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日蓮大聖人・池田大作

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青春の悩み、青春の希望 目の前の山に登れ! あせらず、自分らしく

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

前後
 
1  ―― 「青春対話」、本当にありがとうございます。高等部員にとって、一生の宝になると思います。
 人生の長い経験をお持ちの池田先生から思うぞんぶん、私たちにかたっていただきたいと思います。
 池田 こちらこそ、よろしく。私も全力をあげます。本当のことを若い世代に語っておきたい。語り残しておきたい。それはなぜか。もはや私の願いは、二十一世紀の本当の指導者を育てる以外にないからです。世界のため、人類のため、広宣流布のため、平和のためには、真実の人間指導者をつくる以外に道はないし、それを全世界が待望しているんです。また、これが私の最大の喜びです。
 かつて戸田先生(戸田城聖創価学会第二代会長)が言われていた。「道を求めている純粋な青年たちに会うのがいちばん楽しい」と。私も同じです。二十一世紀、人類の最も大事な世紀に活躍する君たちに、私は最大に期待したい。勝利を祈りたい。君たちの成長と活躍が、すなわち広宣流布であり世界平和であるからです。
 ともあれ私は、高校生を決して子ども扱いしたくない。一個の立派な大人として、人格として尊敬しています。紳士とも思い、淑女とも思っています。
 だから、ありのままに、率直に語っていきます。今すぐに全部わからなくてもいい。納得できること、できないこと、両方あるかもしれない。それはそれでいい。自分のために、″何か″をくみとってくれればいい。
2  「あいつは、どこか違うな」と
 池田 ただ私は愛する諸君に、ともかく「悔いなき青春」を送ってもらいたい。大切な、一生の土台である十代に、悔いを残してはいけない。
 自分なりに、自分らしく、何でもいいから、自分はこれだけはやった、という満足感をもってもらいたい。掃除でもクラブでも、ボランティアでも、何かやった、何か頑張った。そこで「あいつは、どこか違うな」「あいつは偉いな」と言われる存在になってもらいたい。
 ―― はい。今の高校生の気質ですが、多くの人が「何かやりたい」と思いながら、何をやっていいのかわからない。あるいは、何もやりたいことがない。やりたいことがあっても、やる勇気がない。それで、そんな自分に腹をたてながら、何か悶々としている。そういう人が多いのではないかと思います。
 ある高校生から「今の学校では、勉強ができないと人間扱いされないんです」と聞いて、胸を突かれました。成績で何か全部、序列が決まってしまい、進学校に行けなかったりすると、それだけで人生の落後者みたいな気分になってしまう――そういう、もがきがあると思います。
 かと言って、成績がいいから、大きな「夢」をもっているかというと、そうでもなく、疲れきっている人が多い。ですから、どうすれば「自分らしく」生きられるのかというのは、大きな課題です。
3  悩みながら、ただ前に進もう
 池田 学歴主義の弊害です。「何のため」という根本を教えない。人間としての歩むべき「道」を教えない。それで、いたずらに若い人たちを苦しめている。本当に、憂うべき日本になってしまった。
 しかし、それでは、じゃあ、どうするのか。社会を恨み、学校を恨み、親を恨み、自分を恨んで、それで自分が満足できるのか。そうではないでしょう。かけがえのない自分です。自分で自分をくさらせてはいけない。
 ある意味で、どんな時代にも、深刻な苦しみはある。どんな時代にも青春は、悩みとの葛藤です。また、勉強のことだけではない。家族のこと、健康や容姿のこと、異性のこと、友人のこと、いろんな悩みがある。苦しみもある。不安もある。悔しさもある。悲しみもある。あらゆる悩みとの戦いが青春時代です。
 そのなかで、もがきながら、暗雲をかきわけ、太陽に向かっていこう、希望に向かっていこう。この力が青春です。悩みや、失敗や、後悔があるのは当たり前です。大事なのは、それらに負けないことだ。悩みながら、苦しみながら、前へ前へ進むことです。
 ―― わかりました。
