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日蓮大聖人・池田大作

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性格って何? 誠実の心が燃えていれば、性格は良い方向に輝く

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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1  池田 今回のテーマは「性格」についてだったね。
 人生の大きな問題です。「性格は運命なり」という言葉がある。だれもが自分の性格で悩む。悩むからこそ進歩がある。その反面、悩んでいるだけでは、どうにも変わらない自分という現実がある。これだけ科学が進歩しても、″自分自身″というものを、もてあましているのが人間なのです。
 ―― ある人は「自分の性格が父親の嫌な性格と似ていると母親に言われましたが、どうしたら直せるでしょうか」と悩んでいました。
 性格には外向的な性格とか内向的性格、また冷静な性格、怒りっぽい性格、あきっぽい性格、粘り強い性格とか、いろいろあります。こういう性格というものは、変わらないのでしょうか。
2  幸・不幸はどう生きたかという「内容で」決まる
 池田 基本として、仏法では「性格は、なかなか変わらない」と見る。
 性格というのは、多種多様です。仏法では「世間」という言葉は「差別(違い)」という意味を含んでいる。それぞれ性格の違う人が集まっているのが社会です。
 性格の特徴を表す言葉も多く、英語では一万八千もあるともいう。また何種類かの基本性格に分類する場合もあります。
 性格は「人さまざま」だが、桜梅桃李の原理です。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、その人その人に価値がある。内向的だからだめだとか、せっかちだから価値はないとか、そんなことはありません。自分は自分らしく生きていけばいいのです。そうなれることを目的としているのが仏法なのです。
 昔、戸田先生がある人に指導されていた。その人は、怒りっぽい性格で、自分の性格が嫌で嫌でたまらず入信した。戸田先生は「性格はそのままでよいから、題目をあげて、人生を生き抜きなさい。そうすれば、自然のうちに性格の悪い面が消え、良い面が残っていく。目的をしっかりもって、社会のために生き抜きなさい」と。その人は、皆に慕われながらすばらしい一生を飾りました。
3  幸・不幸はどう生きたかという「内容」で決まる
 ―― 「性格は、なかなか変わらない」が、その性格の良い面が出ていくということでしょうか。
 池田 たとえば一本の川があるとする。ある地点では、その川の幅は変わらない。同じように、その人自身というものは変わらない。しかし、「質」はさまざまである。浅いか深いか、濁っているか清らかか、魚がたくさんいるかいないか。「内容」は違う。
 人生の世界も一緒です。性格によって幸不幸が決まるのではなく、どう生きたのかという「内容」によって決まっていく。その内容を立派にしていくために仏法があり、教育がある。一切の努力・向上・進歩がある。それが人生です。
 ―― こういうことでしょうか。自分という川が別の川になるのではない。しかし、努力次第で濁った流れは清らかになり、魚がたくさん楽しく泳ぐような川になっていく……。
 池田 その通りです。題目をあげていけば、必ず濁ったものは浄化されます。全部、幸福の方向へと進んでいきます。たとえば、内向的な人は思慮深さとなって、それが生きる。せっかちの人は、何でもスピーディーに進める力となって表れる。
 また、川は、蛇行しながら流れ、行き詰まらない。それが自然です。性格も努力すれば、蛇行しながらも良くしていけるのです。だから、ともかく前へ前へ流れ続けなければいけない。
 だれでも、「完成された性格」などありえない。万人が一人も残らず、何らかの宿業によって、未完成の人間です。困った性格も当然ある。しかし、それにとらわれ、自分を嫌ったり、卑下したり、進歩を自分で妨げるのは愚かです。
4  「感情が激しい」
 ―― たとえば、「喜怒哀楽が激しくて周囲の友人に迷惑をかけることがある」と悩んでいる人がいます。
 池田 「感情が激しい」なんて、この無感動の時代に貴重です。青年だもの、感情が激しいくらいで、ちょうどいいのです。
