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日蓮大聖人・池田大作

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不退転の信心 (第18回)

2009.7.2 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
2  女性門下の師弟不二の心を御賞讃
 「一歩も退くな! 広宣流布の前途を勝ち開け!」
 恩師・戸田城聖先生の遺言であります。
 信心とは、断じて貫き通すことです。御本尊に祈り抜き、「法華経の兵法」で戦い切っていくならば、勝ち越えられない試練などない。そこに必ず、無上の幸福境涯が開かれていくことは、御書に照らして絶対に間違いありません。
 今回は、不退転の信心を強調された「辨殿尼御前御書」の御聖訓を拝読します。
 「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
 この御書は、辨殿(大聖人門下の弁阿闍梨日昭)と、その縁者である尼御前に送られた御手紙です。
 本抄を記されたのは、佐渡流罪中の文永10年(1273年)9月19日のことです。絶海の佐渡での御生活は、窮乏を極め、常に死と隣り合わせの状況であられました。
 その大聖人の御身を案じ、尼御前は鎌倉から佐渡まで、自分が頼みとしている使用人を遣わして、お側で仕えさせるなど、不二の心で赤誠を尽くしたのです。大聖人は、こうした尼御前の真心に最大に感謝され、賞讃されています。
3  国土を変革するいくさ
 御文では、大聖人が「法華経の行者」の身として、仏法正義の「大兵」を起こしてから、二十余年を経たと仰せです。
 この「二十余年」とは、建長5年(1253年)4月28日の立宗から、本抄御執筆の時期までを指します。立宗の日より、ただの一度たりとも退く心なく、戦い抜いてこられたと師子吼なされているのです。
 「一度もしりぞく心なし」! ──これほど誇り高き魂の勝利宣言があるでしょうか。信心の真髄である「生涯、絶対不退転」の精神を教えてくださった御金言であります。
 それでは、「大兵を・をこして」とは、どのような大闘争であられたのか。
 この御文の直前には「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう」(同㌻)と記されております。
 第六天の魔王が十種の魔軍を率いて戦を起こしてくる。そして、法華経の行者と、この娑婆世界を取られまい、奪おうと、あい争うことを、喝破されているのです。「生死海の海中」とは、生老病死の苦悩が荒れ狂う、この現実世界を譬えた表現であります。
 それは、末法の衆生が実際に暮らしているこの国土を、穢土から浄土へ変革できるかどうかの法戦です。
 まさに広宣流布とは、仏が陣地を取るか、魔に奪われるかという熾烈な死闘なのです。
 「十軍」とは、さまざまな煩悩を、魔軍として十種類に分けたものです。「大智度論」には──欲、憂愁うしゅう(憂えること)、飢渇きかつ(飢えと渇き)、渇愛かつあい(五欲に愛着すること)、睡眠、怖畏いふ(怖れること)、疑悔ぎけ(疑いや悔い)、瞋恚しんに(怒り)、利養虚称りようこしょう(財を貪り、虚妄の名聞に執着すること)、自高蔑人じこうべつにん(自ら傲り高ぶり、人を卑しむこと)──という十の魔軍が挙げられています。
 衆生が住む世界を支配しようとする第六天の魔王が、これら「十軍」を従えて、あらゆる手を使い、法華経の行者を圧迫し、蝕もうとするのです。
 この「十軍」に対して大兵を起こすとは、まず、自分自身の「己心の魔」との真剣勝負であります。
4  「信の一字」で勝て
 そして、胸中の魔性に打ち勝つ要諦とは、第一に「不退転の信心」であると、大聖人は教えてくださっているのであります。何があろうと、わが信仰の戦闘を続行しゆく「不退の人」こそが「勝利の人」です。
 牧口先生は叱咤なされた。「大聖人は『大悪をこれば大善きたる』『各各なにをかなげかせ給うべき』と仰せである。どんな時、どんな場合でも、それをバネとして、大きく転換していけ!」
 少しも嘆かない。前へ前へ進む信心こそ、「大悪」を打ち破り、「大善」に転じ切っていく力です。
 「進まざるは退転」である。もう一歩、あと一歩と忍耐強く攻め抜く。勝利をつかむ最後の一瞬まで前進をやめない。この心が大切なのです。この一念が勝敗を決するのです。
 第二の要諦は「挑戦の心」です。「大兵」を起こすとは、第六天の魔王という、大宇宙に瀰漫びまんする根源的な魔性に対する断固たる挑戦だからであります。
 第六天の魔王の正体とは、「元品の無明」(=根源的な無知)です。