 池田 道に迷った。海に出るには、どうするか。どの道でもいいから前へ進めばいい。そうすれば川に出る。川筋をたどっていけば、いつか必ず海へ出る。
 前へ進むことです。もがきながら、題目をあげ、一ミリでも二ミリでもいいから、何か前へ進む。そうやって生き抜いていけば、あとで振り返って、ジャングルを抜けたことがわかる。
 そして、苦しんだ分だけ、悲しんだ分だけ、題目をあげた分だけ、深い人生となっている。それが二十一世紀の指導者となるための栄養となっているのです。
 たとえば、自分が学歴主義、点数主義で苦しんだ。だから自分が将来、そうではない本物の教育をしていこう。一人一人が希望をもてる教育をしていこう。
 こう決意して、立ち上がれば、その人が二十一世紀の指導者です。
4  21世紀の指導者とは苦しんでいる人の味方
 池田 勉強は当然、大事です。しかし高校の成績で一生が決まるものではない。努力で決まる。正しく歩んでいるかどうかで決まる。人と比べてどうかではありません。きのうの自分と比べてどうか。一歩でも進んでいれば勝利です。
 ある著名人が、自分の息子に「成績は中でよい。人物は大になってくれ」と言っていたそうだ。
 偉い人とは、学歴や社会的地位で決まるものでは絶対にない。いくら有名大学を出ても犯罪者になる人もいる。また、エリートは一部分、おごっているものです。いわゆる「エリート」ではなく、「リーダー」を私は育てたいのです。
 悩める人、苦しんでいる人、不幸の人の味方になれる人が偉い人です。それが「新世紀の指導者」です。
 現実の今の社会は、不幸の人を足げにし、バカにし、片隅に置き、のけものにする。今の多くの指導者はそうです。とんでもない間違いです。そういう不幸の人を救うための勉強です、本当は。それを下に見て、ますます苦しめている。こんな残酷な、傲慢な、無慈悲な、卑怯な世の中はない。これを、どうしても変えたい。そのために私は戦っているんです。
 この心を知ってもらいたい。そして、後に続いてほしいのです。
5  他人の評価なんか、くつがえせ!
 ―― 「今の学校が、自分の行きたかった学校とは違う」ということで、落ちこんでいる人もいるのですが。
 池田 それは、一面は残念かもしれないけれども、「学ぶ」という本質から見るならば、また長い目で見るならば、有名校とか、無名校とかは関係ない。
 私も夜学です。戦後の混乱期で、お金もなく、働きながら勉強した。当時はつらかったが、今は誇りになっています。
 そのあと、戸田先生は、私に個人教授をしてくださった。先生が知っておられることを全部、私にそそいでくださった。「良い学校に行けない人たちの希望になれ」というお心だったのです。
 いちばん大変なところから立ち上がって一流になるのが、多くの民衆の希望となる。学歴主義だけでは割りきれないものがあることを忘れないでもらいたい。
 ともかく、現実にその学校にいる以上、世間の評価がどうあれ、自分がいるところがいちばんいいところなんだ、自分がいるところが最高の″学びの場″なんだと決めることです。そう決めたほうが得です。一時の他人の評価によって、自信を失っていくなんて、愚かです。十代の君たちは、これから、いくらでも無限の可能性が開けているんです。
 ―― やはり、大学を目指して進んだほうがいいのでしょうか。
 池田 理想的には、大学に進学することに大賛成です。そのほうが、実力をつけやすい環境になるし、より大勢の人に貢献していくうえで役に立つ場合が多いからです。
6  「学ばずは卑し」
 池田 しかし、自分の道を行くことも自由です。何かに自分の道を見いだし、使命を感じていけば、それも当然でしょう。大事なのは親に心配をかけないことです。そして、「自分はこれでいくんだ」という、自分らしい夢をもって、挑戦していってもらいたい。
 勉強は、大学に行くためだけにあるのではない。自分を豊かにするためにある。「学ばずは卑し」という言葉があるが、人間の人間らしさというものは、「学ぶ」ところにある。しかも今は、高度な情報社会です。一生涯、常に学んでいかなければ、すぐに遅れてしまう。一生涯、勉強。一生涯、学ぶ。これが、これからの指導者の要件です。
 今の世の中の行きづまりは、じつは指導者自身の行きづまりにある。「学ばない」からです。たとえば、若い世代の意見を、じっくり聞いて学ぶ。学んだら実行する。そういうゆとりというか、幅というか、人間としての度量がなくなっている。
