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日蓮大聖人・池田大作

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優しさって何? 「優しい人」は「強い人」 その人こそ「優れた人間」

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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1  ―― きょうは「優しさ」がテーマです。
 様々な調査でも、「どんな人が好きか」と聞かれて「優しい人」と答える人が、男女とも多いんです。「どんな人になりたいですか」と聞いても、「優しい人になりたい」と答える人が、かなりあります。
2  「かかわらない」のが「優しさ」?
 ―― その一方で、どういう人が「優しい人」なのか、よくわからないのも事実です。何か、互いに傷つかないように、″適度の距離を置く″のが優しさのように思う風潮もあります。
 先日、友人と話してると、「ある人が、職場をやめたいと家に閉じこもっている」と言うのです。
 ところが、友人は「そっとしておこうよ。それが私たちにできる優しさだから」と言うので、私はびっくりして、「それは違うんじゃない。その人を励まさないと、優しさとはいえないんじゃない?」と話しました。
3  優しさとは、いちばん「人間らしい」人格
 池田 なるほど。「優しさ」に憧れる一方で、人とは、あまり「かかわり合いたくない」。どちらも皆の本当の気持ちなんだろうね。
 優しさとは「心」の問題です。「心」は見えない。また「心」は実に微妙で、デリケートなものです。
 だから「優しさとは何か」と言われて、一口で答えられる人はいないのではないだろうか。それくらい大きな問題です。それは「人間とは何か」という問題と一体なんです。
 ある人が言っていたが、「優」しいという字は、人偏に憂うと書く。「人を憂う」――人の悲しさ、苦しさ、さびしさを思いやる心が「優しさ」でしょう。
 この字はまた優秀の「優」という字です。「優しい」人、人の心がわかる人が、人として「優秀な人」です。「優れた」人なんです。それが本当の「優等生」なんです。優しさとは、人間としていちばん人間らしい生き方であり、人格なのです。
4  忘れられない出会い
 池田 私は十二、三歳のころ、新聞配達をしていた。体が弱かったので、自分を健康にしたかったし、戦争に行ってしまった兄たちの分まで、少しでも家の手伝いをしたかった――そういう思いで始めたのです。
 うちは海苔屋のりやだったので、早朝の手伝いもある。それが終わってから新聞配達です。まだ町は眠っている。冬なんか、寒風に向かって自転車を走らせると、吐く息はまっ白。手の指が痛いくらい、かじかむ。
 配達先にも、いろんなうちがあった。ほとんどの家庭は顔も見ないし、たとえ会っても無愛想なものです。吠える犬に苦しめられたこともある。
 何度か紹介した話だが、忘れられないのは、ある若夫婦の優しさです。配達先に、二十戸ぐらい入っている平屋のアパートがあった。ある日、中央の玄関口を入ると、廊下で、奥さんが七輪――若い皆は知らないかもしれないが、土でできたコンロのようなものです。その七輪を出して、ご飯を炊いていた。
 「お早うございます。ハイ、朝刊です」と渡すと、「ご苦労さま。いつも元気ねぇ」と笑顔で迎えてくれた。
 立ち去ろうとすると、「あっ、そうそう、ちょっと待ってちょうだい」と呼び止められた。そして、乾燥イモを、両腕いっぱいにいただいた。当時、私たちはイモカチと呼んでいたんだが。
 「これはね、きのう郷里の秋田から送ってきたの。よかったら召し上がって……。お父さん、お母さんにも、よろしくね」
 背の高いご主人も、「やぁ、寒いのに、大変だねぇ。勉強して、偉くなるんだよ」と言ってくれた。
 ある時は、夕刊の配達を終えてから、夫妻で夕食に招いてくれたこともある。
 私の家庭のことも、いろいろ聞いてくれて、父が病気で倒れたこととか、話しました。すると、「発明王エジソンも、少年時代に新聞の売り子をしながら勉強したんだ。小さい時に苦労した人が幸せなんだ」と励ましてくれた。
 まもなく、この夫妻は、どこかへ引っ越していかれた。もう五十年以上も前のことだが、夫妻の優しさは、今なお、胸の中に生きています。夫妻は、少しもいばらなかった。
