Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ボランティアの心 「困っている人がいればすぐ動く」文化を

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

前後
1  池田 青春の勝利にいちばん大切なものは何か。それは「勇気」です。自分が正しいと思ったことを、ともかくやってみる「勇気」だ。
 勇気がある人は、壁にぶつかっても、もがきながら前へ前へと進み、壁を破ることができる。
 勇気のない人は、どんなにすばらしい考えをもっていても、どんなにすばらしい知識をもち、思いやりをもっていても、それを生かせない。「宝のもち腐れ」になってしまう。
 今回のテーマは「ボランティア」。人のために何か行動することです。これも「勇気」がなければできない。
2  ボランティアの世紀へ 思いやりの心を結集
 池田 仏法で言えば「菩薩界」です。慈愛です。慈悲です。
 仏法の「慈悲」とは「抜苦与楽」という意味です。「慈」は「与楽」、楽を与える。何か喜ぶものを与える。「悲」は「抜苦」、苦しみを抜く。相手の苦しんでいる原因を取り除いてあげる。この両方で「慈悲」になる。
 「ボランティア」は、何らかの形で、人に楽しみを与え、苦しみを少なくする行為でしょう。その究極は、じつは学会活動です。
 みんなのお父さん、お母さんたちが「人のために」「社会のために」と、くる日もくる日も行動している。一人の人間を根底から蘇生させている。さまざまな文化活動、社会貢献の活動を、営々と続けている。何の報酬が出るわけでもなく、それどころか身銭を切って、人に尽くしている。「ボランティア」です。
 一面から言えば、創価学会は日本最大のボランティア団体とも言える。
 ともあれ、ようやく日本でも最近、「ボランティア」の大切さが言われるようになってきたね。
 ―― はい。阪神・淡路大震災が起きてから、とくにそうです。日本海の重油流出事故(一九九七年一月)では、数万人のボランティアが集まりました。長野オリンピック(九八年二月)では、三万人を超えるボランティアが働いたそうです。
 同じように、多くの高等部員も関心を持っています。「困っている人のために役立ちたいと思っているので、ボランティアに興味があります」「老人ホームのボランティアに参加して、お年寄りをいたわる気持ちを学んだ」「知的障害者の施設を訪問したことがある。それ以来、友達と楽しく話している時、ふと、世界の見えない所で苦しんでいる人のことを思い、心が痛む」という声もありました。
 池田 偉いね。「人のために何かをしたい」という気持ちは、大てい、皆、もっている。その心を、どう結集するかです。一見、冷たい無関心のように見えても、結集軸さえあれば、案外、皆、すばらしい思いやりをもっているものです。
 ボランティアの精神は、これからの日本を大きく変えていく力になることは、まちがいない。二十一世紀は、「ボランティア精神の時代」と言ってもいい。
3  「楽しくて、心がすっきりする!」
 ―― 学校で取り組んでいるところも増えてきました。東西の創価学園でも、そうです。
 たとえば、東京創価小学校を今春卒業した十八期生は、″ボランティア一期生″と呼ばれています。
 きっかけは彼らが五年生の冬の大雪。後輩たちが雪で滑って転んだり、ボール遊びができず、がっかりしている姿を見て、「自分たちにできることをやろう」と、雪かきをしたそうです。
 以来、あいさつ運動、校内外の清掃活動、体の不自由な人たちの施設の慰問など、活動は多岐にわたりました。
 昨年五月には「東京創価小学校ボランティア・ネットワーク」(SVN)を結成するまでに発展しています。
 池田 よく、うかがっています。渡辺副校長先生が言われていた。「好き勝手なことをする世代ですが、ボランティアを通して、自然と『人に尽くす心』が身についたようです。困っている人がいると、自然に手を差し伸べているようです」と。
 ―― ある教師は、こんな話をされたそうです。″ボランティア運動″をする前のこと。教室にゴミが落ちていました。先生が「ゴミが落ちているね」と指摘すると、子どもたちは「私のゴミじゃないから」「先生が拾えば」と言うのです。その先生は泣きたくなったそうです。
 そんな子どもたちがボランティアに参加するようになって、教室や校庭からゴミが消えたそうです。ある子は言ってます。「人にほめられるから、しているのではありません。ボランティアは楽しく、心がすっきりするんです!」
4  「させてもらう」謙虚さ
 池田 大事なところだね。人のために何かをすれば、自分が元気になる。両方とも得をする。日蓮大聖人は、「人のために火を灯せば、自分の前も明るくなる」(御書一五八九ページ、通解)と、言われている。
 何か「してあげている」という傲慢さではなく、「させてもらっている」という謙虚さが、行動している人にはある。そうでないと続かないでしょう。
