Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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歴史との語らい 歴史観を養え 歴史の真実を見抜け!

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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2  大きく見れば「道」が見える
 池田 一つは、ものごとを大きく見られるようになるということです。
 たとえば、道を歩く時も、下ばっかり見ていたら、かえって道に迷ってしまう。大きな目印になるものを見つめて、それを目あてに進めば正しい方向に行ける。また山の上から広々と見わたせば、行くべき道がわかってくる。
 人生も、それと同じで、小さいところから、ものごとを見て、小さいことにとらわれていると、悩みの沼に足をとられて、前へ進めなくなってしまう。克服できる問題でさえ克服できなくなる。大きいところから、ものごとを見ていけば、いろんな問題も、おのずと解決の道が見えてくるものです。これは個人の人生でもそうだし、社会と世界の未来を考えるうえでも同じです。
 戸田先生も、指導者にとって大事なことは歴史書を読むことだ、と言われていた。歴史から時代の方向性が見え、どのように時代をもっていったらよいかが見えてくるのです。
 ゲーテも言っています。
   「三千年の歴史から
    学ぶことを知らぬものは
    知ることもなく、やみの中にいよ、
    その日その日を生きるとも」(『ゲーテの言葉』高橋健二訳編、彌生書房)
3  悩みがあるほど「歴史」を読め!
 池田 だから私は、「ちっぽけなことに、とらわれるな。悩みがあればあるほど、歴史を読むことだ」と言っておきたい。
 歴史を学ぶことは、自分が、その時代を生きることになる。そこには熱血の革命児もいれば、裏切りの卑劣漢もいる。栄華の権力者もいれば悲劇の英雄もいる。安穏を求めながら、流浪しなければならなかった民衆もいる。戦乱と、その合間の、わずかな木もれ日のような平和がある。
 今から見れば迷信にしか見えないことのために、大勢が命を奪い合ったり、また人間愛のために自分を犠牲にしていった正義の人もいる。極限の苦悩から立ち上がって、不可能を可能にした偉人たちもいる。
 そういう歴史の絵巻を、距離感をもって見ることもできるし、そのまっただ中に入って見ることもできる。歴史は、人間の心の映像です。わが心に、歴史のドラマの映像を映していくのです。そこから、自然のうちに、大きな目で、ものごとを見られる自分になっていく。滔々たる歴史の大河の最先端にいる自分というものを考えるようになる。
 自分はどこから来たのか、どこにいるのか、どこへ行くのか。
 歴史は現在の自分の「ルーツ」――根っこでもある。歴史を深く学んだ人は、自分の根っこを認識し、自覚できる。「歴史を知る」ことは、結局、汝自身を知る――「自分自身を知る」ことに通じるのです。
 また自分自身を知り、人間自身を深く知るほど、歴史の実像が、ありありと見えてくるのです。
 それが「史観(歴史観)」であり「史眼(歴史を観る眼)」です。
4  歴史は「鏡」=未来への「道しるべ」
 ―― 「歴史は繰り返す」という人もいます。「歴史は繰り返さない」という人もいます。どちらが正しいのでしょうか。
 池田 歴史は、いうなれば、人類の傾向性、因果性、科学性です。「人類の統計学」ともいえる。
 たとえば、天気は完全に予測することはできないが、統計的にとらえて傾向性を見ることができる。人間の心も、よくわからないが、歴史を追っていくことによって傾向性を見ることができるのです。
 だから「歴史」の研究は、「人間」の研究と言ってよい。とくに、全員が歴史家になるわけではないのだから、大切なのは、歴史を「鏡」として、未来をどうつくっていくかということです。
 諸君が、新しい歴史をつくるのです。「鏡」がないと、自分の顔も姿もよくわからない。「鏡」があれば、ここはこうすればいいとわかります。
 日本では古来、歴史書を「鏡」と呼んできた。「大鏡」とか「今鏡」「水鏡」「増鏡」と。
