Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

青春の戦い、青春の建設 今は「建設」の時!一生の土台を作れ

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

前後
 
2  みな、原点は10代
 池田 何事にも「時」がある。青春時代は建設期です。一生の軌道を大きく決める時です。だから大事なのです。
 今、あらゆるところで活躍している諸君の先輩たちの多くも、その原点は十代です。その例は何万、何十万とあるが、その一人に、メキシコの公認会計士になった方がいる。最近、手紙をいただいた。ご本人の了解を得たので紹介したい。
 「私は、先生がお作り下さった、高等部の第一期生でございます。大学卒業と同時に渡墨(=墨はメキシコのこと)し、今年で満二十五年になります。日本を出発する際には、両親と共に直接、先生より激励を賜りました。その時に次の三指針をいただきました。
 ―― 根性の人になりなさい。 ――努力の人になりなさい。 ――根無し草になってはいけない。この三指針は、私にとって生涯の、永遠の指針でございます」
 彼は神奈川の出身です。私が部旗を授与した、最初の高等部の部長の一人です。高等部時代に「将来、必ず世界に雄飛を」と決意した。大学ではスペイン語を徹底的に学んだ。来日したメキシコのSGI(創価学会インタナショナル)メンバーの通訳をしたことがきっかけになり、一九七一年、メキシコに留学をしたのです。
 実際、行ってみると、今まで習ったスペイン語が通じない。トラックへの荷物の積みおろしの仕事をしながら、夕方六時から現地の小学校に通い、スペイン語を学び直したそうです。七四年にメキシコ国立自治大学に入学。働きながらの勉学です。あまりのつらさに、一時は大学をやめようかと思った。しかし、「根性の人に」「努力の人に」と自分に言い聞かせて頑張り抜いた。そして、いくつもの山を越えて、日本人でただ一人、メキシコの公認会計士になったのです。
 現在、世界的な会計事務所に勤めながら、日本とメキシコの友好の橋渡し役として、活躍しています。大統領主催の交流の集いにも招待されたという。
 本当にうれしいことです。彼の原点も高校時代です。やはり高校時代の決意が大事なのです。
3  「現実とのギャップが大きすぎて…」
 ―― 「夢は大きいんだが、現実とのギャップが大きすぎて……」という人も多いかと思うんですが。
 池田 それでいいんです。戸田先生が言われていた。「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどいいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる」
 もちろん、何にも努力しなかったら、夢は夢で終わってしまう。夢と現実を結ぶ橋は「努力」です。努力する人は希望がわいてくる。希望とは、努力から生まれるのです。夢を大きくもって、走れるところまで走るのです。それが青春です。
4  自由奔放に「自分はこれで行こう」と進め!
 ―― 一方で、今の高校生は「大きな夢をもつ」というよりも、「普通に結婚して幸福な家庭をもちたい」「将来、何をするかわからないけど、ともかく『優しい人間』になりたい。それが夢です」というような人も多いようです。
 池田 そうだね。全部、自由です。全部、自分が決めることです。
 明治の初め、札幌農学校で教鞭をとったクラーク博士に「少年よ、大志を抱け」(Boys, be ambitious!)という有名な言葉がある。そこには、単に出世しろとか、偉くなれという意味はないでしょう。むしろ、″人間として、自由奔放に生きよ!″という呼びかけではないかと思う。
 型にはまるような生き方ではなく、人間として、どれだけ大きく羽ばたき、どれだけ多くの人々に尽くしていけるか。意義ある何かを残していけるか。つまり、充実した「これでよし」という人生を生きていかなければならないという意味が含まれていると思う。
 そのためには自分を鍛えることだ。強くなることだ。建設です。「幸福な家庭」といっても、幸福はだれかが与えてくれるものではない。自分が強くなった分だけしか、幸福はない。
 「優しい人」といっても、本当の優しさは強くなければ貫けない。薄っぺらな人間にだけはなってほしくない。人を外見で決めつけるような人間にだけはなってほしくない。大きな人間になってもらいたい。成績だけ、テレビゲームだけ、楽しいことだけという「小さい目先のこと」だけにとらわれてはいけない。「これで行こう」という将来の希望を目指し、希望をつくりながら生きていく喜びを知ってもらいたいのです。