 ―― 日本にいる外国人が一人でも犯罪をすると、マスコミは「すべての外国人はこわい」といわんばかりの報道をします。だから、私も無意識のうちに、心のどこかで「あの国の人はこわい」という偏見をもっていました。
 ところがボランティアに参加し、その国の人たちと「人間として」出会うことによって、そんな偏見はなくなりました。また「異文化を持つ者が、いっしょに学び合う大切さ」を教えてもらいました。
 池田 そうだね。ともかく、日本は、本当にエゴの社会になってしまった。「自分さえよければいい」「人が困っていても関係ない」。まるで砂漠のような、乾いた心になっている。最近、ボランティアに光が当たり、参加する人が増えているのも、「このままではいけない」という意識の表れともいえる。
5  ボランティアが民主社会を支える
 ―― 「ボランティアとは、そもそも何ですか」という質問も来ていますが。
 池田 英語の「ボランティア(volunteer)」という言葉の語源は、「自ら意志をもつ」という意味のラテン語だそうだ。「自由意志」です。自分の意志で立ち上がることです。
 ちょっとむずかしい話になるが、いわゆる「ボランティア活動」は、この(1)自分の意志で行うこと(自主性)に加えて、(2)世の中の人に役立つこと(社会性)、(3)それでお金をもうけないこと(無償性)、(4)政治などの手が届かないところにも目を向けること(先駆性)という条件を満たすもの――と定義されているようだ。
 先ほどの「老人ホームでお年寄りの世話をする」という例でいうと、(1)まず自分の意志でやっているし、(2)自分の親でない、知らない人の役に立っているし、(3)それはアルバイトではないし、(4)公の機関ができないことにチャレンジしている、ということになります。
 池田 ともあれ、ボランティアの根本は「自分の意志で立ち上がること」です。
 アメリカの故ノートン博士も、そうだった。牧口先生の「創価教育学」を研究した大学者です。私の大事な友人でした。
 『私の世界の交友録』(本全集第一二三巻収録、以下、同書から)で詳述したが、ここで、あらためて紹介したい。
 ノートン博士は、「ボランティア活動」を、ちょうど高校生の年齢で始めている。
 「十六歳の夏、アイダホ州のプリースト・地バーで「スモーク・ジャンパー」を目にした。これは、山火事を消火するボランティアです。車が入れないような山林の現場に、飛行機からパラシュートで飛び降りる。そして、火事が広がらないように、周囲の木を切り倒したり、溝を掘ったりする重労働である。危険なことはもちろん、若者を引きつけるような格好のよい仕事ではなかった。しかし、『何か人の役に立つことができないか』と考えていたノートン少年にとって、そこに大きな啓示だった。翌年の夏休み、志願してスモーク・ジャンパーを体験した。初めは怖かった。しかし、何とか、やりとげた」
6  「臆病と戦って人に尽くす崇高」
 池田 その時、「勇気さえ出せば、人助けができる。自分の臆病と戦って、社会に尽くす人生こそ、いちばん崇高な人生だ」と感じたそうです。
 その体験が少年を変えた。「これだけの危険を、くぐり抜けたのだ。ほかのことができないわけがない」と。だから生涯、「冒険」精神を貫く生き方ができた。三十五歳の時、それまでの建築技師の職を捨てて、哲学の研究をすることを決めた。哲学で人に尽くしたいと思ったからです。まさしく「冒険」です。ボストン大学の大学院に入り、わずか二年間で哲学の博士号を取りました。
 博士は言われていた。「スモーク・ジャンパーで得た『勇気』の賜でした。スモーク・ジャンパーは、仏法で説く菩薩のような存在です。皆、庶民です。しかし、人々のために行動することによって、それぞれがすばらしい可能性を開発しています」
 「勇気」で自分を開花させる――博士は仏法の「桜梅桃李」という言葉が大好きだった。
 (桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李というように、それぞれの個性を開花させること)
 いつも「オーバイトーリ」「オーバイトーリ」と言われていた。
 ―― アメリカでは(十四歳から十七歳までの)青少年で、「ボランティア活動に参加した」人は六〇・六%にもなるそうです。週平均三・二時間も参加しています(一九九〇年調査)。日本とは、全然違いますね。
 池田 アメリカでは、ボランティアが盛んなんだね。「民衆が社会貢献に参加する」というのが「民主主義」の基本だから、ボランティア精神が盛んでなければ、民主主義は、うまく機能しない。その点、日本は、まだまだです。
 ―― 日本では「そんなことしてるヒマがあったら、勉強しなさい」みたいなことになってしまいます。
 池田 そこに日本の「教育のゆがみ」がある。人に尽くす心を学ばなかったら、何も学んだことにならない。これ以上の「無学」はない。どんなに知識があっても、野蛮人のようなものだからです。
7  まず「行動」を!
