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日蓮大聖人・池田大作

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第16巻 「対話」 対話

小説「新・人間革命」

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55  対話(55)
 トインビー博士の「世界に対話の旋風を」との言葉を、遺言として受け止めた山本伸一は、国家や民族、宗教、イデオロギーを超えて、世界の国家指導者をはじめ、識者らと、本格的な対話を重ねていった。
 中ソ紛争が一触即発の状況にあった一九七四年(昭和四十九年)九月、彼はソ連を初訪問し、コスイギン首相と会見。そこで、率直に尋ねた。
 「ソ連は中国を攻めますか」
 「ソ連は中国を攻撃するつもりはありません」
 「中国に伝えていいですか」
 「結構です」
 三カ月後、中国を訪問し、ソ連の意向を伝え、さらに、病身の周恩来総理と会見するのである。
 また、伸一は、翌年一月には、アメリカのキッシンジャー国務長官と会談している。
 ″中ソの紛争を、東西の対立を、いや、この世から戦争を、絶対になくさねばならぬ。その道を開くのは対話しかない″
 その不動なる信念のもとに、彼は走りに走り、語りに語り抜いた。
 対談した世界の主な国家指導者だけでも、ソ連のゴルバチョフ大統領をはじめ、フランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相、インドのラジブ・ガンジー首相、南アフリカのマンデラ大統領、キューバのカストロ国家評議会議長など枚挙にいとまがない。
 また、周総理の夫人である鄧穎超とうえいちょう全人代常務委員会副委員長とも、友誼の対話を重ねた。
 博士との対談以降、伸一が重ねた世界各界の指導者、学識者らとの会談は千六百回を超える。
 それは、ある時には東洋と西洋の対話となり、ある時には仏法の人間主義と社会主義との、また、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教との対話となった。
 その対話が対談集として結実したものも多い。
 ゴルバチョフ元大統領との対談は『二十世紀の精神の教訓』に、ノーベル化学・平和賞受賞者のポーリング博士との対談は『「生命の世紀」への探求』となった。
 海外識者との対談集は三十三冊を数える(二〇〇四年九月現在)。
 対話こそ人間の特権である。それは人間を隔てるあらゆる障壁を超え、心を結び、世界を結ぶ、最強の絆となる。

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