Nichiren・Ikeda
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51 師恩(51)
日蓮大聖人は、「日蓮は草木の如く師匠は大地の如し」と仰せである。師匠の存在がなければ弟子はない。
では、その師への報恩の道とは何か――日蓮大聖人は結論されている。
「此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」
仏法を学び究め、幸福と平和の道を開く智者、すなわち広宣流布の大リーダーに育つことなのである。
弟子は、師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くし抜くのだ。
その功徳は師に回向され、最高の追善となっていくのである。いや、師の評価も、師の構想が実現できるかどうかも、弟子によって決定づけられてしまう。
大聖人は「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」と御断言になっている。
師弟不二の道こそ、創価学会の魂であり、広宣流布の生命線なのだ。
山本伸一は、栃木県幹部総会で、新たなる地域社会の発展のためには、人間の精神の総開発が急務であり、そこに仏法者の使命があることを力説していった。
檜山浩平は、二階の来賓席で、教え子の伸一の講演を、感無量の面持ちで聴き入っていた。
幹部総会が終了したあと、再びマイクを取った伸一は言った。
「本日は、私の小学校時代の大切な恩師である、檜山先生ご夫妻がおいでくださっております。
先生のご健康、ご長寿を願い、感謝を込めて、ここで万歳を三唱させていただきます」
大拍手が起こった。
伸一は、「檜山先生、万歳!」と叫び、大きく手を振り上げた。
その声に、全参加者が唱和した。
「万歳! 万歳!万歳!」
檜山は、民衆のたくましき大リーダーに育った教え子の姿に、目を潤ませながら、じっと彼を見つめていた。
伸一は、広宣流布の師である戸田城聖もまた、微笑みを浮かべて、自分がいかに戦い抜くかを、じっと見ているように感じられてならなかった。