 ―― 最近は、「高校時代にボランティア活動をしたかどうか」を、大学入試や就職試験の際に尋ねる場合も増えているそうです。でも、そのためにボランティアをやるようになったのでは、動機として不純かもしれません。
 池田 いや、それでも、やったほうがいい。「行動」すれば、「気持ち」は後からついてくる場合が多い。はじめは義務的にやったとしても、実際にやっていくなかで、何かを学べる。
 大事なことは、行動です。また、行動している人を「たたえる心」です。「励まし」「認め」「顕彰する」文化です。
 ―― たしかに日本には、そういう「たたえる文化」がない気がします。いつも「あげ足とり」をしたり、悪口や批判ばかりで、「いいことはいい」と、なかなか認めないんですね。ほめたり、励ますことも苦手みたいです。
 池田 心が狭いんだね。小さな心で、足を引っ張り合ってばかりいる。
8  利己主義の社会を菩薩界の社会へ変革!
 ―― たとえば創価学会の平和・文化活動に対しても、海外では、どんどん表彰され、顕彰されています。「ひっきりなしに」と表現したいほど連続しています。
 昨年(九八年)、アメリカのある市長が語ったそうです。「私は十五年間にわたり、警察官として青少年の犯罪を取り締まってきました。その眼から見ても、SGI(創価学会インタナショナル)には、本当の青年のあるべき道がある。社会に貢献しようと、楽しく活動される皆さんは、社会の模範です」と。
 こうした声を証明するように、聖教新聞では毎日のように、SGIのリーダーである池田先生を顕彰する記事が載っています。
 池田 すべて、世界の同志の名誉です。尊き一人一人への賛辞なんです。
 創価学会には、ボランティアの心が、太陽のように燃えている。
 創立以来、七十年も活動を続けている。だれに言われたのでもない。自分の意志で、ただただ「不幸な人を救いたい」という思いで戦ってきた。損得ぬきです。
 いな、むしろ、常に非難され、笑われ、弾圧されながらの活動だった。
 それでも、諸君の先輩は歯を食いしばって「人のため」「社会のため」にと戦ってきたのです。
 その「学会の心」は、あの阪神・淡路の大震災の時にも表れた。
 ―― 壊れた家々。横倒しになった高速道路。神戸の町は、焼け野原になっていて、まるで戦争でもあったみたいでした。
 学会の会館に着くと、家を失った人々が寝泊まりしていました。そして大勢の学会員がボランティアとして、朝から晩まで働いていました。
 皆、送られてきた物資を仕分けして、被災した方々に渡すことでした。私たちの食事は毎日、三食ともパン。寝る場所も、暖房のきかない、地下の倉庫でした。でも、だれも文句を言いません。
9  学会のバイク隊は被災地に一番乗り
 ―― 救援物資を持って被災地に一番乗りしたのは、学会のバイク隊だったのですが、常勝関西の底力を感じました。本当に対応が早かったのです。
 しかも、救援活動をしている人自身のなかにも、自分の家が壊れたり、けがをしたり、家族を失ったりした人もいたんです。それでも「人のために役立とう」と行動していたんです。
 そうした一人一人が集まり、大きなボランティア組織となって、本当に大事な役割を果たしました。
 いつも、だれからということなく、関西歌「常勝の空」を歌い始めました。ある人は、「今再びの陣列に」という歌い出しを噛みしめて、「関西に対する池田先生の思いが、今、やっと深くわかった。これから新出発や! 『今再び』なんや!」と語っていました。皆、大変でしたが、本当に貴重な体験をさせていただいたと思います。「こんな極限の経験をした以上、ふだんの生活で、できないことなんてない」と思ったほどです。
 池田 被災した方々には、今でも朝な夕なにお題目を送っています。学会員さんであろうと、なかろうと。
 生命は永遠です。三世です。なかんずく妙法の絆があれば、今世で亡くなっても、再び、家族や友人、夫婦として生まれてくることができる。すぐに戻ってきます。「永遠の家族」です。「永遠の同志」です。
10  公権力は「公僕=民衆の下僕」
 池田 関西には、「大変な人がいるのに放っておくものか」という伝統がある。「だれがやらなくても自分がやる」という意地がある。
 この「一人立つ」精神こそ、ボランティアの精髄です。また民主主義の精髄なのです。「だれか偉い人がやってくれるだろう」「政府がやってくれるだろう」「役所がやってくれるだろう」そういう″頼る心″は、権力に利用されてしまう。
 公権力というのは、民衆が「使いこなすもの」であって、「頼るもの」ではない。「頼る心」は、封建時代の「お上意識」が抜けないのです。「寄らば大樹の陰」と言うように。政治家や官僚は「公僕」です。「公」とは「民衆」です。「民衆の下僕」です。民衆が使っていくものです。