5  目標がもてない
 ―― 「将来の希望がわからない」「目標をもてない」という人がいますが。
 池田 それでも、何かやることだ。往年の有名な陸上選手ザトペックは、毎日通勤する道でも、自分を鍛えた。
 息を止めて、どこまで行けるか――道沿いのポプラ並木を目安にして、「今日は四本目まで」「今度は五本目まで」と、距離を伸ばしていった。苦しくて、気を失いそうになりながら、そうやって挑戦を重ね、自分の能力を高めていったのです。(F・R・コジック『ザトペック――勝利への人間記録』南井慶二訳、朝日新聞社、参照)
 何かやる。何か始める。努力を重ねていくうちに、目標もはっきりしてくる。自分でなければできない自分の使命もわかってくるものです。
 たとえば何か一つ、自分の好きな分野、興味のもてることを伸ばすのも大切です。数学が優秀、英語が優秀、体育が優秀、クラブが優秀、友人づくりが優秀、ボランティアが優秀など、何か誇りをもてるもの、何か挑戦できるものをもつことだ。
 また、自分のことは、自分以上に周りがわかっている部分もある。勇気を出して相談すれば、思いがけず開けるものです。
 目標のない人は、目標を立てた人にかなわない。目標を立てるということは、その人自身が建設されていくのです。青春の戦いとは「自分をつくる」戦いです。「心を鍛える」「頭脳を鍛える」「体を鍛える」戦いなのです。
6  土台がなければビルは建たない
 池田 何事も土台が必要です。土台なくしては、どんな家も、どんなビルも建たない。人生も同じです。その土台を建設するのが青春時代です。
 ロマン・ロランは言いました。
 「ピラミッドは頂上から造られはしない」
 仏典にも一人の富豪の話があります。他人の家が三階建てで美しくそびえていたのを見て、うらやましくなった。大工さんを呼んで、同じような高楼がほしいと注文した。
 大工さんは承知して、まず土台を作り、あとで一階・二階を作り、それから三階を作ろうとした。
 しかし愚かな富豪は、それを見て、もどかしそうに言った。
 「私がほしいのは土台じゃないんだ。一階でも二階でもない。三階の高楼だけなんだ。早く三階を作れ」(仏教説話文学全集刊行会編『仏教説話文学全集』5,隆文館、参照)
 笑い話のようだが、人生で同じようなことをしている人は多いのです。
7  忍耐!忍耐!「あと五分」頑張った人が勝つ
 ―― 「『頑張ろう』と思って、決意はするが、どうしても長続きしない」という人もいます。
 池田 大丈夫。大ていの人はそうなんだ。それでも、「決意した」こと自体が、前へ進んでいる証拠です。「三日坊主」だって、何回も「三日坊主」を繰り返したらいい。何回も決意できる人が忍耐強い人です。
 また「あと五分、頑張る」ことが大事です。もうやめようかな、遊びたいな、と思う時に「あと五分」頑張る。五分間、よけいに努力した人が偉大なんです。この人が勝つ。これが人生なんです。
8  頭は使うほどよくなる
 ―― 「自分は頭がよくないから、将来は知れている」と思っている人もいるようなのですが。
 池田 私が戸田先生に、頭の良いのと悪いのと、どのくらいの差があるのかと、うかがったことがある。戸田先生は、そこにあった筆に墨をつけ、半紙にサッと一本の横線を書かれ、「この線の上と下くらいの差しかないよ」と、おっしゃった。皆、同じように脳を持っている。差など、ほとんどない。どのくらい「努力」をしたか。この二字によって決まる、と。今もって、その言葉が忘れられません。
 人間の脳細胞で、人が一生のうちに使うのは、多くても半分といわれる。なかには10%未満しか使っていないという学者もいます。人間は、だれでも脳を十分に使っていないのです。また人間の脳は、二十代までが成長期という人もいる。その意味でも、二十歳くらいまでに、どれだけ頭脳を鍛えたかが、大きく一生を決めてしまう。やはり十代が大事なのです。
 もちろん、成績で人生が決まるのではない。成績イコール幸・不幸につながるとは言えない。ただ、父母からいやな顔をされたり、友だちに下に見られたり、結婚した時に奥さん、または旦那さんがあなたの通信簿を見つけて、唖然となって離婚されないようにしたほうが得です。
