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日蓮大聖人・池田大作

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何で大学に行くの? 人の何倍も勉強を! それが青春の勲章

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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1  池田 さあ、きょうも対話しよう。私の焦点は全部、「二十一世紀」です。
 二十一世紀をどう勝利するか。どうすばらしい、明るい時代にするか。それしかない。
 その二十一世紀の主人公は今の高等部、未来部の諸君だ。諸君で決まる。諸君の勝利が、二十一世紀の勝利であり、私の勝利です。
 ―― ありがとうございます。「未来部の育成こそがいちばん大切な使命なんだ」と自覚して頑張ります。今回のテーマは「大学」「進路」についてです。
 池田 いちばん、現実的な、いちばん、大切な問題だね。
2  「自分への挑戦」に勝て!
 ―― 三年生はもちろん、一、二年生も、将来、どう自分が進むのか悩んでいます。
 「自分は、勉強ができないから」と言って、受験に挑戦する前に、あきらめている人もいる。
 なかには、先輩から、「高校、大学、短大、専門学校と、出た学校によって、就職口も違うし、給料も昇進も違う。だから大学に行ったほうがいい」と言われ、迷っている人もいました。
 池田 全部、自由です。自分の人生です。自分自身で決めることです。たしかに、その先輩のアドバイスも一理あるでしょう。しかし、出た学校によって、自分の一生が、すべて決まるわけではない。むしろ、自分が「どのように生きるか」という強さ、深さが大事です。その強さ、深さの分だけ、満足と充実の人生を生きていけるものです。
 終戦後の混乱期、私が勤めていた戸田先生の会社は、破産状態だった。しかし、ある先輩が「どんな事態に直面しても、『人生、当たって砕けろ』の精神で行け!」と言ったことが、頭に残っている。単純な言葉のようだが、人生の大事な真実を教えている。
 「当たって砕けろ」という勇気があれば、必ず何らかの道が開けるものです。
 「出身校で決まる」のではない。「自分という人間」で決まる。有名校に行ったから幸福か。そうは絶対に言えない。また、いわゆる二流三流校に行ったから敗北者か。そんなことは絶対に言えない。小学校を出ただけで偉くなった人は、いっぱいいる。要するに、「自分への挑戦」に勝った人が勝利者であり、幸福になれるのです。これが根本です。
 ―― 進路をどう選ぶにせよ、「自分への挑戦」を忘れてはならないということですね。
 池田 だから今、「勉強ができない」「成績が悪い」からといって、受験に挑戦しないというのは、情けないことです。挑戦する「心」が、挑戦する「人間」をつくる。そして、その挑戦がどんな結果になろうが、そこに残った「充実感」を誇りとしていきなさい。それは、就職するにしても同じことです。
3  人生大学の優等生たれ! 学歴よりも実力を
 ―― 「経済的に厳しいので、高校を出て、すぐ働いたほうが親孝行では」という意見もありましたが。
 池田 それも、基本は自分自身で決めることです。高校を出て、今、社会のために立派に頑張っている人を、私もたくさん知っている。
 大教育者であった牧口先生は、「本当に家庭が貧しく、小学校しか、中学校しか出られなくても、有名大学に行った人を使えるような人間になれ」と、おっしゃっていた。
 たとえ大学に行ってなくても、その人が「人生大学の優等生」と言える。
 ただ、高等部の皆さんに言っておきたいのは、「青春時代は、大いに勉強をしてもらいたい」ということ。その延長として、大学にも行ってもらいたい。
 諸君は今、平和で安心して勉強ができる時代に生きている。しかも、人生の中で、勉強ができる時です。その時に勉強をしたほうが、人生において得をすることは確かでしょう。
 私が諸君の年代のころ、日本は戦争をしていました。勉強したくても、自由にできなかった。英語も「敵国の言葉だから」と禁止されていた。敗戦後の混乱もひどかった。経済的にも厳しい。それでも私は勉強したくて、夜学で学びました。本も、それこそ貪るように読んだものだ。それらが今、全部、生きて、役立っている。
 ―― 勉強したくても、できない――それにくらべれば、就職しようか、それとも大学か、短大かと迷うことができるのは、ものすごい「ぜいたく」かもしれません。
4  親が「働いてほしい」と言う
 ―― 「大学へ行かせるお金もないから、親は働いてほしいと言っている」場合は、どうでしょうか?
