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日蓮大聖人・池田大作

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成績を上げる法 自分を信じよ! あきらめるな

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

前後
1  ―― 今回のテーマは、ずばり「成績を上げる法」。いちばん身近で、いちばん大事な課題です。そこで、教育部の代表の方に加わっていただきました。
 皆さん、よろしくお願いします。
 池田 どうやれば成績が上がるのか――勉強が苦しくてしかたがないという高校生のために、″秘策″は何かということですね。「成績に自信あり」という諸君は、今回は読まなくても結構。
 まず数学ですが、数学は、大人になって役に立ちますか?
 数学科教諭 これは「数学の教師には最高に答えにくい質問」です。
 池田 それは、どうも。しかし、「こんなこと勉強して何になるんだ」と思っている高校生は多いんじゃないですか?
 数学科教諭 たしかに、数学の公式を知らなくて、人生が不幸になった話など、聞いたことはありません。
 しかし、数学は「なぜ?」「どうして?」と問い続け、スパンと答えが出る。「なるほど!」とわかる。私は、この喜びが大事なんだと思っています。
 授業でも「自分のなかから『なるほど』『なるほど』と″なるほどコール″が起こってくるのがいいんだよ」と、よく話しているんです。「試行錯誤を繰り返しながら、考えていく力」をつけるには、数学は最適のトレーニングです。
 そうやって「鍛えた頭脳」は、何をするにも大きな財産になります。ですから、数学そのものに価値を感じなくても、数学を媒介にして「自分自身をつくるんだよ」――生徒には、こう訴えています。
 池田 なるほど。私の恩師の戸田先生も「数学の大家」でした。受験生のために書いた数学の参考書(『推理式指導算術』)は、当時の大ベストセラーです。
 そんな先生ですから、豪放な反面、実に緻密な頭脳をしておられた。宇宙大のことを論じているかと思うと、針の先で突つくような細かいところまで鋭く見ておられた。魅力ある先生でした。
 私は、勉強の目的は「魅力のある人間」になることだと思う。「光っている人間」になることです。だから本当は、成績が少々、良かろうが悪かろうが、大したことではない。はじめから、こんなことを言うと、先生方に叱られてしまうかもしれないけれども。
 「サイン、コサイン」がわからなくたって、「因数分解」がわからなくたって、社会人になれば、大ていは何も困らないんです。また、わからないからといって、人間の価値には、まったく何の関係もない。
 たとえば、美容院に勤めて、いつも、にこにこと笑顔で気持ちよく、皆を美しくするために頑張っている人もいる。いつも愛想よくすることだって才能です。立派な才能だ。
 それは数学の才能と、どっちが上とか下とかということはない。
 だから数学ができなくても、堂々と胸を張ってればいいんです、本当は。できないからといって「いじけた人間」になることのほうが大きな問題です。
 何だか「成績を上げる」話と、反対の方向に話が向かっているようだけれども。小さなことで「自分はダメだ」と思いこむことがいちばん、ばかばかしいことなんだということです。
 数学科教諭 本当に、その通りだと思います。どうしても教師は、成績中心に生徒のすべてを判断しがちです。
 そういう「冷たさ」に生徒がどれくらい傷つくか、わかっていない場合が多いんです。傷つき、閉じてしまった心に、どんなに勉強しろと言っても、なかなかできるものではありません。
2  魅力ある人間になれ、そのために学ぶ習慣を
 池田 成績が優秀で「いやな人間」になるよりは、成績が中くらいでもいいから「魅力ある人間」になってもらいたい。
 「魅力ある人間」というのは、″自分は自分だ″と堂々と胸を張っている人間です。自分と違う人の長所を、素直に尊敬し、愛せる人間です。
 嫉妬なんかしないで。正しいことは正しい、悪いことは悪いと、はっきり主張し、行動できる人間です。いじわるじゃなくて、人の心の痛みがわかる人間です。
 そして、自分の知らないこと、新しいことに、子どものような好奇心をもって探究していく人間です。ひとたび「やろう」と決めたことは、とことんやり抜く人間です。
 「どうせ自分なんか」と卑下したり、「こんなにやったのに」と愚痴を言ったりしないで、精いっぱい努力した後は、からっと、大らかに笑っていられる人間です。
 そういう「心に青空が広がっている」ような大きな人間になってもらいたい。そのための「勉強」であり「学校」なんです。
 それなのに、「勉強」のために自信を失ったり、こせこせした人間になるんなら「逆さま」です。何の意味もない。だから、「今の自分」を出発点にして、自分らしく、力のかぎり、やるべきことに挑戦を始めればいいんです。
 だれでも皆、必ず使命がある。自分にしかできない使命がある。君の力を必要とする人が必ず、どこかにいる。自分にしかできないこと、自分が本当にやりたいと思うことが、きっとある。
 それを見つけるためには、まず目の前の「現実」から逃げないことだ。逃げずに頑張る「くせ」をつけることだ。そうやって、もがきながら、自分らしく、一ミリでも二ミリでもいいから、「前へ」進むことだ。
 人と比べる必要なんかない。人と比べちゃいけない。急に勉強を始めれば、からかわれるかもしれない。照れくさいかもしれない。小さなことです。
3  「もう手遅れだ」は、ない
 池田 だれが何を言っても気にしてはいけない。笑う者には笑わしておけばいい。一生懸命やっている人間を笑う人間なんて、くだらない人間だ。くだらない人間に、いくら笑われたって平気なはずだ。
 「逃げないで、ぶつかってみる」――結果はどうあれ、その「勢い」が自分を磨き、「魅力ある人間」に鍛えてくれるんです。
 「もう手遅れだ」なんてことは絶対にない。それなのに、小・中・高と進む間に、「自分はダメだ」と思いこむ人が多い。その劣等感が、自分の頭脳にブレーキをかけていることが多いように思うんですが、どうでしょうか。
 数学科教諭 その通りだと思います。自分で自分をあきらめてはいけません。
 私は、よく「ゾウの杭」の話をするんです。サーカス小屋で一番、力の強い動物はゾウです。だけど檻に入っていない。一本の杭があるだけです。
 なぜ逃げないのか?それは、ゾウが赤ちゃんの時、杭につながれた。
 赤ちゃんゾウは、お母さんが恋しいですから、杭を引き抜こうと、何千回、何万回も努力します。
 でも、杭は、がっちり打ち込んであるから、ビクともしない。抜こうとすればするほど、鎖が足に食い込む。血がにじむ。
 やがてゾウは″この杭がある限り、逃げ出せない″と思い込み、努力しなくなるというのです。だから大人になっても逃げない。これが「あきらめ」の本質です。
4  「努力」の二字が明暗を分ける
 池田 そうですね。
 たとえば、ある人のエネルギーが「10」あるとする。
 数学が「いやだな」「どうせ、わからないから」と思うマイナスのエネルギーが「4」ある。「4」のエネルギーを、すでに使ってしまっている。
 すると勉強を始めるには、そのマイナスの分を克服するためだけに「4」のプラスのエネルギーが必要になる。合計「8」のエネルギーを使ってしまう。残りは「2」しかない。これでは、はかどるはずがない。
 よしやろう!と、すっきり向かえる人は、「10」のエネルギーを、そのまま使える。「2」と「10」。その差は「5倍」です。大変な違いだ。自己卑下くらい「損」なものはないんです。