 政治も経済も、教育も文化も、さらに国際社会全体も、この見えざる生命の魔性を打破していかなければ、民衆の真の幸福を確立することはできない。
 大聖人の御在世当時がそうであったように、末法がさらに進んだ現代においては、創価学会の躍進に対し、あらゆる誹謗・中傷が浴びせられてきました。
 それは、元品の無明に心を囚われ、怨嫉の炎に焼け焦げた姿にほかなりません。
 こうした生命次元の「戦」に厳然と勝つ力が信心です。
 大聖人は、「元品の無明を対治たいじする利剣は信の一字なり」と仰せです。
 「信の一字」の利剣で、生命の元品の無明を断ち切るのが、我らの折伏行です。社会の精神土壌を根底から変革し、民衆が喜び栄える仏国土を築きゆく運動が、広宣流布なのです。
5  永遠の信念と正義
 魔というものは、皆を悩ませ困らせる働きをいう。だから戦わなければいけない。いかなる作戦も、その根本は強盛なる祈りです。敵が「魔」だから、「仏」に祈る。それで断ち切っていけるのです。
 戸田先生は叫ばれました。「さあ来い! 魔などに負けてたまるものか! この覚悟で向かった時は、魔は退散するのです」「命がけで戦っている人を、仏様がいつまでも悩ませておくわけがない」
 臆病では、功徳は出ません。
 「戦う!」「挑む!」「断じて勝ってみせる!」──この強靭な一念に、絶対の幸福境涯が必ず開かれていくことを確信していただきたい。
 題目は、そして信心は最強無敵の「利剣」であります。
 「十魔軍」と言っても、信心の利剣で打ち破れないはずがない。すごい妙法なのです。
 戸田先生は語られました。
 「大聖人は、流罪にされようが、何をされようが、大切な民衆を救うために戦い抜かれた。だからこそ偉大であられるのです。迫害のなか、全人民を救うために一歩も退かずに戦い続けられた。この大精神を忘れてはいけない」と。
 何があろうと、毅然と広宣流布へ「前進し続ける」ことができれば、その人はもう勝っている。生命の勝利者なのです。
 広宣流布のために行動すれば自分が得をする。やらなければ自分が損をする。これが信心であり、仏法であります。
 「日蓮と同意」(御書1360㌻)で広布へ邁進しゆく人は、未来の勝利の因を、わが生命に積んでいるのです。三世にわたる大功徳を積むための今日の活動です。今世の修行です。
  正義の人に、敗北はない!
  勇気の人に、不幸はない!
 皆様は、何の報酬も求めず、人々に正しい幸福の道を示し、最高の立正安国の哲学を実践されている。「永遠の信念」と「究極の正義」に生きておられる。これほど尊い使命と栄光の人生はありません。皆様こそ真の菩薩であり、真の仏です。
6  逆境の時にわかる
 中途半端では悔いが残るだけです。戸田先生は、よく言われました。「戦いとは、最後に『本当に楽しかった』と言えるまでやるのだ」と。「私は、やるだけやり切った!」──それが、永遠の「所願満足」につながります。
 「所願満足」とは「不惜身命」と表裏一体です。
 大師匠であられる大聖人は、不退の御決意で戦われました。しかし、大聖人が大難を受けられると、多くの忘恩の弟子が卑怯にも退転してしまった。
 本抄にも「弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」とまで厳しく仰せられています。
 その中で、この尼御前は地道に辛抱強く信仰を貫き通しました。大聖人は「尼御前が、経文に通じてもいない身でありながら、今まで退かなかったことは、申し上げようもないほど嬉しい」(同㌻、通解)とねぎらわれ、讃嘆なされています。
 そして、尼御前が佐渡の大聖人に尽くした真心についても、「必ずや、釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御存じのことでしょう」(同㌻、通解)と感謝されているのです。
 いざという時に強いのは、女性です。逆境の時に、人間の真価がわかる。師匠が大難に遭われた時にこそ、弟子の真実の心がわかるものです。
7  本物の弟子として
 昭和54年(1979年)の3月、私の妻は東京・練馬区の座談会にうかがいました。参加した方々から記念にと求められて、妻は色紙に認めました。
 「不退転 七つの鐘 総仕上げの年」
 以来、30年──。大東京をはじめ全国の婦人部の皆様方は、まさしく「不退転の信心」で戦い歩んでくださいました。
 今日の創価の栄光は、わが婦人部の栄光であります。皆様の幸福と勝利を、私も妻も、日々真剣に祈り抜いております。
 「不撓不屈の精神をかたむければ、何でも楽しい」(蓮実重彦訳)とは、19世紀フランスの作家フロオベールの言葉です。
  師も不退! 弟子も不退!
