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日蓮大聖人・池田大作

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序論 民衆に呼びかける経典  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  女性の仏法者の活躍
 遠藤 読者からの声をうかがって、すごいなと思ったのは、婦人部、女子部の皆さんの求道心です。学ぶ心、研鑚の意欲。本当にすばらしいと思いました。
 池田 その通りだ。壮年部も男子部も、とてもかなわない(笑い)。純粋です。また粘り強い。とくに女性は、観念でなく実感でつかもうとされている。真剣に仏法を学び、語っていく功徳は、どれほど大きいか。その人は生々世々、舎利弗のような大学者の境涯になっていくにちがいない。
 須田 女性の仏法者の活躍に、こんな話があります。仏教が出現してから百年か二百年たったころ、シリア王の大使であったギリシャ人が、インドを訪れた。そして驚嘆したと言うのです。
 「インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者(philosophoi)たちがいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを堂々と論議している!」(『尼僧の告白』中村元訳〈岩波文庫〉の「あとがき」より)
 これを紹介している中村元博士は、さらに次のように指摘しています。「尼僧の教団の出現ということは、世界の思想史においても驚くべき事実である。当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、〈尼僧の教団〉なるものは存在しなかった。仏教が初めてつくったのである」(同前)と。
 池田 哲学をもち、堂々と論議する女性たち──学会では、すでに常識だが(笑い)、当時の世界では、珍しかったのでしょう。
 斉藤 古代インドでは、女性の地位は奴隷と変わらないほど低かったそうです。そうしたなかで、釈尊が女性を入団させた事実は、革命的な行為であったとされています。
 遠藤 今年(一九九五年)は、北京で「世界女性会議」が開かれます。″女性にも、それぞれの分野の主体者として活躍する機会を″との声が、宗教の分野からも起こっています。
 たとえばキリスト教では、昨年初めて、英国で国教会の女性司祭が誕生しました。カトリックでも、修道女の地位向上への要求を受けて、論議が高まっています。
 池田 すべての民衆を救うために説かれた仏法です。女性と男性に差別はない。出家と在家の違い、人種・学歴あるいは権力、経済力など、どんな社会的立場も関係ない。当然のことです。
 仏法は、だれのために説かれたか──むしろ差別され、虐げられ、″最も苦しんだ″人々をこそ、″最も幸福に″輝かせていく。それが仏法の力であり、法華経の智慧ではないだろうか。
 遠藤 ″女性を差別しない″といえば、法華経を含めて大乗経典には、しばしば「善男子・善女人」という言葉が用いられています。これは元来、良家の男子・女子という意味で、在家の男女を示す言葉です。善女人を善男子と並んで重視したことは、大乗教団には、たくさんの女性信徒が活躍していたことを示しています。
 池田 そうだろうね。今の学会婦人部の姿を見ればうなずける。
 ただし、法華経の「善男子・善女人」は、いわゆる「出家に対する在家」という二分法的な考え方に立った在家ではなく、出家・在家という相対を超えたものではないだろうか。
 むしろ仏と同じ仏道、つまり人間自立の道、生命勝利の道を歩むことを「決意した人」、その意味で「善き人」という意味あいが強いのではないかと感じられる。「善」は″心根のよさ″をあらわしているのではないだろうか。
