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日蓮大聖人・池田大作

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働くって何? 自分の天分を生かせ! だれでも何かの天才

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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2  自分自身の宝石を掘り出せ
 池田 人生は長い。本当の勝負は四十代、五十代、六十代です。青春時代は「学びの時代」「鍛えの時代」と思って、何にでも挑戦してみることだ。
 だれにでも、自分にしかできない自分の使命がある。しかし、その使命は、努力もしないで、いつかだれかが教えてくれるわけではない。自分で見つけるのが根本です。
 宝石だって、はじめは鉱山の中に埋まっている。掘り出す努力をしなければ埋まったままです。掘り出してからも磨かなければ原石のままです。
 諸君は、皆、絶対に宝石をもっている。全員が「宝石を秘めた山」です。それを埋めたまま一生を終わってはつまらない。
 だから学校の先生や両親が「勉強しなさい」というのは、宝石を掘り出しなさい、磨きなさいと言っているのです。
 もちろん勉強だけが、宝を掘り出す努力ではない。今の偏差値だけで、自分という人間を決めつけてはいけない。暗記中心の勉強だけで測れるほど、人間は小さな山ではない。
 とくに最近は、″IQ(知能指数)よりもEQ(心の知能指数)のほうが大事だ″などと論じられている。知能テストでは測れない、人間としての思いやりとか、不屈の闘志とか、幅広い人間としての能力が大切だということです。だから十六歳や十八歳くらいの学校の成績だけで、その後の人生が決まるように思うのは、余りにも愚かです。人間の可能性は、そんなものではない。
 問題は、周囲の風潮に流されて、″自分は今、成績がこのくらいだから、こういう人間にしかなれない″と、自分で決めつけてしまうことです。そうしてしまうと、伸びる能力さえ伸びなくなってしまう。宝石を掘り出す努力を自分でやめてしまえば、もう、それっきりです。これがいちばん、こわい。
3  「何になるか」より「何をやるか」
 池田 反対に、大学に入ったら、とたんに真剣な努力をしなくなる人もいる。また有名な会社に入った、官僚になった、医師になった、弁護士になった……そのとたんに、人間として伸びなくなる人もいる。「人に尽くしていこう」という心をなくす人も多い。
 本当は、その時やっとスタートラインについたわけです。そういう人は「何になるか」だけを考えていて、「何をやるか」を考えていなかったのです。
 ―― ″自分は成績が悪いからダメだ″と思うのも、″自分はいい就職をしたから、もういいんだ″と思うのも、どちらも間違いだということですね。
 池田 そうです。人間は一生涯、自分自身の宝石を掘り出し、磨いていくべきです。学校時代にはあまりぱっとしなかった人が、社会に出てから、いろんな経験をするうちに、今まで掘り当てていなかった自分の鉱脈を発見する例は無数にある。
 だから就職は自分を発掘するための「スタート」であって、決して「ゴール」ではない。あせる必要はない。あせらず、休まず、へこたれずに、大切な自分の一生の坂を上っていくのです。
 将来の進路を、すでに決めている人は、執念をもって、目標へ突き進んでほしい。中途半端はいけない。執念をもってやった場合には、かりに失敗しても悔いがない。成功すれば、大きな花が咲く。いずれにせよ、次の道につながっていく。
 また、進路をまだ決めていない人は、「今やるべきこと」に全力を注ぐことです。そして、真剣に祈り、周囲ともよく相談し、もがきながら「自分の道」を見つけていくのです。
4  「限界まで努力する」習慣を
 ―― 「自分には才能がない」という人もいますが。
 池田 そんなことはない。問題は、そう決めつける自分の弱さです。
 「だれでも、何かの天才である」という言葉がある。音楽や文学やスポーツの天才だけが天才ではない。人と話す天才、友達をつくる天才、人を和やかにする天才、看護の天才、ジョークの天才、物を売る天才、節約の天才、時間を守る天才、忍耐の天才、地道の天才、優しさの天才、チャレンジの天才、楽観主義の天才、平和の天才、人を幸福にする天才……。
 「桜梅桃李」です。桜は桜、梅は梅です。自分らしく咲けばよいのです。自分の宝石、自分の天分が必ずある。それがわかるためには、どうすればいいか。
 限界まで努力するしかない。勉強でもスポーツでも何でも、限界まで全力疾走してはじめて、自分の力が引き出される。
 いちばん大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることなのです。ある意味で、結果は大した問題ではない。高校時代の成績等は、それ自体が人生を決めるのではない。ただ、「限界まで努力する」習慣が身についた人は、その後、何をやっても、その習慣を発揮して、必ず頭角を現すものです。自分の天分も光らせることができる。
 「人間は自分の夢以上にはなれない」ともいわれる。夢は大きくていい。そのうえで、夢は夢、現実は現実です。大きな夢を実現するためには、現実を冷静に見つめての「死にもの狂いの努力」が必要なのは当然です。戸田先生は「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と言われた。執念です。自分の宝石を光らせることは、なまやさしい努力ではできない。
5  官庁はいい、工場はつまらない!?