 戸田先生が昔、「頭のいい、悪いは、一本の横の上と下ほどの差しかない。皆、同じ脳をもっている。あとは努力をしたかどうかだけだ」と、おっしゃていた。
 「脳」は「小宇宙」と言われます。ほとんどの人は大部分を眠らせたまま使ってないという。
 いわんや高校生の諸君は若い。これから、いくらでも開拓できるんです。どんなに自信をもってもいいんです。
 社会科教諭 私の前任校に、H君というサッカー部のキャプテンがいました。家で勉強したことがない。勉強がわからないから、授業も苦しみでしかない。授業中は寝ているか、サッカーの練習内容を考えていた。当然、成績は後ろから数えたほうが早い。「勉強なんか使えない」「やりたい奴がやればいい」と思っていた。「今から思えば、勉強がいやだったので、サッカーに逃避していたんですね」と彼は振り返っています。
 ただH君には、漠然とではあっても「夢」がありました。「英語を生かした職業に就きたい。そして世界の平和に貢献したい」と。
 転機は、二年生の二学期の進路相談でした。担任から「おまえが大学に入れれば、だれでも大学に入れる」と言われたのです。
 「この時、初めて自分の現実を見ました。夢を実現させるため、『勉強しよう』という心が芽生えたんです」
 しかし、現実はサッカー三昧の日々でした。勉強を始めたのは、サッカー部の活動が終わった三年の夏休み。一人では勉強できないので、勉強せざるをえない場所――友達のいる学校や図書館に通いました。
 しかし、勉強しても「わからない」。「わからないことは、いくら考えても、わからない」。だから、友人や教師に、納得するまで聞きます。あんまりしつこく聞くので、友達から「うるさい!」と怒鳴られる一幕もあったようです。
5  かっこ悪い努力こそ、かっこいい
 池田 えらいね。それでいいんだ。かっこ悪くていいんです。かっこ悪いのが、一番かっこいいんです。
 英語科教諭 今、「わからないところを聞いた」とありましたが、「わからないところ」を突きとめるのが大事なんです。「わからないところ」が、どこなのか。それがわかれば、もう半分はわかったようなものです。
 勉強が苦手な人は「どこがわからないか」が、わかっていない。わからない部分を発見し、それが理解できれば、わだかまっていた″しこり″が取れて、次へと進めます。
 「わからないところまで戻れ!」が基本です。たとえ中学一年の教科書に戻ってもいい。いや小学校の教科書に戻ってもいい。時間がかかっても、一つ一つ理解していくことです。
 英語でも、中学校の英語の教科書に戻ることです。自分は高校生なんだから、というプライドなんか投げ捨ててください。
 まったくわからない人は、中学一年の教科書から始めることです。中学一年の英語はレベルが低く、皆、興味をもつんです。
 ところがその後、ぐんと難しくなります。文法も入ってきます。「単文」(主語+述語)はわかりやすいし、単文+単文の「重文」も理解しやすいのですが、「複文」になるとむずかしい。関係代名詞のあたりで、だいたい、つまずいてしまいます。
 池田 牧口先生も「行き詰まったら、原点に戻れ」と教えられた。「急がば回れ」です。「今さら中学校や小学校の勉強なんか恥ずかしい」なんて、見栄は捨てることだ。見栄があったら、何もできない。
 数学科教諭 今の若い人は自尊心が非常に強いですから、「前段階のことができていない自分」と向き合うことは、ものすごくイヤなんです。
 もしも、教師や応援すべき立場の人が「なんだ!こんなこともできないのか」と、言葉で言わなくても、態度でそう感じさせると、せっかくの「勉強しよう」というヤル気が失せてしまいます。
 だれでもいい、親身になって勉強に付き合ってくれる人が一人いれば、わからないところまで一緒に立ち戻って、やり直しやすいのですが。
 社会科教諭 H君も、わからないところまで戻り、基礎から学習しました。それでも、わかり始めるまでには長い時間が必要でした。
 「本当に地獄のような苦しみでした。勉強しても、わからないんですから。わかり始めるまでは『忍耐』でした。その忍耐を支えたのが『夢』です。つらい時ほど、自分の夢を、ふくらませました」
 彼は夏休み、一日六、七時間、勉強しました。でも「わかってきた」という実感はなかった。「あー、これもやらなきゃ」という圧迫感だった。
 夏休み明けの模擬試験の結果は「E判定(志望校を再考せよ)」。
 二学期が始まっても、なかなか勉強は進みません。放課後は図書館で、二、三時間の勉強。それから家に戻り、二時間の勉強を続けました。
 H君は、彼の夢を実現させるため、海外留学の環境が整っている創価大学を目指していました。
 十一月の推薦入試。結果は不合格。翌年二月の一般入試も、受験した三つの学部すべて不合格でした。
 私は「気落ちしているだろう」と思い、彼の家を訪ねました。ところが、彼は「一浪してでも、必ず創価大学に入ってみせる」と机に向かっていました。その姿が、本当にうれしかった。
 そして数日後、創価大学から補欠合格の通知が届いたのです!
6  夢を! 夢が忍耐を支える
 池田 「夢」が「忍耐」を支えたんだね。「夢」がある人は強い。夢のない人は、夢のある人にかなわない。
 人生は「マラソン」だ。初めのほうがビリであったって、何もかまわない。それで自分をあきらめて、走るのをやめたら、それこそ「終わり」です。つまらない人間になってしまう。
 今、夢がある人も、ない人も、ともかく走り続けることだ。
 また、人生は「総合競技」です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。何かで勝てばいい。「あきらめない」ことです。そうやって苦しんだ分だけ、自分の「魅力」になっていくんです。
 数学科教諭 本当にその通りだと思います。私が二年間、担当したA君の「夢」は、自動車を修理する仕事に就くことでした。
 たまたま、自動車会社で働いている先輩がいて、見学に行った。先輩は「整備士二級の資格を取れば、うちに来てもいいよ」と言ってくれた。
 資格を取るためには、専門学校に行かねばなりません。彼の数学の成績は、五段階評価で二。他教科も厳しい。その学校は、彼には、かなりむずかしい学校でした。
 しかし、彼はあきらめなかった。苦しい勉強を続け、見事合格したのです。そして、資格を取得。念願の会社に入りました。ほかにも履歴書に書ききれないほどの資格を取った。今、海外雄飛を準備しています。
 そんな彼が先日、私を訪ねてきて、こう言うのです。
 「先生、自分の人生は、落ちこぼれの人生と思っていたけど、ここまでこれた。先生から今の高校生に伝えてよ。『自分をもて!自分のやりたいことを見つけろ!夢を実現する力は、自分の中に絶対ある!それを信じれば、すべて開ける』って」
 それこそ、私が彼に訴え続けたことでした。
7  ゆっくり歩く人は色んな発見が
 池田 すばらしいね。だれでも「違い」がある。「個性」がある。足が悪い人もいる。ゆっくりしか歩けない。しかし、その人は百メートル、二百メートル歩く間に、どれだけたくさんの花や木や虫たちに、あいさつすることか。さっと通りすぎていく人が見落としているような垣根の美しさも知っているし、風と語ることだってできる。
 自分らしく着実に歩けばいいんです。前へ前へ進んでいればいいんです。
 あの「ウサギとカメ」の話だって、カメは、ウサギがどこを、どう走っているかなんて、忘れていたんではないだろうか。ただ自分の目標に向かって、一歩一歩、進んでいった。それだけだったのではないだろうか。
8  学は光 無学は闇 ″光る自分″たれ!
