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日蓮大聖人・池田大作

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創価学会の組織とは 受け継げ学会の「心」を! 友の幸福を祈る「心」を!

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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2  この世のすべては何らかの組織
 池田 「組織」と聞くと、何か特別なもののように思うかもしれない。しかし、この世に存在するものは、すべて何らかの組織なんです。
 人間の体も、組織体です。細胞は約六十兆個ともいわれる。それらが集まって体をつくっている。立派な「組織」です。しかも、無秩序に集まっているわけではない。筋肉となる細胞、神経となる細胞、血液となる細胞など、全部が大事な役割をもち、協力し合って、ひとつの体として動いている。
 ―― 団結の姿ですね。
 池田 体が団結していなかったら大変だ。脳が「右」へ行こうとしているのに、足が「左」に行っては、車にぶつかってしまう。
 「前進する」ためには、きちっと団結した組織が必要です。人間だけではない。生命それ自体が、組織であると言える。プランクトンから鯨まで、あらゆる生物は組織体です。分子そのものも原子が組織されてできたものだ。さらには、地球全体が、あらゆる動物、植物、鉱物、その他が調和している巨大な組織ともいえるかもしれない。
 ―― そう見ると、宇宙も組織ですね。
3  私達の「宇宙での住所」は
 池田 宇宙も、組織です。「地球」は、「太陽系」という組織の一部だ。太陽系は「銀河系」という巨大な渦巻きの一部です。銀河系には、太陽のように自分で光る星(恒星)が二千億個ほど集まっているという。
 この銀河がいくつも集まって「銀河群」や「超銀河団」をつくり、さらに銀河群や超銀河団の集まったのが「宇宙」なのです。だから、たとえば、宇宙人に手紙を書くとしたら、差出人である私たちの住所は、「大宇宙、おとめ座超銀河団、局所銀河群、天の川銀河、オリオン腕、太陽系、地球、日本国……」となるそうだ。(野本陽代、R・ウィリアムズ『ハッブル望遠鏡が見た宇宙』岩波新書)
 人間社会も同じです。どんな社会にも組織がある。国も、市町村も、会社も、学校も、組織の形をとっている。それは、ものごとを、より効果的に進めるために、連携を密にする必要があるからです。
 スポーツでもそうだ。サッカーのチームも組織です。個人プレーに見えるテニスや柔道、剣道にしても、うまくなり、勝つために、クラブなどの組織がある。トレーナーや、健康管理のスタッフとのチームワークも必要でしょう。全部、組織です。
 家庭で、お父さん・お母さんを中心に、良い家庭をつくろうというのも、無言のうちの組織。隣近所と仲良くしよう、友人と仲良くしていこうと、潤滑油のように、コミュニケーションを図っていくのも、現代的にいうならば、目に見えない組織形態といえるでしょう。社会、学校、家庭、そして自分というふうに、すべて関連している。だれもが、それぞれの組織の一員です。
 要するに、現代社会で、組織に入ってない人はいない。そのような人は、山の中に暮らす仙人のようなものです。いわんや、一つの大きな目標に向かって行動し、成長していくためには、それなりの組織が必要になってくるのは当然です。
 創価学会は、「広宣流布」という大目標、すなわち仏法によって全人類を幸福にし、世界平和を築くという、崇高な大目的に向かって進む団体です。その目標は、一人が頑張って達成できるものではない。社会のあらゆる立場で活躍する一人一人が団結し、組織をつくって初めて実現できるのです。
 日蓮大聖人には六老僧が、釈尊には十大弟子がいた。これも組織です。組織をつくって、皆を成長させ、守りながら、仏法を弘める戦いをされたのです。
 ―― 組織には目的があるということですね。
4  組織は手段、目的は人間の幸福
 池田 そうです。一口に「組織」といっても、善の組織もあれば、悪の組織もある。人々を苦しめたり、悪の方向へ導くのは、悪の組織です。日本の軍国主義者の組織や、ナチスは、悪の組織の代表でしょう。反対に、人間同士の関係を善の方向にもっていくのが善の組織です。学会の組織だ。