 十代の今こそ、一生涯にわたる「学び」のエネルギーを蓄える時です。頭脳の鍛錬の土台づくりである。だから「人と比べてどうかではない。自分らしく、精いっぱいに、学びに学べ」「バカにされても、悔しい思いをしても、へこたれないで進め」と重ねて言っておきたい。そういう「心」のある人は、もう半分、勝っているのです。
7  「自体顕照」とは
 池田 自分は自分らしく生き抜くところに、自分としての価値が光る。
 仏法では「自体顕照」と説く。自らの体を、本来の自分を顕現させる。顕し、輝かせていく。そして周囲を照らしていく。これが最高の「個性」であり、「独創性」です。
 ―― 「ウサギとカメ」の話がありますが、ウサギの人もいるし、カメの人もいると思うんです。だけど最後は、あせらず、休まず、歩みきった人が勝つと思います。
 ゴールに向かって、自分で自分を、あきらめないことですね。
 アトランタ・オリンピック(一九九六年七・八月開催)の男子マラソンの最終走者は、アフガニスタンの高校生でした。
 「僕の目的は、一位や二位になることじゃない。アトランタへ来て走ることだった」「途中でやめようなんて思わなかった。(中略)アフガニスタンでも、人々がちゃんと生きていることを見せたかったんだ」(「朝日新聞」一九九六年八月五日付夕刊)と。
 戦火に荒廃した祖国の人たちのために走り抜いた彼の姿は感動的でした。
8  君には絶対に君だけの使命がある
 池田 大事なのは「じっとこらえて今に見ろ」の精神です。青春は、あせってはならない。君たちの人間としての真価が問われるのは十年後、二十年後、三十年後です。その時にどうかです。その時に使命を果たしたかどうかです。
 すべての人に、自分でなければできない、自分の使命がある。使命がなければ生まれてきません。
 世界には、たくさんの山がある。高い山、低い山。世界には、たくさんの川がある。長い川、短い川。しかし、みな山であり、みな川であることに違いはない。
 穏やかな万葉の奈良の山もあれば、勇壮な阿蘇がある。壮大な白雪のヒマラヤもあります。それぞれに美しいし、味がある。川も、鮭の故郷・石狩川もあれば、詩情の千曲川もある。対岸が見えない大黄河があり、アマゾン川がある。その川にしかない魅力がある。
 人間も、それぞれの使命があって存在するのです。いわんや若くして、妙法に縁した君たちです。君には君でなければできない、君の使命がある。必ずある。そう確信し、誇りをもってもらいたい。
9  使命がわかるには
 ―― 自分の使命をわかるには、どうしたらいいのでしょうか。
 池田 じっとしていたのではわからない。何でもいい、何かに挑戦することです。その努力の積み重ねのなかから、自然に方向性が決まってくるものです。だから、今、自分がやるべきことは何なのか、それを避けてはいけない。
 「目の前の山を登れ」ということです。山に登れば、ともかく足は鍛えられる。鍛えられた分、次のもっと大きい山に挑戦できる。この繰り返しです。そのための生命力を自分の中から、わきたたせていくのが唱題です。
 題目をあげて、「目の前の山に登れ」。登った山頂から、もっと広い人生が見えてくる。自分だけの使命も、だんだんと、わかってくるのです。
 「使命があるんだ」ということを忘れない人は、強い。どんな悩みがあっても、負けない。悩みを全部、希望へのエネルギーに変えていけるのです。
 ―― 「だれにでも使命がある」。そして使命を果たすために、まず「目の前の山を登れ」ということですね。
 池田 人生というのは、山を越え、また山を越え、また次の山を越え、そしていちばん高い山を越えた人が勝利者となる。逆に、山に登るのを避けて、谷へ谷へと、低いほうに降りていく人は、人生の敗者となる。
 山に登るか、谷に降りるか、極端に言えば人生は二通りです。なかには、山に登る途中で、同じ所をぐるぐる回っている人もいるが――。
10  「家が貧乏で恥ずかしい」
 池田 たとえば、家が貧しくて、学校の月謝が思うように払えない人もいるかもしれない。ほしい物が買えず、寂しい思いをしている人もいるかもしれない。
 しかし、過去の多くの人たちがそうだったのです。貧しいことは、ひとつも恥ではない。よこしまに生きることが恥です。心が貧しいことが恥ずかしいことなのです。