 ともあれ、自分で自分を悪く決めつけてはいけない。人間の可能性というのは不思議なもので、自分は頭が悪いんだと決めつけると、本当に頭が動かなくなってしまう。「自分の頭脳は、ほとんど使っていないんだ。眠っているんだ。だから、努力すれば、いくらだって自分はできるんだ」と確信することです。事実、そうなのだから。
 頭は使えば使うほどよくなる。いわんや、お題目をあげて、努力し抜いていけば、青年に不可能はないのです。
9  「自分で自分をあきらめるな」
 ―― 「どうせ私なんか」「もう自分はダメなんじゃないか」との思いを告白されたことがあります。また、いろんなことで「一生、取り返しのつかない失敗をしてしまった」と人知れず苦しんでいる人もいると思います。
 池田 青春に、取り返しのつかないことなど絶対にない。むしろ、青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないことです。また、自分で自分をあきらめてしまうことです。
 過去は過去、未来は未来です。常に「さあ、きょうから!」「これから!」「今から!」「この瞬間から!」と未来を見つめて進むことです。これが日蓮大聖人の「本因妙」の仏法の真髄です。お題目の「心」なんです。
 人生は四十代、五十代にならないと勝敗はわからない。今、私は七十歳近くになり、過去を振り返り、人間の勝敗の模様が手にとるように見えている。決して目先だけで絶望したり、あせってはならない。後悔することがあっても、悩みがあっても、失敗があっても、未来は長いのです。いちいち、くよくよしたり、いちいち、やけになるような、そんな安っぽい自分になってはいけない。
 歴史に名を残した人を見ても、青春はさまざまです。たとえばイギリスの政治家チャーチルは″万年落第生″。ガンジーは目立たない生徒でした。内気で、気が弱く、話し下手。アインシュタインは劣等生。ただし数学だけは、ずば抜けてよかった。X線の発見者レントゲンは工芸学校を退学処分です。級友が起こした事件のぬれぎぬを着せられたのです。
 では、彼らの青春に共通することは何か。それは「自分で自分をあきらめなかった」ということでしょう。成績が悪かった人、いじめられた人、裏切られた人、失敗した人、病気や経済苦で悩んだ人のほうが、その分、人の心がわかる。人生の深さがわかる。だから「負けない」ことです。負けなければ、苦しんだ分だけ、将来、必ず大きな花が咲くのです。
10  人生は最後の数年間で決まる
 池田 自分を大切にしなくてはならない。社会の差別や、軽薄な風潮や矛盾に左右されては不幸だ。自分自身に生きていくことを忘れてはならない。
 戸田先生は「人生の最後の数年間に、どういう幸福感をもったかで人生は決まる」と厳しく言っておられた。若い時の調子のよさなどは問題ではない。また若い時の失敗なんか、いくらでも挽回できるのです。
 小学校の時にだめなら中学校で、中学校の時にだめなら高校で、高校でだめなら大学で、大学でだめなら社会で、社会に出てつまずいたら、四十代になったら、五十代になったら、七十代になったらと、常に大志を抱いていく。そして、今世でだめなら来世で、と永遠の生命へと達観した時に仏法となる。仏法は最高の大志なのです。
 たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。今がどうであれ、すばらしい未来が開けることを私は絶対に確信しています。
 倒れたって、そのたびに起きればいい。起きれば、また前に進める。若いのです。
 建設です。戦いです。今、これからです。今、何かを始めるのです。
11  「偉い人」とは「人間として」光る人
 池田 アメリカのポーリング博士(1910〜94年)とお会いした時、「頭のよくなる薬はありませんか」と聞いてみた。さすがの博士も一瞬、困ったような顔をされていた。
 ―― 「ビタミンC健康法」でも有名で、ノーベル賞を二つ(化学賞・平和賞)も取った博士ですから、何かいい答えがあったんでしょうか。
 池田 そう。だから「ビタミンCの効果は、よくわかりました。多くの人類のために、今度は『頭のよくなる薬』を発明していただけませんか」と頼んだのです。すると博士は、ちょっと考えて「やっぱり、それはむずかしい」と。
 「それは残念です」と言うと、「やはり自分で努力するしかないでしょう。自分で、うんと頭を使って、頭をしぼって、頭をいじめ抜いていけば、きっとすばらしい頭脳になります」と言われた。
 「私も、博士が正しいと思います」と、お答えしました。
 もしも「頭のよくなる薬」ができたら、それは麻薬のようなものだ。だれも努力しなくなる。そうなれば人間崩壊です。
