Nichiren・Ikeda
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第10巻 「言論城」
言論城
小説「新・人間革命」
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42 言論城(42)
今回の夏季講習会には、船で何十日もかかって来日した人はいなかったが、川崎鋭治をはじめ、フランスのメンバー八人は、汽車、飛行機、船を乗り継いで、八日がかりで、日本にやって来た。
一行は、七月二十五日の午後二時半に、汽車でパリを出発。ベルギー、西ドイツ(当時)、東ドイツ(同)、ポーランドを通り、ソ連(同)に入った。
ソ連の最初の駅となるブレストで、パスポート、所持品、所持金、各種の予防注射の有無などの審査を受けた。
チェックは厳格であり、車内のベッドまで持ち上げ、丹念に調べられた。
列車がスモレンスクを経て、モスクワに到着したのは、二十七日の午後四時二十分であった。
モスクワでホテルに一泊し、翌二十八日の午後八時半発の飛行機で、ハバロフスクに向かった。ロシア横断の旅だが、搭乗機はプロペラ機であった。
二十九日の午前四時半にハバロフスクに到着し、ここから、再び汽車に乗り、三十日の午前八時過ぎにナホトカに着いた。
そして、ナホトカから船に乗り、八月一日の午後五時前、横浜港に到着したのである。
道中、メンバーは、寸暇を惜しんで唱題に励み、船のなかでは教学の試験も行っている。
パリから東京まで、ジェット機を使えば、こんなに時間もかからず、快適な旅ができるが、皆の経済的な事情が、それを許さなかったのである。
山本伸一は、法を求めて日本にやって来た、海外の同志の求道心に、深い感動を覚え、熱い涙が込み上げてならなかった。
そして、幸福に包まれた皆の未来と、それぞれの国の大発展を確信した。
求道心こそ、信心の養分を吸い上げ、自身の成長をもたらす根である。その根が強ければ、必ずや、幸福の花々を咲かせゆくからである。
伸一は、海外メンバーが講習会を終え、総本山を後にする時にも、力の限り、励ましを送った。
メンバーが、自分たちの国への、伸一の訪問を要請すると、彼は明言した。
「必ず行きます。皆さんにお会いするために……。
私は、この週末には、アメリカへ出発することになっているんです。
『本門の時代』というのは、世界広布の時代のことです。一緒に、世界の平和の扉を開きましょう!」
赤銅色の山肌を見せた富士が、夏の太陽を浴びながら、澄んだ青空に、厳然として、そびえ立っていた。
(この章終わり)