 英語科教諭 こんな体験をうかがいました。埼玉「二十一世紀使命会」(未来部担当者)のKさんの体験です。
 Kさんは、小学校時代から勉強したことがなかった。中学校では教科書をなくし、授業中は、ほとんど寝ていた。「本を読んでいる人はバカだ」「本を読んで何が面白いんだろう」と思っていた。
 高校は当時、偏差値の一番低かった学校。パンチパーマに長い制服――後輩に先輩風を吹かせていました。一年生の時は、クラブ活動をやっていた関係で、二年生に進級できた。しかし二年生の三月、学校から「三年生に進級できない」と宣告されます。
 成績は学年で最下位。出席日数も足りなかった。彼は、後輩と同級になることを考えるとつらく、「落第するぐらいなら学校をやめる」つもりでした。
 じつは彼は、落第を宣告される三ヶ月前から、先輩から学会の話を聞き、勤行を始めていました。本音は「先輩への義理」でした。ちょうど落第が決まった三月、「義理は果たしたから、もう(勤行は)やめよう」と思って、先輩にそう言いました。
 先輩は言いました。「君は、何でも中途半端なんだね」生命に突き刺さる一言でした。
 「非常にむかつきました。本当に悔しかったのです。その一方で、お題目をあげながら、『この中途半端な生命を切らなければ』と思いました。『必ず人間革命できるんだ』と気づいたのです」
 以来、Kさんは頭髪も制服も″普通″にして、遅刻することなく学校へ。放課後は、職員室へ行き、教科の先生に勉強を教えてもらいました。「毎日、くらいついていきました。セールスマンみたいに」。そうした努力が実り、なんとか卒業できたのです!
 社会科教諭 すごいドラマですね。
 英語科教諭 本当のドラマは、これからなんです。卒業後は造園業――いわゆる植木屋さんです。すばらしい仕事ですが、彼は満足できなかった。″超劣等生″に、自分の希望の就職口は選べなかったんです。社会は本当に厳しい。
 彼は漢字が読めないし、書けなかった。だから、仕事の書類もわからない。学会活動も不自由。「聖教新聞も読めない」男子部の有志で『三国志』などの「読書会」をしたのですが、彼は全然わからない。知的劣等感が、どんどん強くなっていきます。周りの人が、すべて「頭がいい人」に見える。悪いことなど何もしていないのに、何か悪いことをしている気分になる。生まれて初めて「勉強しなければ、やばい」と思ったそうです。
 彼は、今の自分が四十代、五十代になった時をイメージしました。
 「池田先生は『学は光、無学は闇』と言われている。俺は文章も読めなければ、文も書けない。将来、子どもができ、子どもが何か書類を持ってきても、読むこともできない……俺は『闇』そのものじゃないか! 真っ暗闇の中に取り残された気分でした。背筋が寒くなりました」
 「勉強の必要性」を痛感した彼は、創価大学の通信教育の案内を目にします。申込書を書くのに、なんと一ヶ月かかりました。
 社会科教諭 一ヶ月ですか!
 英語科教諭 読み書きができなかったからです。
 受講コースは、小学校教員養成のコース。「万が一、なるなら小学校教員」という願望からでした。山ほどのテキストが送られてきます。最初は、全くわかりません。漢字が難しく、テキストに書いてある文章すら理解できない。
 しかし、スクーリングで得た仲間に教わり、「わかるまで」必死の努力を重ねます。
 家で毎日、テキストを開くんですが、座って開くと、すぐに寝てしまう。だから立ったまま開き、部屋の中を歩きながら勉強した。一番、苦労したのは、数学だったようです。
 数学科教諭 今の高校生は「数学は六割以上が落ちこぼれ」と言われています。また「理工系離れ」「数学離れ」も進んでいます。
 英語科教諭 Kさんは振り返っています。「たしかに苦労しましたが、自分が″キャンパス内で本を持って歩いている姿″″大きな教室で講義を受けている姿″が、本当にうれしかったんです」
 六年かかりましたが、無事卒業。昔のワル仲間や仕事仲間は、大学を卒業したなんて、だれ一人として信じてくれません。
 大学の卒業証書を持って、高校に行きました。教員免許が取れたことを報告すると、担任の先生は「そうか!」と驚き、本当に喜んでくれました。
 現在は、小学校六年生の担任として活躍されています。
9  教育は「心が通い合ってこそ」
 池田 よく頑張った!言い尽くせない苦労があったことでしょう。しかし、そういう先生のほうが、愛情のある、いい先生になれるかもしれないね。
 教育の根本は「愛情」です。心が通い合わなくて、教育が成り立つはずがない。心を開かせ、心を通わせるのは愛情です。「生徒の身になってみる」温かさです。
 人間、「自分の気持ちをわかってくれている」という実感は、うれしいものだ。そこから「頑張ろう」という意欲もわいてくる。
 私は二十歳のころ、大世学院という学校(現在の富士短期大学の前身)に通いました。創立者の高田勇道先生は富山の農村のお生まれで、苦労して学者となり、自分が理想とする教育のために学校を創られた。先生の信念は「教育とは学生に生命を与えてゆくことである」でした。その信念の通り、敗戦の直後、方向を失った青年たちに、「理想に生きよ」「希望を失うな」と、熱い魂を注ぎこんでくださった。
 体が弱く、四十二歳の若さで亡くなられたが、本当に立派な先生でした。どんな生徒にも「希望」を与え、「希望」をかき立てる先生でした。
 社会科教諭 私達も、そうありたいと思います。
 池田 ところで「勉強のヤル気が、どうしても起きない高校生」に、Kさんから何かアドバイスはありませんでしたか。
 英語科教諭 ありました。「私の経験から、勉強をやりたくない人に、『やれ』と言っても無理な話です」と。
 「私は社会に出て、勉強の必要性を痛感しました。必要性を痛感すれば、ヤル気は自ずと出てきます」「でも、これだけは断言できます。勉強していないと、自分が何かになりたいと思った時、なりたいものになれません。勉強していれば、すぐになれます」
10  「言い訳」より「挑戦」を
 池田 そうだね。だから今、恵まれている今こそ、自分らしく全力疾走することです。全力で走ってみなければ、自分にどれだけ力があるかわからない。走ってみもしないで、「どうせ自分なんか」と決めつけるのは傲慢です。生命に対して、自分に対して傲慢です。卑怯とも言える。
 勉強しない、できない理由を挙げるなら、いくらでも挙げられるでしょう。先生が悪い、親が悪い、社会が悪い――しかし、どんな言いわけを上手にしたところで、それで自分が少しでも立派になるわけではない。魅力ある、素敵な人間になれるわけではない。
 結果はいいから、まず何か始める。何か努力してみる。そういう「逃げないくせ」「努力するくせ」をつけることです。それが勉強の目的とさえ言える。「学ぶ習慣」がついた人は、何でもできるからです。
 皆は若い。たかだか十数年の経験で、人生を決めつけ、自分を決めつけるなんて早すぎる。たとえ諸君が、自分なんかダメだと思っても、私はそう思わない。私は信じている。私は諸君を尊敬している。必ず、あなたにしかできない使命をもった人だと信じている。いな、そのことを私は知っているのです。
11  「コンプレックス」に負けるな
 ―― 今回のテーマ(成績を上げる法)に、全国から大きな反響がありました。部活に夢中で、成績は下から数えたほうが早いという、男子高等部員は言います。
 「頭をハンマーで殴られた気がしました。ぼくは『部活が忙しかった』『どうせ自分なんか』と言いわけし、勉強をあきらめていました。しかし『「どうせ自分なんか」と決めつけるのは傲慢です』とありました。自分は全然、努力してない。逃げているだけだ、ダメジャン、と。一回でいいからテストの後で大らかに笑ってみたい。言いわけなんかしたくない。だから、次のテストまでに、やれるだけのことを、やってみようと思います。今までの怠けを短時間で補うのはむずかしいけど、それでも挑戦してみようと思います」