5  優しい人には強き「慈愛」が
 池田 仏法では「人間界」の生命状態を「平かなるは人」と説く。「平らか」です。どんな人にも「平等に」「公平に」温かく接する人が、本当の人間です。
 その反対が「いばり」です。いばる人は、人を苦しめる。強い相手には、ぺこぺこし、弱い相手には、いばる。それは畜生界であり、餓鬼界です。いばるというのは、人格的に最低です。イギリスの伝統校では、人格を見るのに、その人に何かの権限を与えてみるのだという。リーダーになってみて、目下の人にどう振る舞うか。それで人格が試されるというのです。
 ―― たしかに、その通りだと思います。ある出版社に勤めている友人が言っていました。大学の先生とか、有名人は、いばってしようがないというのです。
 高飛車というか、つまらないことで腹を立てるし、「私を怒らせたら、どうなるか、わかってるんだろうね」などと、すごまれると言うのです。とても″文化人″とは思えませんね。
 もちろん立派な大学の先生もいますが……。
6  「人間を身なりで判断するな」
 池田 だから、「優しさ」というのは、「人間を人間として見る」「人間を人間として大切にする」ということではないだろうか。
 ある人に、立派な教育者の話を聞いた。熊本で三十八年間、教鞭を執り、生徒に慕われた愛情深き先生だったという。その原点は、どこにあったのか。
 それは、その方が小学校二年生の時の「父の思いで」です。
 小雪の舞う冬休みのある日、″門付かどづけ″の母と子が来た。門付とは、家々をまわって門口で芸能を見せ、金品をもらい受けること。母子は、そのようにして得たわずかなお金や食べ物で、細々と暮らしていたのでしょう。
 母親が三味線を弾きながら歌い、女の子が踊る。少年の目には「哀れな母子」と映ったようだ。曲が終わると、少年は、食べていた駄菓子の残りを女の子にさしだした。まさに、その時!――この方は、こう回想されている。
 「庭隅で牛に草履ぞうりをはかせていた父が、半纏をひるがえして私に走りより、いきなり私を地面に殴り倒した。あっけにとられている門付けの母子に向かって父は、丁寧に頭を下げ、食いかけの菓子をさしだした私の非礼を詫びた。そして私にも土下座をさせて母子に謝らせた」
 さらにお父さんは、謝礼の穀物をあげた上で、少年の菓子を袋ごと全部、女の子に渡した。そして、土下座して泣いている少年を残したまま、牛を連れて、山仕事へ出かけて行った。
 少年は成長してからも、その光景が忘れられない。「父は人間の平等を態度で私にたたきこんでくれた」と感謝の言葉をつづっている。(喜読喜市『喜読喜市の世界』かのう書房刊から引用・参照)
 こういう父親が少なくなった。人間を外面で判断しては絶対にいけない。
 戸田先生が二十歳のころです。大志を抱いて北海道から上京してきた。しかし、なかなか道は開けなかった。夏も近いある日、戸田青年は、思いあまって、母方の遠い親せきにあたる陸軍大将の家を訪れた。
 戸田青年は、綿入れの紺絣こんがすりを着て、よれよれのはかまをはいていた。その家では座敷に通してくれたものの、心では軽蔑しながら、表面だけ相槌を打つのが、手に取るようにわかった。青年の大志を理解するどころか、かかわり合いになることを、ひたすら避けていた。
 戸田先生は、初め、人あたりのいい対応に、心を許して話し込んでいたが、それが虚礼にすぎないと知ると、すぐに帰ろうとした。すると、その家の奥さんは、机の上にあった菓子を白紙に包んで、戸田先生に渡そうとしたのです。先生は憤然と拒否した。「こんなものを戴きに来たのではありません!」
 戸田先生は生涯、この時の屈辱を忘れることはなかった。そして、思い出しては、奥さまに、戒めるように何度も語ったという。
 「人を決して身なりで判断してはならない。その人が将来、どうなるか、どんな使命をもった人か、身なりなんかで絶対に判断がつくはずがない。わが家では、身なりで人を判断することだけは、してはいけない」
7  悪と「怒り」をもって戦うのが「優しい」心
 池田 戸田先生は、だれよりも「強い人」だった。そして限りなく「優しい人」でした。どんな貧しき庶民にも、渾身の慈愛を注いでおられた。その戸田先生が、「この人こそ」と感動したのが牧口先生です。牧口先生も「強く」そして「優しい」人だった。(以下、牧口初代会長のエピソードは『牧口常三郎』聖教新聞社を参照)