 大邸宅に生まれたから幸福か。貧しい家に生まれたから不幸か。そんなことは絶対に言えない。今の人は、お金があれば幸せと思っている人が多い。大きな間違いです。財産と幸・不幸は、まったく別の問題です。裕福で、だれもが、うらやむような家庭でも、外から見たのではわからない深刻な悩みがあるものです。
 以前、世界的に有名な財界人と語り合った。彼は、こう言っていた。
 「自分は有名になり、財産もできた。しかし、貧乏の時のほうが生きがいがあり、目標があり、人生に戦いがあった」と。そして「だからこそ今、人々に貢献していかなければならないと、最近わかってきた」と語っていた。重みのある話です。
11  「大きな人間」になれる人とは
 池田 親が貧しいから、親が無学だから、夫婦げんかがあるから――「だから自分は不幸だ」。そうではない。「だからこそ、人間らしい世界であり、人間らしい自分になれるのだ」。こう思ってもらいたい。
 立派そうなうちに生まれたら、理想的に思えるかもしれないが、形式ぶった、しきたりや伝統や見栄に縛られた、機械のような世界では、本当の人間らしい生き方はできないでしょう。
 親の夫婦げんかを見ても、自分が怒られても、人にばかにされることがあっても、にっこり笑って、全部、自分を、人間として「大きな人間」にしてくれているんだ、自分の「大きな心」をつくってくれているんだ、と思うことです。そういう苦しい思いをしてこそ、人の気持ちもわかるのです。
 人の気持ちがわからない人は、本当のリーダーにはなれない。今の社会の不幸は、人の気持ちがわからない指導者が多すぎることです。悲しみと苦痛が、自分という大地を耕してくれる。そこから「人を幸福にしたい」という美しい心の花が咲くのです。
12  「お母さん、ほっといてよ!」
 ―― たしかに家庭のことで悩んでいる人は、すごく多いと思います。
 「お母さんが、あまりにも口うるさいので、腹が立って、ほとんど口をきかない」という人もいます。もちろん、お母さんと仲がよくて、何でも話せる人もいますが……。私も、進路のことや、生活上のことで、よく母と口げんかし、「自分の思い通りにさせてほしい。ほっといてよ!」と思ったことがある人が多いのではないでしょうか。
 池田 母親というのは、うるさいものなんだ(笑い)。母親が口うるさくなかったら、「他人」になってしまう。母親が「勉強しなさい」とか、「いつもテレビばっかり見て!」とか、「朝寝坊するな」とか言うのは、大昔から決まっていることです。それを変えようと思っても、しかたがない。自分が親になれば、親の気持ちもわかってくるでしょう。
 だから、うるさく言われたら、「大声が出るのは元気な証拠だ。よかった」(笑い)、「あれが愛情の表現なんだ。ありがたいな」と、おおらかに受けとめたら、どうだろうか。それができないうちは、精神的に子どもと言われても、しかたがないのではないだろうか。どんな動物でも、親から餌の食べ方や、獲物の捕り方、生き方、知恵を授かっている。いわんや人間です。いろいろ言ってくれるから、正しい方向に行くことができる。それは大人になってから、わかることだ。
13  親に気持ちがわかる人が大人
 池田 昔、聞いた話の中に、ある青年が父とけんかして、しょげかえって道に座っていた。そこに、知り合いの男の人が来て言った。
 「わしが十八の頃も、おやじから、本当に、つまんないことばっかり言われたものさ。いやになっちゃったよ。ところが十年たつと、おやじの言うことが全部、すばらしいんだ。その通りだって思えるのさ。わしは思ったもんだよ。『いつのまに、おやじは、こんなに成長したんだろう』ってね」
 もちろん、おやじさんの言うことが変わったんじゃない。聞くほうの耳が変わったのです。自分のほうが成長したのです。それをユーモラスに話して、青年を励ましたわけです。自分の親の気持ちも理解できないようでは、多くの人を幸福にしていくことはできない。
 青年は、親孝行であってもらいたい。将来、偉くなって、母を大切にし、世界一、幸せにしてみせるという決心をもってもらいたい。父親は放っておいてもいいというわけではないが。
 また、親とけんかしないように知恵を働かせることだ。夫婦げんかで忙しいのに、そこに子どもが入って、「三つどもえ」になっては不幸です。
14  自分が太陽になれ! 悩みをうち破れ!
