Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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三世の勝利劇 (第22・23回)

2009.8.13 「御書と師弟」

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1  御聖訓「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
2  はじめに、このたびの台風九号で被災された兵庫、岡山、香川、徳島はじめ各地の皆様、また地震に遭われた静岡の皆様方に、心よりお見舞いを申し上げます。
 さらに、毎日毎日、真心をこめて聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の皆様方に、あらためて深く感謝申し上げます。尊き皆様の絶対無事故とご健康を、日々、真剣に祈っております。
3  恩師と出会い62年
 仏法の師弟は永遠不滅です。私は「月月・日日に」、恩師・戸田城聖先生と前進しています。
 師弟は一体です。同じ目的に向かって、同じ責任をもって、同じ戦いをしていくのです。
 毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、「きょうも一日、弟子は戦います! 勝ちます!」とお誓い申し上げて出発する。不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。
 恩師と出会って62年。行住坐臥、私は常に先生と一緒で戦い抜いてきました。恩師は、私の血潮の中に厳然と生き続けておられます。今世も一緒であり、三世にわたって一緒です。
 戸田先生と初めてお会いしたのは、東京・大田区の座談会です。昭和22年(1947年)の8月14日、木曜日の夜でした。先生は47歳、私は19歳。私は、先生に質問申し上げた。
 「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
 先生は私の目をじっと見つめ、答えてくださいました。
 人間の長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる。人間、生きるためには、生死の問題を、どう解決したらいいか──これだ。これが正しく解決されなければ、真の正しい人生はない」
 「生死」という人類の根本問題を解決するには、仏法の信仰しかない。この大確信を先生は、名もない一青年に諄々と語ってくださったのです。
 この出会いから、私の師弟不二の闘争は始まりました。私が戸田先生にお仕え申し上げたのは十年余。しかし、この10年で、100年にも、1000年にも匹敵する薫陶を受け切ったと自負しています。
4  最蓮房への御金言
 今回拝する「生死一大事血脈抄」の御聖訓は、師弟という仏法の真髄を明かされています。
 「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
 ──あなた(最蓮房)は、過去の宿縁に運ばれ、今世で日蓮の弟子となられたのでしょうか。釈迦仏・多宝如来の二仏こそがご存じでありましょう。法華経化城喩品の「在在諸仏土常与師倶生」の経文は、よもや嘘とは思われません──。
 本抄は文永9年(1272年)の2月11日、大聖人が流罪の地・佐渡で、門下の最蓮房に与えられた法門書です。
 最蓮房は、天台宗の学究ですが、何らかの理由で佐渡に流罪された人物とされます。大聖人の法門と御人格にふれて、帰依しました。
 教学の素養を具えた知性派であり、しかも熱い求道の心に燃えた門下でありました。この「生死一大事血脈抄」や「諸法実相抄」など、仏法の極理を明かされた重要な御書を、数多く賜っています。
 流罪の地・佐渡で出会い、共に大難にあいながら、弟子の道を貫く覚悟をもった門下。まさに不思議なる縁の師弟であります。
 その最蓮房を、大聖人は最大に讃え、「在在諸仏土常与師倶生」の経文を示されたのです。
 これは、法華経化城喩品第7の文で、「在在いたるところの諸仏の土に 常に師とともに生ず」(法華経317㌻)と読みます。
 あらゆる仏の国土に、師と弟子が常に倶に生まれ、仏法を行ずる。すなわち、師弟の因縁は今世だけでなく、永遠にわたることを明確に示しています。
 法華経の最大のテーマは、「師弟不二」にあるといっても過言ではありません。
 弟子たちを、いかに自身と同じ不二の仏の境涯に高めるか。また、そうなれる力があることを、どう弟子たちに悟らせるか。ここに、師・釈尊の深い慈悲と智慧があったのです。
5  仏の「三周の説法」
 法華経では、そのために、弟子である声聞たちの機根に合わせて、法理、譬喩、因縁という三つの視点から「師弟不二」の教えが説かれております。
 声聞・縁覚の境涯でとどまってはいけない。皆、師匠と同じ仏菩薩の境涯を得られるのだ。この「師弟不二」の成仏の教えを三度にわたってめぐり説いたので、これを「三周さんしゅうの説法」と呼びます。
 師匠は、弟子が生命の勝利を勝ち得るまで、繰り返し、粘り強く指導を続けるのです。
 「在在諸仏土常与師倶生」の文は、この三番目の説法(因縁周)で語られます。
 すなわち、仏と衆生の「因縁(原因とかかわり、いわれ)」は今世だけではない。過去世の修行時代から長遠の間、続いてきたことを説いているのです。
 ──三千塵点劫もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏という仏の16番目の王子として活躍していた。仏と同じく法華経の教えを弘め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に王子であった私と因縁を結んできたのです──と。そこで明かされるのが、この「在在諸仏土常与師倶生」の教えです。
6  師弟の宿縁は永遠なり!