 北海道で教師をされていた時は、雪が降る日など、生徒が登校してくるのを迎えに行き、下校の時には送っていかれた。体の弱い子が皆に遅れないように気をつけながら、小さな生徒は背中におぶって、大きな生徒は手を引いて――。また、お湯をわかして、子どものあかぎれだらけの手をとり、お湯の中に静かに入れてあげた。「どうだ、気持ちがいいか」「うん、ちょっと痛いけど」――本当に美しい情景です。
 牧口先生は、東京に来られてからも名校長として有名だったが、権力のある者に、へつらわないものだから、いつもにらまれていた。それで、いつも迫害を受け、左遷です。
 貧しい家の子どもだけが集まる小学校(三笠小学校)に赴任した時もある。雨が降っても、傘もない子が、たくさんいるほどの貧しさだった。
 牧口先生は、弁当を持ってこられない生徒のために、自腹を切って、豆もちや食事を用意した。ご自分も八人の大家族を抱えて大変だったころです。日本で学校給食が始まる十何年も前のことでした。しかも先生は、子どもたちの気持ちが傷つかないように、用意した食事を用務員室に置いて、皆が自由にもっていけるようにしたのです。
 ―― 教員室に置いていたら、皆、来にくいし、教室に置いていたら、友だちの手前、恥ずかしい人もいるだろうし……。こまやかな心づかいですね。
8  人を苦しめる悪と命をかけて
 池田 優しい牧口先生は、「子どもたちの幸福のためなら、何でもしよう」という心だった。個性を殺す「詰め込み教育」などで苦しむ子どもたちを思うと、何とか救ってやりたいと「気が狂いそうなほど」だったと書き残されている。(『創価教育学体系』緒言、参照)
 また、子どもたちのためなら、どんな権力者とも一歩も引かなかった。「怒り」をもって戦われた。当時、絶大の権威をもっていた「視学」(旧制度の地方教育行政官。学校の視察および教育指導を行った)に対して、いたずらに教育を画一化させるとして「視学無用論」を堂々と主張したほどです。
 だから、権力ににらまれた。だから、民衆には慕われた。牧口先生が学校を変わるとなると、生徒は泣き出し、父母から教職員まで、先生を慕って、すすり泣くほどだったという。
 そして牧口先生は、最後は軍国主義に抵抗して獄死です。先生は、我が身はどうなろうとも、民衆を不幸にする軍国主義は許せなかった。間違った思想は許せなかった。
 優しさは、悪に対しても強い。仏法では、「怒り」は善にも悪にも通ずると説いている。善のための怒りは必要なことです。自分の感情だけで怒るのは畜生の心です。人間は偉大であるほど、その愛も大きい。愛が大きいから強いのです。優しいのです。
 ―― 「優しい人」だからこそ、牢獄でも信念を曲げない――崇高だと思います。
 何か、私たちが思っている「優しい」というのと、ちょっとイメージが違うというか。
 池田 「性格が優しい」イコール「優しい」ではない。不正に対して戦わない、いざという時に力がないのは、「弱い」ことにすぎない。
9  皆の優しさに支えられてきた
 ―― 今の人間関係は「もめごとを起こさない」のが目的になっている――と、ある人が言っていました。人と深くかかわると、自分も傷つきそうだし、ある調査では、こんな結果が出ています。
 約七割の人が、人とかかわりを「あまり持ちたくない」。五割を超える人が「(かかわることによって)思わぬ結果や事故で、とやかく言われることを考えると、人の世話や手助けも考えもの」(一九九六年九月調査、東京都がまとめた「地域社会に関する世論調査」)と。
 池田 たしかに、せちがらい世の中だから、自分の中に閉じこもってしまう気持ちはわかる。しかし、そこには大きな錯覚があるのではないだろうか。
 それは、今まで自分自身が多くの人たちの「優しさ」に支えられて生きてきたという事実を忘れているということです。お母さんの優しさがなかったら、この世に生まれ、大きくなることはできなかった。
 また、お父さんや、他の家族、親せき。友人。保育園・幼稚園以来の先生方。創価学会の先輩。思い出せば、無数の優しさに包まれて生きてきたのではないだろうか。
 ―― その通りだと思います。こんな声がありました。「高校入試一ヶ月前ぐらいから、母が私のために朝早く起きて、題目をあげていたことを知って感動。最高の優しさだと思いました」。
 「母の優しさを本当に感じます。生まれてから『人の気持ちを考えられる人になりなさい』と、ずっと言われて育ちました。小学校三年から母子家庭の私なので、心配し、いろいろしてくれる母の愛情は、とても私の心を強くします」