 ―― 高校生の職業像は、どうしても狭いようです。テレビを見ると「スーツを着て、携帯電話をもって、パソコンを打つような仕事がいい仕事」と思う。また「テレビタレントやミュージシャンになりたい」とか思う。
 「どういう職業がいい職業か」というのは、むずかしいですね。
 池田 就職に、あまりに悩む場合には、いちばん身近な、手っ取り早いところから上ってみることも考えてはどうだろうか。経験をしてみるということです。
 また、大手の会社や官庁がよくて、小さい工場がよくない、つまらない、というような考え方だけで就職をしても、現実はそうではない場合が多い。就職してみなければわからないことが多い。人間が千差万別であるように、会社も千差万別です。だから、自分が強く、賢く、どこへ行っても、そこで「すべてをマスターしていこう」「生活の力を勝ち取っていこう」「名より実を取っていこう」「自分を掘り下げていこう」という意識が大切です。そして、その場で「かけがえのない人」になっていくことです。
6  1番は鉄道技師、大統領は16番目
 池田 かって、創友会・鳳友会の合同総会(一九八九年五月四日)でも紹介したが、十九世紀、フランスの大統領が、ある大富豪の晩餐会に招待された。行ってみると、大統領の席順は、なんと十六番目だった。第一番の席は鉄道技師、二番目は文学者、三番目は化学の教授。
 来賓の一人が理由を聞くと、主人は答えた。「この席順は、実質的に偉い人の席順です。本当に偉い人とは、その人でなくてはならない、代理のできない人のことです」。つまり、一番目の技師は、世界一の技術をもった人だった。だれもその人の代わりができない。二番目も三番目も同様。しかし大統領は、ほかの人にもできる――というのです。(小原国芳編『例話大全集』多摩川大学出版部、参照)
 こういう話が伝えられていること自体、成熟した″大人の社会″を感じる。
 「虚名きょめい」ではなく、社会を「実質」において支える、そういう人になってもらいたい。また、そういう人を大切にする社会をつくってもらいたい。
 ともあれ人間は一生涯、生活をしていかなければならない。生活をしていくために職業がある。これが社会であり、現実です。どのような職業を選ぶかは本人の権利であり、自由です。だからといって、たくさんの職業の中には、それなりの学歴・力がなければ就職できないことも多い。
 家庭の事情や、自分の意志で、高校を卒業して就職をする人もいるだろうし、大学を出てから就職する人もいるだろう。家で家事のお手伝いをしたり、家の手伝いをする人もいるだろうし、官僚の道を目指したり、技術を習得しようとする人もいる。さまざまであるし、一切、自由です。
7  「好きで」「得で」「善である」仕事
 ―― そうしますと、「職業を選ぶ基準」というのは何になるのでしょうか。
 池田 石川啄木に、こんな歌がある。私も、若き日に「読書ノート」に記した歌です。
  「こころよく
   我にはたらく仕事あれ
   それを仕遂げて死なむと思ふ」(『一握の砂』)
 いわゆる「天職」です。しかし、なかなか、はじめからそういう天職に恵まれる人は少ない。両親をはじめ、周囲の意見と、自分の希望が違う場合もあるでしょう。では、どうすべきか。
 戸田先生は、職業を選ぶ基準は「価値論」にあると言われていた。価値論というのは、戸田先生の師匠の牧口先生(牧口常三郎創価学会初代会長)の哲学です。戸田先生は一生涯、師弟の道を貫かれた。
 少しむずかしいかもしれないが、価値とは「美・利・善」です。簡単に言えば、「美の価値」というのは、好きだということ。「利の価値」とは、得ということ。収入になって、生活ができるということです。「善の価値」とは、人の役に立つ、社会に貢献できるということです。
 戸田先生は「好きであり、得であり、善である仕事にたずさわるのが、だれびとにとっても理想といえる」と言われた。
