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日蓮大聖人・池田大作

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アジアの豊かさ 日本の貧しさ 21世紀へ 精神の国際化を

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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1  池田 沖縄はすばらしい。空青く、海青く、何より、ここには「人間の心」が生きている。いい人が実に多い。少し、人がよすぎるくらいです。
 この地から「二十一世紀の世界の指導者」が陸続と育っていくと私は確信しています。沖縄の未来部担当者の皆さんが、一生懸命、若き友を応援してくださっていることも、うかがっています。本当にありがとう!
 ―― いつも本当にありがとうございます。何もできませんが、後輩の成長を、ただただ祈っていきます。
2  「広い心」――沖縄に学べ!
 池田 ありがとう。皆さんによろしく伝えてください。壮年・婦人の「未来部育成会議」の皆さんが、いつも温かく応援してくださっていることも知っています。本当に、うれしい。ありがたいことです。
 沖縄には「広い心」がある。島といっても、世界に開かれた島です。昔から、「万国の懸け橋」として、国際的な大交流をやっていた。そのせいか、日本的な「島国根性」がないのが沖縄です。そこがすばらしい。
 ―― はい。沖縄は十四世紀から十六世紀にかけて、「大交易時代」でした。
 シャム(現在のタイ)、マラッカ(現在のマレーシア)、ルソン(現在のフィリピン)をはじめとする南海貿易、中国、韓国・朝鮮、日本などとの交流も盛んでした。
 池田 マラッカのあたりには、中国の船もくれば、インド商人やアラビア商人もくる。琉球王国(沖縄)の人たちは、彼らとも、しょっちゅう往き来していたし、彼らを通して、ヨーロッパともつながっていたと言える。
 ポルトガル人も、日本のことを知る前から、琉球のことはよく知っていたようだね。
 ―― はい。沖縄は位置的にも、アジアの国々と親近感があるんです。沖縄から東京への距離と、マニラ(フィリピン)や香港(中国)への距離は、ほとんど同じなんです。
3  「行き会えば、皆、兄弟」の心
 池田 「海のシルクロード」の拠点だね。沖縄には、広々と開かれた心があり、人なつこい友愛の心がある。「行き会えば、皆、兄弟」というのが沖縄の心なんだね。
 ―― はい。沖縄語で「イチャリバ・チョーデー」といいます。
 池田 「島国根性」と反対です。日本の古くからの最大の欠点は、心が狭く、閉鎖的であることです。この島国根性によって、いわゆる発展途上国に対して、傲慢で、蔑視をする。「尊敬と親切の心をもって融合していこう」という心が根本的に欠けている。恐るべき性質です。
 これを直さなければ、日本は世界中から嫌われて、世界の孤児になってしまうことを私は心配しているのです。
 ―― 沖縄の高等部員の声にも「日本のいやなところは、他の国と色分けをしすぎていること」とありました。
 ″日本は、欧米の人たちにはペコペコして、アジアの人たちを差別しているのでは″という意見に対しても、彼女は、こう答えています。
 「アジアが下、アメリカが上というのは、ひと昔前の考えだ。日本がアジアに何かをしてあげるとかではなく、一緒に学び、交流する。そのセンターを沖縄につくりたい」
 池田 しっかりしている。立派だね。その通りだ。
 私は初めて沖縄に来た時(一九六〇年七月)から、沖縄を「アジアのハワイに」と訴えてきた。そのひとつの意味は、今の声にあったように、沖縄がアジアの、そして世界の人々が交流するセンターになってほしいということです。
 ―― たしかに、沖縄と日本の他県とは、かなり文化が違うと思います。
 沖縄から見ると、日本という国の身勝手な国家主義や島国根性がよく見えるんです。自分たちさえよければそれでいい……というような。そして、それに反対すると圧力をかけてくる。どうして、こうなってしまったのでしょうか。
4  世界は一国! 「地球民族主義」へ
 池田 いろんな理由があると思うが、ひとつには、島国で他国との交流があまり無かったことであり、ひとつには他国から侵略されたことが無かったことにあるでしょう。