 池田 親の気持ちは、もっともなことでしょう。そのうえで、大学に行きたいのなら、夜学に行ってもいいし、通信教育もあるし、あとは自分の努力しだいです。アルバイトをして自分で学費をかせいで大学に行ってもよい。
 人生には、さまざまな交錯した事情がある。思い通りにいかないこともある。社会もまた同じである。要は、それに負けないことだ。
 長い人生です。希望通りにいくとはかぎらない。願い通りにいかない場合が多いのが現実でしょう。だからこそ、そこに「人生の戦い」があり、「自分との葛藤」がある。いかにして自分として満足できる「栄光の山」に、たどり着くか。その挑戦が人生です。
 今は奨学金の制度もある。頑張れば、さまざまな奨学制度を利用することもできる。諸外国では、奨学制度が充実しているが、日本は遅れている面もある。もっと国が未来のために、投資すべきでしょう。
 ―― 日本にある制度では、日本育英会(=平成十六年より独立行政法人日本学生支援機構へ事業移行)や各都道府県の奨学金、国の教育ローンがあります。新聞配達をする新聞奨学生もあります。また、創価大学には独自の奨学金制度があります。
 池田 将来の礎をつくるための借金は、ひとつも恥ではない。日本は島国根性で、借金をすると貧しく見られる。それは近視眼です。「カッコ悪いとか」「将来返すのが大変だ」というような近視眼に、とらわれてはいけない。むしろ、勉強の意欲のない人のほうが、「貧しい」のです。勉学の意欲のある人は、「豊かな」人生なのです。
5  定時制高校から四年生大学へ
 ―― 定時制高校から、四年制大学へ進んだ高等部員もいます。
 W君は、全日制の高校に入学したものの、目的観が見えず、そこに人間関係の悩みが重なって、一年生の秋に不登校になりました。自分を卑下していた時、池田先生のスピーチに出あったのです。
 「『自分なんかもう駄目だ』と思うような瀬戸際の時が諸君にもあるにちがいない。じつは、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである」
 心の底から感動し、猛反省した彼は、定時制に進んで、「人の何倍も努力していこう」と決意しました。昼はガソリンスタンドに勤務。夜は授業。その後、野球部で思う存分、鍛えの汗を流す毎日でした。しかし、受験を前に、再びスランプに陥ったのです。その時も、先生の「青春対話」の言葉に希望を見いだしたそうです。
 「私も夜学です。戦後の混乱期で、お金もなく、働きながら勉強した。当時はつらかったが、今は誇りになっています」――
 ″やる気″を取り戻した彼は、全力で勉学に励み、成績もグングン伸びて、推薦入試を受けて、大学に合格したのです。
 池田 偉いね。よく頑張った。徳川家康は「人の一生は、重き荷を負うて遠き路を行くがごとし。いそぐべからず」(桑田忠親『徳川家康史談』潮出版社)と言っている。
 苦悩のない人生はない。苦悩のない青春はない。ゆえに、苦悩と戦って勝つのか。苦悩に負けるのか。どちらかしかない。
 「戦う勇気」を与えてくれるのが信仰であり、創価学会の組織です。
6  専門学校か短大、大学か
 ―― 「自分は専門学校に行きたいのに、親は四年制大学へ行けと言う」という悩みもありました。
 池田 ありがたい親です。しかし、自分が専門分野の追求をしたければ、「勇んで」専門学校に行きなさい。どうせ行くなら、その分野で「絶対、一番になってやる」というくらいの意気込みで行ったほうがいい。
 ―― 専門学校も、大学も、それぞれ長所があると思います。
 池田 今の社会では、専門性をもった人が就職的には有利かもしれない。
 ただ、親の言うように、四年制大学を出たうえで、それから専門的なことを学んでいくことも重要であるし、すばらしいことではないかと思う。
 大学に行って、幅広い学問の世界に長く浸っている分だけ、自分の知性、教養を磨けるし、教育によって豊かな人格を耕せる。
 幅広い学問は、世界普遍の教養です。高い次元の自分をつくり上げていける可能性をもっている。それは、譬えて言えば、高い山に登るようなものです。高くなるほど、視界は広がる。世界が大きく広がる。今まで見えていなかったものも、見えるようになる。
7  「自分は自分!」 決然と生きよ!