 協調性も大事だが、周りに合わせるだけで自分を押し殺してしまうのは不幸です。これからの怒濤のごとき波乱万丈の人生を生きていくには、激しい性格くらいでいいのです。また、感情が激しいからこそ、人の感情をわかるようにもなれる。いずれにせよ、感情が激しいからいけないのではない。
 ただし、自分だけのエゴが強くて、人を傷つけていくような感情の激しさは危険です。時速何百キロも出せる自動車は、その分、強力なブレーキがついていなければいけない。
 自分で自分をコントロールしていくのです。その根本は題目です。強い生命力です。仏界の生命力が涌現すれば、激しい性格が、前進の力となり、正義感となり、人を守るための善の激しさとなっていくのです。
5  人生は自分との戦い、進歩と退歩との戦い
 ―― 「中途半端で満足したり、あきらめたりして、本気で取り組めない。嫌なことから、すぐに楽なほうへと逃げてしまう」という人には。
 池田 そう自分でわかっているんだから大丈夫だ。
 大体、人間は大てい意志薄弱です。楽なほうへ行くのは人間の性です。
 偉人と言われる人だって、初めから偉人だったのではない。弱い自分を鞭打ち、鞭打って、惰性を乗り越え、人生を勝ったのです。
 人生は自分との戦いです。進歩と退歩との戦いです。幸福と不幸との戦いです。題目をあげて「意志の強い自分になりたい」「本気で課題に取り組める自分になりたい」と祈っていくことです。そして、何か身近なひとつでいい、何でもいいから、″やり切った″と自分が満足できるまで何かに挑戦したらどうだろうか。その「第一歩」が次の一歩につながっていくのです。
6  「怠けぐせ」が
 ―― 「怠け心に気づいて頑張ろうとするが、また、いつのまにか怠けている自分に気づき、自己嫌悪する」という声もあります。
 池田 だれだって、″よし頑張ろう!″という決意は、時間とともに薄れていくものだ。あなただけではない。その時は、再び″よし頑張ろう!″と決意すればいい。その連続です。七転び八起きです。
 ″怠けている″と気づくこと自体、あなたが成長している証拠だ。「自分はダメだ」と思って努力をやめるのではなく、ダメだと思うたびに、また決意すればいいのです。
 決意が薄れるのがいけないのではない。薄れたから自分はダメだと思って、止まってしまうことがいけないのです。
7  「無口」で孤立してしまう
 ―― 「無口なので、暗い人だと思われてしまう。大人数の中で孤立してしまう」。そういう人には。
 池田 無口であっても、だれよりも「聞き上手」になればいい。「あなたの話を聞かせて」と言っていけばよいと思う。
 自分をよく見せようとすると、しゃべるのが苦痛になる。ありのままのあなたでいいのです。背伸びせず、自分の短所も長所も正直に知ってもらえばいいのです。
 まったく中身のないおしゃべりばかりしている人もいる。そんな人よりは、無口なくらいのほうが深みがあっていい場合がある。口先だけの人よりも、なすべきことをきちんとなす人のほうが、どれだけ信用できることか。問題は、無口かどうかということよりも、自分の「心」に豊かな中身があるかどうかです。
 心豊かな人は、たとえ無口でも、素敵な笑顔や、ちょっとしたしぐさが、何より雄弁に、その人を表現するものです。また、いざという時に、サッと「鶴の一声」のように大切な意見を述べる人もいる。
 仏法では「声仏事を為す」と説く。声が「仏の仕事」をするということです。根本的には、題目をあげることだ。題目をあげている人は、本質において、人類の中で最高に雄弁な人です。言いたいことを全部、御本尊にぶつけていけばいいのです。
 また人のことを祈ってあげることです。自然のうちに、必要なことは自在にしゃべれる自分になっていきます。
8  根にもつタイプ
 ―― 「根にもつタイプで、嫌なことがあると、ずっと引きずってしまう」という性格は。
 池田 あっさりした性格がいいとは限らない。悪に対しては、絶対に「根にもって」いかなければいけない。日本では「水に流す」のが美徳のようにいわれるが、それでは社会は進歩しない。また同じ過りを繰り返す。「執念」をもって、粘り強く、怒りを「引きずって」戦っていくのです。そうやり抜いた人が民衆のための変革を成し遂げている。また人生の目標に対しては、鬼神のごとき執念で、奮闘していくことです。
 要は、自分のちっぽけなエゴではなく、大きな立場に立って、ものごとを見られるよう、自分を鍛えていくことです。青空のような大きな心になれるよう祈っていくことです。自分がいちばん嫌だと思っている人、嫌だと思っていることから目をそらさずに祈っていくことです。嫌なことから逃げようとするから苦しむ。逃げなければ、どんな体験でも、自分を豊かにしてくれるものです。
9  だれでもが「未完成の人間」、一歩でも前へ!
