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日蓮大聖人・池田大作

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第6巻 「波浪」 波浪

小説「新・人間革命」

前後
31  波浪(31)
 尾去沢鉱山の事件は、和解によって、除名から四カ月で終止符が打たれたが、中里炭鉱の事件は、本裁判に持ち込まれた。
 中里炭鉱に残っている吉山恒造一人が原告となり、組合を相手取って除名決議の無効を訴えたのである。
 そして、八回にわたる公判の末、長崎地裁佐世保支部は、一九六四年(昭和三十九年)三月三十日、吉山の主張通り、除名決議は無効との判決を下したのだ。
 しかし、組合側は、判決を不服として控訴した。
 翌一九六五年(同四十年)の四月、福岡高裁は、控訴棄却の判決を出すが、更に組合側は、最高裁に上告したのである。組合の体面を守るためだけの醜い姿であった。
 その結果、裁判の決着は最高裁判決まで持ち越されることになった。中里炭鉱は一九六七年(同四十二年)一月に閉鎖されるが、裁判はその後も続いていた。
 最高裁の判決は、上告から四年後であった。一九六九年(同四十四年)の五月二日、最高裁第二小法廷は、一審、二審判決を支持し、″組合員の政治活動を制限することは、組合の統制権の限界を超えるものであり、違法である″という趣旨の判決を下し、組合の除名処分を無効とした。
 実に、事件勃発から七年の歳月を経て、遂に、全面勝訴が決まったのである。
 吉山は「悪は多けれども一善にかつ事なし」の御文を実感した。いかなる謀略も、道理をねじ曲げることなど、できはしなかったのだ。
 既に中里炭鉱の閉山から二年余が過ぎ、吉山の長年の苦闘を思えば、判決は遅すぎたといえるが、彼が裁判で勝ったことには、大きな意味があった。
 組合の統制権によって、組合員の信教の自由、政治活動の自由を拘束できないことが、判例としても明らかになったからである。
 暗雲を破って、勝利の輝く太陽は、佐世保の大空に、悠然と昇っていった。
 山本伸一は、尾去沢鉱山と中里炭鉱の事件が起こった時、これは広宣流布の行く手をさえぎる嵐の、ほんの前ぶれにすぎないことを感じていた。
 学会は、仏法者の社会的使命を果たすために、波の穏やかな内海から、時代の建設という、波浪の猛る大海に乗り出したのだ。
 彼は、疾風も、怒涛も、覚悟のうえであった。人類の永遠の平和とヒューマニズムの勝利のために、伸一は、殉難を恐れず、創価の大船の舵を必死に取り続けるしかなかった。
 ただ、船内の同志たちの幸福と安穏とを、祈り念じながら――。

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