったく同じ気持ちです。ともあれ、法華経は徹頭徹尾、師弟不二が魂なのです。
5  聞法の意義──声仏事を為す
 須田 ところで「聞く」ということは人間生命にとって、とりわけ深い意義があるように思われます。「見る」「嗅ぐ」などという他の感覚よりも早い段階に経験します。
 遠藤 この点について、『音楽する精神』(アンソニー・ストー著、佐藤由紀・大沢忠雄・黒川孝文訳、白揚社)の中で、ニューヨーク大学の音楽教師、バロウズ氏のユニークな研究が紹介されています。彼は次のように述べています。
 「胎児は子宮のなかで、戸がバタンと閉まる音にびくっとする。子宮のなかで聞える豊かで温かい雑音が記録されている。赤ん坊にとって自分の皮膚のさらに向うにある世界について、その存在を示してくれる最初のものの一つが、この母親の心臓の鼓動や呼吸なのである」と。
 須田 五感の中で最初に獲得されるのは聴覚らしいのです。広く言えば、「聞く」ということは、聴覚だけでなく、宇宙に満ち満ちた不思議なるリズムを感じとる、生命の力、と言ってもよいでしょう。
 大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」と述べられています。自分の経験からいっても、本で読んだ知識は、すぐに忘れがちです(笑い)。
 でも講義など、音声によって真剣に受け止めたものは、何倍も印象が強く、よりしっかりと記憶に定着するようです。
 遠藤 日寛上人は、人が亡くなった後でも、しばらくは題目を送って、聞かせてあげるべきであると言われています。(『富士宗学要集』第三巻二六五)
 斉藤 法華経でも「法を聞く」(聞法)ということが大変に重視されています。とくに方便品(第二章)や寿量品(第十六章)などの重要な説法の後では、必ず「法華経を聞く功徳」が説かれています。
 池田 大聖人も「此の経は専ら聞を以て本と為す」と仰せです。だから、仏の「声」が重要な意味を持っている。「妙法蓮華経」の「経」の意義について、「声仏事を為す之を名けて経と為す」と述べられるゆえんです。
 遠藤 大聖人は、仏の三十二相の中では「梵音声相」が第一の相であると仰せになっています。(御書一一二二ページ)
 「梵音声相」とは、音声が遠くまで明瞭に達し、しかも清浄で、聞く人を喜ばせるような声です。実際に釈尊の声も、そうだったのでしょう。
 池田 すばらしい声だったからこそ、人々の生命を揺るがし、蘇らせることができたのだろうね。それは、仏の己心に悟った成仏の法を顕す「真実の声」であった。
 「声」は生命全体の響きです。声にはその人の生命、人格そのものが現れている。あるフランスの作家は「声は第二の顔である」と言った。姿・形はごまかせても、声はごまかせないものです。
 須田 イギリスの科学雑誌「ネーチャー」(一九九五年二月二日、第三七三巻六五一三号)に興味深い記事が載っていました。人々はどのようなメディアの情報に騙されやすいか、調べる実験をしたと言うのです。新聞とテレビとラジオを使って、同一人物が真実を語るインタビューと嘘をついているインタビューを並べて掲載・放送し、読者・視聴者に嘘を見破ってもらうというものです。
 その結果、人々が一番騙されやすいのはテレビ。逆に、四分の三もの人が嘘を見破ったのはラジオでした。新聞はその中間だったそうです。人々は、映像には騙されても、声には騙されなかったとみることもできます。
 斉藤 「南無妙法蓮華経」という題目自体に不思議なリズムを感じます。念仏が″哀音″といわれるように、陰々滅々とした暗い音調であるのに比べて、題目には人を勇気づけ、躍動させる力強い音律があります。
 須田 題目のリズムといえば、世界的バイオリニストのユーディー・メニューイン氏が、池田先生と対談されたときに語っておられたことを思い出します。
 ──「南無妙法蓮華経」の「NAM(南無)」という音に、強い印象を受けます。「M」とは命の源というか、「マザー(MOTHER)」の音、子どもが一番、最初に覚える「マー(お母さん)、マー」という音に通じる。この「M」の音が重要な位置を占めている。そのうえ、意味深い「R」の音(蓮)が中央にある──(「聖教新聞」一九九二年四月七日付)と。
 池田 いずれにせよ、題目こそ宇宙の根源のリズムであり、尊極の音声である。
 大聖人は仰せです。南無妙法蓮華経には、一切衆生の仏性を「唯一音」に呼び現す無量無辺の功徳がある(御書五五七ページ)。また、凡夫という無明の卵を温め、孵化させ、仏という鳥へと育てる「唱への母」である(御書一四四三ページ)と。
 そして大聖人は「声もをしまず唱うるなり」と述べられている。声も惜しまずといっても、声の大小ではない。一切衆生を成仏させようという慈悲の大音声です。
 学会の行動も、この大聖人の御精神を我が心とし、広宣流布のための「声も惜しまぬ」行動である。
 題目を真剣に唱える声を根本として、温かい励ましの声、毅然とした勇気の声、心からの歓喜の声、真剣な誓いの声、明快な知恵の声、等々に満ち満ちているのが創価学会である。そこに無量の功徳がわいているのです。
 学会こそが、惜しみない声また声で、広宣流布という偉大な「仏事」を為している教団なのです。

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