 戸田先生も「歴史は大事だ。歴史は、過去から現在、現在から未来へ、より確実に平和を目指し、人類の共存を目指す道しるべとなる」と言われていた。
 今、残っている歴史の全体を、個人で把握することは、なかなかできない。だから大事なのは、歴史観をしっかり身につけることなのです。
 歴史を通して、人間の悪い傾向性を知れば、気をつけて、悪い歴史を繰り返さずにすむ。悪い歴史を繰り返すのは、「歴史の教訓に学ばなかったから」とも言える。
5  歴史は「実像」を伝えているとは限らない
 ―― たしかに、「いつ、何があった」という表面的な学び方だと、歴史の面白さはわかりませんね。
 池田 基本をしっかり学ぶことは大事ですが、もっと大事なのは、歴史を通して、「真実」を見きわめる眼を磨くことです。
 ナポレオンは「歴史は合意の上のつくり話だ」と言ったが、たしかにそういう面がある。伝えられた歴史が、「実像」を的確に捕まえているとは限らない。もちろん、ひとつの事象の起こった年月日などは厳然たる事実だろうが――。
 ある場合には、真実とは正反対のことを伝えているかもしれない。伝えられていない、もっと大事なことも、あるに違いない。
 ―― そういえば、池田先生の「若き日の日記」に、こうありました。「本の歴史は、間違いだらけだ。自己の歴史には、自己の胸中の歴史だけは、一分の、嘘も、飾りも書けぬことを知れ」(一九五〇年六月十五日、本全集第三十六巻収録)と。
 池田 歴史は意をつくさない。書かれた文字を、うのみにしてはならない。
 たとえば、十字軍の歴史もそうです。十字軍戦争について、ヨーロッパ側とアラブ側の記述には、共通するところが、ほとんどないという。
 日本では、ほとんどの史料はヨーロッパ側のものです。考えてみれば当然ですが、アラブ側から見ると、まず「十字軍」などという美名はない。単なる「侵略者」にすぎない。
 じつは当時はイスラム世界のほうが、はるかに高い文化水準を誇っていたという。それを侵略し、破壊し、略奪したわけです。少なくとも、アラブ側から見ればそうです。残虐きわまる十字軍の行為も記録されている。
 十字軍をどう見るかという歴史観は、「過去」の問題だけではない。イスラム世界への偏見は、今も根強く残っているし、世界の平和に大きな影を落としている。「現在」の問題なのです。ゆえに「未来」の問題にもなる。
6  コロンブスが「発見」したのか
 池田 また、「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と、かつては、よく言われていた。しかし、当然のことだが、すでに大陸には人々が住んでいたわけです。ヨーロッパから見れば「発見」であっても、先住の人々から見れば、そうではない。
 問題は、「発見」という言葉の中に、先住の人々を見下し、差別する傲慢がこめられていることです。自己中心というか、「征服者」たちは先住の人々を人間と見ることさえしなかった。島々で虐殺や強制労働が行われ、人口は激減。ほとんど絶滅の危機に瀕したのです。
 しかも、先住の人々は、彼らを歓迎し、優しく助け、もてなしたのに、それを裏切って、残酷な暴力を振るった。
 こういう歴史的事実を、どう見るか。「コロンブスが発見した」という歴史観は、″発見した″側を正当化してしまう。そして、また同様の行為を許してしまう。
 「発見」というひとつの言葉の中に、自分たちは他民族を征服する資格があるんだという、独善的な「歴史観」「人間観」がこめられているのです。
 植民地史観とでも言おうか。これが、その後、五百年間にわたって、南北アメリカ大陸はもちろん、アフリカでもアジアでも――世界中で無数の悲劇を生んできたのです。
 だから歴史観は大事です。「発見」史観からは、「征服」の未来が生まれる。不幸です。悲惨です。
 じつは、日本のアジア侵略の背景にも、これがあった。明治以後、″ヨーロッパに追いつけ″と走って、「アジアの中のヨーロッパ人」になることが目標になった(脱亜入欧)。その結果、アジアの同胞に対して、コロンブス以後の残酷な「征服者」のように振る舞った。
 往々にして、白人に対しては卑屈になり、その他の人種に対しては傲慢になる――という、今も変わらぬ日本人の二面性も、こういうなかから生まれてきたのです。
7  見る角度で百八十度変わる