 その結果、内輪げんかばかりの「足の引っ張り合い」で、小さい考え方に固まってしまった。また、鎖国という状況が日本人の心を縛り、視野を狭くしたのも大きな要因だったでしょう。一度つくられた気風が、時代が変わっても続いて、「心の鎖国」状態がいまだに続いていると言えるかもしれない。
 もちろん現在は、通信・交通等の発達で、国際化・地球化が進んでいる。世界は、まさに「国際社会の時代」「地球民族主義の時代」へと変化している。
 ―― 「地球民族主義」というのは戸田先生が言われたことですね。
 池田 そうです。民族同士の争いが絶えない時代にあって、「そんな小さな心は捨てよ。地球に住む人々は一つの民族だ」と叫んだのが戸田先生です。私は、恩師のその思いを「現実」にするために世界を駆けてきたのです。
 ともあれ、今や世界は一国のような時代になってきている。この時代に、日本の「日本人中心主義」は、海外からは偏狭の目で見られる。
5  アジアの留学生に冷たい日本
 ―― 聞いた話ですが、日本に来たアジアの留学生が、アパートを貸してくれないとか、差別的な目で見られて、くやしい思いをしているそうです。
 池田 本当に日本人は愚かです。わざわざ日本に来てくれた人たちなのだから、最大に大切にしてあげなければいけない。アジアの国々の皆さんとのつき合いは、「真実」と「誠実」でなければならない。ごまかしとか、見くだすような心があっては絶対にいけない。これは政治でも、経済でも同様です。
 あくまでも、真実・誠実・思いやりです。「ともに人生を歩もう」という希望を与え合うべきです。心には絶対に「国境」をつくってはいけない。
 ―― 日本に来るときには「期待」をもってきたのに、帰るときには「反日感情」をもって帰る――そういう人も少なくないそうです。
6  日本は「心の鎖国」「精神の貧困国」
 池田 残念なことだ。日本が偏狭の国になった理由の第一には「教育」がある。日本の教育は、いわゆる国家主義の傾向があり、世界の良さを認めず、日本独特の正当性と正義を教えようとして、「他国を侵略し、冒涜した」ことにあまり触れようとしない。きれいごとにしてしまっている。現実をありのままに認識し、ありのままにとらえていく教育でなかった。
 これは恐るべき錯覚をつくってしまった。ゆがんだ精神異常性とも言うべき世界観をつくってしまった。
 だから、アジアの国々へ出かけていくと、歴史の認識がどんなに違うか、日本人はびっくりすることが多い。そういう具体例は、たくさんあります。
 ―― これは沖縄の人ではないんですが、ある女子高等部員が、日中交流の一員として上海に行ったそうです。
 中国の子どもたちに話しかけ、一緒に楽しく遊んでいた。
 すると突然、親が駆け寄ってきて、ものすごい剣幕で叱るのです。「何をしてるんだ! 日本人なんかと遊ぶな!!」と。そして、子どもを引っ張っていった。
 本当にショックだったそうです。そして、「″何があそこまで言わせるのか″――日中の歴史を真剣に勉強し始めました」と語っていたそうです。
 池田 アジア各国での日本軍の残虐さは、とても筆舌につくしがたい。「ナチス以上」と言う人もいる。
 拷問されたある人は、五十年以上たった今でも、毎夜、悪夢にうなされるという。
 ―― 赤ん坊を放り上げて銃剣で突き刺したり、狂気としか思えません。
7  臆病だから残虐
 池田 日本人は臆病なのです。心に寛大性がないから、その裏返しで、結局、臆病になり、臆病だから残虐になる。強さを誇示しようとして、人を愛さず、許さず、自分を反省することもしないで、他を攻撃する。
 それで、あの「戦争の道」となり、次は昨今の「経済至上主義の道」です。
 ―― 「軍事侵略が経済侵略に変わった」とも非難されています。
 池田 「ともに生き、ともに栄えていこう」という心がない。″相手がどうなろうと、もうければよい″というのでは侵略と言われてもしかたがない。人々のことをどう思っていくか、その友愛の精神がない。
8  君たちは「世界人」! 心に「国境」をつくるな
 池田 日本人が偏狭になった理由の第二には、海外の人と深い交流、長い交流をしてこなかった。交流の切磋琢磨の中から、真の友情・融和をつくっていかなければならないのに、そのようなことをしなかったし、させなかった。それで、自閉的な国民になってしまった。