 池田 いい話だね。母親はいちばん強く、いちばん優しい。
 ―― こんな人もいます。
 「私は高一の時、友達をうまく作ることができず、学校が嫌になり、学校に行かなくなりました。二学期になって、学校を辞めようとしていた時、クラスの子が″学校においでよ″″一緒にお弁当食べよう″と電話で励ましてくれました。私は本当に嬉しくて、その人の優しさを裏切らないためにも、毎日、学校へ行きました。その人は今、何でも語り合える親友です」
 池田 優しさとは、損・得を度外視した友情です。人が苦しんでいれば、苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上がらせてあげよう」という勇気の心を与える。
 人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。わかち合おうとする。その中で、自分も成長していく。相手も強くなっていく。優しさとは、良い意味での″励ましの道場″です。
 大切なことは、相手に同情する――あわれむ――ということではなくて、「わかってあげる」ということです。「理解」することです。人間は、自分のことを「わかってくれている人がいる」、それだけで生きる力がわいてくるものです。
10  「相手の反応が気になる」
 ―― 優しさといっても、目には見えません。見えないからこそ、何らかの形にしないと、相手には伝わらないと思います。ただ、なかなか、その勇気が出ないというか、「もしも声をかけて、よそよそしくされたら、どうしよう」と。
 なかには、こういう声もあります。
 「電車で、老人が乗ってきました。席を譲ろうと思うのですが、『どうぞお座りください』となかなか切り出せません。″席を譲っても老人扱いされたと思い嫌がられるのでは″とか″周りの人は私のことを、いい子ぶった優等生と思うのでは″などと考え、ためらってしまうのです」
 池田 たしかに、相手の反応はわからない。自分の気持ちを素直に受けとめてもらえないこともあるでしょう。それどころか、ばかにしたみたいに笑われることもあるかもしれない。それでも、相手を責めてもしかたがない。恐れても、しかたがない。大切なのは、自分がどうしたいのかです。自分の優しさに忠実に行動する勇気が大事なんです。
 そして、相手の態度がどうであろうと、思いきって行動したら、その分、自分が開けるんです。自分の中の「強さ」イコール「優しさ」が、ぐんと育つんです。
11  「善いことをしない」のは「悪」
 池田 牧口先生は、勇気のない傍観者には厳しかった。「弱い善人」は、結局、悪に負けてしまう。先生は、いつも口癖のように語られていた。
 「『善い事をしない』のは『悪いことをする』のと、その結果において同じである。道路の中央に、大きな石を置くのは悪であり、後からくる人が迷惑をする。それを承知しながら、『私が置いたのではないから』と取り除かないで通り過ぎれば、『善いことをしない』だけであるが、後の人が迷惑をする結果は同じである」
12  臆病は残酷の母、勇気は優しさの母
 池田 じつは、人間は、大ていの人が、心の中に「優しさ」をもっている。生まれた時から冷たい心しかなかったという人はいないでしょう。
 しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうのです。
 そして、「自分中心」だと、周囲が全部、敵に見えてしまう。そこで、ますます自分を鎧で包む。権威の鎧とか、名声や地位の鎧とか、冷たさの鎧とか、「いばり」の鎧とか――。それでは「人間性」ではなくて「動物性」になってしまう。
 釈尊はいつも「自分から声をかける人」だったという。相手が声をかけてくるのを傲慢に待っているのではない。「声をかけて、冷ややかな反応だったらどうしよう」などとも思わない。軽やかに、温かく「声をかける」人だった。
 ―― 優しさにも、勇気が必要なんですね。
 池田 そうです。「臆病は残酷の母」であり、「勇気は優しさの母」です。
 シュテファン・ツヴァイクという有名な作家がいます。彼が高校生の時の話です。
 一人の秀才の同級生がいた。人気者だったが、ある時、大会社の社長である彼の父親が、ある事件で検挙されてしまった。
 新聞は、彼の家庭の写真まで掲げて、悪口を書きたてた。学校にもこられず、彼は二週間も休んだ。三週間目に突然やってきて自分の席についた。彼は教科書に目を落としたまま顔を上げなかった。休み時間になっても、一人で窓の外を眺めていた。皆の視線を避けていたのです。