 ―― 「親がうるさい」というのは、片親の人などから見れば、ある意味で、ぜいたくな悩みに見えるかもしれません。
 池田 そう。若くして父親がいない人もいる。母親がいない人もいる。両親ともいない人もいます。そういう人は、自分は寂しいと感じているかもしれない。両親がいる人を、うらやましいと思うかもしれない。
 しかし、百年後には、今いる人類は、ほとんど、だれもいなくなるのです。だれでも、いつかは親と別れなければいけない。
 また、親が病気の人もいるでしょう。父親が商売を失敗して苦悩の生活の人もいる。何も悪いことをしていないのに、非難された人もいるでしょう。しかし、すべてのハンディは、自分が強く生きていくうえでの糧になる。苦しみや、悲しみがあるほど、「そのぶん、より以上に幸福になるのだ」「自分が一家の柱になっていこう」と、自分に、けなげに言い聞かせて生きるのです。それが仏法です。親がいないとか、病気とか、そういう人のなかから、偉い人が出てくるものです。
 親がいたら幸せか。そうも言えない。子を殺す親もいる。子が親を殺す事件もある。表面の形で決まるものでは絶対にない。
 ともかく「自分が太陽になる」ことです。そうすれば、すべての闇は消える。亡くなった、お父さん、お母さんをも、題目の光で救っていけます。いわんや生きている親を幸福にできないわけがない。自分です。親ではない。何があっても、「私は太陽なんだ」と、悠然と生きるのです。もちろん、太陽といっても、曇りの日もある。しかし曇っていても、太陽は太陽だ。人間も、苦しんでいても、心は輝きを失ってはならない。
 ―― ある高等部員は、母子家庭です。しかも母親が更年期障害で思うように動けなくなった。姉も病気で入院してしまった。親戚はいるが、遠い。そんななか、男子部の担当者の励ましを支えに、懸命に題目をあげ、家の手伝いと姉の看病をやり抜き、勉強にもがんばっています。
15  「無名の英雄」が学会をつくった
 池田 偉いね。人より苦労したぶん、その人は、人生の大きな山を先に越えているんです。そういう人こそ、「二十一世紀の指導者」になれる人です。
 また、担当者の「二十一世紀使命会」(未来部担当者の会)の方々を、私は最大にたたえたい。最大に敬意を表します。
 どんな有名人よりも、華やかな立場の人よりも、未来部のために、陰で支えてくださっている方々が尊いのです。高等部の諸君も、そういう先輩を尊敬できる人になってもらいたい。
 創価学会は、そういう人たちがつくったのです。愚直のような先輩たちや両親であるかもしれない。しかし、その人たちが、人のため、社会のため、平和のために何十年も活動してきたから、今の世界的な創価学会がある。その無名の英雄を、日蓮大聖人は菩薩と言って、たたえておられる。
 社会的に成功し、名声を得ることは、一つの現象としては良いことです。しかし、無名であっても、人々のために尽くす人生が尊い。自分自身で「だれも評価はしてくれないが、自分は満足した」と言える自分をつくれた人が、本当の大勝利者なのです。諸君は、そういう「本質」を見抜ける人であってもらいたい。
16  今がどうあれ、人生の勝負は一生で決まる
 ―― 「親が家を出ていってしまった」とか、家にいたとしても「自分のことなんか愛していない。親は親で勝手にやっている」と訴える人もいますが。
 池田 それぞれの家庭に、それぞれの事情があると思う。本人にしかわからない苦しみがあるでしょう。ただ、一つ言えることは、どんな親であっても、親は親です。親がいなければ自分は存在しない。この一点だけでも、重大な意味があることを理解しなければならない。