 ―― 学会の世界には、温かな″励まし″があります。埼玉の高等部員から聞いたのですが、彼女の部員さんで、不登校のメンバーがいました。彼女が、家を何度訪ねてもドアを開けてくれません。そこで彼女は、手紙を書くことにしました。学校や趣味のこと、そして信心のこと。
 一年間、書き続けた時、初めて、そのメンバーから返事がきたそうです。「私は学校には行けていませんが、毎日、唱題は続けています。これからも文通してください」と。
 真心が通じた――彼女は涙をためて、その感動を語ってくれました。そして、悩みながらも″生きよう″″頑張ろう″としている姿に心を打たれ、自分も成長していこうと決意したそうです。
5  「人間のための組織」を守り抜け
 池田 偉いね。そういう「あの人を何とか励ましたい」「幸せにしたい」という思いから、自然のうちに学会の組織ができたのです。
 組織が最初にあって、その中に人間がいるのではない。人間と人間の絆が最初にあって、それを広げていって自然発生的にできたのが学会の組織です。だから、どこまでも、どこまでも「人間のために組織がある」。「組織のために人間がある」のではない。この一点を諸君は永久に忘れてはならない。そして一生涯、不幸な人、悩める人の最大の味方となって生き抜いてもらいたい。「人間のための組織」である創価学会を大事にし、尊敬し、支え、発展させていってもらいたい。これは私の遺言です。
 ―― 中部の太田千春さんも、学会の組織のありがたさを語っていました。「学会の組織があるからこそ、『自分と戦う』ことができます。かつては自身の悩みだけで精一杯だった自分が、部員さんのことで悩み、祈れるようになったこと自体、感謝してもしきれません」と。
 また、福井県の男子高等部長は、あの阪神・淡路大震災の時、救援物資を持ってトラックで駆けつけた一人でした。現地の文化会館では、毛布やカイロなど、あふれんばかりの物資の中、大勢の青年が夜を徹して、黙々と運搬作業を続けていました。その時、彼は、「庶民が連帯した学会の組織はすごい!」と心から実感したそうです。
6  組織は手段、目的は「人間の幸福」
 池田 「何としても助けたい!」と思う気持ちが、ひとつになって、すごい力が出たのです。そうやって人間の「善」の心を結集し、大きな価値を生むために組織がある。善の心を結集し、より発展させ、より強くするために、組織体をつくり、神経を通し、血液を流す。組織がなければバラバラです。善の組織によって、人間は、より以上に善になるし、より以上に進歩できる。
 人間を横に――脇道に、それさせないで、より以上に向上させていく。幸福の方向へ、成長の方向へと正確に軌道に乗せていく。そのために組織がある。その意味で組織は手段です。目的は、人間の幸福です。
 ―― 「創価学会のおかげで、私はこんなに幸福になった!」――そう叫んでいる人が日本だけでも何百万もいます。世界中におられます。
7  創価学会こそ「希望の太陽」
 池田 創価学会は不思議な団体です。これほど清らかな、これほど裏表のない、これほど温かく、麗しい世界は、ほかには絶対にない。
 諸君は社会の醜さを知らないから、そのすごさがわからないかもしれない。しかし、私は断言しておきます。創価学会のような世界は、ほかにはありません。諸君のお父さん、お母さんをはじめ、草創以来の先輩が、傲慢な人間にののしられ、バカにされながら、歯を食いしばって築いてきた「民衆の城」です。
 批判する人がいる。では、批判する人が代わりに「絶対に幸福になる方法」を教えてくれるのか。そうではない。そうではないと知った民衆が、「幸せになろうね!」と励まし合い、「不幸な人を救っていこう!」と団結して、できあがったのが創価学会です。厳粛です。崇高です。民衆が民衆のために、民衆自身の力でつくりあげた、最高の民主主義の結晶です。人間尊厳の大仏法を広宣流布している唯一の団体は創価学会です。人類の希望の太陽なのです。ゆえに戸田先生は、「私の命より大切だ!」とおっしゃった。私も同じ気持ちだ。
8  人間は「人間関係のなかで」成長
 ―― 「組織に入ると自由がなくなる。自分を見失う」という意見もありますが、学会の組織は、そうではないですね。
 池田 世の中には、そういう組織があることも事実だ。人間を手段にしてしまう。組織悪です。しかし、組織がいやだからといって、一人でいれば自由か。一人でいれば、自分を見失わないか。そうとはいえない。自分自身が勝手気ままに生きるのは、本当の自由ではない。
 自由とは、正しい軌道にのっとって生きるということです。地球が太陽の周りを回る。少しでも軌道が狂えば破滅です。ロケットだって軌道にのっとっていけば、悠々と大宇宙の旅を楽しめる。これが自由です。