 池田 本当は、アジアの民衆と友好の心と心を結んで、全世界を平和の方向へもっていくべきであった。そういう「歴史観」即「未来観」を指導者がもっていれば、日本の近代史はまったく違ったものになったでしょう。
 歴史観は大事です。香港大学の王賡武おうこうぶ学長が明快に言われていた。
 「指導者が歴史を誤って理解していると、さまざまな決定に悪影響が出て、それが原因となって、さらに間違った方向へ社会が進むことになります」(「聖教新聞」一九九二年二月二十二日付)と。
 ―― 本当は、コロンブスが「発見」したんじゃなくて、そこで、お互いに「出会った」のですね。
 池田 そう。「出会い」史観であれば、対等です。少なくとも相手に対する敬意がある。もっとも実態は、一方的な「侵略」だったわけだが。また、大航海時代の「英雄マゼラン」だけを教えて、「侵略者マゼラン」を倒したフィリピンの抵抗者ラプラプの戦いを教えなければ、自然のうちに「発見」史観を宣伝していることになるのです。
 ―― ひとつの歴史的出来事も、どう見るか、どう語るかで百八十度、違ってくるわけですね。
 池田 歴史的出来事だけではなく、今の出来事でさえ、見る角度や意図によって、全然、違ってくる。
 たとえば、ある国で民衆がデモをしているとする。止めに入った警察と乱闘になった。
 その時、テレビカメラが民衆側から撮れば、「警棒を振りおろす恐ろしい顔つきの警官」がクローズアップになる。見た人はデモ隊に同情するでしょう。
 反対に、カメラが警官側から映せば、鎮圧に抵抗して「石を投げたり、暴れるデモ隊」の一部がクローズアップされるかもしれない。
 ―― 見た人は「暴徒が暴れている」と思うかもしれませんね。
 池田 どちらの側に立つかで百八十度、違う情報になる。どちらの映像も、それはそれで「事実」かもしれない。しかし、「真実」がどこにあるかは別問題です。また「デモがあった」という事実も、なぜデモが起こったのか、なぜ、それが抑圧されたのか、そういう背景を知らなければ、本当に「真実」を知ったことにはならない。
 ―― 今は「高度情報社会」と言われていますが、情報の「量」はすごくても「質」はどうかが問題だと思います。
 「民衆の側」から伝えられた情報か、「権力者の側」からの情報か。
 また情報の意図が「金もうけ」や「人を陥れる」だけの場合も、あまりにも多い――。
8  ほとんどが「勝者が書いた」歴史
 池田 いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。とくに歴史書は、ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、「勝ったほうが正義」とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。
 「正しい歴史」を絶対に書きつづらなければならない。そして、だからこそ断じて負けてはいけない。「正義が勝つ」歴史を絶対につくらなければいけない。
 「史観」と「史眼」が大事なのです。レンガを集めただけでは家は建たない。事実を集めただけでは歴史は書けない。そこに″どう事実を組み合わせたか″という、歴史を書いた人の「哲学」が隠されている。それを見抜くことです。歴史書を見ながら自分の眼を磨き、「これは、そうであろう」「どうも違う」「こっちのほうが正しいのではないか」と、正しさを探究することです。そういう心を磨くことが、歴史観を養うことになる。
 そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを多く学び、多く考え、多く体験する以外にない。大事なことは、どこまでも公正に、利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探究することです。うそはいけない。
 太平洋戦争時代の歴史の取り扱いが問題になっているが、どんなに恥ずかしいことであろうが、事実は事実として残すことが、日本民族にとっても人類にとっても大切なことです。その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、正しい歴史観がゆがめられ、また未来に不幸を重ねてしまう。