 ―― 「自分の性格の悪いところばかり見えてしまう。どうすれば良いところも見つかるか」という人もいます。
 池田 自分に厳しい人ほど、そう感じるものだ。そう思うこと自体、まじめなすばらしい性格です。
 自分のことは自分には、わかりにくい。
 御書にも「近い睫と、遠い宇宙は見えない」とある。〈「まつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし」〉
 友達や親、兄弟でもいい、あなたのことをよく知っている人に、率直に聞いてごらん。「私は、どんなところを、もっと伸ばしていけばいいだろうか」と。きっと、すばらしい長所をもっているはずです。
 短所しかない人はいない。長所だけの人もいない。だから長所を伸ばしていけばいいのです。そうすれば短所は自然のうちに隠れていくものです。
 また、短所を指摘された場合、感情的にならずに、素直に聞いたほうが得です。社会に出たら、自分のことをそう指摘してくれる人など少なくなる。
10  臆病を克服する「自己訓練」を
 ―― 「他人から、どう見られているかが心配」「だれも私のことなんか見てるはずないのに、どこかでいつも小さくなってしまう」「自分に自信がもてない。そういう時は何か人が自分のことを言っているのではと被害妄想になることがある」。こういう人も少なくありません。
 池田 臆病というのは、良く言えば敏感ということです。
 エレノア・ルーズベルトさんを知っているだろうか。フランクリン・ルーズベルト大統領夫人であり、アメリカで最も尊敬されている女性の一人です。彼女は少女のころ、「病的なほど臆病で内気だった。臆病と内気に身を任せて半ば麻痺状態にあった」という。(エレノア・ルーズベルト『生きる姿勢について』、佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房。以下、同書から引用)
 それを自己訓練によって克服した。どんな訓練か――。内気な人は「自分についての恐怖に取りつかれている」。だから、自分の気持ちを「解放する」努力をしたというのです。
 その方法とは、第一に「人に良い印象を与えようとか、人が自分のことをどう思っているか、とかをくよくよ考えないこと」。つまり「自分のことばかり考える代わりに、他人のことを考える」ようにした。
 二番目に、「自分に興味のあること、自分のやりたいと思うことに、心から打ち込むこと」。自分が思うほど、他人は自分のことを気にはしていない。むしろ「自分自身の自己に向ける注意」が自分を萎縮させる場合がある。だから、できるだけ「自分のことを忘れる」訓練をしたのです。
 第三に、「冒険心と経験を求める気持」を持ち続けること。「人生を探究したい気持ち」に没頭することで、人が自分をどう見ているかを忘れて、前に進むことができた。
 この繰り返しで、夫人は少しずつ自信をつけていった。やがて「世界人権宣言」の推進をはじめ、歴史に残る仕事をし、なおかつ人々に愛されて人生を送ったのです。
11  「自分を知る」には行動しかない
 池田 大事なのは「一歩」を踏み出すことです。思いきって、まず、小さな恐怖を乗りこえれば、そこから次のチャレンジの勇気が出てくるのです。
 目標を作ることです。小さくても、大きくても、それに向かって努力するのです。努力とともに大事なのは、真剣・誠実です。ふざけ半分ではいけない。真剣さ、誠実さの、その心が光る。ダイヤモンドの輝きで、人の心を打つ。心の炎が燃えているからです。誠実であれば、理解してもらえるものです。性格が良い方向に輝いていく。外面的なことを気にするのは愚かです。
 ゲーテは言っている。
 「いかにすればおのれ自身を識ることができるか。観察によるだけではけっしてできないが、行動を通じてならば可能となる。きみの義務を果たすことを試みるがよい。きみがいかなる人間であるかがすぐにわかるはずだ。(「箴言と省察」岩崎英二郎・関楠生訳『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と。
 行動です。一歩踏み出すことです。目標に向かって大海原を泳ぐ前に、陸で臆病になっているのではなく、かなたの目標に向かって行動すべきです。行動を始めてからの反省は活きるが、始める前の観念的な反省は活きない。
12  「大きな心」をもちたいのだが
 ―― 「何でも人の欠点ばかり目についてしまう」という人には。
 池田 人の長所を観察したほうが、自分が得です。人の欠点をあげつらっても得るところがない。そういう大きな心になるには、少しずつでいい、友人の幸福を祈っていくことです。だんだんと包容力のある自分に変わっていきます。ほかにも、さまざまな性格の悩みがあると思う。悩んでいること自体が、必ず変わっていける証拠です。大人になると、もうあきらめてしまうのか、悩まなくなる。そこで進歩もなくなる。
 人間は前進しているかぎり、成長しているかぎり、悩み、迷うものなのです。戸田先生でさえ、「私は、自分の卑屈さを直すために努力したものだ」と語っておられた。努力なくして、人間革命はできない。あきらめずに努力を繰り返せば、必ず、力と勇気がわいてくるのです。
13  性格は遺伝で決まる?