 ―― わがままに軌道を外れてしまえば、宇宙の孤児になってしまいます。
 池田 スポーツにもルールがある。軌道がある。ルールを勝手に破るのが自由か。そうではない。ルールにのっとって自在に技を駆使できるのが自由です。
 ともあれ目標がなく、自分勝手の人生は、自暴自棄の人生になってしまう。組織には、さまざまな人がいる。だからこそ、刺激を受けて成長ができる。スポーツでも、一人で練習しているだけでは、自分の実力は、なかなか、わからない。大勢の人の中で、もまれてこそ成長がある。
 皮がついた真っ黒のサトイモも、盥の中に入れて、かきまぜると、だんだん、みんな皮がむけて、ピカピカに光ってくる。人間をイモにたとえると失礼かもしれないが、人間も人間関係の中でしか磨かれないのです。
 「一人でいる」のは、いいようで、自分だけの世界に小さく固まってしまう。組織の中にいないと、多くの人が見えなくなる。そして、自分の存在がわからなくなる。
9  相談できる「良き先輩」をもとう
 池田 また、組織がないと、烏合の衆であり、自分勝手になってしまう。羅針盤のない船が、大海原を航海するようなものです。結果は、迷子になるか、難破する以外にない。
 具体的には、「何でも相談できる良き先輩」を一人もつことを私は勧めたい。これは戸田先生もおっしゃっていたことです。
 ―― 四国女子高等部長が言ってました。大学一年生の時、一人で上京して不安だった自分のところへ、女子部の先輩が、忙しいなかを、しょっちゅう通ってくれた。その先輩には、何でも話すことができた。そういう先輩との出会いこそ人生の宝です、と。
 池田 信頼できる″一対一の関係″が大事です。「組織」といっても、一対一の絆の集まりなのです。だからこそ、学会は、「一人の人」を徹底して大切にしてきた。これを忘れると、組織も人間を束縛するものになってしまう。
10  大聖人の教えの「異体同心」とは「組織」のこと
 ―― 「信心は、自分一人でも続けられる」と主張する人もいますが。
 池田 現実には、到底できるものではない。もし、できたとしても、それは、エゴイストであり、″拝み屋″です。自分はよくても、他の人はどうするのか。どう人を救っていくのか。
 日蓮大聖人は、わが弟子は「異体同心で進め」と仰せだ。大聖人の御命令です。大聖人の仰せの通りに実行するのが、本当の信仰者です。
 異体同心というのは、現代でいえば「組織」ということです。「異体」というのは、人それぞれ、姿も立場も、状況も使命も違う。しかし「心」は――信心は「同心」でいきなさいというのです。
 「異体異心」では、バラバラです。「同体同心」というのは無理やり、形も姿も心まで統一しようというのです。ファシズムであり、自由はない。だれもついてこられず、格好だけ合わせている。結局、「同体異心」になってしまう。
 ―― 「異体」であって「同心」が最高の組織ということですね。
 池田 「異体」とは個性を生かすということです。「同心」とは、信心を根本に、心をひとつにしていくことです。本当の団結です。
 異体同心――それは、竹林に譬えてもいい。竹は、一本一本バラバラに生えているようで、地下の根っこ(地下茎)では、がっちりと、つながっている。
 信心の世界も同じです。根っこの部分――心が同じであり、目的が同じであってこそ、一人一人が天を突く勢いで真っ直ぐに伸びていける。
 また、「たとえ、一人になっても自分は前進する」という「一人立つ」強さがあってこそ、真の団結はできる。決して互いに寄りかかるということではない。
11  勤行は「自転」、人とのつながりは「公転」
 地球も自転しながら、太陽を回っている(公転)。太陽の周りを回るからこそ、地球は、太陽の光を浴びて、生命も栄えていける。
 自分自身が、勤行・唱題という「自転」をしながら、他の人々とつながり、社会とつながっていく。それが「公転」です。自転があってこそ公転があるし、公転があってこそ自転も進む。これが宇宙の法則です。その自転と公転の軌道を皆がまっとうできるように、守り合い、励まし合うために組織が必要なのです。
12  一生涯、断じて信仰を貫き通せ
 ―― 麗しい組織にありながら、幹部でも退転する人がいますが。
 池田 そういう卑怯な先輩を乗り越えて進みなさい。人は人、自分は自分だ。同志を裏切るような人間に左右されず、自分が立派に成長すればよい。
 遠くは、日蓮大聖人の弟子も、何人も退転した。大聖人の後を継がれた第二祖日興上人のもとでも、多くの僧が退転した。信者から「上人」と呼ばれた高僧までも退転をした。
