Nichiren・Ikeda
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49 緑野(49)
山本伸一は、戸田城聖をしのぶように、目を細めながら話を続けた。
「戸田先生は、タンチョウ保護のために、その時、金五十万円を寄付された。丹頂鶴自然公園開園の一年前にあたる昭和三十二年(一九五七年)のことです。まだ、公務員の初任給が一万円もしない時代です。
私たちも自然保護に力を注ごう。それには、植樹などとともに、自然を大切にする仏法の思想を人びとの心に打ち立てていくことが大事です。
その先陣を、大自然に恵まれた北海道の皆さんが切ってください。
北海道を、『緑の寂光土』にしようではありませんか。仏法者として、新たな社会貢献の道を切り開いていくのが、『広布第二章』なんです」
環境保護への伸一の構想は、日本国内はもとより、やがてSGI(創価学会インタナシ
ョナル)各国に広がっていった。
そして、ブラジルSGIの「アマゾン自然環境センター」の設立をはじめ、各国の植樹運動や環境教育運動となり、未来を開く、持続可能な環境保護運動の潮流となったのである。
――二〇〇五年(平成十七年)二月、伸一は、ノーベル平和賞の受賞者で、ケニアから広がった植樹運動「グリーンベルト運動」の指導者ワンガリ・マータイ博士と会見した。
席上、彼女は、伸一に語った。
「皆様が、仏教の教えにもとづいた深い価値観をもっていることに感銘しています。しかも、これらの価値観が、社会に根を張っている。
皆様の思想は『生命を大切にする』思想です。『自然を大切にする』思想です。『人間の生命と社会を大切にする』思想です」
そして、伸一が、その大切な価値観を何百万人もの人に広めたことに、「心から最大の感謝を捧げたい」と述べた。
彼女は毅然と訴えた。
「未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです」
それは、伸一の一貫した信条であり、彼の魂の叫びでもあった。