Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第22巻 「新世紀」 新世紀

小説「新・人間革命」

前後
54  新世紀(54)
 東京・信濃町で、食事をしながら歓談した時のことであった。松下幸之助は、突然、座り直して、山本伸一に言った。
 「これから私は、先生を、『お父さま』とお呼びしたい」
 伸一は面食らった。松下は続けた。
 「年は先生の方がお若いが、仏法のこともいろいろとお教えいただいた。私には『お父さま』のように感じられてなりません」
 「何をおっしゃいますか。とんでもないことです。あってはいけないことです。私の方こそ、『お父さま』と呼ばせてください」
 松下は、なかなか折れなかった。結局、互いに「お父さま」と呼ぶことで、ようやく話は収まった。
 伸一は、学ぶことに対して、どこまでも謙虚な、松下の純粋な心に触れた思いがした。
 一九八八年(昭和六十三年)一月、伸一は還暦を迎えた。その時、松下から祝詞が届いた。そこには、こうあった。
 「本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになって頂き、もうひとつ『創価学会』をお作りになられる位の心意気で、益々ご健勝にて、世界の平和と人類の繁栄・幸福のために、ご尽瘁とご活躍をお祈り致します」
 松下はこの時、既に九十三歳であった。しかし、青年にも勝る灼熱の心をもっていた。
 以来、伸一は、その言葉を胸に刻み、SGI(創価学会インタナショナル)の大発展に一段と力を注いだ。そして、世界百九十二カ国・地域を結ぶ、平和と文化と教育の人間主義のスクラムを築き上げていくのである。
 二人の会談は、三十回ほどになろうか。誠心の糸を紡ぎ続け、信頼と友情の錦を織り上げていったのだ。
 ″未来に、人類の幸福と平和を築く、確かなるメッセージを残さなくてはならない!″
 伸一は、そう定め、生命を削る覚悟で時間を捻出し、各界の指導者、識者との対談集、往復書簡集を生み出していったのである。

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