 斉藤 そうだと思います。とくに釈尊滅後における経典の受持・弘通を勧める個所では、常に「善男子・善女人」と呼び掛けられています。在家・出家を問わず、「決意した人」でなければ、滅後における法華経受持・弘通という難事を担うことはできません。
 池田 法華経そのものが、民衆に開かれた経典であった。それは、法華経の担い手たちが、民衆の中へ入って説いたからこそ生き続けたと言えるのだろう。
3  法華経はだれのための経典か
 斉藤 そこでここでは「法華経はだれのために説かれたのか」というテーマで、法華経が「民衆のための経典」であることを浮き彫りにしていきたいと思います。
 池田 法華経の本質を知る上で大変に重要なテーマです。日蓮大聖人も「観心本尊抄」や「法華取要抄」で論じておられる。
 遠藤 法華経で、釈尊が法を説いている直接の相手は、たとえば前半(迹門)の中心的部分である方便品(第二章)では声聞の舎利弗であり、後半(本門)の中心的部分である寿量品(第十六章)では弥勒菩薩です。
 しかし、重要なのは、そのような声聞や菩薩に対して説かれた法華経の教えが、全体として、だれのために説かれたのかということです。
 須田 大聖人は「法華取要抄」で、法華経は本門も迹門も″釈尊滅後の衆生のために″説かれたのであり、なかんずく″末法の衆生のため″であると結論されています。さらに、末法の中でも″大聖人御自身のために″説かれたと仰せです。
 池田 「釈尊滅後の衆生のため」「末法の衆生のため」。ここに「一切衆生のため」という法華経の慈悲がこめられている。
 法華経では「一切衆生の成仏」が仏の一大事因縁、すなわち、仏がこの世に出現した、最大で究極の目的であると説かれている。滅後の衆生、とくに末法という濁世の衆生を救わなけれぼ、その理想は叶えられない。だから滅後の衆生のための教えを仏が説かないはずがない。そのための慈悲の経典が法華経です。
 大聖人は法華経を身読され、すべての民衆を幸福にする法華経の秘法を、南無妙法蓮華経として顕し弘められた。だから、末法の中でも「大聖人御自身のために」法華経は説かれたと仰せなのです。
 釈迦の仏法が滅するとされる末法という時代に、一切衆生の幸福という法華経の理想を、どう実現するか──その道を開いたのは、日蓮大聖人であられる。
 このご自覚の上から、法華経は大聖人のために説かれたと仰せなのです。その意味で、法華経とは、大聖人が末法に御出現されることを「予言」した経典ということも可能となる。
 須田 滅後の衆生は関係ない、救わないというのでは無慈悲な仏になってしまいます。法華経の寿量品(第十六章)では明確に釈尊滅後の人類の救済について説いています。有名な「良医病子」の譬喩も、そのことを説いたものです。
 遠藤 こう説かれています。良医である父親が留守の時に、子どもたちが毒を飲み、地を転げ回って苦しんでいた。そこで良医は、良薬を調合して与えたが、毒が深くまわって本心を失った子どもたちは飲もうとしなかった。
 そこで良医は、その子どもたちを救うために一計を案じ、良薬を置き残して旅立ちます。そして旅先から使いをやって「父は死んだ」と伝えます。その悲しみのあまり、子どもたちは正気を取り戻し、良薬を飲んで救われるのです。
 良医は仏、良医が旅立つのは仏の入滅を意味します。また、子どもたちは末法の衆生であり、良薬とは南無妙法蓮華経であり、使いとは地涌の菩薩であると大聖人は教えられています。つまり、仏の入滅後の衆生を救う良薬である南無妙法蓮華経が、寿量品に説かれているのです。
 池田 仏とはみずからの生命の真実を悟った人である。それは、とりもなおさず、あらゆる人の生命の真実を悟ったことでもあった。それが仏の智慧であり、法華経の智慧です。
 その意味で、法華経がだれのために説かれたのかといえば、「すべての人間のため」であり、その「自立」のためです。そこには当然、僧俗、男女、貧富、貴賎、老若等、いかなる差別もありません。ひとえに「人間のため」「民衆のため」です。