 池田 えらいね。その通りだ。あきらめちゃいけない。人生は、挑戦です。挑戦しないと、人格はできない。自分を鍛えるのは、自分です。自分を大きくするのは、自分の努力です。
 戸田先生は、学習塾「時習学館」の経営者でした。塾を始めた時、先生は二十代。″受験の神様″と呼ばれていた。先生の塾で学んだ生徒の成績が、目立って良かったからです。
 じつは、戸田先生は、教員の資格も旧制高校の入学資格も、「検定試験」で取られた。楽な環境で勉強したんじゃないんです。だからこそ、試験についても研究されていたし、それが塾の指導にも生かされたのだと思う。
12  「誰でも優等生にしてみせる」
 池田 戸田先生の信念は「どんなできない生徒でも、できるようにしてみせる」でした。これが「創価教育」の真髄です。また、これが「専門家」として、教師の腕の見せどころではないでしょうか。
 優秀で、やる気がある生徒だけなら、こんな楽なことはない。そうでない生徒を「変える」からこそ「プロ」なのではないでしょうか。それは実にむずかしいことでしょうが、どの世界でも、ほかの人にできない「技術」をもっているからこそ、「プロ」と呼ばれるわけです。
 今回は、多くの高校生がテストの後で大らかに笑えるように、「成績が上がる勉強法」を、少しアドバイスしてあげてください。
13  英語 中学の教科書を丸暗記しよう
 英語科教諭 はい。頑張ります。私は、英語を教えています。英語がわからない人の大半は、中学の時、「自分に英語は関係ない」と投げ出した人です。だから今、「宇宙語」みたいにわからない。英語の基本は、中学の教科書にあります。まず「中一の教科書に戻ること」です。全くわからない人は、アルファベットの「ブロック体」と「筆記体」から始めてください。今の自分の英語力――わかるところから手をつけることです。
 英語力のない人が、いきなり英語放送を聞いたり、映画を字幕なしで見ても、自信をなくすだけの場合が多いと思います。
 ―― そうは言っても、英語と日本語は、だいぶ違いますから″とっかかり″がむずかしいのではないでしょうか。
 英語科教諭 そうですね。これは、どの教科にも言えるかと思いますが、「どうしようか」と悩んでいるよりも、ともかく「何か始める」ことです。ある意味で、何でもいいんです。自分の好きなジャンルの英語――スポーツ、音楽、ファッション、映画など、身近な英語に興味を持つことから始めるのもいいと思います。
14  「好きになる」こと
 池田 賛成です。英語は、ともかく「好きになる」ことが上達のいちばんの近道ですね。
 英語科教諭 そうなんです。英語の歌にトライするのもいいでしょう。教科書の後ろには、やさしい英語の歌が載っています。意味がわからなくてもいいですから、それらをまず聞いてみましょう。いきなり外国人が歌っているものを聞くのはむずかしいでしょうから、日本人が歌っているものなら入りやすいと思います。
 慣れてきたら、それらを歌ってみてください。次に、歌詞の単語の意味を、辞書で調べてみましょう。一曲でも、意味がわかって歌えたら、自信になります。
 英語は「言葉」ですから、「声に出す」ことが大事なんです。テキストも、学校では、カリキュラムに縛られ、どうしても「音読する時間」を省きがちです。とにかく「音読すること」です。何度も読んでいるうちに、必ずわかるようになります。やさしい文章を「口が覚える」くらいに繰り返して音読することです。自然に「口をついて出る」くらいまで、何十回でも何百回でも練習です。
 そうやって「体に入った」やさしい英語がどれだけあるかが大事なんです。それが全部の基礎になります。
 池田 みんなは今、当たり前みたいに日本語をしゃべったり、書いたりしているけど、生まれた時は、だれでも、ただ泣き叫んでいるだけだった。日本語ができる人など一人もいなかった。それがもう今は、自由自在だ。それだけの「能力」が、みんなの中にある歴然たる証拠です。
 日本語ができたのに、英語ができないわけがない。だから、自分の「苦手意識」に負けちゃいけない。語学に、特別な才能なんか必要ない。
 赤ちゃんは、ある時期になると、突然のように、言葉をしゃべり出す。それまで全然、話さなかったが、急に話し出す。その後は、どんどん語彙の数も増えてくる。
 英語の勉強も同じだと言われる。はじめは、やってもやっても効果が表れないように見える。それでも辛抱強く、繰り返し挑戦していると、ある境界線を越えたとたん、ぱーっと開けてくる。多くの人が、体験上、そう言っています。
 みんなの英語の勉強と、赤ちゃんの日本語の勉強との違いは、自分の知らない世界を知りたいという「好奇心」の強さの違いだけではないだろうか。
 英語科教諭 そう聞いて思い出しました。アメリカのオレゴン州に生徒を連れて、ホームステイに行った時のことです。帰国後、一人の男子生徒が猛然と英語を勉強し始めました。英語以外の授業は無視して、英単語を覚えているんです。
 話を聞いてみると「ホームステイ先の家族は、本当にいい人だった。ぼくはアメリカの高校に編入し、アメリカの大学に行って、ホームステイ先の娘さんと結婚するんだ」と。彼は卒業後、本当に、アメリカの高校三年に編入。オレゴン州立大学に行き、その娘さんと結婚しました。
 池田 英語は、世界の四分の一が使っている″人類の共通語″です。それをマスターすることは、″きっかけ″はともあれ、自分の世界が、ぐんと広がることはまちがいない。
15  忘れることを恐れるな
 ―― 英語は「繰り返し」学習するしかないということですが、具体的には、どう取り組めばよいでしょうか。
 英語科教諭 先ほども言いましたが、英語の基本は、中学の教科書にすべてあります。中学の英語をマスターすれば、高校の英語だけでなく、外国人との会話も、まず問題ありません。だから、「教科書まる覚え作戦」をお薦めします。覚えれば、ものすごい力になります。これが本当に、いちばん効果があるんです。
 たとえば、私の手元にある教科書ですと、中一から中三までは三十三レッスンあります。三十三なら、目標を立てて、こなせる範囲でしょう。友人と競い合って覚えてもいい。また、中学で出る単語は、千個ぐらいです。一日五個ずつ覚えれば、二百日で終わります。
 それと、やはり自分で「辞書を引く」くせをつけることが大事です。引いたら印をつけておけば、勉強した歴史も残ります。
 覚える際に大切なことは、「忘れること」を恐れないこと。最初から完ぺきに覚えようとしないことです。
 復習した時、覚えていないことがわかり、いちいち自信をなくしていたのでは損です。そういう人は、その時点で、もう覚えるのがいやになる。忘れたら、また覚えればいいんです。この繰り返しです。四回でも五回でも繰り返せば、だんだんと頭に入ります。安心してください。
 池田 自分の名前を忘れる人はいない。なぜか。生まれた時から何百回、何千回と繰り返してきたからです。電話番号でも、何回もかける相手の番号は覚えている。繰り返すかどうか、それだけですね。
 自分の英語の実力をはかる尺度は、何かありませんか。「これだけできた!」という達成感があれば、自信がつくと思いますが。
 英語科教諭 そうですね……。たとえば、英語検定を目標にしては、どうでしょうか。
 英検は今、五級からあります。五級が中一程度、四級が中二程度、三級が中三程度。毎年、六・十・一月に検定試験が行われます。合格率は、五級が八〇%、四級が七〇%、三級が五〇%程度です。まずは三級までを制覇してみてはどうでしょう。
 「中学レベルなんて、今さら格好悪い」と思うなら、こっそり受けてもいいと思います。合格した時の喜びは大きいですよ。
 ―― 日本の英語教育では″英語が使えるようにならない″という声もありますが。
 英語科教諭 いえいえ。教科書で覚えた文章を、アメリカ人とか、イギリス人とかをつかまえて、何か使ってみてください。立派に通じるものです。それで「ああ、学校英語は、使えない英語じゃないんだ」とわかります。
 池田 ずばり、学校の定期テストで、いい点を取る秘訣は?
