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日蓮大聖人・池田大作

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序論 「生命」がキーワードの時代へ  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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6  「生命尊厳の世紀」へ
 斉藤 「民主主義」と「生命観」といえば、ゴルバチョフ財団のツィプコ博士は、本年(九五年)の年頭に日本の新聞(「北海道新聞」一月六日付夕刊)で述べています。
 「今こそ、ソ連は完全に崩壊した」と。
 「チェチェンの戦争は、ロシアの若い民主主義の敗北を意味するにとどまらない。あの戦争は、ロシアが道徳的に自己崩壊したことを意味している」
 「孤立して、今後の予想もつかぬロシア連邦は、世界で認められ、人気を得ることはあるまい。世界が新民主ロシアの代わりに手にしたのは、人間の命の価値が非常に小さく、国内問題が戦車と大砲の力で解決される国、政府が誰も何も統制できない国であった。このロシアの袋小路からの出口を考えつくのはむずかしい。いったい、出口はあるのだろうか」と。
 遠藤 この戦争で、たくさんの貴い命が失われました。駆り出された兵士たちのなかには、まだあどけなさの残る青少年たちも多かったといいます。出兵した息子が心配で、いてもたってもいられず、ロシアから戦地まで追いかけて行った母親もいたそうです。
 池田 どんな理由をつけようと、この世に″正しい戦争″なんかありません。絶対にない。苦しむのは、結局、庶民であり、家族であり、母親です。
 私も、長兄(喜一)を戦争で亡くしました。昭和二十年(一九四五年)一月十一日、ビルマ(現ミャンマー)で戦死。二十九歳の若さでした。その報が我が家に届いたのは、二年以上たってからのことです。
 「喜一の夢を見たよ。大丈夫、大丈夫だ。必ず生きて帰ってくる、といって出ていった」。終戦後しばらく、母は何度も、うれしそうに話していました。何とか明るく振る舞おうとする気丈さが、かえって痛々しかった。戦死の報を受け取り、一縷の望みが絶たれたときの母の後ろ姿。そして帰ってきた遺骨を抱きかかえるようにしていたその姿。私は永久に忘れることはできない。
 ツィプコ博士の言葉に「人間の命の価値が小さい国」とあったが、人間を、「国家の目」で見るか、「生命の目」で見るかです。「国家の目」は、生命を権力のしもべとして利用しようとし、数や物に還元してしまう。「生命の目」は、相手を、かけがえのない無二の存在として慈しむ。
 戸田先生の「仏とは生命なり」との悟達は、「生命こそ絶対にして最高の実在である」との宣言でもあった。人間の尊厳を失わしめる、あらゆる歪んだ「目」に対する挑戦の開始であったと思う。それこそ仏法の本源的な挑戦なのです。
 遠藤 ツィブコ博士が指摘したロシアの「若い民主主義の敗北」も、「非物質的な秩序への尊敬」(ハベル大統領)すなわち「生命への尊敬」が欠落している悲劇でしょう。
 須田 「生命への尊敬」。これは、池田先生がトインビー博士と編まれた対談集(『二十一世紀への対話』)の最後のテーマでもありました。
 生命よりもイデオロギーを優先させる時代に終わりを告げなければならない、二十一世紀を「生命の世紀」としなければならないとの、並々ならぬ決意を感じました。
 池田 そう。まさにその「生命の世紀」への突破口を開かれたのが、戸田先生だったのです。そのお心を我が身に駆けめぐらせて、私は世界を回り「人間の尊厳」を訴え続けてきたのです。
 先生の残された「生命論」が、どれほど先見に満ちた、一大哲理の結晶であるか。後世の歴史は証明するでしょう。

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