Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1巻 「開拓者」 開拓者

小説「新・人間革命」

前後
38  開拓者(38)
 山本伸一の一行が乗った日本航空八一一便は、午後一時四十五分、ロサンゼルスを発ち、ハワイを経由した後、一路、東京を目指して飛び続けた。
 機内放送は、午後九時三十五分の羽田到着が、一時間余り遅れることを告げていた。時刻は、間もなく、日本時間の十月二十五日の午後十時半になるところだった。
 伸一は、深くシートに身を沈め、目を閉じた。彼をさいなみ続けた発熱も、下痢も、幸いに止まっていたが、彼の肩は凝り固まり、首筋も、腰も痛かった。しかし、彼は、生命を燃焼し尽くし、自らの使命を果たした、心地よい疲労を覚えていた。
 思えば、十月二日に日本を発ち、二十四日間のうちに三カ国九都市を巡るという、強行スケジュールであったが、二支部十七地区の結成をみたのである。南北アメリカに、広宣流布の黄金の種は下ろされたのだ。
 伸一は思った。
 ──戸田先生も、私の戦いを、きっと、お喜びくださっているにちがいない。
 伸一の胸に、恩師の顔がありありと浮かんだ。
 ──さあ、今度はいよいよアジアだ。先生が「雲の井に月こそ見んと願いてし
 アジアの民に日をぞ送らん」と詠まれたアジアに、燦々と、平和と幸福の光を注ごう。
 この時、既に翌年一月末からのインド、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、セイロン(現スリランカ)、カンボジア、香港への平和旅が決定していたのである。
 ──更に、次はヨーロッパ、その次は中近東だ。
 彼の世界広布への夢は、限りなく広がっていった。そして、その構想を果たすうえでも、すべての基盤となる日本各地の組織の建設に、全魂を注がなくてはならないと思った。
 伸一が成さねばならない課題は山積していた。行事も、翌週からは、関東、中部、甲信越、北陸の各支部の結成大会をはじめ、男女青年部の総会などが待ち受けていた。
 彼は、三十二歳の若さであったが、一生という限りある時間のなかで、自らが成すべき仕事を考えると、人生はあまりにも短く感じられてならなかった。
 今、旅は終わろうとしていた。しかし、伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった。
 彼は、満々たる闘志を胸にたぎらせ、固くを握り締めた。
 下降し始めたジェット機の窓の下には、街の灯が、まばゆく輝いていた。広宣流布の本陣・東京の街の明かりであった。

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