 戦後、海外旅行に行く人も増えたし、日本に来る外国人も増えた。以前から見れば、海外の人々の交流も増え、融和も進んだと思えるが、根本的な部分がそうなっているかというと、決してそのような動向にはなっていない。
 日本人は表面的には親切だが、少し深くつき合おうとすると「見えない壁」があると言われる。やはり「心に国境がある」のです。
 ―― どこの国の人も、皆、人間なのだから、「人間として」つき合えば通じると思うのですが……。
 池田 そう。「心」は万国共通です。「人格」は世界共通です。言葉や習慣の違いから少々の誤解があったとしても、「誠実」は最後には通じるものです。だから海外の人とのつき合いには裏表があってはならない。これは、私が四十年近く世界を訪問してきた結論です。
 私の体験から言って、日本人よりも海外の人のほうが、真実性があり、複雑性が無い。日本人はすぐ陰でヒソヒソ、うわさ話をする。それはコンプレックスからきている。相手にわからないだろうと思っても、必ずわかってしまうものだ。ごまかせると思っても、絶対に、ごまかせない。
 もちろん、外国人にも偏屈な人はいる。悪人もいれば、変わっている人もいる。しかし、それはどこにでもあることだ。一を見て全体を判断してはいけない。
 ―― タイの人が言っていました。「日本人は『日本人として』という発想ではなく、『人間として』生きるという発想になってほしい」と。
 池田 そこに重大なポイントがある。国際人となり世界市民となる根本条件です。
 「人間として」自分はどうなのか。どう生きるべきか。これを考え、追求していくのが哲学であり、宗教なのです。その意味で、日本人には思想がなく、哲学がない。ゆえに、刹那的で、その場その場がよければいいという生き方となっている。永遠性の次元に対して関心が薄く、生き方に永続性もない。
 ―― その通りだと思います。
9  精神貧乏を救うのは偉大な仏法
 池田 この「哲学がない」という一点が、日本人の心が偏狭になった第三の理由でしょう。
 「人間はみな平等であり、すべての生命は尊厳である」という一切の根本を軽視している国です。
 内面に確固たる信念がないから動物的になり、自分中心のエゴをむき出しにしてしまう。自分さえよければ、自分の家さえよければ、自分の国さえよければ、と。
 他者に対する奉仕の精神が、まったくない。人を助けようという慈愛も、崇高な犠牲的精神もない。日本の悲劇です。恐ろしい「精神貧乏の国」になってしまった。
 これを変えられるのは、偉大な思想であり、偉大な哲学です。政治や経済の次元では人間は変えられない。よけいに悪くなるだけです。
 ―― だから仏法が大事なんですね。
 池田 仏法においては、すべての人に対して「平等大慧」です。あらゆる生命が平等に「尊厳」であるという大いなる智慧をもっている。
 だから絶対に差別は許さない。仏法者にとって、他者に対する慈愛は絶対的なものです。命をかけた信念です。
 この偉大な仏法でなければ、日本の「心の鎖国」を方向転換できることは永久にないでしょう。
 また「教育」という問題を、もう一度掘り下げ、どのようにするか、どう世界を体験させるかを、国として真剣に考えなければいけない。
 そうでなければ、二十一世紀に向かう世界にあって、日本は昔と同じ偏狭な民族として、嫌われ、笑われていくことになる。私はそれを憂えているのです。
10  「礼儀」と「尊敬」
 ―― ある高等部員の声を教えてもらいました。
 「アフガニスタンでは、お客さんを家に招く時、ものすごく丁重に迎えます。たとえ貧しくとも、後先を考えないで、わずかな食糧をはたいてまでごちそうする。それを知って印象に残りました。今の日本は、心のゆとりがなく、せちがらい感じがします。もっと深い、人間同士の友好を深めれば、アジアとの関係も、もっとよくなると思うんです」
 池田 そういう「もてなし」の心は沖縄も似ているようだね。沖縄は「守礼の邦」とも言われ、礼儀という「人道」と人間的文化が定着していた。人道とは平和につながる道です。
 一個人においても、一国家においても、人間同士のつき合いは「心」が大事です。他国に対して、礼儀と尊敬をもって接しなければならない。
 海外の人を、どのような気持ちで見ているのか。どのような価値観で見ているのか。日本人は外国人を「異質」に見すぎる。
 ―― 同じ「人間」として見ないで、自分たちとは異質な「外人」として見ているような気がします。
11  語学と人格を磨き、世界の友と友情を!