 ―― 性格というのは遺伝でしょうか。環境でしょうか。両方でしょうか。
 池田 両方の影響があるでしょうし、それについては、さまざまな研究もある。しかし根本は「自分の人生は自分でつくっていく」のです。
 性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の「彫刻」とか「印象」という言葉から出ている。「刻みつけられたもの」です。性格も、体質も、医学的に見れば遺伝的に刻みつけられ、決定されている部分もあるかもしれない。
 しかし、それがわかったからといって何になるものでもない。今、現実に生きているなかで、どのように向上していくかが問題です。
 仏法は「現当二世」です。現在と未来が大事なのです。「現在から未来へ」、また「現在から未来へ」と挑戦していくのが仏法の信仰です。
 性格については、心理学でも、さまざまな見方がある。いちばん基本的な「気質」的なものを同心円の中心に見て、その外側に幼年期につくられる基本性格があり、その外側を習慣がつくった性格、その外側を、ある状況に適応するために身につけた性格などが取り巻いている――そういう見方もある。
 ―― 同じことを「層」のように見て、一番下に、生まれもった「気質」があり、その上に幼年期につくられた基本性格があり……と説明する人もいます。
 池田 そのうちの性格の″根っこ″の部分ほど、なかなか変わらない。他の部分は、「まるで別人のようだ」と言われるほど変わる場合があります。
 いずれにせよ、自分らしく生きる以外にないのです。自分は自分らしく人生を生き、社会に貢献していくことです。そういう人を育成するのが教育であり、また、そのための滋養を与えるのが信仰です。
 ―― 目的をもって、性格を生かしていけば、それが、その人らしい魅力となるということですね。
14  勇者ガンジーも内気で苦しんだ
 池田 信心をもっている我々は、御本尊に題目をあげることができる。しかし、信心をしていない人も、「美」「利」「善」の大きな目的・目標をもって生き抜き、それに向かって努力をしていけば、良い人生を歩むことができる。
 インドの父マハトマ・ガンジーも、その好例ではないだろうか。
 彼は少年時代から、ともかく並はずれた恥ずかしがりやで臆病だったという。夜、眠る時は「こちらからは幽霊が、あちらからは泥棒が、そして向こうから蛇がやってくるのではないか」と怯え、明かりがなければ寝床に入れなかったそうだ。
 内気で、いつも、だれかに、からかわれはしないかと恐れていた。彼は、この性格に長年苦しんでいる。(K・クリバラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社、参照)
 ―― あの、何ものも恐れぬガンジーの勇姿からは、想像もできませんね。
 池田 ただし、ガンジーさんのために弁護しておきたいが、そのころから″曲がったことはイヤだ″という正義感は強かったらしい。
 イギリス人の視学官が授業を見に来た時のこと、視学官は、英語の「kettle」(やかん)の綴りを書きなさいと命じたが、ガンジーは間違えてしまう。教師が彼の間違いを見つけ、横の生徒のつづりを写すよう、そっと合図した。でもガンジーにはカンニングをするという発想がなかった。その結果、彼一人が、綴りを間違えたのです。(M.K.Gandhi,The Story of My Experiments with Truth,Dover Publications,1983)
 ―― 頑固なまでの正義感――これは一生、変わらなかったのですね。
 池田 とはいえ、弁護士になっても、内気な性格は直らない。ようやく裁判の初仕事の依頼があったが、ガンジーは、自分が相手の証人に反対尋問する番になると、緊張して、″頭がふらふらし、法廷が揺れ動いているように思え、話す内容も全部忘れて″部屋から出ていくありさまだったのです。
 南アフリカ共和国を訪れた時、転機が訪れる。インド人は差別されていた。列車でガンジーが一等車に乗ると、白人が鉄道員を連れてきた。貨物車へ移れと言う。
 ガンジーは動かなかった。すると、車外へ突き出されてしまった。駅の暗い待合室にも、一人の白人がいて、その姿にガンジーは怯えたそうだ。そこで一晩考え込んだのです。″インドへ帰るか、それとも、ふみとどまって苦しみに耐え、権利のために闘うべきか″
 その時、ガンジーは思ったのです。同じように差別されている人々を見捨てて逃げ出すのは卑怯だ――と。″差別されている人を救おう″との目的に立ったこの時から、自分の性格への彼の挑戦が始まったのです。南アに結局、二十年とどまり、ようやくインド人の権利を勝ち取る。そしてインドへ帰り、祖国の独立も非暴力で成し遂げたことは有名です。(弁護士時代の話は、K・クリバラーニー編『ガンディーの生涯』森本達雄訳、第三文明社を参照)
15  個性を輝かす「人間革命の仏法」
 池田 ガンジーは、どこかで「人間はなろうと思った通りの人間になれる」と言っている。一念の力です。いわんや私どもは一念三千の大仏法を持っている。人間革命の仏法です。絶対に自分を卑下する必要はない。自体顕照と言って、自分らしく自分の個性を最高度に発揮し、伸ばし、輝かせていける大法なのです。そのためには「生命力」です。生命力が強ければ、自分の性格が良い方向に出ていく。
 川それぞれに違いはあっても、海に向かって、ともかく前へ前へ進んでいくことです。そうすれば、いつか必ず、″自他ともに幸福″という大海にたどりつく。周りの人たちの個性を喜び、生かしながら、自分も輝いていける、広々とした人生となるのです。
 要は、「自分にできることを、すべてなせ」です。そうすれば、どれほどのことができるか。その結果に、まず自分が、びっくりするに違いない。諸君は、皆、それほど無限の力をもっているのです。

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