 苦しまないと、人格はできない。自分らしく、どう努力するか、どう悩むか、どう苦しんでいるかで、人格が決まる。磨かれる。ダイヤモンドのように。
 自分らしく、自分が自分を鍛えるしかないんです。苦労するしかないんです。(=ポーリング博士と池田池田は対談集『「生命の世紀」への探求』(本全集第14巻収録)を発刊している〉
12  偉大な人は謙虚
 池田 ポーリング博士は人格も立派な方だった。あれほどの世界的有名人でありながら、いつもニコニコして、いばった感じなんか微塵もなかった。
 ―― 最初の会見(一九八七年二月)でも、池田先生にお会いするために、わざわざサンフランシスコから飛行機で創価大学ロス分校(当時)まで足を運ばれたんですね。
 「平和について語り合える人がいる。私は、どこへでも飛んでいく」と言って、千キロ近く離れた大学まで来られたというのは、すごいことですね。また池田先生へのすごい信頼ですね。
 池田 偉大な人は皆、謙虚です。いばるのは力がない証拠です。
 これまで私は世界中の何百人ものリーダーと会ってきましたが、実力とともに、人間としても立派な方が多かった。自分のエゴではなくて、″何か人類のために尽くそう″という、強い強い「心」が光っていました。「つるぎ」のように。
 ポーリング博士は、アメリカとソ連の冷戦のまっただなかで、「ソ連とも仲よくしなさい」と叫ばれた。「すべての核兵器に反対」と主張したから、アメリカからはソ連の味方と思われ、ソ連からはアメリカの味方と思われ、とくにアメリカ政府からは、さまざまな迫害にあいました。しかし博士は「私たちの敵はソ連でもなければ、アメリカでもない。私たちの本当の敵は戦争です」と、堂々と叫んだのです。
 これが有名な、広島での「ノー・モア・ウォー(No more war)」のスピーチです。(一九五九年八月十三日、東京・千代田公会堂で。「朝日新聞」同十四日付朝刊から)
 この時、博士は広島での核兵器反対の集会のために来日されたのです。
 ―― スケールが大きいですね。言われてみれば当たり前のようで、それを堂々と主張する勇気がすごいと思います。
 池田 「当たり前のこと」が大事なんです。それが、ちゃんとできないから、全部がおかしくなってしまう。
 ある著名人が言っていた。「戦争で勝った人の銅像は多いが、戦争に反対して殺されたり、牢に入ったりした人の銅像は、なぜ少ないのか」ここに人間の狂いがある。歴史の大きな間違いがある。
 「一人を殺せば殺人犯。百万人を殺せば英雄と言われる」という有名な言葉もあります。
13  「虚像」は見破れ! 「実像」に生きた人が幸福
 ―― だれが本当に偉い人なのか……むずかしいですね。
 池田 往々にして、人間は優秀のようであって、愚かな面がある。たとえば世の中の人は、地位の高い人が幸福だと思っている。有名人が偉いと思っている。財産を持っている人が立派だと思っている。全部、人間の愚かな錯覚です。だれが幸福な人か。だれが人間として立派か。だれが天と地に「正しい人」と認められているか。それは複雑です。外見なんか関係ありません。
 ―― 日本では、高校生の「理想とする人」の一位は「スポーツ選手」、二位は「マンガ、アニメの主人公」、三位は「タレントや歌手」と言われています(「日本経済新聞」一九九六年六月十六日付朝刊)。マスコミの影響が大きいことを感じます。
 池田 それはそれで時代の一面であるし、必ずしも否定はできない。「言論の自由」は人類が血涙で勝ちとってきた宝です。しかし、だからこそ、諸君は「真実」を鋭く見抜かなければならない。
 真実というものは、文字だけではわからない。悪い人を善い人のように書くこともできるし、善い人を悪い人のように書くこともできる。悪い時代を良い時代のように書いて、歴史をでっちあげることもできる。活字ではわからない。マスコミではわからない。つくられた「虚像」を信じて、流されたら、人間の世界の大きな不幸です。
 仏法の眼は、そうではない。法眼・仏眼で人を見る。わかりやすく言えば、その人の命そのもの、内面の境涯、心の世界を、ありのままに見るということです。社会的に有名でなくとも、マスコミ的に有名でなくとも、人生の幸福には、まったく関係ない。自分自身で、「実像」に生き抜いた人が尊い人生なのです。
 自分をいちばん、知っているのは自分です。他人の目は、感情で見たり、陥れの目で見たりする。わからない。だから仏法の眼で、自分を見つめながら生きることが大事なのです。「人間として自分はどうなのか」を見つめながら、生きていくのです。「あの人は、かっこいい」「あの人は有名人だ」。そんな虚像に左右されて自分を見失う薄っぺらな人間になってはならない。
