Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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なぜ祈りが叶うのか 努力、努力の延長に「祈りが実現」

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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16  祈りは具体的に
 池田 ともあれ、祈りは「具体的」でなければならない。漠然とした一念であっては、「的」を見ないで「矢」を放つようなものだ。
 また、祈れば何とかなるだろうというような、甘えた一念ではなく、「何としても実現していくのだ」という、強き強き叫びがこもっていなければならない。全身全霊をかけた真剣勝負の祈りが、御本尊に通じないわけがない。
 また、自分のことだけでなく、友のこと、家族のこと、さらにはクラスのこと、社会、人類のことまでも祈れる信心になっていけば、その分、大きな自分になっているのです。
 私が三十二歳で会長になって、まず祈ったのは「豊作でありますように。飢饉がないように」「大地震がありませんように」の二点でした。
 また、あるときは「広宣流布のために、自分が大難を一身に受けていこう」と祈った。そして大阪事件(一九五七年=昭和三十二年)では、祈りの通り、無実の罪で牢へ行きました。
 ―― 祈りの次元が全然、違うという感じがします。
 池田 みんなが、まねをする必要はない。また、そんな簡単なものではない。ただ、何を祈っているかに、その人の境涯が表れる。その境涯を高めるために、「祈り」という崇高な修行があるのです。
 そして、祈った通りの結果を出すために、だれよりも真剣に行動していく。そこに「信仰即人生」の正義の軌道がある。その軌道を、毎日、たゆみなく歩んでいく人は、年とともに、どっしりとした「大樹」のごとき自分自身になっていくに違いない。

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