 池田 そう。そのうえ、集団主義、民族主義、国家主義で、「異質」なものを排除しようとする。「いじめ」も、そういうところから起きてくる。
 フランス等には、日本のように「外国人留学生」と自国の学生との区別がないという。″フランスの大学において、フランス人と外国人の区別は、まったくない。登録手続も同じ。学生証の国籍の欄に「日本(ジャポネーズ)」とか「フランス(フランセーズ)」と書かれる。それだけである″と聞いた。
 ―― 日本なら、日本人と「外人」は、いろんな面で、はっきり区別をしてしまいますね。
 池田 ともあれ、人類は「連帯」していくべきです。「永遠の連帯」こそが平和への道です。協調の道であり、価値の道です。
 このために、若い人たちは「語学」を真剣に学び、語学をマスターすべきです。連帯していこう、ともに平和へ進もうという「心」が何より大事だが、その目的を達成する手段は「語学」です。
 海外の人も、たくさん日本語を学んでいます。それ以上に、日本人は語学に励み、海外の人と直接語ることが重要だと思う。それが、人類社会に貢献していくための重要な「鍵」です。
12  何のための海外志向
 ―― やはり、どんどん海外に行ったほうがいいんでしょうか。
 池田 いや、あせる必要はない。「とにかく海外に行けばよい」という無理や不自然はいけない。
 「海外に行かないから友情がもてない」なんて、とんでもない。日本にいても交流はいくらでもできる。ホームステイも、甘い考えではなく、しっかりした目的をもってやらないと、行くほうも受け入れるほうも価値が無くなる。
 また、よけいなことだが、海外で多くの青年が事故にあっている。本人が愚かである場合も多い。賢くならなくてはいけない。
 何のための友情か。何のための交流か。何のための留学か。
 この「何のため」を忘れてはいけない。それでは、両親を悲しませ、自分自身をもなくしてしまう。国際人ではなく、にせの国際人になってしまう。
 遊びの心、安易な心で「目的」を忘れ、漠然と、ただ勉強に行った、ただ友情を結びに行った、ただ語学を学びに行ったでは、取り返しのつかない事件を起こしてしまう。そういう危険が強い。悪い人は、どこの国にもいる。悪い人を見抜けない愚人であってはならない。
 ―― よくわかりました。人類社会に「貢献していこう」という目的観が大切なのですね。
 池田 それを指導者をはじめ、皆がもっていかねばならない。
 貢献は、政治の次元では「平等互恵の精神」の行動。経済の次元では「共存共栄の精神」の行動です。″自分だけ″ではいけない。人の不幸の上に自分の幸福を築く生き方は、絶対にいけない。
 戦前は「軍事力」で、戦後は「経済力」で、日本はアジアの他の国々の犠牲の上に繁栄していこうとした。今まで、多くの犠牲と多くの侮辱と多くの損害を与えてきた。これは厳然たる歴史の事実です。
 これからは永遠に、日本の国の手段として、武力や圧力を使ってはならない。それは、「日本人が国際人になる」ために忘れてはならないことです。「日本人」であるとともに「世界人」なのです。
13  命と引き換えても友情を守る
 ―― 平和に「貢献」するというのは、具体的には、どうすればいいのでしょうか。
 池田 「友情を育む」ことです。個人と個人、団体と団体、国と国――あらゆる次元で。
 私もそこに徹しています。友情とは一生涯のものであり、永遠のものです。
 沖縄には、その心がある。「大交易時代」の琉球の人々に会ったポルトガル人がいる。マラッカで会ったのだと思うが、「かれらは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこれについては死を賭ける」(加藤栄一・生田滋訳、トメ・ピレス『東方諸国記』、『大航海時代叢書』5所収、岩波書店)と書いている。
 ―― すばらしい先祖をもって誇らしく思います。
 池田 「心」が大切です。友情の絆をもとう、友情を深めよう、多くの友人をもとうという「心」が基本となり、その上に、さらに具体的なことが積み上がるものです。
 たとえば、長野オリンピック(一九九八年二月に開催)では、長野の小学校の「一校一国運動」が大変成功したと聞いています。
 ―― たしか一校をあげて、ひとつの参加国を応援するという試みですね。
 池田 その国の選手と会ったり、その国のことを勉強したり、オリンピックでは、その国を声援する。とてもすばらしいアイデアだと思う。交流も広がったようです。
 若い皆が国際的な心を養えば、それだけ世界は近くなる。だから海外の良い本も、たくさん読んでもらいたい。
 経済的な「豊かさ・貧しさ」なんて、人間の本当の価値から見れば、ちっぽけなことです。少々、お金があるからといって、それを鼻にかけて人を見下す人間がいれば、その心は乞食のようなものだ。
 そういう貧しい心では、皆から信用されなくなり、やがて経済的にもうまくいかなくなるのは当然です。人も国も同じことです。
 ―― ひとつの国を、すぐに「貧しい国」「豊かな国」というように色分けするのは、色分けする人の心が貧しい証拠ですね。
14  「経済の競争」から「人道の競争」へ
 池田 牧口先生は「経済の競争」の時代の次は「人道の競争」の時代に入れ! と予見し、主張されていた。
 その通りです。これからは「人道」の先進国なのか後進国なのかが基準になっていく。また、そういう時代をつくらねばならない。
 まもなく「二十一世紀」です。二十世紀は、日本がアジアの国々を踏みにじった世紀とも言える。諸君は、その歴史の教訓をしっかり学んでほしい。
 そして人間としての「清らかな勇気」「正しい勇気」「建設的な勇気」で海外の人と接してほしいのです。語学が不十分でも「何とか気持ちを通じさせていこう」という心が大切です。
 「アジア」とは本来「日の出」を意味したという説がある。(古代アッシリア語の「アッスー」、あるいは同じ意味の古代アッカド語の「アス」から)
 若い皆さんが、この歴史の大地に、友情の世紀の「日の出」をもたらしてもらいたい。人類連帯の世紀の「夜明け」をもたらしてほしいのです。

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