 ―― それを全部、「あなたまかせ」になって、民衆が監視しないから、堕落してしまうんですね。実際、大震災の時の政府の対応は、あまりにもひどかった。
 今、思い出しても、怒りがこみ上げてきます。対応が早ければ、亡くなった人の二割は助かったとも言われているくらいです。
 それに反し、昨年(一九九八年八月)夏の栃木の水害でも、地元の学会員さんが、めざましい活躍をされたそうです。川が氾濫し、車や牛まで流されました。橋も壊れたり、停電になったところもありました。孤立してしまった地域の人を何とか助けようと、壮年部や男子部が中心になって、救援物資を運んだそうです。
 道は、土砂くずれなどで通れなくなっていました。それで、一度県境にまで迂回して、その地域に入る道を見つけ、婦人部や女子部の用意した「おにぎり」や懐中電灯やタオルなどを持っていったそうです。
 地元の人からは、「役所よりも、自衛隊よりも、創価学会が一番先に来てくれた」と感謝されました。また、感謝状も寄せられています。
 池田 もちろん、それぞれの立場の人が、それなりに一生懸命、ご苦労されたことも忘れてはならない。
 大切なことは、「困っている人がいれば、すぐに動く」文化を、社会につくっていくことだ。そのためにも、ボランティアが大事になる。そういう文化、そういうヒューマニズムが社会に普及していけば、公的機関も変わらざるを得ないでしょう。
 今の日本は、餓鬼界、畜生界の社会かもしれない。その根底を、菩薩界の方向へと変えていく必要があるのです。
 ―― たしかに、今は「自分さえ、よければいい」という社会です。だからこそ、ボランティアが大事です。社会に、「人のために」という流れをつくっていくわけですね。
 学校でも、ボランティア活動を推進した結果、いじめが少なくなった、なくなったという例もあります。
 池田 日本という国としても、世界中の困っている人のために、どんどん医者を送る、技術者を送る、奉仕者を送る、そういう努力を十年、二十年、三十年と続けていったら、どれほど感謝されることか。
 ―― そう思います。安全保障という面でも、それがいちばんではないでしょうか。人材を派遣してくれる、そんな″博愛の国″を攻撃することはできませんから。
11  人に尽くせば自分が大きく
 池田 二十一世紀は、「人道の競争」の時代だからね。「軍事の競争」「政治の競争」「経済の競争」――それは必ず行き詰まる。狭い地球で、争い合うのは、もう、あきあきしています。あまりにも不幸だ。
 だから「二十一世紀の主役」である皆さんこそ、「人に尽くす生き方」を身につけてほしいのです。
 私がお会いした「一流」と言われる人は、皆、「大きな海」のような心を持っていた。
 中国の周恩来総理も、そうでした。いつも、胸中には、大勢の人民への愛が波打っていた。周総理は、学生時代も、足の不自由な一人の友達を、それはそれは大切にしたという。
 総理は日本に留学するまでの二年間、背負ったり、支えたりと、友達のために奮闘した。別れる時には、「志在四方(君の志は、全世界を目指してほしい)」と書いて、足の悪いことに負けないよう励ましたという。
 そういう総理だったから、中国の何億という人々の心をつかむことができた。あれだけ、多くの人から慕われたのです。
12  「池田先生なら、どうされるか」と
 ―― 世界の高等部員も、「人のために役立とう」と頑張っています。今年(一九九九年)一月、南米・コロンビアで、マグニチュード六・〇の大地震が起きました。千人が亡くなり、十数万の人々が家を失いました。それを知って立ち上がったのが、アルゼンチンの中・高等部など、青年部でした。みんなで話し合ったそうです。
 「今、池田先生だったら、どう行動されるか?」
 「苦しんでいる被災者のために、何か私たちにできることをしよう!」
 出た結論は、「粉ミルク」を集め、コロンビアに送ることでした。粉ミルクは、南米の家庭で、大人・子どもの区別なく、食用に使用されているそうです。
 メンバーにとって、翌月には青年部主催の「青年平和音楽祭」が迫っていました。そこでメンバーは、音楽祭を見に来てもらい、そこに粉ミルクを持参してもらうよう、訴えることにしました。地域の家々を一軒一軒、訪問する活動が始まりました。
 「コロンビアでは今、ミルクも満足に飲めません。粉ミルクを提供してください!」
 訪問した家は、約千軒。時には、断られることがありましたが、多くの市民が賛同してくれました。
 ある男子高等部員は、友達に「音楽祭」と「粉ミルク」のことを一生懸命に話しました。しかし、友達は本気にしてくれません。
 当日、その友達は、ひやかし半分で音楽祭を見にきたそうです。ところが、来てビックリ。高等部員たちの真剣な表情、白蓮グループや創価班の真心の対応に、「ここまで真剣で誠実な人々がいるのか」と、心打たれたんです。