 斉藤 「釈尊の伝道宣言」と呼ばれるある経文に「人々の幸福のために、利益のために、安楽のために」(『律蔵』大品、趣意)という釈尊の言葉があります。
 サンスクリット(古代インドの文章語。梵語)の法華経では、仏の「一大事因縁」を明かすところで、全く同じ言葉が何個所も出てきます。簡素を好む羅什三蔵の漢訳では「饒益する所多く衆生を安楽ならしめたもう」(法華経一二三ページ)という一句にまとめられています。つまり、法華経は、すべての人々の真の幸福と安楽のために説かれたのである、と。
 池田 大聖人は「南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」と仰せられている。
 だれもが等しく、成仏の可能性をもっている。だれもが必ず、絶対の幸福境涯を満喫していける──これが法華経の教えなのです。
4  「民衆の言葉」で語る経典
 池田 この民衆性という点で注目したいのは、釈尊が、どんな言語で仏法を説いたかです。それは、マガダ語という″民衆の日常語″だったと言われているね。
 遠藤 はい。当時、正統のバラモン教では「聖典は、神聖な言語であるヴェーダ語でしか伝えてはならない」とされていました。そしてヴェーダ語は上流の知識階級でだけ用いられ、カースト最下層の人々や、カースト以外の不可触民には説き聞かせてはならないというのが、昔からの風習だったそうです。
 須田 そこで、こんなことを釈尊に言う弟子がいました。
 「尊い立派な教えを、民衆の俗語で語られたのでは、仏教の尊厳に傷がつきます。今後はバラモン教の聖典のように、格調の高いヴェーダ語で説くようにしてください」
 この弟子とは、バラモン出身で教養のある二人の兄弟です。釈尊の教えに感動して出家した僧でした。
 「とんでもないことだ!」。釈尊は、この申し出を一蹴します。そして、もし仏法をヴェーダ語で語る者があれば、厳罰に処するとまで言って徹底させたといいます。(『律蔵』小品、趣意)
 池田 階層を問わず、あらゆる人々に仏法を伝えたい──釈尊の気迫が伝わってくる話だね。
 大聖人も、在家の信徒に分かりやすいように、ひらがなでお手紙を書かれた。それを「恥辱」であるとして、焼いたり、漉きかえしにしたりした高僧がいたことは有名な事実です。
 遠藤 五老僧ですね。いずれも大聖人に近しい弟子でした。でありながら、その五人が、いかに大聖人のお心から離れていたか。日興上人は「富士一跡門徒存知の事」(御書一六〇四ページ)に書き残されています。
 そして広宣流布の時には仮名文字の御書を各国の言葉に訳して全世界に広めるべきだと述べられています。(「五人所破抄」御書一六一三)
 池田 その日興上人の願いを実現しているのが学会です。
 師の教えを「知っている」から偉いのではない。「何のために」知っているかです。
 「師の教えはすばらしい」とは、だれでも言える。「だから、何としても人々に伝えていくのだ」──これが日興上人であられる。「だから、それを知っている自分はすごいのだ」──これが五老僧ではなかっただろうか。一見、同じように師匠を尊敬しているかに見えて、内じつは″天地・水火″の違いです。ここを見誤ってはいけない。
 大乗仏教は、複雑な戒律で縛らない。人間の自由、自律を尊重します。しかし、ひとたび「民衆」という鏡に照らすとき、それは、極めて厳格なリーダーの規範となる。″いいかげん″は許されない。
 須田 法華経でも腐敗・堕落した宗教者・僧侶を厳しく批判しています。たとえば、「三類の強敵」を説いた勧持品(十三章)の二十行の偈がそれです。そこでは、いかにも悟りを得たかのような姿をとりながら、欲望の追求に走る僧侶の姿が示されています。
 遠藤 釈尊滅後百年ごろのアショーカ王が残した碑文に、「出家した後で、戒めを破り、サンガ(教団)の和合を乱す僧尼は還俗して(精舎を)追放しなければならない」(塚本啓祥『アショーカ王碑文』第三文明社、参照)と刻まれているのは有名です。