 それはそれとして、牧口先生が、軍国主義に反対して投獄された時も、多くの幹部が退転した。第二代・戸田先生の時も、学会の大前進の行動に対する世間の目を気にして退転した人が大勢いる。
 一生涯、信心を続けた人が、本物の日蓮大聖人の信奉者です。一生涯、御本尊を信じ、どんな苦難があっても信心だけは離さない人が、真の大聖人の弟子です。それを現代に完璧に実践しているのが創価学会です。
 今は、昔と比べると、わがまま・無責任・自由気ままの社会だ。こんな無軌道の時代の中で、信心を貫くのは、立派なことです。
 世間の雑音に惑わされて退転する人もいるが、大聖人は、「一時だけ燃え上がり、しまいに消えてしまう火の信心ではいけない。水の流れるような信心が大切だ」とおっしゃった。いかなる環境、境遇、社会になっても、題目をあげ、広宣流布に向かっていこうという信心が大事なのです。
13  指導者は「上」ではなく「中心」
 ―― あるメンバーは「幹部に会った時、とても態度が偉そうで、がっかりした」と言っていました。
 池田 戸田先生は、いばった幹部や、学会利用の人間を烈火の如く叱られた。「幹部は自分を会員の小使いだと思いなさい。いばるものは、学会から除名する」と。
 幹部は会員に奉仕するためにある。厳然と、皆を幸福にする責任がある。その責任を忘れた時に、信心を失い、退転への道が始まるのです。
 学会の組織は「上下」の関係ではない。リーダーは、レコードのような同心円の「中心者」であり、「責任者」なのです。
 幹部といっても、人間が作った役職にすぎない。大事なのは「信心」です。信心がなくなれば、どんな役職についていても功徳はありません。退転と一緒です。
 学会利用、組織利用、信心利用の人にすぎない。最後は、大聖人から断罪されるでしょう。
14  「君が好きになれる学会をつくれ」
 ―― 「前向きで、内容もしっかりしている会合もありますが、形だけになっている会合もあります。それでも参加しなくてはいけないでしょうか」という疑問には。
 池田 内容のない、幹部のひとりよがりのような会合は、みんなが、かわいそうだ。それは、もちろん、運営する側に責任がある。
 ただ、それはそれとして、根本は自分で決まる。
 何でも吸収しようという一念があるなら、どんな会合からも、学ぶものがあるはずだ。せっかく出たのだから、何かつかみとって帰らないと、自分が損です。
 実際、自分が運営する側になったら、批判するほど簡単ではない。そして、いちばん大事なのは、会合にしろ、組織にしろ、「よくない」「つまらない」と思ったら、自分で変えていくことです。
 組織は「方便(仮の手段)」です。完全ではない。私も若き日に当時の組織の雰囲気になじめなかった。当時の学会は文化性も何もなくて、どうしても好きになれなかった。
 そういう心を戸田先生は見抜かれて、私に、こう言ってくださった。「それならば、君が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、君の力で、理想的な学会をつくれ!」と。
 ―― すごいお話ですね。
 「一人立つ」だから、自分が頑張って、よくしていけばいいんですね。
 池田 学校、家庭でも同じです。学校という組織にいるのだから、「学校の中を、より向上させていこう」。家庭という組織にいるのだから、「家庭をより向上させていこう」という心が大事だ。これらは道理であり、その道理に立った法が仏法です。「全部、自分が変えていくんだ」――その主体性こそ仏法の生き方です。この仏法を知るために、また知らしめるためにできたのが、広宣流布の組織です。
15  「友人に信仰を教えてあげたい」
 ―― 「親しい友人に信仰を教えてあげたいのですが、どうしたらいいでしょうか」という声も多くあります。
 池田 自然でいい。信教の自由だし、語りたいのに規制はできない。ただし、食事も、いきなりステーキが出てくると驚いてしまう。必ず前菜がある。何でも順序がある。よその家に行っても、玄関の戸を開けて、あいさつをしてから上にあがる。
 同じように、仏法を教えてあげたいならば、友人として、「私は、こういう仏法をもっている。仏法とは人生哲学であり、生命とは、宇宙とは等々、とても重要な内容である。学校の勉強では学べない、もっと根本的な課題を学び、知ることができる。人生にとって深い価値がある。一度、生命哲学というもの、仏法というものを、一緒に語り合わないか?本を読んでみないか?」と、自然な気持ちで語ったらよいと思う。