 戸田先生は言われた。「青年の力とは、海辺で真っ裸で相撲をとって、強いかどうかのようなものだ。名誉や地位とかの武器をもって争うのは実力ではない」「一人の人間として、どれだけの力があるのか、人に貢献しようという根性があるのかだ」と。
14  「何のために学ぶのか」
 ―― 今の日本の価値観は「いい学校」に行って、「いい会社」に行くことがすべてというか、「人間として」という観点は、ほとんどないように思います。
 さらに経済至上主義のいき方に「エコノミック・アニマル」とか、「カネ、カネ、カネの日本」とも言われていますね。
 池田 しかし、それでは世界に通用しない。軽蔑されるだけです。
 有名な話だが、こんな話がある。ある日本のビジネスマンが南太平洋の島に行った。すると少年たちが、砂浜でのんびり寝ころがっていた。
 ビジネスマンは「昼間から、ぶらぶらしていないで、早く学校へ行って勉強しなさい」と言った。
 すると少年たちは「何のために学校へ行かないといけないの?」と。
 「学校へ行って、しっかり勉強して、いい成績をとるんだ」と言うと、「いい成績をとると、どうなるの?」と少年たちは聞く。
 「成績が良ければ、いい大学に入れるじゃないか」「いい大学へ行って、どうなるの?」
 「いい大学を卒業したら、いい会社に入れるし、いい役所にも入れる。給料も高くなるし、いい結婚もできるかもしれない」
 「それで?」「いいうちにも住めるし、楽しく暮らせる」
 「それから?」「定年まで、しっかり働いて、子どもも、いい学校に入れるんだ」
 「それから?」「それからは、もうどこかの暖かい所へ行って、毎日のんびり暮らすのさ」
 すると少年たちは、「そんなことなら、そんな先まで待たなくても、今、ぼくたちがやっていることだ」と。
 要するに、人生の目的が「楽に暮らす」ということなら、別に学歴もいらないし、あくせく勉強する必要ないじゃないかというのです。
 「何のために学ぶのか」「何のために生きるのか」「何のための、お金なのか」。いい学校へ、いい会社へと、先へ先へ追いかけていっても、それだけでは「幸福」はない。ただ安楽に暮らすためだけなら、必ずしもそんな苦労をする必要はない。
 しかし本当は、勉強は、有名な大学に行くためにあるのではありません。自分自身の頭脳と心を耕すためにある。自分自身が豊かな人間になって、「生きた証」を、この世に刻みつけるためにある。自分でしかできない自分の使命を果たすのです。不幸な人のために働くのです。そのためには「力」がいる。「人格」がいる。だから「努力したほうが得だよ」というのです。
15  「苦労は損」か
 ―― 「今が楽しければいいじゃない」と思っている人がいます。「苦労するのは損だ」と言う人もいます。
 池田 たしかに不必要な苦労はしなくてもいいかもしれない。しかし苦労を避けた分、その人は「私はこれをやったんだ!」という喜びも味わえないでしょう。
 私の青春時代の友人に、それは優秀で、皆の憧れの的のような人物がいた。しかし先日、ある友人からの便りで、その人物が「病気と家庭のトラブルで、みじめで生き地獄のような人生だった」とうかがい、驚いたのです。
 これは、なぜか。あまりにも若い時にもてはやされ、苦労と、人生の深さと、戦いを知らなかった。何でも自分の思うようになっていくと思い、自分を鍛えることを忘れ、また避けていた。そういう人生であったからでしょう。
16  時代は学歴社会から実力社会、人道社会へ
 ―― 「どうしても学校になじめない」とか「病気で療養している」ために、学校に行っていない人もいます。学校をやめた人もいますが……。
 池田 病気等、さまざまな理由で学校に行けない人もいるでしょう。しかし、長い人生から見れば、そのハンディは決して無駄ではない。人は人、自分は自分です。
 自分らしく、一歩でも二歩でも前に進めばいいんです。周囲の雑音なんか気にしないで、生き抜いた人が勝ちなのです。あきらめてはいけない。あきらめずに頑張っていけば、必ず、だれかが守ってくれます。
 希望を失ってはいけない。長い人生から見れば、二年や三年、学校に行けなくとも、大した問題ではないのです。
 また、さまざまな理由で、学校を中退する人もいるでしょう。私としては、高校は出てもらいたいし、できることならば、大学も出てもらいたい。通信教育や専門学校でもいい。大検(大学入学資格検定)もある。