 ―― それは、まったくその通りだと思います。
8  まず「なくてはならない人」に
 池田 しかし、はじめからそういう天職につける人は少ない。「好きだが、食べていけない」とか「得だが、好きではない」とか。それが現実でしょう。また、自分が好きで、求め、夢を描いていた職業が、「自分に向いている職業」ではなかったということもある。
 しかし、戸田先生は、まず、自分がいる場で「なくてはならない人」になれと言われた。自分の希望と違っても、それを嘆いているのではなく、その場で第一人者になれ、と。そうすれば、次の道が開ける。そして次もまた頑張る。これを繰り返していけば、最後に必ず「好きで、得で、善の仕事」につけるのだと。そして、その時、振り返ってみれば、それまで自分がやってきた努力が、全部、その天職の中に生かされていることがわかるだろう。何ひとつムダはなかったことがわかるのだと。これが妙法の偉大な功徳だよと教えられたのです。
9  「夢が変わってもいいのか」
 ―― 将来の夢が途中で変わったり、結果的に違う方向へ行ってもいいのでしょうか。
 池田 それはかまわない。今、社会で活躍している先輩も、はじめは、その道を目指してはいなかった人も少なくない。
 私も新聞記者になりたかったが、体が弱いこともあって、なれなかった。しかし今では、文だけはだれにも負けないようになれた。
 また、小さな雑誌の会社に就職したが、小さいがゆえに、苦労した分、実力をつけることができた。戦後勤めた蒲田工業会(昭和二十一年、大田区蒲田周辺の中小企業を振興するために設立されたもの)も小さかったが、苦労の中で、大いに自分を見つめることができた。全部、今に生かされています。
 大事なことは、その場で自分を磨くことです。主体性です。
 一度自分の決めた就職の場を、たやすく変更したり、いつも不安がったり、不満をもって生きるような自分であってはならないと思う。だからといって、その職業が「自分に合っている」「合っていない」を判断し、次の職業を決断することにも、決して反対はしない。問題なのは、主体性がなくなって、流されてしまうことです。
 社会に出れば戦いであり、勝負である。その時、そこで、生きていく宿命がある。一本の木も、一日二日で大木にはならない。いかなる成功者も、一年や二年で大成したわけではない。一事が万事です。
 「一芸に秀でよ」といわれる。その場で、信頼される人になることです。その場で光るのです。
 はじめは「嫌い」であっても、本当にその道に真剣になると、大好きになる場合もある。「好きこそ、ものの上手なれ」で、好きになれば天分も伸びる。そして、自分が「ここ」と決めた場合は、へこたれず、その道で後悔しない自分自身になっていくことが大切です。
10  厳しい社会へ――賢く勝ち抜け
 ―― 「とにかく、『有名な会社』に入りたい」という人もいますが。
 池田 それは自由です。大いに努力してほしいと思う。
 ただ、今、日本も不景気で、先行きは厳しい。そのうえ借金大国になってしまった。終身雇用制も崩れつつある。これまでの″有名″や、個人の学歴などは通用しなくなってきている。大きな会社でも、いつ、つぶれるかわからない時代だ。有名というだけでは、自分は守れない。そういう時代、社会なのです。
 では何が大事か。「実力」です。旺盛な知識欲、専門的能力、精神的な強さ、柔軟さといった、ありとあらゆる「力」を磨き抜くことです。
 大学を出た人も、それだけでは十分ではない。一生、勉強です。「どんな理想的な大学であっても、生涯に必要とする一割も大学で学べるものではない」と言った人もいます。
 また大学へ行かなかった人も、改めて大学へ行く人もいるだろうし、創価大学等の通信教育もある。「実力社会」を諸君は勝ち抜いていかねばならない。
11  「働かなくていいのは幸せ」?