 彼は、あわてて家に帰ると、シャワーを浴びて、清潔な身なりに着替えました。そして、今見てきたことを母親に話し、親子で「粉ミルク」を持ってきてくれたそうです。
13  「SGIの青年は国の最高の宝!」
 ―― こうして、二トンの粉ミルクが集まりました。約二千家族が飲める量です。この音楽祭には、フローレス大学のケルテース学長、クララ夫人も出席されました。
 (=学長夫妻は、池田SGI会長の人間主義運動に感動し、池田会長に同大学の「名誉博士号」を、会長夫人に「名誉教授」称号を贈った)
 積み上がった粉ミルクを見て、クララ夫人が「これは何ですか?」と尋ねたそうです。メンバーが理由を話すと、夫人は感激して、「私もコロンビア人です。コロンビアのために、ここまでしてくださって……」と泣き出されたとも聞いています。
 メンバーは、さっそく、粉ミルクをコロンビア大使館に送ることにしました。その時、エルナンデス大使は、こう言われました。
 「SGIの青年が『自発の行動』を起こされた、その心に敬意を表したい。あなた方のような青年こそ、国の最高の宝であります」と。
14  初めの「一人」、始める「勇気」が大切
 ―― アルゼンチン青年部では、今、″学校をやめないでキャンペーン″にも取り組んでいます。ブエノスアイレス州では、さまざまな理由で、毎年、二十五万人のうち十万人が学校に行かなくなるそうです。(ユニセフ〈国際連合児童基金〉統計)
 「そういう人のために役立ちたい」――そう思った青年部は、手紙を書いて、学校をやめそうな人を励ます運動を思いつきました。「平和への手紙」というタイトルで、「勉学の大切さ」「学ぶ喜び」をつづって送るんです。
 最初は、SGI青年部だけでしたが、やがて学校の先生や父母、市民も取り組むようになり、ついに地元の大きなラジオ局まで、このキャンペーンを全面支援してくれるようになったそうです。
 ラジオ局のプロデューサーの言葉です。「多くの人が″他人のために役立ちたい″と思っていますが、実際、どう行動すればよいか、わからないのが現状です。この運動は″手紙を書く″ことによって、だれもが他人のために貢献できることを教えてくれました!」。反響は、ますます広がっています。
 池田 偉いね。何でも、初めは「一人」です。「少数派」です。しかし、その小さな声が、人の「心の共鳴板」を叩くとき、一人から二人へ、三人へ、十人へ、百人へと、広がっていく。だから初めの「一人」が大事なのです。初めの「一歩」が大事なのです。始める「勇気」が大事なのです。
 ―― その勇気は、どこから出てくるのでしょうか。いちがいには言えないと思いますが……。
15  「内面」が強くないと続かない
 池田 そうだね。やはり海外では、「ボランティア」は、宗教的な信念に支えられている場合が多いようだ。自分の信じる「宗教」が、人に尽くすことを教えているので、ボランティアの活動をしているケースも多い。
 たとえば、ユダヤ教では、「人に尽くす」ことは、「やってもやらなくてもいい」ことではなく、義務であり、正義だという。「人に尽くさない」人は、不正義の人とされる。無学の人ともされる。
 もちろん、宗教的信念だけが、ボランティアの源泉であるわけではない。しかし、相当に「内面」が強くないと、なかなかボランティア活動は続かないことも事実です。
 「こんなことやっていて、どうなるんだろう」とか、「自分の行動なんか『大海の一滴』『焼け石に水』じゃないのか」とか、疲れてしまう場合がある。
 周囲が皆、偽善者に見えたり、「一生懸命やっているのに、なぜか虚しい」とか、「もう自分は燃え尽きてしまった。燃えカスのような人間だ」とか、絶望してしまう場合もある。
 反対に、「自分はすごいんだ」と傲慢になってしまう場合もある。
 それらを乗り越えて、長年、生き生きと人に尽くしていくのは、並たいていの精神的エネルギーではない。
 ―― ボランティアは、「内面の強い人」だからこそ、できるんですね。ひまな人がするのでも、″お人好し″がするのでもなく……。日本は、「内面が強い人」は、まだまだ少ないように思います。
 「自分のことで、せいいっぱい」か、「だれかがやってくれるだろう」「国や政府、お上がやってくれるだろう」という依存心が強くて、「自分がやろう!」という気持ちが乏しいような気がします。
 池田 だから、日本人は、権力にとって「扱いやすい」のです。
 少しむずかしい話になるが、「公私」というと、日本では「公」とは国や政府、官庁のことで、「私」とは市民、民間のことと思いがちです。それが根本的な間違いなのです。
 ―― たしかに「官庁」が「公」で、「民間」が「私」のような印象があります。
