Nichiren・Ikeda
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59 入魂(59)
創価文化会館での千代田区の記念撮影会に出席した山本伸一は、マイクを取ると、最初に「千代田七百五十人会」の結成を提案した。
歓声がわいた。
「当面は、第七の鐘が鳴り終わる昭和五十四年(一九七九年)をめざして、毎年、春と秋の年二回、学会本部などに集まってはどうだろうか。
そして、勤行をしてもよい、楽しく交流を深めてもよい。
ともかく、地域広布への誓いを胸に、互いに切磋琢磨し合いながら、進んでいっていただきたいのであります。
私も、可能な限り、出席いたします。出られない時は、誰か代理に出席してもらうこともあるかと思いますが、その日を前進の節にしながら、共に広宣流布の大使命に、生き抜いていこうではありませんか!」
誓いと賛同の大拍手がこだました。
この日は、日本の中核たる千代田の、新しき船出となったのである。
後年、「千代田七百五十人会」は、さらに十人のメンバーの追加が決議され、七百六十人会となっていくが、このメンバーが、千代田の核となって、盤石な広布の礎が築かれていったのである。
四月、伸一は関西指導に赴き、大阪で堺・泉州のスポーツ祭や大学会の結成式などに出席し、激励の歩みは、奈良、兵庫にも及んだ。
そして、四月の二十九日には、約一カ月にわたる、ヨーロッパ、アメリカ訪問に出発することになる。
広宣流布とは、虐げられ続けてきた民衆が、社会の主体者となり、勝利と幸福の旗を掲げる、人類史の転換のドラマである。それだけに伸一には、一瞬の逡巡も、また、失敗も、絶対に許されなかった。
ロマン・ロランは、鋭い警鐘の矢を放った。
「行動して然るべき瞬間に行動しない者、その者は戦う以前に敗れ去っている」
伸一は、決して時を逃さなかった。瞬間、瞬間が、真剣勝負であった。
彼は、わが命を炎と燃やして、入魂の指導を続けた。そして、あの地、この地で、庶民の英雄が立ち上がっていった。
それこそが、創価の新しき勝利の原動力となっていったのである。 (この章終わり)