Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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生命の勝利の王道 (第30回)

2009.11.8 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし
2  恩師・戸田城聖先生は、私に語られました。
 「創価学会は、間違いなく、思想界の王者になる。
 妙法の大地から、社会のあらゆる分野に、真に優れた人物を送り出すことができる。
 その一人一人の偉大な人間革命が、新しい世紀における人類社会に偉大な貢献をすることになる」
 まさしく創価学会は、哲学界の王者であり、思想界の王者であります。哲学界・思想界の王者であるとは、試練の時代であればあるほど、偉大な希望の光を放って、社会を照らしゆく人材を送り出すということです。
 本当に、この通りの創価学会になりました。自他共の幸福を願い、「人間のための社会」を築きゆく学会員の活躍が、世界の各界から賞讃されております。
 日蓮大聖人は、一切経の王である法華経について、「「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」と仰せになられました。
 ──法華経は、地を走る者の王である師子王の如くである。また、空を飛ぶ者の王である鷲の如くである。なんと力強い、妙法最第一の御確信でありましょうか。
 この御文は、弘安元年(1278年)の7月、佐渡の女性リーダーである千日尼に宛てて記された御返事の一節です。
 法華経は「経王」──諸経の中の王者であると言われます。それはなぜか。一切経の中でも、法華経のみが全民衆の成仏を完璧に説き切っているからです。
 「皆成仏道」が明かされた法華経こそ、万人の生命から無上の可能性を開き、幸福へリードする「希望の経典」です。
 「広宣流布」が示された法華経こそ、生命の尊厳を確立し、理想の世界の建設へ民衆を結合する「平和の経典」です。
 「師弟不二」が説かれた法華経こそ、青年を地涌の使命に目覚めさせ、人類を永遠に繁栄させゆく「勝利の経典」です。
 法華経には、師子王である仏の慈悲と智慧の大境涯が、そのまま留められているのです。
 この妙法を持ち行ずる人は、師子王が大地を駆けめぐる如く、人生と社会の王道を、威風も堂々と前進できる。大鷲が天空を舞う如く、一切を見下ろしながら、正義と栄光の軌道を悠然と上昇していけるのです。
 人間の偉大さは、何によって決まるか。権力でもなければ、名声でもない。財産でもなければ、肩書でもない。
 戸田先生は言われました。
 「広宣流布の闘士は、人間の大王である。この気概と誉れを持ち続けるのだ」
 創価学会は、妙法を世界192カ国・地域に広宣流布してきました。
 大聖人の大慈大悲に直結して、人類救済の大目的に進んでいる仏意仏勅の不思議なる団体が、学会です。地涌の菩薩の教団であり、仏そのものの陣列であります。
 ゆえに戸田先生は、こうも叫ばれました。
 「自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない。もったいなくも、御本仏と同じ生命を抱いている自分自身に誇りを持ちなさい。気高い心で人生を勝ち抜くことです」
 仏は、万人がこうべを上げて胸を張って生きる道を開き示されました。仏に等しい自分を卑下することは、仏を卑下することにも通じてしまう。
 大聖人は、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」とも教えてくださっております。
 この題目を唱え弘めゆく自分自身の生命が、いかに尊極であるか。その大歓喜の自覚をもって、わが使命の人生を断固として強く強く生き抜いていくことです。少々のことがあろうとも、「いまだこりず候」との御聖訓を拝し、いやまして勇猛精進していくのです。
3  大難に奮い立て!