 池田 ともあれ、専門学校へ行くか、短大へ行くか、四年制大学に行くか――それは家庭の状況や学力や自分の意思によって、自分で決断するしかない。自分自身で決断したことには後悔はない。
 もちろん、考えるにあたって、親や先生や先輩や友達など、さまざまな人に相談していくことは大事なことです。そして、決断し、実行に移したら、後ろを振り向いてはいけない。未練がましい生き方をしてはいけない。「人は人、自分は自分」であることを忘れてはいけない。
 いつまでも、「あの人のように、あの人と同じように」みたいな恨めしい気持ちをもったり、妬む心をもってはいけない。決然たる自分をつくりなさい。人生の勝負は、最終章で決まる。出発点で決まるのではない。
8  「将来やりたい事が見つからない」
 ―― ある二年生は「将来やりたいことが今、見つからない。卒業後の進路を決めてから大学に行くべきでしょうか」と悩んでいました。
 池田 進路は、ゆっくり決めてもよいでしょう。今から進路を決めつける必要はない。大学に入り、さまざまな勉強をしたり、友達のなかで、もまれているうちに、だんだんと進路が見えてくると思う。大事なことは「目の前の課題に、常に全力で取り組む」ことです。そうすれば、自然のうちに自分のなすべき使命も見えてくる。
 ―― 自分の志望通り、工学部で勉強して、大学院にまで行った時、一冊の本と出あいました。それは「知的障害をもつ子どもへの教育」の本です。それに感動した彼女は、大学院を中退。教員になろうと、今、勉強しています。また、短大を出て看護婦になったあと、高校の保健室で働いている友達もいます。
 みんな、本や周囲の友達や、仕事の現実にふれ、自分のもっと行きたい道を見つけた人です。
 池田 友人は宝です。イギリスでケンブリッジ大学の寮を訪問したことがある(一九七二年)。突然に訪問したので、部屋にいた二人の学生が一生懸命、部屋をかたづけていた。その二人の、とても親しげな様子は忘れられない。きっと、励まし合って、学び合い、高め合っているに違いない。必ずこの寮から偉大な人が出るだろうと思った。
 その意味で、寮は大事だと思う。寮で生活していること自体が、人生の勉強です。わがままの勉強ではなく、友情と人間のつながりを学ぶ勉強である。
9  「志望校に入る学力がない」
 ―― 「行きたい大学があるけど、入る学力がない」という声も聞きます。
 池田 行きたいのであれば、勉強をしなさい。勝つためには努力が必要だ。人の何倍も勉強をしなさい。遊びや空想ではない。「ああ、一晩たったら、英語を話せるようになっていたらな」とか、「遊びながら秀才になる方法」なんて、絶対にない。努力なくして偉大な業績は残せない。「学問に王道なし」です。
 皆が驚くほど勉強しなさい。これが根本の考え方です。そして、その努力が、青春時代の尊い、充実した思い出として残るでしょう。それが青春の勲章です。
 ―― なかには、「祈っているから、少々の勉強で大丈夫だ」と思っている人もいます。
 池田 それは違う。信仰と勉強を同次元でくらべたりすることは、大きな間違いです。宗教観の間違いであり、現実から逃げた邪宗の考え方です。
 勉強は、勉強しぬいた人が勝つ。それが道理です。その方向へ、耐えられる心をつくるのが信仰です。炊飯器に、お米を入れないで、いくら拝んでも「ご飯」が、たけるわけがない。いくら信仰しても、勉強をしなかったら何もできない。ひとりよがりで、機械が空回りしているようなものだ。
 ―― 人より何倍も勉強していく。その「エンジン」となるのが信仰ということですね。
10  「勉強は三人前、信仰は一人前」で
 池田 戸田先生は、「信仰は一人前、仕事は三人前でなければ人生は勝てない」と、よく言われていた。その逆は、本末転倒です。宗教屋か、狂信者です。
 「社会につながらない信仰は、法を下げる」と、御書でも厳しく書かれている。
 (「みやづか仕官いを法華経とをぼしめせ」――自分の「仕事」を『法華経』と思って、一生懸命に取り組みなさい)