 池田 釈尊滅後まもなく、僧侶の堕落が始まっているという事実を、厳粛に受け止めねばならない。宗教は、リーダーが自己を見つめることを忘れると、みずからが権威化し、民衆から遊離していく危険を常にもっている。
 須田 仏法が民衆の言葉で語られたことは、法華経にも、あてはまります。 法華経のサンスクリットの写本は、現代に数多く残っているわけですが、これらは、それぞれ各地域の俗語的要素を含んだスタイルで書かれていると言うのです。経典は、最初から文字で書かれたのではなく、口伝えに広まったとされています。人から人へ、時を超え、国を超えて、伝わっていくうちに、その地その時の民衆の間で、独自の表現が加味され、個性豊かな多くの写本が形成されたのではないでしょうか。
5  仏教の本質は僧俗の平等
 遠藤 民衆性といえば、「法師」という言葉もそうです。
 法華経では、釈尊滅後に法華経を弘通する人を「法師」と呼んでいます。法師というと、普通は出家のように思われますが、「法を説く者」という意味で、出家・在家の両方を含んだ言葉です。この法師に、仏が「善男子、善女人」と呼び掛けています。
 須田 「法師」は、言葉の起源からいうと、むしろ在家者を指しているという説もあります。
 サンスクリットでは「ダルマ・バーナカ」といい、「ダルマ」は「法」です。「バーナカ」というのは「経典を暗誦し、誦する者」という意味で、ある経典(大事経など)では舞踏家、楽器演奏者などとともに音楽家の一種とされています。出家仏教である当時の小乗仏教教団では伎楽の演奏や歌舞の鑑賞を禁じられていますから、「バーナカ」は小乗仏教の範疇には入らない在家者であると考えられています。(塚本啓祥「インド社会と法華経の交渉」、坂本幸男編『法華経の思想と文化』〈平楽寺書店〉所収、参照)
 斉藤 仏教には出家・在家の区別のあることが、大前提のように考えられている傾向があります。とくに日本では、仏教ヒいえば僧侶が担うもの、という先入観が強い。在家は僧侶に布施をして拝んでもらう──それが仏教だと考えられています。
 しかし、僧俗の区別は本来、仏教が成立した当時のインド社会の文化状況を反映したもので、仏教の教理に基づく本質的なものではないことが明らかになっています。
 たとえば次のような仏教学者の指摘があります。「サンガの形成に当っても、サンガのめざす究極目的に対しては同一であったが、出家道と在家道とを二つに分けたことは、全くブッダがその中に生活した当時の時代思潮に順じたからに外ならない」(早島鏡正『初期仏教と社会生活』、岩波書店)
 遠藤 堀日亨上人も「僧俗と両様に区別することは、古今を通しての世界悉檀にしばらく準ずるものであって、あるいはかならずしも適確の区分でもなかろう」(『富士日日興上人詳伝』)といわれています。
 僧俗の区分は時代・社会によっては的確な区分ではなくなる場合もあるということです。
 須田 在家者に宗教に関する専門的な知識がなく、専門家としての聖職者に依存せざるを得ない時代には僧俗の区別も意味があったかもしれません。しかし現代は、知識・教育が社会全体に一般化し、出家が独占的な権威を主張できる時代ではありません。
 斉藤 出家と在家、聖職者と信徒という区分は、「実体」ではなく「働き」として、「身分」ではなく「役割」としてとらえるべきではないかと思います。
 池田 創価学会においては″身分としての聖職者″は存在しない。教義の研鑚はもちろん、布教も儀式の執行も、社会に根差した在家者である会員が一切を担っている。民衆が担う宗教です。
 牧口初代会長は「信者ではなく行者であれ」と叫ばれたが、その通りの行動をしています。一部の聖職者が権威を独占し、信徒はその権威に従属していくという伝統教団のあり方では、二十一世紀を目前にした現代社会には、とうてい適応できないことは確かでしょう。