 英語科教諭 それはもう、試験範囲を「暗記するまで読みこむ」ことです。何度も何度も挑戦してください。全部は無理だという人は、重要構文だけでも覚えるよう努力してください。とくに、教師が授業中に示したポイントは、しっかり暗記することです。
 社会科教諭 定期テストには、出題者である教師のくせが必ずあります。授業のポイントと定期テストの問題を比較してみてください。出題者のくせが、きっと見えてくるはずです。
 英語科教諭 ただし「ヤマはかけない」ことです。万が一、はずれた場合、英語がきらいになりますから。
16  「道」は開ける!「負けない人」に
 池田 ともかくテストというのは、いやなものだ。「これさえなければ」と、だれでも思う。また事実、「テスト中心の教育」は間違いだと思う。テストでわかる能力は限られている。点数では絶対に測れない人間の価値がある。
 だから、「点数が良ければ、すべて良し」というような風潮は、学校から「人間味」を追い出し、教師も生徒も親をも荒廃させていくのではないだろうか。
 それではもはや「教育の場」ではない。しかも、教育の成果は、「教師の責任」のはずです。商売だって、いい結果がでない時に、「お客さんのせいだ」と言うことはできない。そんなことを言ったら笑われます。工場でも、いい製品ができなかったら、つぶれてしまう。給料ももらえない。どんな言いわけをしても同じです。
 ところが、あらゆる職業の中で、教師だけが、生徒の成績が悪くても、「本人が勉強しないから」で、すんでしまう。そういう傾向は、おかしいのではないか――これが牧口先生、戸田先生の基本の考え方でした。
 数学科教諭 実に、その通りであり、教師には本当に耳が痛い話です。
 池田 いや、皆さんは立派なプロだと信じてます。
 ただ、良い先生に当たるかどうかが、生徒にとっては本当に大きいんです。
 そのうえで、高校生の諸君は「そうだ、教師が悪いんだ!」と言ったところで、自分の実力が伸びるわけではない。
 教師が「生徒のせい」にするのは責任放棄だが、生徒が「教師のせい」にして、自分が努力しなければ、それは言いわけにすぎない。どんな環境であれ、「よし、やろう!」と決めた人に「道」が開かれないはずがありません。
17  不登校を越えて
 社会科教諭 私の担当したTさんという女子生徒がいます。小学校四年の時、「なぜ学校に行かなければならないのか」「なぜ勉強をしなければならないのか」と疑問に感じた彼女は、五年生の十二月から学校に行かなくなります。同じ時期、兄と妹も不登校に。世間からは「T家の子は異常だ。精神病だ」と、白い目で見られました。
 中学生になり、「休むのをやめよう」と決意。しかし休み癖が抜けず、一日登校するだけで、精神的に疲れ、夜中に嘔吐してしまう。せっかく登校しても、周りから無視されたり、「変わった子」と陰口をたたかれる。彼女は、また学校から離れていきます。家に閉じこもったまま、何日も外に出ない日もあった。
 中学三年の二学期まで、行事の時しか通えなかった彼女は、高校進学を間近に控え、少しずつですが登校を始めます。担任の理解もあり、別の教室で″一人授業″。必死に努力し、高校に進みます。
 英語科教諭 頑張りましたね。
 社会科教諭 ここからが、すごいんです。Tさんは最初、高校の授業が全然わからなかった。「今まで学校に行っていない」「勉強が遅れている」というコンプレックス(劣等感)が強かった。しかし、コンプレックスの強さが「授業を緊張して受ける力になった」そうです。「勉強が遅れている」ことを自覚している。だから、わからないところは、素直に教師に聞きにいけた。
 Tさんが進んだ高校は″進学校″ではありません。毎年、大学進学が二、三人という、いわゆる″就職校″です。それが幸いしました。授業は基礎レベル。英語はABCから教えてくれる。「基礎がない私にはよかった」と。
 英語は「文章の構図のパターンをつかめば、あとは単語さえ覚えればできた」。現代社会は「ニュースに出てくる言葉の意味がわかり、本当に新鮮だった」。国語は「不登校時代、本とは親しんでいたので、あまり苦労はしなかった」。数学は「苦手だった」。数学は″積み重ね″だから、基礎のない彼女はわからない。「わかるまで、とことん教師に聞いた」と言います。
18  まず「基礎」をしっかり築け!
