Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第7巻 「操舵」 操舵

小説「新・人間革命」

前後
47  操舵(47)
 朱千尋(チュー・チェンシュン)は、時間を見つけては、個人的に同志を励ました。皆に功徳を受けさせ、仏法への不動の確信をもたせたかったのである。
 彼から激励された人びとは、懸命に唱題に励み、多くの功徳の体験をつかんだ。すると、その喜びを人に語らずにはいられなかった。それを聞いた人たちのなかから、自ら題目を唱える人が出始めた。
 この″冬の時代″にあっても、正法は、自然のうちに、深く社会に根差していったのである。
 やがて、台湾は民主化の道をたどり始め、宗教に対しても寛容な態度がとられるようになった。
 一九八七年には戒厳令も解除され、九〇年には台湾の組織として「仏学会」が、晴れて団体登録されることになる。台北(タイペイ)支部の解散から、実に二十七星霜が流れていた。
 しかも「仏学会」は、その後、文化祭などの諸活動による社会貢献の業績が高く評価され、内政部から″優良社会団体″として、何度も表彰されるようになるのである――。
 山本伸一は、台湾の組織が解散させられた報告を聞くと、いよいよ激動の時代に入ったことを、深く自覚せざるをえなかった。
 ″創価学会丸″が社会の海原へ、世界の大海に船出した今、激浪が猛り狂うことは当然といってよい。
 たとえば、日本で公明会が政治改革に乗り出せば、その母体の学会が既成政党の攻撃の的となり、更には、世界の国々も、学会に警戒の目を向けることは明らかであった。
 また、学会は地球民族主義を掲げ、全人類の幸福と平和を目的としている。しかし、社会主義陣営の国と交流すれば、自由主義陣営の国からは批判を浴びることになるし、逆のケースもあることを覚悟しなければならなかった。
 そのなかで、イデオロギー、国家、民族を超えて、人間の心と心を結び、恒久平和の実現という、世界の広宣流布をめざすことは、まさに人類史的実験といってよかった。
 しかし、いかに波浪は激しく、嵐は猛るとも、人間の勝利の旗を打ち立てるために、伸一は新世紀の大陸に向かって、必死になって舵を操るしかなかった。
 三十五歳の青年会長の操舵に、広宣流布のすべてはかかっていたのである。
 目前には、会長就任三周年となる五月三日が迫っていた。

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