 古来、法華経を読んだ人は多かった。しかし、大聖人ほど、法華経に説かれている通りに、大難を受けられた方はおりません。
 御書には、「法華経を持《たも》ち実践しているといっても、実際に敵が出現していないのであれば、仏の言葉は虚妄になってしまう」(御書386㌻、趣意)とも綴られています。
 仏法を語れば必ず難にあう。悪世の中で、真実を語り抜くほどの難事はありません。
 大聖人は、千日尼を励まされました。
 「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ
 正法を語って悪口罵詈されることは、最高の名誉である。仏法のために、嫌な思いをした分だけ、すべて功徳に変わる。勇気をもって正義を語り抜くことこそ、「如説修行」の実践であると示されているのです。
 生命は永遠であり、妙法の力用は宇宙大です。この世の非難中傷など、あまりにも小さな波にすぎない。そう心に決めた大勇の信心が、無量無辺の大福運となって、わが生命を、一家眷属を、三世永遠の幸福と栄光で包んでいく。これが仏法の因果の理法であります。
 戸田先生も、「何があろうと、広宣流布のためには、びくともしない人間となれ!」と教えられました。
  師子王の
   雄叫び聞いて
      奮い起つ
   広布の旅の
     子等ぞ勇まし
 昭和30年(1955年)の11月、恩師は私にこの和歌を贈ってくださいました。
 「師子王の子は師子王となる」と仰せの如く、師の雄叫びを聞くや、弟子は瞬時にして奮い立つ。この師弟の大精神が貫かれてこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなるのです。
4  堂々と師弟を叫べ
 威風堂々と王者の風格で進む。これが、草創以来、変わらない、学会精神の真髄です。
 戸田先生は、こう語られた。「日本国を救おうというわれわれなのだから、われわれの精神は師子王の如く誇りをもっていてもいいのです。そうしたら仏になれる」
 信心の世界は、世間の評価でも、役職でもありません。他人と比較するものでもありません。「ただ心こそ大切なれ」であります。
 昭和26年の3月31日、私は日記に記しました。
 「信念も、基準もなく、批判のみしている人が、賢明に見える社会である。信念、基準を持てる人は、一往、受け身になるようなれど、結局は強く、幸福であることを忘れてはいけぬ。
 理念を持し、進む者は強し。王者の帆に打ちあたる風波は、一番強烈なのだ。恐るるな。恐るるな」
 当時は、断崖絶壁の事業の苦境を、戸田先生とともに勝ち越えた頃です。この時、私は戸田先生の会長推戴へ、着実に一つ一つ手を打っておりました。
 長い人生です。思うようにいかない時もあるかもしれません。しかし、その苦難に負けない「勝利への執念」があれば、必ず、明るい未来が待っているのです。私たちには、世界最高の哲学と、一切を「変毒為薬」できる信心があるからです。
 強き祈りと行動は、すべて御本尊に通じ、諸天善神を揺り動かしていきます。なかんずく、リーダーは勇気凛々と声を挙げていくことです。師子王の心で語り切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏の陣営の威光勢力が増し、魔軍は退散するのです。
 「私は、世界に二人とない大指導者・戸田城聖先生の弟子だ」
 私は、師匠の偉大さ、真実の姿を、広宣流布のために言い切ってきました。何度も何度も繰り返し、繰り返し語り抜いてきました。それが折伏精神であり、広宣流布だからです。
 「声仏事を為す」ゆえに、どんどん言っていくのです。沈黙を始めれば、正義は闇の中に入ってしまう。真実を叫び切っていく勇気が、勝利の波動を起こしていくのです。
 恩師は、よく言われました。「我々は、自分で仏法を体験し、真実の学会を知っているんだから、誰よりも強いに決まっている」と。
 その確信の対話の原点が、座談会であります。今、世界中の心ある識者が、創価の大座談会運動に注目し、讃嘆してくださっております。この座談会を軸として、我らは、戸田先生が宣言なされた「宗教界の王者」として、生命の勝利の王道を、一段と晴れ晴れと大行進してまいりたい。
 わが創価の友よ、今こそ、地走る者の王たる師子王の如く、空飛ぶ者の王たる鷲の如く、勝ち進もうではないか!
  君たちも
   私も同じく
    師子奮迅
   栄光大道
     歩む嬉しさ

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