 釈尊の説法を聞いた弟子たちは心から驚嘆し、そして随喜した。「師弟不二」という深遠なる境地を、法理でも譬喩でもなく因縁を説かれることによって生命の底から実感し、信ずることができたのです。
 最蓮房も、当然、この経文のことを知ってはいたでしょう。しかし、それをわが生命に即して深く会得するためには、偉大なる師匠との全人格的な交流が必要だったのです。
 経文に、よもや嘘があるはずはない──。この仰せに、最蓮房は大聖人との深き宿縁を確信したに違いありません。
 如来の金言は絶対です。ところが、凡夫の浅い境涯では、その境地をなかなか信じることができない。時には遠いお伽話のように感じることもあるかも知れない。
 しかし、法を体現した師匠の広大無辺な境涯にふれるならば、生き生きと実感し、如実に体得していけるのです。
 師の慈悲は、弟子が思っているよりも、遥かに深く大きい。弟子の小さな境涯のカラを打ち破り、より高みへと引き上げてくださる存在が、師匠なのであります。
7  仏法は庶民が主役
 釈尊の教えを聞いた弟子の大多数は、仏との深い「因縁」を聞いて発心した人々でありました。師匠の人格、師匠の慈悲、師匠の境涯を命で感じ取り、心から尊敬して、師の教え通り、ひたぶるに実践する人こそが、直系の門下といえる。
 最優秀の最蓮房でさえ、机上の学問で得た「理」を突き抜けて、師匠の大境涯から発せられた法門への「信」によって、仏法の極意を会得していった。
 仏法は、どこまでも「以信代慧」(信を以って慧に代える)です。肩書や学歴などは、信心とは関係ない。仏の金言を強盛に信じ抜く力(信力)、行じ抜く力(行力)によって、人生の勝負も幸不幸も決まるのです。
 日蓮大聖人の仏法は、一部のエリートのためのものではありません。どこまでも、無名にして勇敢なる庶民が主役である。
 戸田先生は「創価学会の大地は、全民衆から盛り上がる力に満ちている」と宣言されました。
 真剣に信心に励み、広布へ戦う真面目な民衆を見下したり苦しめたりする者は、大謗法である。仏罰は厳しい。
 戸田先生は今回の御文を講義され、教えてくださいました。
 「師匠と弟子というものは必ず一緒に生まれるという。この大聖人様の御言葉から拝すれば、実に皆さんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてきたのです」
 これこそ師弟の「約束」です。
8  師とともに勝つ!
 戸田先生は、戦後、学会再建の第一歩の座談会でも、この「在在諸仏土常与師倶生」の経文を踏まえて、殉教の師・牧口先生と共に、三世永遠に戦うご決意を、烈々と師子吼されました。
 大聖人は最蓮房に「我等無始より已来師弟の契約有りけるか」等、たびたび「契約」という表現を用いられています。
 世法の次元においても「契約」という言葉には重みがあります。いわんや、仏法上の「契約」です。それは、絶対にたがえない仏の約束ということです。
 しかも、仏法の「師弟の契約」は、今世限りの関係ではありません。
 師と弟子が、ともに大難を受けながら、命をかけて仏国土の建設のため、人類の宿命転換のために戦う。その実像の中に、過去から未来へと続く久遠の生命の栄光が、凝結しているのです。
 広宣流布という無上の使命を抱いて、我らは「勝つため」に生まれた! そして「師とともに」戦い勝つ! これが師弟の約束です。誓願であります。
 「在在諸仏土常与師倶生」とは、三世永遠にわたる師弟不二の広布大願のドラマにほかなりません。
9  未来へ! 偉大な共戦譜を
 「きょうはすごい功徳を話すことにする」── ある時、戸田先生は切り出されました。
 「我々はこの世に生命を受けて生きているが、決して今世だけの生命ではない。過去、現在、来世にわたって、三世に仏の大生命を体得するのである」
 我ら凡夫が三世にわたって常楽我浄の幸福境涯を会得できる。そのための信心であり、師弟の道なのであります。
 きょう8月14日は、昭和27年(1952年)、私が愛する関西への第一歩を印した日であります。
 縁深き大関西、そして東京、神奈川の友をはじめ、全国の同志は今、大聖人の仰せのままに「立正安国」の対話を広げ、「広宣流布」の拡大に挑戦してくださっている。その尊き同志の健康・長寿とご多幸、そして栄光勝利を、私は祈りに祈っています。生命の次元で、私と皆様は永遠に一体不二であります。
 また、お盆に当たり、私は亡くなられた全同志の方々に、追善回向のお題目を送らせていただいております。
 仏法の三世の生命観に照らすならば、広布の途上に逝いた同志も「寂光の往生を遂げ須臾の間に」と仰せの如く、元初の生命力を漲らせて、すぐに妙法流布の陣列に戻って来られることは絶対に間違いありません。
 広宣流布のため、信心の上での苦労は、未来永遠の自身の大勝利と、一家一族の大福運に直結しています。
10  「君の師匠は僕だ」
 それは、昭和25年(1950年)の8月の24日。私の入信3周年の日でした。戸田先生の事業が破綻をきたし、先生は一切の責任を担われ、学会の理事長職を辞任することを発表されたのです。
 しかし、理事長が誰になろうとも、私の師匠は戸田先生以外におられませんでした。
