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日蓮大聖人・池田大作

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第24巻 「母の詩」 母の詩

小説「新・人間革命」

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55  母の詩(55)
 十一月中旬、中部・北陸・関西指導に旅立った山本伸一は、戸田城聖の生誕の地・石川県に足を運んだ。
 十三日、彼は、石川文化会館で、「戸田記念室」を設置し、石川広布の原点の地として荘厳していくように提案。翌日には、富山文化会館を訪問し、「牧口記念室」の設置を提案したのである。
 そして、十七日、大阪府豊中市に誕生した関西牧口記念館の開館式に臨んだ。創価学会の創立記念日であり、初代会長・牧口常三郎の殉教の日でもある「11・18」を、翌日に控えてのオープンであった。
 十一月十八日――この日、伸一は、関西戸田記念講堂での、学会創立四十六周年の記念式典、並びに、牧口の三十三回忌法要に出席したのである。席上、伸一は語った。
 「正法正義を守り抜き、誉れの殉教者として、死して獄門を出た先師・牧口先生。そして、その師に代わって、広宣流布に生涯を捧げようと誓い、生きて獄門を出て、死身弘法の実践を貫いた戸田先生――この厳粛な師弟一極の歩みのなかに、地涌の菩薩の本事たる広宣流布の道があるのであります」
 戸田は、牧口の三回忌法要の折、牧口の遺影に、こう誓っている。
 ――「この不肖の子、不肖の弟子も、二カ年の牢獄生活に、御仏を拝し奉りては、この愚鈍の身を、広宣流布のため、一生涯を捨てる決心をいたしました。ご覧くださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命を全うし、霊鷲山会にて、お目にかかる日には、必ずや、お褒めにあずかる決心でございます」
 伸一もまた、誓うのであった。
 「牧口先生が獄舎にあって、ご老体の身で、殉教の瞬間まで、壮絶無比なる戦いをされたのは、全部、今日の私たちのためであります。
 その精神の継承なくして広宣流布はない。私も、牧口先生、戸田先生の志を受け継ぎ、わが生命を広布に捧げ抜いてまいります」
 師弟ありてこそ、永遠なる創価の広宣流布の大道がある。

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