 遠藤 聖職者中心の行き方をとってきたカトリックでも、現在は信徒に大幅な権限を認め、その意見が教団全体に反映できるようになっているようです。信徒を尊重し、その役割を認めていくことが、引き返すことのできない、宗教の方向性と考えられます。
 また、日本のバプテスト連盟に属している教会が、牧師制を廃止しました。そのことをとらえて、ある神学博士は、こう述べています。二十五年ほど前(一九七〇年)のことです。
 「牧師制度の中に座して、信徒をとおして間接にしか現実にふれない牧師はみずから社会の矛盾や動きにぶつかろうとしない。(中略)人々が日常の生活の中で担っている不安や苦悩に直接にふれることもないところでつくられる説教が人々の心にふれえないのも当然である。しかも、その説教には反論も許されない。このような牧師の権威に従い、精神的に依存してしか生きられないキリスト教徒からは、社会を動かしうるような信仰は生まれてこない」(熊沢義宣『明日の神学と教会』日本基督教団出版局)
 その後、聖職者中心でなく、信徒中心を掲げる「在家キリスト教」という考え方も、聖職者の側から提起されています。
 池田 社会で現実と格闘している人間にしか、社会で生きる人々の心は分からない。宗教が、本気で民衆のなかへ開いていこうとすれば、一部の特権階級中心ではなく、民衆中心を志向するのは、必然の流れではないだろうか。
 須田 「出家は不可欠か」。中国仏教協会の趙樸初会長は語られています。
 結論として「仏法の因縁と衆生利益の因縁を保てば、出家してもしなくてもよいのです」(『仏教入門』圓輝原訳、趙樸初先生著作刊行会監訳、法藏館)と。また「(=僧侶は)人にかわって福を祈り災をはらったり、神にかわって福をまねいたり罪を免がれさせることもできません」「歴史的にみれば、仏教が最も隆盛したのは、僧侶が一ばん多かった時代ではありません。僧侶の多すぎた時代は、むしろ仏教が衰退した時でした」(同前)
 信徒が自分の幸福や安穏を、僧侶に代わりに拝んでもらっても意味がない。僧侶が多いことは、かえって仏法の発展にマイナスになる。仏法をたもち、それを人々に教えていくという実践があれば、必ずしも出家する必要はないのだ、と。
 池田 趙樸初ちょうぼくしょ会長は、第一次訪中(一九七四年)以来の友人です。著名な書家であり、政治協商会議の全国委員会副主席でもあられる。
 中国で、東京で、法華経をめぐって何時問も語り合いました。法華経の文々句々を掌にされている方で、「爾時世尊」と、こちらが言うと、会長から「従三昧」と返ってくる。
 斉藤 じつは、私も四年前(九一年)、第一回の青年文化訪中団の一員として、天台山に行かせていただきました。
 池田 大聖人が「天台山に竜門と申す所あり其の滝百丈なり」と述べられたところだね。
 斉藤 はい。石梁瀑布といって、滝の途中に石橋がかかっているのですが、下から仰ぐと、まさに竜が石の門をくぐって登っていく姿に似ています。
 その近くにある古跡に、趙樸初会長が書かれた額が掲げられていたのです。
 そこには「法乳千秋」とありました。鮮やかな筆跡から、″仏法の滋養が、いつまでも民衆を潤し、育んでいくように″との願いが伝わってくるようでした。
 池田 会長は何度も語っておられた。「仏教とは本来、民衆と結びついたものです。それゆえに人間のなかに、衆生のなかに入っていくことが正しい」
 そして「私が日本を訪問したとき、皆さん方の文化祭の映画を見せていただきましたが、そこに躍動する人間の姿は、まさしく皆さん方が、衆生のなかで活躍している証拠であると感銘を深くしました」と(七八年、第四次訪中のさい)。
 在家である学会員の姿に、″人間のなかに入っていく″という仏法本来の精神を見ておられる。昨年(九四年)、学会の代表が表敬訪問したときも、変わらぬ友好の思いを語ってくださいました。ともあれ、二十一世紀の宗教は、民衆が自分で考え、自分で賢明に生き方を決める「自立」の智慧を与えるものでなければならないでしょう。