 正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、ゆがめたり、歪曲したりしてはいけない。歴史をつくってしまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければなりません。
 ―― ドイツでは、ナチスの歴史について「年間、約六十時間の授業」を行うのが望ましいとされていました。強制収容所の見学も、強く勧められています(イアン・ブルマ『戦争の記憶――日本人とドイツ人』石井信平訳、TBSブリタニカ、参照)。過去の過ちを、しっかり見すえようとする姿勢がうかがえます。
 池田 統一ドイツの初代大統領ヴァイツゼッカー氏と私は会見しました(一九九一年六月)。立派な人物でした。
 大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となります」(一九八五年、ドイツ敗戦四十周年にさいしての演説『荒れ野の40年』永井清彦訳、岩波ブックレットNo.55)という言葉は有名です。
9  皇国史観の犠牲
 ―― 個人でも「うそをつく人間」は信用されません。戦争の真実を伝えないために、どんな理屈をつけても、むなしいだけですね。
 池田 私の長兄は、中国戦線に行かされ、一度、家に帰ってきた時に、「日本は絶対に悪い」と怒りをこめて言っていたことを、はっきり覚えている。「日本は本当にひどいよ。あれでは中国の人が、あまりにもかわいそうだ」と。その兄も、ビルマ(現ミャンマー)で戦死した。人格的にもすばらしい兄だった。本当に惜しいことでした。
 アジアへの侵略戦争に駆り出された日本軍の兵士も、軍国主義と皇国史観の犠牲です。そんな犠牲を二度と起こさないためにも、事実は事実として、次の世代に伝えなければならない。
 その一つとして、創価学会は、庶民の戦争体験をまとめ、「反戦出版」を百冊以上、出版してきた。加害者としての体験も入っています。英語・フランス語・ドイツ語・ルーマニア語版や、ジュニア版の反戦出版もしてきた。反戦の展示活動も世界で行っています。
 ―― そういう誠実な行動を重ねてきたから、アジアでも信用があるのですね。
 フィリピン大学の国際交流センターに「イケダ・ホール」という名前がついたのには驚きました。フィリピンでは戦争中の日本軍の残虐行為もあって、反日感情が根強く、公的な建物に日本人の名前がつけられたのは、これが初めてと聞きました。
10  アジアの怒り
 池田 フィリピン大学のアブエバ前総長は、私の大切な友人です。前総長は、お父さんとお母さんを日本軍に虐殺された。拷問し、殺害して、捨てたのです。筆舌に尽くせぬ悲劇が、アジアの各国で無数にあった。
 アブエバ前総長は言われています。「日本の指導者は、第二次世界大戦において侵略した国々で、日本が犯した重大な過ちを、今なお認めようとせず、謝罪するのを拒んできました。日本の歴史の教科書は、意識的に真実を隠し、悪事を正当化してきました。アジアの同胞は、この日本人の無神経さと不正直に、ひどい侮辱を受けたのです。一体、日本人は、多くの人が目の当たりにし、耐え、心に刻み、覚えている忌まわしい事実を、どう言い抜けようとしているのでしょうか」
 この血涙したたる言葉を、私は忘れることはできない。
 ―― 太平洋戦争について、高等部員の意見があります。
 「日本がアジアの国にしたことは本当にひどいことだと思います。
 そのちゃんとしたつぐないをこれからしていかないと、日本とアジアの交友関係は、しっかりしないと思います。お金だけですむものではないということを、政治家の人に、もっとよく知ってもらいたい」
11  歴史の書き方を「国家中心から民衆中心」へ
 池田 その通りです。皆、しっかりしています。諸君こそ、平和の希望です。ともあれ、正しい歴史観には、正しい「人間観」「社会観」「生命観」が必要です。
 「それが人間を、民衆を幸福にしたのかどうか」という観点で、すべてを検証し直すことが大事です。
 これまでの歴史は、おうおうにして「権力者中心」「政治中心」「国家中心」の歴史でした。これを「民衆中心」「生活中心」、そして「人類的視点」の歴史に書きかえなければならない。
 最近(一九九二年)、『ヨーロッパの歴史』という、ヨーロッパ共通の歴史教科書も発刊された。これまでの「国家ごとの歴史」を、もっと大きな視野で書き換えようとする動きの表れでしょう。「アジア共通の歴史教科書」も挑戦すべきだと思う。ひいては「人類共通の歴史教科書」も検討すべきでしょう。