 数学科教諭 数学に関して言わせてください。おっしゃる通り、数学は、基礎から積み上げていかねばなりません。建物で言えば、高校の数学は、かなり頂上に近いですから、そこからやろうとすると、積み上げるべき土台の大きさに打ちのめされてしまいます。基礎の膨大さに、気がめいるのです。「こんな多くのことをやるのか!」と。
 だから、「これだったら、わかるかな」というところから取り組んでみてください。そうすると、気持ちが、ぐっと楽になります。そして「これがわかった」という実感を一つ、つかむことができれば、次へ進む大きな自信となります。
 池田 ロマン・ロラン(フランスの文豪)だったか、「ピラミッドは頂上から造られはしない」と言っている。
 数学だけでなく、何ごとも「基礎」を、しっかり築くことだ。「基礎」は派手ではない。地味であり、面白くないかもしれない。しかし土台さえ、しっかりしていれば、あとはどんな立派な家でも建てられるのです。
 社会科教諭 Tさんは、高校時代を、こう振り返っています。「今まで勉強していなかった分、勉強できるのがうれしかった」「学校に行けるのがうれしかった」「テストも初めて受けるので新鮮だった」高校二年の時、創価大学のキャンパス見学会に行ったのが″きっかけ″となり、創大受験を決めます。「不登校児であった私でも、学力がなくても、頑張れば、大学に行けることを証明しよう」と誓うのです。
 しかし、受験勉強は「どこから、どう手をつけていいのか、わからない」。推薦入試を考えていた彼女は、学校の勉強をひたすら頑張ります。実際は、部活動(バトントワリング部)が忙しく、受験勉強にまで手が回らなかったようです。
 部活動をやり切り、高校三年の二学期から受験態勢に。科目も、英・国・社の三科目にしぼりました。受験の雰囲気がない高校です。「とにかく一人」。だから、放課後は県立図書館へ行き、閉館まで勉強。また、進学校で教えた経験のある教師にお願いし、朝七時から、授業が始まるまでの一時間あまり、特別指導をしてもらいます。家から学校は遠かったので、毎朝五時半起きでした。
 さらに、進学校に進んだ中学校時代の友人に電話し、″受験情報″――「この参考書はいい」「試験の傾向性」などの情報交換をしたそうです。ここでも「九月から受験勉強を始めた。人よりも遅れている」というコンプレックスが力となった、と。
 数学科教諭 コンプレックスのかたまりのような、厳しい現実を、生命の中に深くもっている人がいます。「そのことには触れられたくない」と。
19  つまずいた石を前進の踏み石に
 池田 人間、だれでも、何かコンプレックスをもっている。「あの人が……」と思うような人でも、もっている。要は、それに「負けない」ことだ。
 どんなコンプレックスがあっても、それをバネにし、じっとこらえて「今に見ろ!」と自分を励ましながら進むのです。「負けじ魂」です。
 コンプレックスに押しつぶされ、トライすることまで、あきらめたら、何のための人生か。何かにつまずいたら、「つまずいた石」を、前に進むための「踏み石」にすればいいんです。
 これまで不登校で悩んだ人、いじめられた人、病気や貧乏で苦労した人、失敗した人のほうが、その分、「人の心がわかる」人間になれるものです。
 社会科教諭 本当に、そう思います。Tさんも、コンプレックスを「バネ」にして、推薦入試に見事、合格しました。その年、四年制大学に合格したのは、学校で彼女だけでした。Tさんは言います。
 「今から思うと、不登校の経験は無駄じゃなかった。あの経験があったからこそ、自ら″学ぶ楽しみ″が出てきたと思う。私は、この経験を負い目に感じたりはしない。暗いことでもありません」
 「夢が大切。笑われるかもしれないけど、私の夢は『大学に入って、普通の生活をしたい』ということだった。普通の生活とは、朝起き、学校に行き、勉強をして、友だちと遊ぶ……。私の場合、朝起きれなかったし、学校に行けなかった。勉強もしなかった……全部、反対だった。でも、この不登校の経験があったからこそ、得たことも大きかった。こう自信をもって言いたいんです」
20  社会 素朴な「疑問」から興味は広がる
 池田 そうだ! 自信をもって生きることです。自分らしく! 倒れたっていい。そのたびに起きればいい。挑戦すればいい。若いのです。
 青春に、取り返しのつかないことなど絶対にない。「君には、できない」と決めつける権利など、だれにもない。そんな権利は、自分にだってない。バカにされても、バカにされればされるほど発奮すればいいのです。
 ところで、小林先生は社会が専門でしたね。社会の成績がよくなるコツはありますか。
 社会科教諭 「社会は暗記科目」というイメージが強いと思います。どの教科も、ある程度は「覚えること」で評価されますが、とくに社会の場合、それが強い。
 数学科教諭 私は「暗記もの」が苦手で、とくに地理は全然ダメでした。「『青森の名産はリンゴ』。そんなこと覚えても意味ないよ」。そう反発すると、「いいから覚えろ!」と。そういう″棒暗記″に抵抗がありましたね。
 社会科教諭 そうですね。同じことを学んでも、「ああ、そうなのか!」と面白く思う人もいれば、「だから何なの?」と横を向く人もいる。本当にむずかしいんです。
 社会の知識を面白いと思う人は、いろんな「疑問」をもっている人が多い。「これがわからないんだ」と悩んでいるから、わかると「面白い」となるんです。そうなると頭にも入りやすい。
 社会科は、現代の目の前の問題に全部、通じています。たとえば、地理で「民族と国家」という章がある。そこを学べば、旧ユーゴやアフリカ諸国、冷戦後の世界秩序など、なまなましい問題の背景が見えてきます。「人口問題」もそう。高齢化社会の状況や、「限りある資源」の問題が見えてくる。
21  世界を見る目
 池田 「自分が世界を見る目」ができていくということですね。
 アフリカのルワンダで、なぜ虐殺の悲劇が起こったのか?(インドネシアの)東ティモールは選挙をやって決着がついたと思ったのに、なぜ争い合うのか?
 テレビや新聞を見る時も、与えられた情報を「うのみ」にするのではなく、自分なりの基準で判断できないと、こわい。マスコミに誘導されてしまう。
 社会科教諭 全く、その通りです。社会科を学ぶことは、社会人としての「判断の基準」をつくることになるんです。
 ―― 「問題意識をもて」というお話がありましたが、今の高校生は問題意識が低いと言われていますが。
 社会科教諭 そうだとしたら、池田先生の言われる通り、教師自身の責任が大きいと思います。生徒が本来もっているはずの「素朴な疑問」を発掘できないでいる。また、そういう疑問と、学校の勉強とが、どうつながっているのかを教師が示せていない。高校生のせいではありません。
22  身近な所に「問題意識」がある
 池田 「問題意識がない」と言いますが、ないはずがないんです。
 たとえば、高卒で就職しようとすると、「俺はこうなりたい」と思っているのに、学歴だけで、それを許さない状況が現実にある。深刻な問題です。
 「なぜ、こんな社会なのだろう?」――立派な問題意識です。「現代社会」を見極めるスタートです。
 「なぜ髪を染めたらいけないと言うのか」――これも「倫理」の勉強に入るかもしれない。
 社会科教諭 「日本の政治を良くするには何が必要なのか」「日本のマスコミは、どうして平気で人権侵害するのか」でもいいですね。
 身近なところで、私はよく「海外旅行できないのは、いやでしょう?」と生徒に言うんです。海外旅行するためには、旅行先はどんなところか? 気候は寒いのか? 暑いのか? 何が特産で、どんな食べ物があるのか? 治安は? 通貨レートは?……これらを調べなければいけません。「地理」のスタートです。「身近なところから問いかける」ことです。
 ―― しつこいようですが、「それでも興味がもてない」という人は、どうすればよいでしょうか。
 社会科教諭 授業をしっかり聞いてください。何か自分に引っかかることがあるはずです。各学校で違いはありますが、授業は、教師が問題意識を与えるような内容になっているはずです。授業を聞いて生まれた「自分の感情」「自分の疑問」を大切にしてください。最初は、言葉には表現できないかもしれませんが、それが立派な問題意識なのです。
 そして「これ何なの?」と勇気を出して、教師や友だちに聞いてみてください。恥ずかしがらずに!
 社会科教師は決して、皆さんの「暗記力検査」のためにいるわけじゃないんですから。
23  書いて覚える
 ―― それでは、テストの点数を上げる″近道″はありますか?