 池田 しかし、民主主義においては、「公」とは、市民――民間人の集まりのことを言う。国や政府などの「官」は、民間という「公」に奉仕するためにある。
 ―― 「民間」こそ「公」なんですね。
16  「官が上」「民間が下」の転倒を正せ
 池田 「公」というと、英語では「パブリック」。しかし、イギリスでは、「公立学校」ではなく「私立学校」のことを「パブリック・スクール」という。
 なぜなのか。それは、「こんな学校をつくりたい」という意欲をもった「私人」が、みんなに呼びかけてつくったからです。「私人」と「私人」が集まってつくった社会、それが「パブリック」なんです。これが本来の意味になる。
 ―― たしかに日本で「パブリック・スクール」というと、県や市がつくった「公立学校」と訳しそうになります。
 池田 「パブリック」は「民衆」です。民衆が主役です。民間こそが主体なんです。それが日本では、「官」が上、「民」が下になってしまっている。さかさまです。
 ―― 「官尊民卑(官が尊く、民間が卑しい)」は、本当に根強い悪弊です。
 池田 だから、「公僕」とは、「国や政府に仕える人」ではない。「民衆に仕える人」です。民主主義とは、「民間人」が「主人」であるという意味なのです。
 ―― 「公僕」である政府や議員、役人は、民衆に仕えてこそ、「公僕」となるんですね。
 しかし、日本では主人公であるはずの市民が、下僕であるはずの国や政府に、逆に仕えているかのようです。ヨーロッパの役所などに行くと、実にオープンで、親切で、「市民にサービスする」という雰囲気が当たり前になっていると、よく聞きます。
17  民間にサービスするのが「官」
 池田 市民が「主人公」の自覚をもって、自分たちの社会をどうするか、自分たちで考え、自分たちが参加し、自分たちが手づくりで未来をつくっていく。それが民主主義です。だから「ボランティア」の活動がないと、民主主義は、うまく機能しないのです。
 そして、「官」は、そういう「民間」の活動に精一杯、サービスするためにある。「サービス」させるために、「民間」が「雇っている」のが「官」なのです。
 ―― じゃあ、政治家や官僚が、民間人に「いばる」なんて、「さかさま」もいいところですね! 思うのですが、日本では「官尊民卑」の封建思想があるから、国や政府は、民間の「ボランティアの団体」が大きくなることを恐れるのではないでしょうか。市民に「サービス」するために自分たちがいると思っていないで、「支配」や「管理」のためにいると思っている。市民が立ち上がると、自分たちの不備や欠点が暴かれると思う面もあるんではないでしょうか。
 池田 そうかもしれない。ともかく、官が「上」で、民間が「下」と思っているかぎり、日本にボランティアが根づくことはむずかしいかもしれない。
18  「すべての人が政治参加」が民主主義
 ―― その意味では、選挙の支援活動も同じです。
 「もっと日本をよくしたい」「この地域をよくしたい」「本当に民衆の味方になってくれる人を政治の舞台に送り出したい」という一人一人の思いがあるから、私たちは、支援活動もしています。しかも手弁当で、無償のボランティアの支援です。
 それを「宗教者が政治に関わるのは、おかしい」とか批判するのは、あまりにも的はずれです。すべての人が政治に参加するのが民主政治ですから、「宗教をもっている人は政治に関わるな」というのは、民主主義の否定であり、弾圧です。
 もしも、宗教者が「政治にだけは関心をもたない」というならば、そのほうがおかしい。現実社会に根をはって、本当に人々を救っていこうとすれば、心の問題のみならず、政治、経済、教育、文化、そして世界の平和へと関心をもつのは当然だからです。
 こういう、おかしな批判が続くのも、権力者が、「民衆の力」を脅威と感じているからではないでしょうか。マスコミ人も、「民主主義」「人権」が、まったくわかってない人が多いようです。
19  「民衆の力」を引き出してこそ民衆社会
 池田 それはともかく、日本の行き詰まりも、「民間の力」「民衆の力」を抑えつけているところに大きな原因がある。
 これからは、民衆一人一人の力を引き出していくべき時代です。よく「共生(共に生きる)」の社会という。それも、お年寄りや身体の不自由な人を、単に「弱者」として大事にする社会ではない。そういう人たちも含めて、だれもが、自分のもてる「力」を伸び伸びと発揮できる社会です。
 高齢者も「生きがい」を求めている。「人のために役立ちたい」と思ってるし、若者にはない経験と知恵がある。そうした「力」をボランティアとして発揮していけば、本当の意味で健康な社会になる。また、社会を進歩させる創造力や新しいアイデアは、民衆の中からこそ生まれてくるものです。
20  創価学会は「善の心」の結集軸