 どうして自分は、この家に生まれてきたんだろう。どうして、ほかの人のように、もっと両親が優しいうちじゃなかったんだろう。どうして、もっと立派な家で、もっといい家族に恵まれて生まれてこなかったんだろう。こんな家なんか出たい。そう思う人もいるかもしれない。しかし、自分は、この地球上の、この地の、この家に生まれてきた。ほかの、どの家にも生まれなかった。そこにすべての「ありとあらゆる意味」が含まれている。仏法に偶然はない。必ず意味がある。だから、「ありとあらゆる宝」を自分は与えられたと思うべきです。
 どんなに苦しくても、自分は今、「生きている」。生命以上の宝はありません。まして諸君は若い。若き生命という宇宙でいちばんの財宝を授かっているのです。その宝を、やけになって自分で壊したり、ゆがめてはいけない。
 ―― 「自分が太陽になる」……そのためには、どうしたらいいのでしょうか。
 池田 決して特別のことではない。自分らしく、少しずつでもいい、毎日、題目をあげていくことが根本です。題目をあげれば、生命に太陽が昇り始めるのです。そして、太陽が毎日、昇るように、お母さんが毎日、食事を作ってくれるように、何とか努力をしていこう、勉強していこう、学校へ行こうという気持ちが大事です。ここに一つの大切な教育がある。
 自分がすべきことを放棄することは負けです。放棄してはいけない。太陽は毎日、昇る。曇りの日も、嵐の日も、冬でも夏でも、太陽は毎日、繰り返し昇る。それが宇宙の法則です。道理です。人生も毎日を生き抜いていかなければならない。それが道理です。その繰り返しに耐えられた人が勝つ。今がどうであれ、人生の勝負は一生で決まるのです。野球も、九回が終わってから決まる。何でも勝負は終わるまでわからないものだ。初めでは決まらない。英語にも「最後に笑う者がいちばんよく笑う(He laughs best who laughs last)」という、ことわざがある。
17  人に頼るな、人のせいにするな
 池田 だから、苦しみながら前へ前へ進むことです。前にもお話をさせていただいたことがあるが、かつて『私の人生観』(本全集第一八巻収録)を執筆した時のことです。
 昭和四十五年(一九七〇年)ごろで、当時、学会は嵐の中にあった。私自身も肺炎をわずらい、三八、九度の高熱に苦しんだ。しかし、そのなかでも、何があっても、毎日、原稿を書いた。アイスノンを頭に巻きながら、一枚一枚書いていった。
 ある人が言った。「どうして、そんなに苦しいのに書くのですか」
 「いや一枚でも書けば、一枚書いたことになる。二枚書けば二枚書いたことになる。何も書かなければ何も進まない。少しでも前進しなくてはならないし、挑戦しなくてはならない。一日のうちに何かやっておきたいんだ」と言って、一枚書くと一本線を引き、二枚書くとまた一本線を引き、「正」の字で記録していった。そうやって原稿を完成させた思い出は忘れられない。「正」の字を記録した紙は、我が家の宝として、長男に渡しました。
 要するに、「負けない」ことだ。「自分が強くなる」ことだ。人に頼る根性、人に責任を押しつける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分です。
 どんな悩みがあっても、それをバネにし、じっと我慢し、こらえて、「今に見ろ」と自分を励まして進むのです。行くべき自分の軌道を、黙々と、忍耐強く進んでいくのです。
 君が「太陽」なのです。あなたが「太陽」なのです。まず、そう決めることです。自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない。「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。

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