Nichiren・Ikeda
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53 宝冠(53)
ソ連の大地に別れを告げる時が来た。
山本伸一たち訪ソ団一行は空港に向かい、午後八時に、モスクワのシェレメチェボ空港を出発し、帰国の途に就いた。
伸一は、次第に高度を上げる飛行機の中で、一人の老人との対話を思い起こしていた。
この日の午後、「さよならパーティー」の会場に早めに着いた彼は、店の近くにある池の畔を歩いた。そこに、フードの付いたコートを着て、鳥打ち帽を被った老人が、孫を連れて、釣り糸を垂れていたのである。
「どうですか、釣れますか」
「まあまあだね……」
伸一は、家庭のことなどを尋ねてみた。戦争で失った家族がいるようだ。
「今は、幸せですか」
伸一が聞くと、老人は答えた。
「ああ、こうして孫と一緒に釣りができるからね。若い時は、戦争に行っていて、釣りもできなかった……」
それから、孫に視線を注ぎながら語った。
「わしらは、戦争に苦しめられてきた。この子たちには、あんな思いは、絶対にさせたくはない……」
そして、胸の思いを吐き出すように言った。
「もう、こりごりだ……。戦争はいけませんや。絶対に、絶対にいけませんや!」
戦争の辛酸を、幾たびとなく、なめてきたのであろう。深く皺の刻まれた顔には、怒りと、悲しみがあふれていた。―
―伸一は、その顔を、その声を、忘れることができなかった。
″民衆は、心の底から平和を求めている。
その声をくみ上げ、その心を結ぶのだ!″
伸一は、窓の外を見た。星々の下に、漆黒の世界が広がっていた。彼の目には、地上に延びる精神のシルクロードが映っていた。
″この精神のシルクロードを築き上げることこそ、モスクワ大学の名誉博士号という「知性の宝冠」を賜った私の使命なのだ!″
彼は逸る心で、星辰の彼方を仰いだ。