 ―― 「民衆の力を生かす」には、どうすればいいんでしょうか。
 池田 団結することです。民衆の力は、一人一人がバラバラになっていたら、発揮できない。皆、心のどこかで「人のために役立ちたい」と思っている。そういう「善の心」を大きな花束にしていく結集軸が必要です。
 そうした市民の結集軸となって、戦後の社会を動かす大きな原動力となってきたのが創価学会です。皆さんのお父さんや、お母さん、先輩方です。
 ―― 本当に、そうだと思います。
 「民衆の力」を恐れる人間は、すぐに「組織はよくない」とか言います。そして、ボランティアにしても、大きくまとまらない小さな活動や、一過性の活動を評価し、一方、大きな組織体となると、すぐに批判的な目で見ます。
 これでは、「ボランティアはいいけれども、社会を根本から変えていくようなボランティアは″やりすぎだ″」と言っているようなものではないでしょうか。
21  草創期の学会魂
 池田 自分は何のために生まれたのか。この人生、何にかけるのか。
 草創のころ、六十二歳で支部長になった方がおられた。「そろそろ、若い人と交代しては」と言う人に、こう語った。
 「とんでもありません! 私は五十半ばにして、真実の生きがいを見いだした人間です。この生命の燃え尽きるまで、広宣流布の旗を離すわけにはいきません!」
 京都の壮年の地区部長は「ここの、正法を信じておる人は、みんなワシの子と一緒ですワ。人ごとにしておられません」と。
 草創のある男子部の部隊長は「オレは寝らんと決めた」と。極端のようだが、実際、ふとんで寝ることのない日もあった。「一人でも、同志を守るために、オレは戦う!」。炎の心で、広布に走った。
 夢の中でも、同志に仏法を語った人もいる。「おまえ、不幸になってもいいのか」「策ばかりに走りよって……真剣に題目あげんといかんぞ!」一緒に夜行列車に乗っていた人が、本気になって、指導として聞いた――そんな笑い話さえあります。
 人間、ふつうは、自分のことだって救えないものだ。家族だって、本当には幸せにするのはむずかしい――それが現実ではないだろうか。
 政治家も、有名人も、往々にして格好だけで、本当に人のために我が身をなげうっている人は、一体、どれだけいるか。
22  「全ての人を幸福に」が広宣流布
 池田 草創の友は、皆、貧しかった。地位もない。学歴もない。しかし、心は気高かった。「あの人も、この人も、みんなを幸せに!」。人類の先覚者として、偉大なる使命感に燃えていた。
 人を救おう、幸せにしよう――こんな崇高な生き方はない。
 南米・ペルーの広布の大功労者、ビクトル・キシモトさんの言葉が忘れられない。「私を支えてきたのは、骨と血のほかは、ペルーの人びとの幸せを願う気持ちだけであった」これがキシモトさんの「生涯最後の言葉」でした。
 ―― 草創の先輩方の労苦を思うと、いくら感謝しても、しきれません。すべての人を幸福に……その根本の道が、広宣流布なんですね。
 池田 戸田先生は語っておられた。
 「困っている人に、食べ物をあげるのもいい。お金を出すのもいい。しかし、困っている人全員に、平等にはあげられない。物には限りがある。また、相手は喜ぶが、″何も努力しなくても、またもらえばいい″となる。結局、最高の布施(何かをあげること)は、法を教えることだ。そうすれば、新しく強い生命力を得て、その人は自分の仕事に取り組み、自分で健康になっていける。その力は地面から水が涌くように、絶えることがない」
 これこそ、最高の「利他」の道です。
23  「ボランティアの限界を感じた」
 ―― ボランティアの限界を感じたことがあります。学生時代に、インドに行ったときのことです。
 貧富の差が激しく、貧しい人たちの町では、子どもから、お金をせがまれました。そこでお金をあげれば、その子一人の明日のミルク代やジュース代になるかもしれない。でも、一生を支えるお金はあげられない。第一、何千人、何万人の命を救うことは絶対にできないか、と。
 結局、一時的に、その人の環境を変えたり、ある程度、自立の心を応援することはできても、生き方まで変えることはむずかしいのではないかと思います。
 池田 「人類」と言っても、それは言葉にすぎない。抽象的な概念にすぎない。その実体は、一人一人の「人間」にある。身近な「一人の人」を、どうすれば幸福にできるか。その探求なくして、「人類」を論じても、それは空想です。現実からの逃避です。
 ―― たしかに、「人類救済を論じながら、周囲の人には、まったく冷たい」人もいます。
24  学会活動は「自他ともに幸福」
 池田 現実の一人一人の生命に「幸福の種」を植えていくこと――それが遠回りのように見えて、地球全体を変えていく根本的な労作業なのです。