12  歴史を先取りする眼
 ―― 池田先生は、まだ世間では日中問題がむずかしい時期に、いち早く国交の正常化を提言されました(一九六八年九月)。まさに先見の明だと思います。
 また、冷戦時代から、ソ連との友好の道を開いたり、「中ソは絶対に仲よくなる」と早くから予見して行動されたり、そのように歴史を先取りする眼は、どうしたら、もてるのでしょうか。
 池田 ひとことでは言えないが、根本は「民衆への信頼」を手ばなさないことではないだろうか。
 歴史の主役は民衆です。民衆の意識、動向、願いというものは、長い目で見た時に、何ものよりも強い。
 マハトマ・ガンジーの信念もそうです。「私は失望すると、いつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいる。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている」と。((c)1982 CAROLINA BANK LTD.AND NATIONAL FILM DEVELOPMENT CORPORATON,LTD.ソニー・ピクチャーズエンターテインメント。脚古本=J・ブライりー、字幕翻訳=野中重雄)
 ゆえに「民衆の意識を変える」ことが、歴史をつくる根本の作業となる。
13  青年が「差別の意識」を変えた
 池田 たとえば、アメリカの黒人が平等を勝ち取る闘争に、ランチ・カウンターの座り込み運動があった。一九六〇年、ノースカロライナ農工大学の黒人学生四人が始めた運動です。
 「ランチ・カウンター」とは、バス・ターミナルや大きな雑貨店などの一角に設けられた、カウンター式の軽食堂。当時、こうした場所は「白人専用」とされ、黒人は排除されていた。
 これに憤った四人の黒人学生が、ある店で、あえてカウンター席にすわり、コーヒーとドーナツなどを注文した。すると、店長はこれを認めず、周囲の群衆からは、さまざまな侮蔑の言葉が投げつけられ、暴力さえ加えられた。
 それでも四人は耐え、「座り込み」という非暴力の方法で、人種差別への抵抗を貫いた。
 閉店時間には店を出て、次の日にまた来店し、座り込み。そうした行動が共感を呼び、白人の学生も加わって、多くの学生が各地のランチ・カウンターで運動を展開した。
 一年半ほどで、その数七万人。退歩された学生らも三千六百人にのぼったという。
 平等の権利、平等の社会を求め、わずか四人の青年から始まった勇気と信念の運動は、人種差別の撤廃を着実に前進させていったのです。(本田創造『アメリカ黒人の歴史』岩波新書を参照)
 ―― 私たちも、負けないで「新しい歴史」をつくっていきます。
14  二十一世紀の「人類史」を諸君が!
 池田 青年がやる以外にない。″日本の歴史は、民衆の泣き寝入りの歴史である″(『丸山真男集』4,岩波書店、要旨)といわれる。これを絶対に変えなければいけない。
 そのためには、何が「うそ」で、何が「真実」なのかを見破る英知がなければならない。そして何があっても真実を叫ぶ「精神的勇気」がなければいけない。
 私もお会いしたことがある、フランスの名ジャーナリスト、ロベール・ギラン氏は、戦争中も日本にいて身近で日本人を観察していた。その一つの結論として、なぜ戦争が止められなかったのか、それは日本人に「肉体的勇気」はあっても「精神的勇気」が欠けていたからだ、と。また″真理を尊重する″重要な徳が欠けていた、と。だから、ずるずると皆が悪の力に引きずられていったというのです。(ロベール・ギラン『日本人と戦争』根本長兵衛・天野恒雄訳、朝日新聞社、参照)
 諸君は新しい時代の新しいリーダーです。これからの「地球時代」に、まったく新しい「人類一体の歴史」をつづっていかなければならない。
 一人の力は小さく思えるかもしれない。しかし「時を得た思想ほど強いものはない」(ユゴー)。
 歴史はヒューマニズムの拡大に向かって進む。紆余曲折を経ながらも、大局的には、必ず、その方向に向かうと私は信じている。ゆえに、人類が求める人間主義の哲学をもった諸君こそが、歴史を切り拓く「最先端」にいるのです。

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