 「先生! 私の師匠は……」。こう申し上げる私に、先生は「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は僕だよ」と、涙を浮かべて応えてくださいました。
 この一言に勇気百倍して、私はますます畏れなく、師をお護りする戦いに打って出たのです。胸を患い、痩せ細っていた体から、鋼の如き一念で師子奮迅之力を湧き立たせました。そして先生を、学会を、阿修羅の如く護り抜いたのです。
 当時、私は日記に綴りました。
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 「歓喜で働ける日、苦しみながら戦う日、様々だ。だが、これ程、真剣に戦えば、絶対に悔いはない。倒れても、誰人も見ていなくとも。御本尊様のみ、すべてを解決して下さる」
 その絶対の誠心を一首の和歌に託し、先生に捧げました。
  古の
    奇しき縁に
      仕えしを
    人は変れど
      われは変らじ
 恩師の不二の分身として、私は戦いました。そして勝って、師の正義と真実を、満天下に示してきたのです。
11  終戦の日に寄せて
 あす8月15日は、64回目の終戦記念日です。私は妻と共に、戦争で亡くなられた日本、アジア、そして全世界のすべての方々のご冥福を心より祈っております。
 終戦2年目の夏、国が亡んだ日本で、19歳の私は、戸田先生にお会いしました。
 師と弟子は、広宣流布という人類未聞の”無血革命””平和闘争”に、敢然と立ち上がりました。
 そして今日、創価の平和・文化・教育の大河は、世界192力国・地域に燦然と広がっています。
 「古の奇しき縁」に目覚めた弟子は、あらゆる迫害の烈風を乗り越え、全同志と共に、この地球上に平和と人道の大潮流を創り起こしたのです。
 創価大学でも教鞭を執られた経済学者の故・大熊信行博士は、戦後日本の民主主義・平和主義のあるべき姿について、警鐘をこめて鋭く論じておられました。
 日本と世界に永続的な平和を建設するためには、「死をおそれぬ平和主義者の出現を必要とするように思われる」
 「人類を破滅からすくうためには、そのために命をささげて悔いない覚悟が、だれかれの胸中に生まれてくることが必要である」と。
 「平和」とは、観念の遊戯ではない。また、保身や宣伝のための掛け声でもありません。
 「不惜身命」の精神で、民衆の幸福のため、自らは犠牲となって戦う覚悟なくして、真の平和社会は創り出せません。
 指導者自身がいかなる哲学を持つか。その生命観・生死観・民衆観が、浅薄であれば、どんなに美辞麗句を並べても、社会を誤った方向へ向かわせてしまう。それが歴史の教訓です。
 小説『人間革命』の冒頭に、私は綴りました。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」。そして「愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである」と。
 三世永遠の甚深の生命観に立脚した仏法こそ、21世紀の人類を平和ヘリードしゆく最高の指導理念であります。
 初代・牧口先生、2代・戸田先生の師弟は、軍部権力の弾圧で投獄されました。牧口先生は獄中で殉教であります。お二人の命を継いだ私も、無実の罪で獄中闘争・法廷闘争に挑みました。そして巌窟王の決心で、厳然と打ち勝ってきたのです。
 戸田先生は、最も苦境の中で、私に言われました。
 「大作、私のこの世に生まれた使命は、また君の使命なんだ。私と君とが使命に生きるならば、きっと大聖人の御遺命も達成する時が来るだろう」
 今度は、わが宿縁深き青年たちが、この三代の「師弟不二」にして「生死不二」の平和闘争を断固として受け継ぎ、人類の悲願を実現してくれることを、私は固く信じています。
 8月14日は「伸一会の日」でもある。後継の伸一たちよ、不二の弟子と立て! 絶対勝利の将の将たれ! これが「師弟の契約」です。
 私の友人である、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長が語ってくださいました。
 「私は、三代にわたって大きく展開されてきた”創価の理念”が、地球上の多くの人々の心の中へと広がり、万年にわたって輝き続けることを念願しています」
12  まさ前進すすむべし」
 さあ、平和の仏国土を建設しゆく我らの聖業は、いよいよこれからが本番であります。
 法華経で「在在諸仏土常与師倶生」と説いた釈尊は、弟子たちに呼びかけました。
 「汝等なんだちは当に前進むべし」
 「当に大精進をおこすべし」
 前進せよ!大いに精進せよ!その人こそが「師弟不二」である。これが仏の遺命です。
 非暴力の英雄ガンジーの高弟バジャージは叫んでいる。
 「私は、幸せである。恐れなど、何もない。私にあるのは、ただ一つの願いだけである。それは、師とともに戦うという、この至福の喜びを楽しむことだ」と。
 戦おう!私と一緒に勝ち進もう!全員が19歳の青年の心意気で、”創価の師弟ここにあり”と、未来永遠に痛快な勝利劇を綴りゆこうではないか!
  新世紀
    胸張り進まむ
      師弟不二
    断固と勝ち抜き
      歴史ぞ残さむ

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