 友達が「やだよ」と言っても、それで仏縁を結んでいるのだから、その人は、また必ず仏法に巡り合う日がくる。これは、部員さんを励ました場合も、同じことだ。だから、あせる必要はない。
 信心は一生の課題だし、三世永遠の次元のものです。
 大事なのは、友人をたくさんつくり、友情を固めることです。折伏といい、広宣流布といっても、「友の幸福を願う」という友情の気持ちを広げたものなのです。
 ―― 「今の自分の姿で、学会を判断されたくないので、立派になってから話したいんですが」という声もありました。
 池田 全部、自由です。その声のように、自分自身が「信仰の実証」を示すことが大事だ。ただし、見栄っぱりはいけない。自分のありのままの姿で、素直に、自然に、仏法を語っていく姿でいいのです。人によく思ってもらうために信仰はあるわけではない。相手にどう思われようと、相手の幸福を願って祈り、行動するのが慈悲です。
 その時は、自分の真心は通じないかもしれない。しかし、誠意を尽くしておけば、いつか、「あの時、自分を励ましてくれた友達がいた」「悩みを解決しようと頑張ってくれた友達がいた」と、思い出してもらえる。
 そのような生き方をすればいいのではないだろうか。
16  今は「信心根本に」「勉学第一で」
 ―― 「勉強、部活動があり、高等部活動をする時間がありません」というメンバーもいます。
 また、なかのは学費のために、アルバイトをしている人もいます。
 池田 どれも大事です。頑張って、全部やりきることだ。全部やさしくできるならば、苦労はない。大変であるから、やれば、すごい。挑戦してこそ、勝利者となれる。大きな自分になれる。
 草木も、風に耐えるようにして根をはっていく。森羅万象、全部がそうです。挑戦がなくなったら、堕落です。むなしさで終わってしまう。むなしさは不幸だ。
 ―― 「勉学第一」ということで、信心は頑張らなくてもいいんだと思っている人もいますが、そうではないということですね。
 池田 勉学と信心は、どっちが大事か。どちらも大事なのです。両者は次元が違う。信心は「根本」です。根っこだ。この根っこの上に、幹が伸び、枝が伸び、花と葉がついていく。それが人生のさまざまな活動です。諸君の場合は、幹は「勉学」です。「勉学第一」だ。その他は第二、第三であり、「枝」と言えるでしょう。
 また、信心は一生涯にわたる前進の「エンジン」です。しかし、エンジンがあっても、前へ進まなければ何にもならない。「前進」とは、諸君の場合、勉学です。勉学への挑戦をしないで、信心をしているといっても、走らない車のようで、何にもならない。要するに「信心が根本」「勉学が第一」です。
 ―― 信心を根本にしながら、具体的には「勉学」を最優先で頑張っていくということですね。
17  民衆のために働く人が最も尊貴
 池田 勉学は「何のため」にするのか。社会に貢献し、大勢の人を幸福にできる力をつけるためです。
 信仰は「何のために」するのか。自分も幸福になり、人をも幸福にするためです。勉学で得た「力」を本当に人々のために使っていける原動力が信仰です。
 だから、大学教授や弁護士になること自体が偉いのでない。そうなって、何をしたのか。どれだけ人を救ったのかだ。大勢の人を励まし、幸福にした人が偉いのです。その意味で、広宣流布の組織で活躍している人こそ、最高に偉い。諸君のお父さん、お母さんが、いかなる有名人よりも、権力者よりも尊いのです。
 「自分が縁した人は絶対に不幸にしない。必ず幸福にしてみせる!」。こういう決心で、働いてきた。諸君は、創価学会のこの「心」を忘れてはならない。
 時には、幼い諸君に留守番をさせ、寂しい思いをさせたかもしれない。それは、お父さん、お母さんだって、家で諸君といたほうが、どんなに楽だったかわからない。しかし、それでは利己主義になる。だから、広宣流布へと行動してきたのです。その思いがわかる人が大人です。
 諸君が、社会のあらゆる分野で、また世界中で、思う存分に活躍する未来が、私の夢です。しかし、単に地位を得た、有名になったというだけなら、今までの指導者と何の変わりもない。そうではなく、「民衆のためなら、我が身をなげうって戦っていく」心の指導者でなければならない。そういう指導者が、きら星のごとく出現してこそ広宣流布です。本当の理想社会だ。
 その「心」を体得するには、「信心」しかない。創価学会の組織の中で、自分自身を磨いていくしかないのです。

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