Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第9巻 「鳳雛」 鳳雛

小説「新・人間革命」

前後
48  鳳雛(48)
 山本伸一は、帰りの車中で、早速、「我が青春譜」の四番の歌詞を考えた。
 彼の思いは、そのまま、歌詞となった。歌は、一瞬にしてできあがった。
 四、富士の高嶺を
       あおぎゆく
   君よおいたて
       ぼくは待つ
   使命は深し 生死あり
   進む君等に 光あれ
   未来に燦たる青春譜
 この歌詞は、翌日には、メンバーに伝えられた。
 約束を虚妄にしない、山本会長の誠実さに、また、その迅速さに、まず、メンバーは感動した。そして、歌詞を見ると、その感動は衝撃に変わった。
 なんという信頼、なんという深き自己の使命か――皆、限りなく優しい師の腕に包まれている喜びに、胸が震えるのであった。
 十一月二十五日、東京・両国の日大講堂で行われた本部幹部会では、定時制高等部員の誓いの歌声がこだました。
 山本伸一は、壇上で、その歌声に耳を傾けながら、心で叫び続けた。
 ″今は、苦しく、辛いこともあるだろう。しかし、負けるな! 断じて、負けるな!
 最も厳しい環境のなかから、最高の大指導者が育つということを、君たちが証明するのだ。
 道を開け! 二十一世紀のパイオニアたちよ″
 こうした山本会長の陣頭指揮ともいうべき育成によって、高等部は、目覚ましい発展を遂げていった。
 結成二年後の一九六六年(昭和四十一年)六月には、部員十万を達成し、さらに、六八年(同四十三年)には、部員十八万へと、飛躍的に拡大していったのである。
 また、この六八年には、女子高等部長が誕生し、本部の海外総局で、英語版の月刊誌「セイキョウ・タイムズ」の編集にあたり、副高等部長を務めてきた大河内智子が、初代女子高等部長に就任している。
 会長山本伸一が、「本門の時代」の出発に際し、高等部、中等部、少年部という、未来の人材の泉を掘ったことによって、創価後継の大河の流れが、一段と開かれ、二十一世紀への洋々たる水平線が見えてきたのである。
 使命の苗を植え、育む、伸一の人間教育は、青少年の心に、精神の不屈なる力を培っていった。
 それは、戦後日本の荒廃した教育に、新しき光を投げかけるものであった。
 だが、それに気づく教育者も、学者も皆無であったといってよい。

1
48