6  「二十一世紀の宗教」は民衆の宗教
 須田 宗教は「民衆を、自分の考えをもたない幼児的な状態に押しこめておこうとする傾向」を乗り越えねばならない──。こう主張されたのが、池田先生と会われたハーバード大学のコックス博士です。(聖教新聞一九九五年二月二十八日付「二十一世紀の宗教を考える──識者の声」)
 また博士は『民衆宗教の時代』という著作で、こう強調されました。
 「究極的分析において宗教の本当の担い手は、いつも一般民衆である」(野村耕三・武邦保訳、新教出版社)
 池田 コックス博士は、マーティン・ルーサー・キング氏(アメリカ公民権運動の指導者)と学友であった。パークス女史の″勇気の「ノー」″から始まったバス・ボイコット運動のさなかに、初めて二人は出会われたようだ。
 遠藤 同じバプテスト教会に所属し、キング氏が暗殺されるまで十二年間、非暴力の同志として戦われたともうかがいました。一緒に牢に入ったこともある、と。
 池田 初めて創価大学で語り合ったときの、コックス博士の言葉が忘れられません。
 「創価学会が根幹としている仏法の思想は、キングがそのために生き、そのために死んだ『理想』と、軌を一にしています。またその理念、価値体系は、私自身が人生の中で達成したいと願っている目標でもあります」(『聖教新聞』九二年五月四日付)
 斉藤 博士は、キリストの教えを学んだ方です。宗教は異なるのに、これほどまでに仏法と響き合う。「正見」の人かどうかを、宗派によって、教条的に見ることはできませんね。
 池田 ″仏教以外の思想や哲学を縁として「正見」に入る人もある″と、大聖人は述べられている。たとえ法華経に出あっても、誤った考えに執着して、法華経の真実の素晴らしさを分かろうとしない者は、これら仏教以外の賢人・聖人に劣るのであると(「観心本尊抄」御書二四二)
 また「法華を識る者は世法を得可きか」と大聖人は仰せです。
 「法華経の智慧」とは、社会をよくして、民衆を幸せにしていく智慧です。そうでなければ仏法の智慧とは言えない。開いて言えば、民衆を幸せにする智慧は、すべて「法華経の智慧」であるとさえ言えるのではないだろうか。
 大聖人は、民衆を苦しめた悪王を討って世を治めた周の太公望や前漢の張良などについて、こう述べられています。
 「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり
 仏教が中国に渡る以前であっても、これらの人々は仏法の智慧をもって民衆を幸せにしたのだ、と。「民衆中心」とは「人間中心」と同じです。それは「宗派性」も「僧俗の区別」も超えて輝くものです。
 赤裸々な一個の人間として、他者に対し、社会に対し、何ができるか──その意識や力を絶えず湧きあがらせていく源泉が、「民衆の宗教」であり「二十一世紀の宗教」であるはずだ。それが法華経の魂です。
 民衆の詩人、ホイットマンは謳いました。
 「ところで君は君自身をどんなふうに思ってきた、
 それでは自分を劣っていると思ったのは君なのか、
 大統領が君よりえらいと思ったのは君なのか、
 あるいは金持ちのほうが君より裕福で、教育のあるほうが君より賢いと思ったのは君なのか」(「仕事を讃える歌」、『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 「わたしが手を変え品を変え君の悟らせようとしているのは、
 男も女も神と同じという以外の何だと君は思うか、
 いっそ神だとて『君自身』以上にいささかも神聖ではないということ以外の」
 何であろうか──と。(「創造のための法則」、同)
 「君自身」とは「生命」と言ってもよいでしよう。これはまさに仏法であり、法華経の世界です。″あなた以上に尊いものはないのです″──法華経は民衆の一人一人に、こう呼びかけているのです。

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