Nichiren・Ikeda
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39 躍進(39)
山本伸一は、佐渡を訪問した折、新潟に向かう船のなかで、自分もまた、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との決意で、広布に生き抜こうと誓ったことが忘れられなかった。
そして、七年前の第三代会長就任の日以来、この御文を身で拝する生涯を送ろうと、固く心に決めてきたのである。
彼は今、新潟の記念撮影の会場となった体育館にあって、佐渡のメンバーに、力を込めて語った。
「御書に明らかなように、私たちにも、必ず大難があるでしょう。むしろ、今までが順調すぎました。
難があるのは、創価学会が蓮祖の仰せのままに、広宣流布を推進している、唯一の団体だからです。
だが、皆さんは、現代の阿仏房、千日尼となって、生涯、純粋な信心で戦い抜き、佐渡の広宣流布を成し遂げていってください。
大聖人は、皆さんの活躍を、じっと、御覧になっていますよ。
また、お会いしましょう」
伸一は、皆に別れを告げると、車で宿舎の旅館に向かった。
途中、車は海沿いの道を走った。
日本海の美しい夕焼けが広がっていた。
空も海も、燃えるような紅である。
だが、磯を打つ波は激しく、金の飛沫を高く上げながら、砕け散っていた。
伸一は、佐渡の同志たちに、必ず大難があると語ったが、このところ、その予感が、日ごとに強くなっていくのである。
特に、公明党が衆議院に進出してからは、それが、ことのほか、胸に迫ってきてならなかった。
大聖人の御生涯を見ると、「立正安国論」をもって国主諫暁されて以来、怒濤のごとく大難が競い起こっている。権力者を諫め、正そうとしたがゆえである。
創価学会も公明党を誕生させ、その党が衆議院に進出し、いよいよ仏法の慈悲を根底にした人間主義の政治の実現に、本格的に着手したのだ。
これは、政治権力の悪を断とうとするものであり、諫暁に通じよう。ゆえに、それを排除せんとする画策がなされるのも、また、当然といえる。
しかし、伸一は、すべてを覚悟で、進もうと思った。仏法を社会に開きゆくために――。
彼方を、一隻の船が、波に揉まれながら、夕日に向かって突き進んでいた。