 しかし、現実は、そうはいかない人もいるでしょう。私の知っている高校生も、どうしても学校がいやになり、自分の好きな職業に就いた。今では、上司からも大事にされるほど頑張っています。
 いわゆる「その道」で、生きがいを感じて頑張っている人も多い。それでいいと私は思う。大きく見れば、今までの「学歴社会」から「実力社会」へ、そして実力社会から「人道社会」へと時代は移っているのです。
 また、私の恩師は語っていた。
 「環境が整ったから勉強ができるのではない。電車の中でも、トイレの中でも、そこは教室である」と。
 大事なのは「力」をつけることです。人々に尽くす「心」を磨くことです。
17  「我が宝剣」を磨け!「私はこれで戦う!」と
 池田 「自分は、必ず最後は勝ってみせる」という決心をもった人は強い。
 人間には古来、自分自身しか持っていない「宝の剣」がある。その剣で悪を切り、善を守る。正義のために、常に磨きながら、その剣さえ持っていれば、一生涯、負けることはない。必ず勝てる。不思議の剣を自分自身の中に持っている。
 その剣は、自分自身の心です。決心です。仏法でも、妙法を信ずる「強き心」を仏界という。剣は、抜かなければ勝てない。磨かなければ錆びる。自分自身の剣を磨かず、抜かない人は、常に何かにおびえ、こそこそと人生を送っていくことになる。剣は心。剣は人格です。剣を磨くのは、勉学であり、友情であり、鍛えです。
18  迫害されている人こそ偉大
 池田 人を傷つける剣は、邪剣です。人を救う剣は宝剣です。
 私は、南ア(南アフリカ共和国)のマンデラ大統領と二度、お会いしました(一九九〇年十月、九七年七月)。二十七年半――一万日の投獄に耐え、残酷なアパルトヘイト(有色人種の隔離政策)を打ち破った「人権の巌窟王」です。
 長い間、ひどい差別が続いていた。黒人にとって、白人専用バスに乗るのは犯罪、白人専用の水飲み場を使うのは犯罪、白人専用の海岸を歩くのは犯罪、午後十一時以降に家の外にいるのは犯罪、失業しているのは犯罪、ある特定の地区に住むのは犯罪だった。黒人は「人間」として扱われていなかった。マンデラ氏は、いたる所で、何百もの侮蔑を見た。何百もの屈辱を味わった。
 「何ということだ」「人間は人間だ!人間を差別するなんて、絶対に許せない!」。この正義の怒りが、マンデラ氏の「宝剣」となったのです。
 「こんな狂った社会は、断じて変えてみせる!」と立ち上がったのです。そして地獄のような牢獄でも絶対に屈することなく、ついに三百四十年も続いた差別を打ち砕いたのです。迫害されている人が偉大なのです。バカにされ、踏みつけにされてきたマンデラ大統領は今、世界中から尊敬されています。
19  「諸君の成長と活躍こそ私の勝利」
 ―― 私たちも負けないで戦っていきます。人権を平気で踏みにじる日本を変えていきます。
 池田 私は言葉は信じない。行動をじっと見ています。
 さっき、スポーツ選手を理想としている人が多いと聞きましたが、ヘビー級ボクシングの有名なチャンピオンにジャック・デンプシーがいます。
 ―― 伝説的なハード・パンチャーですね。
 池田 彼がボクサーになろうと思ったのは、お母さんが汽車の車掌にいじめられたからだという。
 彼が八歳の時、お母さんと汽車に乗っていた。お母さんは病気だった。自分の分だけの汽車賃しか持っていなかった。車掌は、子どもの分も払わないと引きずりおろすという。病気なんです、許してくださいと何度頼んでも、規則は規則だと、どなられた。
 その時は、見かねた親切な人が助けてくれたようだが、ジャック少年は、その時、「大人になったら、絶対にお母さんに、こんなみじめな思いをさせないぞ」と誓ったのです。そして猛練習の結果、「世界一強い男」になった。(ジャック・デンプシー『拳聖デンプシーの生涯』田中昌太郎訳、ベースホール・マガジン社、参照)
 これも彼なりの「剣」です。「剣」を鍛え抜いたのです。
 正義の「宝剣」を持った人は、一生涯、多くの天人から守られるでしょう。「邪剣」を握った人は、必ず地獄の鎖につながれるでしょう。
 私も、諸君の活躍こそ私の勝利と決めています。諸君が人間として偉くなり、地域で社会で世界で、思う存分に活躍し、輝いていくことが、私の喜びなのです。
 それまで、どんないわれなき非難があろうと、そんなことは眼中にありません。
 「我が宝剣」を磨け! 「私は、必ず勝ってみせる」と立て!
 私は万感の思いをもって、諸君にそう叫んでおきます。

1
2