 社会科教諭 それは、やはり「覚えること」です。
 池田 いや、それが現実でしょうね。
 社会科教諭 はい。たしかに「覚える」よりも「考え方を学ぶ」ことが大事なんですが、そのためにも、「基本的なことは覚える」努力が必要です。試験の場合、範囲は決まっているのですから、そこだけを集中して覚えることです。範囲の前後は、とりあえず関係ありません。みなさんが思っているより、簡単にできますよ。教科書を全部、覚えるわけではないんですから。
 そして、試験勉強していくなかに「新たな発見」があるはずです。「ああ、こういうことだったのか」と、自分の問題意識との関係性がわかる。だから、私は「覚えるのは楽しいよ」と言います。
 また、人間の脳は「理解する力」よりも「暗記する力」のほうが優れているという説があります。実感はないかもしれませんが。ですから、自信をもって、頭にたたきこむのです。定期テストの限られた試験範囲を十時間勉強して、できない科目などありません。
 ―― 暗記するコツは、ありますか。
 社会科教諭 覚えるためには″声に出して書くこと″。何度も何度も書いてください。そうすれば、指で覚えます。目で覚えます。耳で覚えます。社会の全科目にサブ・ノート的な教材(副教材)があります。それを一冊、徹底的に″声に出して書きこむ″ことを、お薦めします。答えがわからない人は最初、答えを見てもかまいません。
24  「何が正しいか知るのが歴史」
 池田 戸田先生の学習塾は、試験の点数も上げたが、その努力を通して、肝心かなめの″学問の心″を教えていました。ある時は「何が正しいかを見極めていくのが歴史だ」と。ある時は「君たちこそ時代の担い手だ」と、生徒の心を揺さぶる話をされた。
 『21世紀への母と子を語る』(本全集第六十二巻)でも紹介した話だが、日本を代表するドイツ文学者、山下肇先生(東大名誉教授)も、時習学館で学んだ一人です。山下少年が、府立高校尋常(普通)科を受験する時のこと。受験日の朝、緊張して、会場の学校に向かうと、校門の前に、なんと戸田先生が立っていた。
 先生は「いいか、気持ちの問題だ。落ち着いて問題に取り組むんだ。君には実力があるんだ」と励まされた。山下少年は、先生に見守られるなか、見事、難関を突破したのです。これこそ創価教育です。これこそ人間教育です。
 歴史や地理や倫理や政治経済――それを学ぶ根本も「人間を知る」ことなんです。人間が、どのように生きてきたのか――それが歴史です。歴史という「鏡」をもっている人は現在も未来も、はっきり映すことができる。地理――人間が、どう自然と関係してきたか。それぞれの風土の中で、どう、より良い生活を開くために苦闘してきたか。すべて「人間を知る」ための社会の勉強です。大事な勉強なのです。
 社会科教諭 私は、どうしても社会が好きになれない人には、まず学習漫画を薦めています。漫画だったら読めるという人が多いんです。日本史、世界史、人物伝など……わかりやすく全体の流れが、よく把握できます。
 英語科教諭 漫画だから、とっつきやすいんですね。
 社会科教諭 大学進学を目指している人は、試験の範囲は全体ですから、「全体の流れ」をつかむためにも、学習漫画を活用するのも″手″だと思います。
25  数学 基礎的な問題の「パターン」をつかめ
 ―― わかりました。続いて数学の勉強法です。きらいな人がいちばん多い科目です。
 数学科教諭 よく、今の生徒は無気力だと言いますが、「数学きらいな人?」と聞くと、「ハイ!」と、この時だけは元気いっぱいです。
 池田 うーん、日本の未来は大変だ。しかし町田先生。牧口先生は、こうおっしゃっていますよ。
 ″理解力に異常な欠陥をもっていない限り、数学がむずかしい科目であるはずがない――これが私の信念である″(数学ができないのは)教え方に欠陥があるのだ″(『推理式指導算術』序、『牧口常三郎全集』9所収、第三文明社を参照)
 数学科教諭 全く同感です。数学がわからないのは、教師の教え方が悪いんです。
 ものすごくまじめなんですが、試験になると全然ダメな女の子がいました。授業中、「どう?」と聞いても、ノートを隠して見せてくれない。ですから、じっくり話を聞く機会を何度か持ちました。すると、わかりました。小学校でも中学校でも、授業中、ノートを見た教師から「だめだ!」「間違っている!」とばかり言われた。しかも、どこがどう間違っているのかは教えてくれない。
 まじめで、努力はする。でも点数は上がらない。彼女は数学に対して、すごく拒絶的で、硬直していました。私は、彼女が緊張しないよう心がけて、こう話しました。「人間にとっていちばん大事なのは『聞く力』なんだ。じっくりと耳を傾けることだよ。数学は『思考の流れ』なんだから、最後まで一緒に、流れを追ってきてほしいんだ」
 ″つまずき″を指摘するだけでは、生徒たちの自尊心を傷つけてしまうだけです。それで数学がきらいになってしまう子も少なくない。
 私は「それは違うよ」と言わず、「うーん、そうかなぁ」と、じっくりと見ていきました。すると、彼女は″思いこみ″が激しいことがわかった。「こうだ」と思いこむと、そこから抜け出せない。彼女なりの考え方が完全にできあがっている。その考え方を使うと、私も同じ答えになる。
 つまり、数学には「どうしようもない間違い」はないんです。ただ、どこかで「考え方の流れ」が詰まっているだけなんです。だから私は「これ、すごい発見じゃないか」「君は自分で論理を見つけた。えらい」と、ほめました。
 でも、それでは正解にならないので、彼女の考え方の流れを正しい方向へと解きほぐしていきました。「ここを、こう変えて……うんうん、そうだ。できたじゃないか」。自分で、正しい流れに行き着くまで、一緒に付き合いました。思いこんでいた考え方が直ると、彼女は、どんどん成績が上がっていきました。
 池田 いいですね。「思考の流れ」をつかむのが数学なんですね。
26  つまずく原因
 ―― 数学でつまずく原因は何でしょうか。
 数学科教諭 基本である「基礎計算」の力がなくて、つまずいている人が多いんです。
 たとえば「微分・積分」にしても、公式にあてはめれば、あとは、ほとんど「分数」の計算です。数学は、基礎計算力を身につけるのが大前提です。それを、あいまいなままにしている人が多いんです。
 1/2+1/3=5/6とか、―1+1=0とかができない人は、小学校の高学年でつまずいています。自分は「どこで」つまずいているのか。「分数の計算」なのか。「プラスマイナスの計算」なのか。自分のあいまいな点を、まず知ることです。あいまいな点が小学校の分野であれば、そこまで戻ればいいんです。勇気をもって、見栄を捨てて、基礎計算力をつけることです。
 池田 「数学の大家」戸田先生も「基礎計算力が数学の土台」と言われています。ベストセラーの『推理式指導算術』には、こう書かれている。
 「計算は算術の基礎であるから、算術に熟達するには、まず、この土台から、しっかり築きあげねばならぬ」(『戸田城聖全集』9)
 先生の教え方は、非常に具体的なんです。基礎計算力を調べる問題でできなかった人は「尋常(小学校)四年の教科書の第一学期を根本的に練習しなさい」とか。
27  「なぜ間違うか」
 池田 さらに「もし計算の方法・順序をよく知っていながら、正確な答えを得られなかった人は、次のことがらを反省しなさい」と、次の三点を指摘されています。
 (1)「問題の数字」と「自分が計算するために書いた数字」との間に違いがないか調べたか。――計算が、どんなに正確にできても、問題を見誤っていたら、すべてが無駄になってしまう。
 (2)字を書くのが乱暴でなかったか。――ていねいに美しく書くことは、計算を正しくする第一歩である。
 (3)ていねいに計算をし、検算をしたか。
 英語科教諭 たしかに具体的ですね。やはり、数学でも「ピラミッドは頂上から造られはしない」なんですね。
 数学科教諭 数学には「構造」があります。「パターン」があります。それをつかめば、成績は、ぐんとアップします。
 ―― パターンをつかむためには、どうすればよいのでしょうか。
 数学科教諭 問題を解きまくることです。むずかしい問題に行かなくてもいいですから、基礎的な問題をたくさん解くことです。解きながら、問題の「構造」「パターン」をつかんでいってください。教科書の「章」の頭に「例題」――その章の基本となる大事な考え方が、枠で囲んであります。例題を通して「考え方の流れ」をつかんでいくことです。第一段階はこう、第二段階はこう、というふうに理解していくのです。
 試験の点数を上げるためには、問題の「パターン」「構造」が、テストの時に、どれだけ確実に思い出せるかどうかにかかっているのです。
28  問題集は「一冊を徹底的に」
 数学科教諭 問題集は、これと見こんだものを一冊、徹底的に練習するといいですね。「それに載っている問題なら、問題文を読み終えるまでもなく、解き方のパターンが思い浮かべられる」ようになるまで、繰り返し練習するのです。
 四浪して、大学受験をあきらめた人がいました。彼の家に行くと、問題集が、それこそ天井に届くぐらい、どっさりと積んである。一日十八時間も勉強をやり続けていた。じゃあ、なぜ落ちたのか。問題集を見ると、どれもこれも得意なところだけ解いていて、あとは真っ白。
 要するに、問題集一冊が、ちゃんと終わっていないのです。わかっている問題ばかりやって、よくわからない問題、歯が立たないところは避けていたのでは、力がつくわけがありません。
 池田 数学がきらいな人が、少しでも数学が好きになる方法はありますか?