 青春時代は、勉強は三人前、信仰は一人前、いや半人前でもよい。きちんと五座三座の勤行ができなくても、だんだん一人前になればよい。
 「挑戦する心」の王者――挑戦王こそ、高等部員の姿であってほしい。
11  大学は「手段」、「目的」は人生の勝利
 ―― 進学に関する悩みは、たくさんあります。浪人しているメンバーは、「孤独で、つい流されがちで、不安になる。入れれば、どんな大学でもよいのですか」と。
 池田 志望校でなかったとしても、大学に行けるチャンスがあるのなら、行くべきでしょう。
 良い大学に入ったから自分が良くなるのではない。自分の努力で勝利者になるのです。このことを忘れてはいけない。
 大学は「手段」でしかないのです。「目的」は自分です。自分が立派な人間になり、勝利者になることが目的です。
 人生は最終章で決まる。はじめに思い通りにいかないからといって、人生の勝利者になれないということではない。反対に、良いといわれる大学に入って、結局、犯罪者になったり、不幸になった人は何人もいる。
 ―― 今、「政界も、財界も、どこも、日本の各界は、がたがたになっている」と言われていますが、その指導者の多くは、いわゆる一流大学出身者です。
12  「知恵なき知識」は意味がない
 池田 混乱の原因の一つには、「知識」と「知恵」の混同がある。学んだ「知識」を何に使うか。それが「知恵」です。「知恵」のない「知識」をいくら集めても、価値は生まれない。習った「知識」を記憶しているだけでは観念です。
 それに対し、「知恵」は、生活であり、生きる力であり、生き抜く源泉だ。「知恵」こそが、勝利と幸福につながる。「知識」だけでは幸福につながらない。これが、皆、なかなかわからない。大きな錯覚がある。
 ―― たしかに、科学の知識を「破壊」のために使う人や、経済の知識を「自分だけ、もうかればいい」という利己主義で使う人もいます。
 池田 「知識」だけをありがたがって、「知恵」のない社会が行き詰まるのは当然です。ここに日本の文明の根本的過ちがあると、ある哲学者が指摘していた。
 ―― 知識と知恵の関係ですね。
 池田 「知識」は「知恵」を生むものです。いわば「知識」はポンプ、「知恵」はポンプによって得られる水です。水を使えなかったら、ポンプには意味はない。
 また「知識」なくして、ポンプなくして水も得られない。
13  「大学で不勉強」は本末転倒!
 ―― 今の日本の教育制度も、何か根っこが狂っているのではないでしょうか。
 池田 厳しい受験勉強をして大学に入っても、大学ではあまり勉強しないで卒業してしまう。まったく本末転倒です。人間として、社会として、国としての行き詰まりの姿です。青少年に対する国家の指導、教育方針に狂いがある。
 ―― 先日、「二十一世紀の大学像と今後の改革方策について」(一九九八年六月発表)という報告が発表されました。大学審議会の中間まとめです。それによると、「勉強しなくても簡単に卒業できる」というシステムを改めるために、単位のまとめ取りをできないようにしたり、授業の出席、宿題やリポートの提出の状況も考慮して、厳格に成績をつけるようにするそうです。「これでは大学の″高校化″だ」という批判もあるようです。
 また、一方で、成績の優秀な人は三年生で早期卒業できる仕組み、秋(九月)に入学できる仕組み、大学院を一年間で修了するコースなども考えているそうです。
 池田 若い世代の人口が減少するので、二〇〇九年度には、大学受験を希望する人全員が、どこかの大学に入学できるという予測もあるね。
 もちろん、今の受験制度がベストだとは思えない。また、大学の制度も改善していく必要があるでしょう。
 しかし、いくら形を変えても、根本の哲学が変わらなければ意味がない。「何のため」という意識。それを学生たちが身につけることが第一ではないだろうか。
 ―― 有名大学を出たエリートが政治家や官僚になって、自分の欲望を満足させることしか考えない姿を見ると、この人たちにとって「大学教育とは何だったのか」と思ってしまいます。
14  民衆に奉仕する心を忘れるな!
