Nichiren・Ikeda
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38 加速(38)
山本伸一の会長就任三周年へのスタートを切った五月は、弘教の勢いが一段と高まった。
伸一は、この月、東京の各本部の幹部会に相次ぎ出席し、広宣流布の勝利を決する本陣・東京の強化に力を注いだ。
また、その一方、東北本部幹部会(八日)、埼玉総支部幹部会(十日)、浜松会館の落成式(十二日)、九州本部幹部会(二十日)、神奈川第一・第二総支部幹部会(二十二日)、千葉・群馬・茨城三総支部合同幹部会(二十三日)にも出席し、フル回転で激励、指導にあたった。
しかも、行く先々で、可能な限り地区部長等の幹部の指導会を開き、「経王御前御書」「諫暁八幡抄」(東北)、「船守弥三郎許御書」(浜松)、「曾谷入道殿御返事」(九州)など、御書の講義を行っていった。
伸一は、会長就任三周年への開幕にあたり、この五月、六月で、全国を一巡し、各地の同志とともに、再び新出発することを決意していた。
人を燃え上がらせるためには、まず、リーダーが自らの生命を完全燃焼させることだ。人を動かすには、自らが動き抜くことだ。御聖訓には「大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」と。組織といっても、リーダーの一念の投影である。
ゆえに、指導者は自らに問わねばならない。勝利への決定した心はあるか。強盛なる祈りはあるか。燃え上がる歓喜はあるか。そして、今日もわが行動に悔いはないか――と。
それは、伸一が戸田城聖から教えられた将軍学でもあった。
伸一も、同志も、青葉の季節を力の限り走り抜き、五月二十七日には、東京体育館で本部幹部会が開催された。
席上、発表された五月の弘教は十万八千余世帯であり、なんと、この「勝利の年」の年間目標であった二百七十万世帯を、わずか五カ月にして、悠々と突破してしまったのだ。電光石火の快進撃である。
広宣流布の前進は加速度を増し、三百万世帯の達成まで、もう一歩となった。
参加者は、意気軒高であった。今、誰もが、広宣流布の潮がひたひたと満ち、精神の枯渇した日本の国を、潤しつつあることを実感していた。
そして、それぞれが主役となって、社会の建設に携わる喜びと躍動を噛み締めていたのである。
この日の幹部会で、伸一は、最後に「新世紀の歌」の指揮をとった。それは、広宣流布の大空への、勇壮なる飛翔の舞であった。(この章終わり)