 遠回りのように見えても、植えた種が育って「大樹」になれば、いっぺんに花も咲くし、実もなっていく。木陰で皆が憩うこともできる。そういう「大樹」に、自分自身がなることです。そのための高等部活動です。
 仏法は「自他ともに幸福になっていく」道です。他人を犠牲にするのでもない。自分を犠牲にするのでもない。自分を犠牲にするのは崇高だが、万人にそれを要求することはできない。要求すれば、おかしなことになってしまう。
 「自他ともに幸福になっていく」のが本当です。「皆が勝者となっていく」道が必要なのです。ゆえに、相手に尽くすといっても、「相手に感謝しながら」なのです。「あの人のために、こんなに悩んだおかげで、自分が大きくなった。ありがたい」「あの人のために、これだけ動いたから、自分は強くなった。感謝します」と。また実際、広宣流布のために行動した分、福徳と智慧も広がっていく。「利他」(他人を利する)と「自利(自分を利する)」の二つが備わっているのが、学会活動なのです。
 ―― 高等部員でいえば、高等部活動が、最高のボランティアなんですね。
25  「学会活動に無駄はない」
 池田 みんな、それになかなか気づかない。
 一人の人と会う。だれかのために祈る。手紙を書く。たとえ約束を破られても、何度も足を運ぶ。
 それは、ささいなことのように思える。時には、「こんなことをしてもムダではないか」と思うことがあるかもしれない。
 しかし、あとから振り返れば、何ひとつムダではなかったと必ず、わかる。
 友のために足を運んで、どれだけ自分が強く、大きくなったか。友を思って題目を唱えて、どれだけ自分が豊かになったか。
 十年、二十年と、年月がたてばたつほど、全部、かけがえのない自分の財産になっていることがわかるでしょう。
 また、相手の人も、あなたに感謝してくれるときが来る。「あの人がいたから、自分は立ち上がれた」「あの先輩のおかげで、今の自分がある」そう笑顔で言ってくれる日が来るにちがいない。
 一生のうちに、そういう人が何人できるかです。人間にとって、それ以上の宝はない。
26  「あなたの手紙に涙が出たよ」
 ―― ある女子高等部員は、高校受験に失敗し、志望校に行けませんでした。落胆していた時、女子部の先輩が『青春対話』をもってきてくれました。
 「自分がいるところが、最高の″学びの場″なんだ!」――池田先生の励ましの言葉にふれて、彼女は迷いが吹っ飛んで、新しい気持ちで高校生活をスタートしたのです。
 そして一人の友人と出会いました。その子は病気をして、長期間、学校を休んだことから、病気が治っても、学校に来れなくなっていました。高等部の彼女は「何とか、その子の力になりたい」――そう祈るようになったのです。
 その子は、学校をやめて、他の高校に編入したいと思っていました。でも両親や周囲が反対し、本人も不安をかかえていました。
 高等部の彼女は、勇気を出して、自分の心の支えである『青春対話』と手紙を渡しました。「あなたの決意を応援するよ。どうなっても、あなたの友達だよ」と。
 その子は、編入試験に合格。その発表の日に、電話がかかってきたのです。「あなたのくれた手紙と本を読んだら涙が出たよ。私が頑張れたのも、あなたたちのおかげ。本当にありがとう!」と。
 その後、高等部の彼女自身も、将来の夢を見つけました。それは音楽を通して、ハンディキャップのある人の「カウンセリング」をする仕事です。一度は、あきらめていた自分の夢への挑戦が始まったのです。
 彼女は言います。「私が、これほどまで、だれかのためになりたいと祈ったのは初めてでした。おかげで毎日唱題でき、勇気を出すことができました。そして、本当にやりたいことを見つけました。つらいことも、すべて自分の財産にすることができました!」
27  「無関心」「無慈悲」の世界を変えよ!
 池田 立派です。ボランティアといっても、何か特別な場所に行ったり、特別なことをすることではない。自分の身近なところに、ボランティアの出発点はある。
 「人に尽くそう!」と決め、勇気を出して「行動」を開始した時、もっと強い自分になれる。人間としての器が、もっと大きくなる。多くの大人たちは、その勇気を、もう失ってしまっている。年を取れば取るほど、小さく固まって、「自分を守る心」が強くなっていく。
 だからこそ、私は、広宣流布を皆さんに託したいのです。「無関心」で、「無慈悲」の世界を変えていくのは、皆さんしかいない。
 地球を舞台に、皆さんの「勇気のドラマ」が、いたるところで展開されるとき、人類の新しい歴史が始まる。そのときこそ、「人道の世紀」の幕が、堂々と開くにちがいない。
 私は、その夜明けを祈るがゆえに、「高等部の友よ! わが弟子よ! 徹して学べ! 徹して鍛えよ! 徹して労苦を! 徹して強くなれ!」と叫ばずにはいられないのです。

1
1