 数学科教諭 できれば「数学の教師と友だちになる」ことを提案します。やはり苦手意識がありますから、どうしても数学を避けてしまいがちです。ですから「自分から数学に近づいていくこと」です。
 教師に「数学なんて面白いんですか?」と聞くのもいいかもしれません。まずは、自分と数学の距離を縮めてください。
29  数学の好きな友だちと一緒に
 池田 数学の好きな友だちをつくるのもいいでしょうね。
 数学科教諭 いい仲間、いい友人は力になります。私は、数学のテストを返す時、七〇点以上の人の名前を公表しています。「君たちは、このクラスの数学をリードするんだ。その自覚をもってほしい」「どうも数学が苦手という人は、だれと友だちになればいいか、わかるだろう」と。
 数学が得意な人、不得意な人が別々に固まらず、一緒に勉強していけば、大きな刺激になるからです。この趣旨をきちんと生徒が納得すると、答案を返す時、いい笑いが起きます。
 それと、数学がきらいになる原因に「抽象化」があります。たとえば、箱の中に「1」を入れます。すると「2」が出てきた。「2」は「3」に、「3」は「4」になって出てきた。じゃあ、「4」を入れると? 答えは「5」です。これを「関数」で表現すると「y=x+1」となる。これが「抽象化」です。
 別な例を挙げましょう。
 (1+2)×3=(1×3)+(2×3)
 これは、わかる。それが、
 (a+b)×c=(a×c)+(b×c)=ac+bc
 こうなると、わからなくなる場合がある。ここがポイントです。「数字」では、すんなりわかっていたのに、「記号」になると別世界になってしまう。
 「なんで抽象化するのか」と思うかもしれませんが、抽象化は、人間が「考えをまとめる」大切な方法なんです。ですから、なんとかして、クリアしていくことです。もう一度、具体的な数字に戻して、考えてみるのもいい。また、思い切って、教師に「そこをもう一回、説明してください」と食い下がってください。
30  生徒の気持ちを知ってほしい
 池田 きょうは、たくさん具体的なアドバイスをしてもらいました。これで全てというわけではないし、また勉強法について、まったく違う意見をもっている方もいらっしゃるでしょう。個人差もある。だから諸君は、自分で「これならやってみよう」と思うことを、一つでも二つでも「実行」してみることだ。すぐに結果は出ないかもしれない。しかし負けないで「実行」を続けることだ。挫折したら、くよくよしているより、また立ち上がって進めばいい。
 「わからない」ことは悲しい。「わからない」まま毎日、六時間も座っている生徒の気持ちを、私は教師の方々に、わかってほしいのです。簡単に切り捨てないでほしいのです。
 教師にとって、生徒を否定することは、自分を否定することのはずです。どんな生徒でも、生徒は生徒です。学ぶ権利がある。伸びる権利がある。
 だれだって勉強が「わかりたい」のです。自分を、あきらめてなんかいないんです。「あきらめさせられた」のです。その絶望感をわかってあげるところからしか、教育は始まらないのではないでしょうか。
 数学科教諭 その通りです。私には、今も忘れられない″事件″があります。勉強が苦手で「ハシにも棒にもかからない」と言われたA君がいました。テストは零点。授業も″ふける″。勉強は親からも期待されていない。暴力は振るわないが、遊び歩く。それで心のバランスをとっていたのだろう、と私は思いました。ある時、彼が言いました。
 「先生、俺が何でこんなに苦しんでるか、わかるか?」
 「申しわけないが、教えてくれないか……」
 「俺、本当に苦しいんだ。苦しいから、俺に代わって、俺の人生を生きてもらえるか? 無理だろ!」
 「それは無理だな……」
 「無理だよなぁ、先生。俺の苦しみ、ちょっとでもいいから分けもってくれるか?無理だろ!」
 「それも無理だな……」
 「そうだよなぁ。だから、俺は、どんなに苦しくても、俺を生きるしかないって、俺は知ってるんだ。だから苦しいんだ。
 だから先生、わかってくれさえすればいいんだ。『わかってもらえる』という気がすれば、もう一歩、前に生きてみようという気になるから」
 衝撃でした。万巻の教育書を読むよりも、深い衝撃でした。
 以来、私は「生徒を丸ごとわかろう。その人の生きてきたそのままを、謙虚にわかろうとするしかない」と、努力してきました。
 A君は「自分のことをわかってくれた」と感じてくれたのでしょう。数学で「ここがわかんないよ、先生」とか、「このところ、どうしてこうなるの」「これでいいのか、見てよ」と、自分から来てくれるようになりました。当初は卒業もどうなるかと心配しましたが、それほど大騒ぎをしなくても、ちゃんと卒業していけました。
31  「わからない」ことは恥ではない
 池田 子どもは「変わる」ものです。はっとするくらい「変わる」ものです。変わる「力」を秘めているのです。だから絶対、今の姿だけで決めつけてはいけない。
 島秋人という歌人がいました。彼は死刑囚だった。子どものころから「手がつけられないワル」で、ある時、盗みに入った家で、家の婦人に見つかり、もみ合っているうちに殺してしまった。
 若くして死刑を待つばかりだった彼は、牢獄の中で自分の人生を振り返り、たった一回だけ、ほめられたことを思い出した。図画の時間に、教師から「絵はうまくないが、構図がいい」と、ほめられた。その一言が、闇に住む彼にとって″光″となったのです。
 その教師に連絡をとった彼は、教師の夫人の影響で短歌を始めます。彼は心の苦しみを表現する手段をもったのです。そして、みるみる才能を発揮して、新聞の歌壇にも入選を繰り返し、すばらしい歌集まで出した。人間的な成長は、めざましく、「まったくの別人」となったのです。彼を支えたのは、教師の一言だったのです。(島秋人『遺愛集』東京美術、参照)
 社会科教諭 重大な責任を感じます。
 池田 ともかく、最初に言ったように、勉強の目的は、大きな深い心をもった「魅力ある人間」になることです。「光っている人間」に。だから、テストの点が少々、良かろうが悪かろうが、からっとして、「自分は、やるだけのことはやったんだ!」と、また朗らかに努力していけばいい。
 「わからない」ことは恥ずかしくない。「あきらめる」ことが恥ずかしいのです。
 笑うことです。笑ったほうが血行も良くなり、頭もよく働く。
 そうやって、悠々と努力する「くせ」をつけた人は、将来、何だって乗り越えられる。その「くせ」こそが、最高の「財産」です。だから、今、「目の前の課題に勝て!」「何かを始めよ!」と訴えたいのです。

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