 ツヴァイクたちは、彼を傷つけまいと、遠くから見ているだけだった。彼が優しい言葉を求めているのはわかっていた。しかし迷っているうちに、次のベルが鳴った。そして次の時間になると、彼はもう学校から出て、以来、二度と彼の姿を見ることはなかった――。(三宅正太郎著『裁判の書』牧野書店)
 あの時、一声かけていたら――その後悔は一生、彼の心をさいなんだのでしょう。
 また、日本人は「あの人が悪い」という話があると、確かめもしないで、うわさをする。悪宣伝をする。優しさの反対です。優しさには公平さがある。本当かどうかを、自分で確かめ、納得していく誠実さがある。
13  「小さな優しさ」「大きな優しさ」
 ―― 優しくするといっても、具体的に何をすべきか――。ケース・バイ・ケースだと思いますが。
 池田 それは、その通りでしょう。根底に、相手の幸福を「祈る」気持ちがあれば、いいのです。そのうえで、牧口先生は「小善」「中善」「大善」ということを言われた。優しさにも「小さな優しさ」「中くらいの優しさ」「大きな優しさ」があると言えるかもしれない。
 広宣流布というのは、最高に「優しい」行動なのです。最高のヒューマニズムです。
 仏法以外でも、「大きな優しさ」の場合は、かえって相手に誤解されることもある。親が子どものために、あえて厳しく「しつけ」をする心なども、そうかもしれない。
 諸君も大善――「大きな優しさ」の場合には、優しくした相手から、反対に憎まれたりするかもしれない。しかし、それでも相手の幸福を祈って、尽くしていくのが本当の優しさではないだろうか。そして、その時はわからなくても、大誠実を尽くしておけば、きちんと信用が残るものです。いつか、「あの人は、自分のことをこんなにも思ってくれたのか」とわかるものです。
 ―― お話をうかがって思うことは、「どのくらいの優しさをもてるかが、その人の大きさをはかる尺度なんだ」ということです。私たちも、表面だけの優しさではなくて、大きな感動を与えるような生き方をしていきたいと思います。
14  四十億年分の命に支えられて
 池田 優しさには、人間の崇高さがある。仏法の慈悲に通じる。また西洋での「人格」の根底である「愛」にも通じる。
 また、先ほど「だれもが多くの人の優しさに支えられて生きてきた」と言ったが、じつは、もっと大きく見れば、だれもが、地球と宇宙の無数の命に支えられて、ここに存在しているのです。花たちも鳥たちも、ありとあらゆる生きものも、太陽も大地も、″一切が互いに支え合って″生命のシンフォニーを奏でています。
 地球では、生きものの誕生は四十億年前という。それ以来、連綿と、命が命を育み、命が命を支えて、私たちを生んだのです。この″生命の輪″が、ひとつでも欠けていたら、あなたは今、ここにいない。
 ―― たしかに、途中で(命の連続が)切れている人は、一人もいません。
 池田 生命が次の生命を育んだのも、根本的な意味で「優しさ」とはいえないだろうか。もっと根本的には、その生命を生んだ地球全体が、ひとつの大きな生命体であり、大きな優しさの固まりなのではないだろうか。
 戸田先生は「全宇宙が本来、慈悲の活動をしている」と言われていた。
 ―― 「地球に優しい」という言葉がありますが、その前に「地球に優しくされている」のですね。
 池田 自分の背後に、四十億年の、いな全宇宙の「優しさの歴史」が支えてくれているのです。だから、絶対に自分を粗末にしてはいけない。
 生命以上の宝はありません。諸君は皆、その生命をもっている。皆、かけがえのない宝の存在です。生命を生んだ宇宙は、地球は、そして母は、わが子を「かけがえのない存在」として大切にします。
 そういう絶対的な優しさ――「生命への慈愛」を、社会に広げていくことが、二十一世紀にとって、いちばん大切なのではないだろうか。
 ―― そうなれば戦争とか、人権抑圧、環境破壊もなくなりますね。
 池田 そのために、まず自分が成長することです。「自分が人間として向上していこう」という姿勢の心は、優秀な心であり、それ自体、優しさに通じる。人を押しのけて、自分だけは、という姿勢の心は、傲慢の心であり、怒りを含んだ醜い心です。
 ゆえに「二十一世紀の主役」の諸君は、″強く″″優しい″人間へと自分自身を鍛え上げてほしいのです。

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