 ―― 友人のなかには「できることなら、働きたくない」「きつい仕事、汚い仕事はいやだ。なるべく楽な仕事がいい」「すぐには働きたくないから大学へ行く」という考えの人もいるようですが。
 それとともに「仕事はいやだが、お金のためにしかたがない。そのお金でレジャーとか、楽しみを得るために仕事をする」という考え方です。
 池田 そういう考え方を否定するつもりはない。しかし、こんな言葉がある。ゴーリキーの劇曲「どん底」です。
 「働くことが楽しみなら、暮しはすばらしくなる! 働くことが義務になったら、一生奴隷ぐらしだよ!」(野崎韶夫訳、『世界文学全集』44所収、筑摩書房)と。一日の大半の時間を使う仕事をどうとらえるかで、人生は百八十度違うものになってしまう。
 アメリカの故ノートン教授(デラウェア大学)が語っておられた。
 多くの学生は、仕事は「お金のため」だけだと思っている。幸福とはお金で願望を満たすことだと思っている。しかし、欲望には限りがなく、どこまでいっても心は満たされない。本当の幸せは仕事の中にある。仕事を通して、自分をつくり、自分を満たし、自分の中にある自分だけの価値を引き出し、その価値を社会にも分かち与える。仕事は「価値創造(創価)の喜びのためにある」のだ(『創価教育学体系』英語版解説より要約)――と。
 その通りでしょう。「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」と言った人がいる。何かで人の役に立つ喜びです。自分を必要としてくれる場があることは人生の幸福です。たとえば、何も働かなくていい身分であっても、毎日ただ遊んでいるだけでは、人生は退屈で、空虚ではないだろうか。
12  「尊いお金」「邪なお金」
 ―― 「お金」よりも大切な何かが得られる……。
 池田 そうです。給料をもらっている限りは、働くのが当然です。仕事は、基本的に利害の契約だからです。
 しかし、給料だけに左右され、働かなくなるのは愚かなことです。まして諸君は若い。「自分は給料以上に働くぞ」というくらいでいいかもしれない。それが自分の修行になる。
 働いて給料を得る――正しい道で得たものは、金額に関係なく尊い。給料がいいにこしたことはないだろうが、同じ1万円でも、汗水流して得たものは、黄金の宝です。盗んだり、悪いことをして得たものは、糞か瓦礫のようなものだ。
 犯罪とか横領で得たお金は不浄です。また「悪銭身につかず」で、結局、幸福はない。有力官僚になっても、汚職で一生涯、罪人として苦しむ人もいる。
 心の映り方で、邪なお金にもなるし、尊いお金にもなる。心ひとつで、どうにでも変わる。
 結局のところ、いい人生、いい生活、いい家庭のために、懸命に働き、いい社会人として、その職場で悠々と賢く努力をして、その場で勝利していくことが、いちばん幸せであり、人生の勝利者です。
13  職場で「好かれる人」に「頼られる人」に
 ―― 「会社に入ったら人間関係は大丈夫だろうか、今から不安です」と心配している人もいます。
 池田 たしかに会社という社会の中では、同僚、上下関係で、賢く、仲良くしていかないといけない。自己中心だと嫌われ、排除され、会社・社会の敗北者となってしまう。
 「賢く生きる」ことが、仕事に生きるうえで、大事な要件なのです。日蓮大聖人も「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と仰せです。
 社会というのは、一面から見れば矛盾だらけです。汚いところもあるし、厳しいところもある。それを安易に考えて、自分が社会の落後者になってはならない。
 そうなってから、どんなに弁解しても、負けは負けです。うまく泳ぎきっていかなければならない。溺れてはならない。
 牧口先生は三種類の人間がいるといわれた。「いてもらいたい人」「いてもいなくても、どちらでもよい人」「いては困る人」
 君たちは「いてもらいたい人」になりなさい。職場で好かれる人に、頼られる人になることです。また職場の仕事に努力していくことを忘れてはならない。それが「本有常住」を説く仏法の信仰者の正しい生き方なのです。
14  全員が活躍を! 「活躍」こそ幸福
 ―― 多くの人からの質問ですが、「世界平和のための仕事、広宣流布のための仕事につきたい。どういう仕事がいいでしょうか」と。
 池田 人道のため、人権のため、また仏法に生き、人のために尽くすことを目指すのは立派な選択です。
 だからといって、「こういう職業につかなければ平和に貢献できない」ということはない。
 国連や青年海外協力隊でも、どんどん働いてほしいと思うが、一方、一主婦として、平和の行動を現実に積み重ねている人はたくさんいる。
 私がお会いした(一九九五年十二月)アルゼンチンの人権活動家・エスキベル博士は、彫刻家です。
 アメリカ公民権運動の母・パークスさんはデパートの店員でした。
 自分の仕事、自分の立場に誇りをもち、本当の自分に生きることが大事です。多くの歴史上の革命児は、革命の途上、命をおとしていったが、それも立派な仕事です。
 ともあれ、諸君には、ありとあらゆる世界で、ありとあらゆる分野で活躍してほしい。「活躍」こそ「幸福」の異名です。自分の天分を思う存分に発揮することです。ありったけの自分を輝かせて生きるのです。それが本当に「生きる」ということです。
 君たちが、それぞれの分野で「一流の人」になることが世界平和の道であり、それが「広宣流布」なのです。

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