 池田 「大学は、知識ある野蛮人をつくっている」との批判もある。大学で学んだ結果、大学に行けなかった庶民を見下すような人間になってしまったら、一体、何のための大学か。
 端的な言い方になるが、「大学は、大学に行けなかった人々のためにこそある」と私は思う。大学に行った人は、大学に行けなかった人のために働くべきだということです。
 ―― 国立大学が、私立大学に比べて学費が安いのは、″大学に行きたくても行けなかった庶民″が納めてくれる税金をたくさん使っているからです。
 本当なら、入学式の時に、大学は、まず、そのことを学生に教えてもいいくらいだと思います。
 「君たちが勉強できるのは、君たちの何倍もの数の『大学に行けなかった人』のおかげなんだ」と。「君たちは、その人々に尽くすために学びなさい」と。
 日本の大学は、「民衆に奉仕する」というよりも、「権威をもって民衆を支配する」という思想が濃厚だったと思います。発想が、まったく逆なのです。
15  「師弟」の魂がこもる創価大学
 池田 だからこそ、「創価大学」をつくったのです。本当に「民衆のために尽くす人材」を輩出する大学をつくりたかった。
 牧口先生は、戸田先生に、おっしゃった。
 「将来、私が研究している創価教育学の学校を必ずつくろう。私の代に創立できない時は、戸田君の代でつくるのだ。小学校から大学まで、私の構想する創価教育の学校ができるのだ」
 また、ある時は「大学をつくりたいな。大学をつくれば、優れた人材が出てくるだろうな」と。
 そして戸田先生が私に創価大学の設立構想を話されたのは、昭和二十五年の晩秋、日本大学の食堂でのことだった。
 「大作、創価大学をつくろうな。私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。そのときは大作、頼むよ。世界第一の大学にしようではないか」と。
 先生は事業が失敗して、どん底の状況でした。しかし、心は負けていなかった。心は、壮大な希望に燃えていた。生きるか死ぬかという状況のなかで、先生は、私に創価大学の創立を託したのです。
 私は、戸田先生、牧口先生の遺言を何としても実現しようと決めた。戸田先生が念願された通りの、世界一の大学をつくりたいとの思いで、創価大学を創立したのです。
 創立記念日は、戸田先生の命日の意義をこめて、四月二日としました。
 ―― 創価大学の根本には、厳粛な「師弟不二」の精神があるのですね。
 池田 創大の正門には、牧口先生の直筆で「創價大學」の文字がある。この文字は、牧口先生が残されていた手稿を、戸田先生が保管されていたものです。それを私が大切に保存し、正門に掲げたのです。
 まさに創価大学は、牧口先生、戸田先生の魂をこめた大学なのです。また、私の命ともいうべき大学だ。
 私が創大のブロンズ像に「英知を磨くは何のため君よそれを忘るるな」と刻んだのも、「民衆のために尽くす人になってほしい」「民衆の苦しみを忘れないでほしい」との思いからです。
16  地位が高ければ義務も大きい
 池田 「ノブレス・オブリージュ」というフランス語がある。「貴族には義務あり」――すなわち「高い地位にある者は、その分、大きな義務をもつ」という意味です。
 これは、ヨーロッパにおける指導者観の基本といわれる。「指導的な立場にある人は、他の人より優れた勇気と力、自制心や高潔さ、犠牲的精神などをもって、人々を守っていく義務がある」ということです。
 ―― イギリスでは、今世紀(=二十世紀)の戦争で、オックスフォード大学など「名門の出身者ほど、戦死した率が高い」と聞きました。皆を守るんだと、いつも戦場で先頭に立っていたからだといいます。
 池田 大学で高等教育を受けた人も、ある意味では、同じだと思う。社会に奉仕していく義務がある。
17  創大の通信教育から弁護士に!
 ―― 創価大学の通信教育も、多くの人材を出しています。
 東京・練馬区の都立高校に通っていた人の話を聞きました。男性です。
 その方の高校時代は野球一色。成績はオール3。受験勉強を始めたのは、クラブ活動を終えた高校三年の秋でした。
 負けずぎらいの彼は、平日は五時間、土・日は図書館で十時間の猛勉強。しかし、受験した大学は、すべて不合格でした。
 こう語っています。「大学の入学試験中、突然、虚しくなったんです。いい大学に入って、大学で遊んで、いい会社に入って……。こんな人生はイヤだ!と」
 「何のための大学か」「何のための人生か」――悩み抜いた彼は、池田先生の著作にふれ、また、二十一世紀使命会の方の熱意にふれ、生涯をかける道を見いだします。そして、創価大学の通信教育部に入りました。さまざまな年齢、さまざまな職業の人が勉強する真剣さに、大いに触発されたそうです。一年後、転籍試験を経て、創大の通学課程へ。
 目標の司法試験の勉強もスタートしました。司法試験は、五回目の挑戦で合格しました。現在、弁護士として元気に活躍しています。
 その人は言います。「この経験を通して、『労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれる』との創立者の言葉を実感しました」「最後まで挑戦できたのは『社会に貢献できる人材に』との責任感、使命感でした。これからも『挑戦する心』を忘れず、進んでいきます!」
18  「君は現実から逃げている!」
 ―― 私の職場の先輩にも、一度は高校を中退したものの、奮起して早稲田大学の政経学部に合格したIさんがいます。
 Iさんは、中学一年の時からギターを弾き始め、バンドを組んで演奏していたこともあり、もともと高校にも行く気がなかったそうです。とりあえず、行ったもののバンド三昧。成績は、百八十人中、百六十番台をうろうろする常連でした。学校の先生への反発もあって、「二回目の二年生」の時に中退してしまいました。
 アルバイトをしながらも、「このままでいいのか」と不安になっていた時、男子部の先輩がやって来てくれたそうです。
 「君は現実から逃げているんじゃないか。もちろん、大学だけが人生ではない。しかし、何かに挑戦すべきじゃないのか」
 その先輩は、中学しか出てないけれど、一生懸命、社会のために働いていた人だそうです。その人は、一年間、Iさんを励まし続けました。
 それに奮起したIさんは、必死に勉強し、一日一時間の唱題を一年間続けて、「大検(大学入学資格検定)」に合格しました。
 翌春、大学を受験したものの不合格。落ち込んでいたときに、再び、その先輩に励まされ、一年間の浪人を耐え抜いて、志望校に合格したのです。
 Iさんは「本人のやる気しだいだと思う。その気持ちを引き出してくれた男子部の先輩には、いくら感謝しても、しきれません」と語っていました。
19  苦難との戦いのなかに、充実、幸福がある
 池田 創価学会は、ありがたいところだね。
 人生は勝つことだ。自分に勝つ。社会に勝つ。試験に勝つ。まず勝って、幸福の栄養を自分のものにしていくことが大切だ。
 人生は勝負です。仏法も勝負です。「世間は評判、国は賞罰、仏法は勝負」
 世間――一般社会は、人から良く言われたとか、悪く言われたとか、評判の次元だ。国は、良いことをした人を表彰したり、罪を犯した人を罰したりする。両方とも、相対性の次元です。
 しかし、仏法は「勝負」です。勝つか負けるかです。中間はない。
 人生の目的は何か。「勝利者」になること、「幸福」になることだ。
 では「幸福」とは何か。その中身は「充実」です。充実のうえに、自分なりの満足の栄冠を勝ち取ることです。
 では「充実」とは何か。「苦難」と戦うことです。苦難がなければ充実はない。充実がなければ幸福ではない。何の苦労もない幸福など、どこにもない。
 皆、この″戦う″という途中の道を忘れて、幸福という結果だけを求めている。苦難を乗り越えていくことが、充実の幸福なのです。
 ―― 進学するにせよ、しないにせよ、全員にあてはまる指針だと思います。
 池田 どんな道を行くにせよ、私は諸君の全員が、自分らしく、「私は勝った!」と言いきれる人生を、晴れ晴れと生き抜いてほしいのです。

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