  師も前進! 弟子も前進!
  これが師弟不二の実像です。
 この不二の闘争があるところ、三世十方の仏菩薩、諸天徳神が、動きに動き、護りに護ります。冥の照覧は絶対です。
 戸田先生は願われました。「よき広宣流布の闘士として、末代にまで、自己の名を歴史に残していただきたい」
 昭和25年(1950年)の6月3日。22歳の私は、「辨殿尼御前御書」の御聖訓を日記に記し、こう綴りました。
  「青年よ、快活であれ。青年よ、理想に、厳粛に進め」
  「先生、見ていて下さい。きっとやります」
 この決意のままに、私は走り通してきました。本物の師匠に、私は本物の弟子としてお仕えし抜いた。広宣流布のご構想を実現するため、執念、また執念で全魂を尽くしました。
 昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」では、私は関西の同志とともに、一万一千百十一世帯の弘教という不滅の金字塔を打ち立てました。
 「勇戦」の二字を墨痕に託し、友を鼓舞したこともあります。戦後の日本社会の闇を照らしゆく目覚めた民衆の潮流を、私は巻き起こしていったのであります。
 あの「夕張炭労事件」に続いて、「大阪事件」が勃発したのは、翌32年の7月です。
 御聖訓通り、三類の強敵との闘争なくして、広宣流布はない。正義の民衆が勝たずして、日本の民主主義の真の夜明けもない。これが、戸田先生から平和勢力の確立を託された私の覚悟でした。
8  悪を抑えてこそ
 一切の艱難よ、わが身に来い。戸田先生には、指一本たりとも触れさせてなるものか! 私はこの一念で、わが胸中から「大兵」を起こしました。不二の誉れの直弟子として、「しりぞく心」なく、獄中闘争に臨んだのです。
 7月3日に入獄。奇しくも、12年前の戸田先生の出獄と同じ日、同じ時刻でありました。
 そして、2週間後の7月17日に出獄。私は、中之島公会掌の大阪大会で宣言しました。
 「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
 今もまったく変わらず、私は燃え上がる「必勝」の情熱で、世界広布の指揮を執り続けております。断固たる勇戦! これが師弟の七月の魂であります。
 御聖訓には、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と仰せです。悪を滅して善を生じる、その戦いに大功徳があるのです。
 悪を抑えなければ、善は伸びない。邪悪と戦わなければ、功徳も成仏もありません。
 「学会は『日本の潮』」──かつて戸田先生は、こう題して講演されました。
 「この創価学会の潮を、全東洋に流し、地上に楽土をつくらんとするのが我らの理想であります」
 恩師の烈々たる大音声が轟いてから五十余年──。
 初代・牧口先生、2代・戸田先生が起こされた妙法流布の「大兵」を受け継いで、私は、尊き仏の陣列を世界192力国・地域へと拡大しました。
 今日、創価学会は「世界の大潮流」と広がっております。我らの世界広宣流布は、いよいよこれからが本番であります。
9  人類を勇気づける
 インド独立の父マハトマ・ガンジーの直系の大哲学者であるラダクリシュナン博士は、語ってくださいました。
 「師の心を心として行動する一人の弟子の峻厳な態度と、揺るぎない師への思い。あらゆる機会に、その前進を阻もうと容赦なく押し寄せてくる想像を絶する困難を、悠々と乗り越えゆく創価の師弟──。その姿は、人類を最高に勇気づける振る舞いとして、歴史に残っていくでしょう」
 「今、全世界に幾百万の戦う創価の青年の連帯が築かれています。皆、偉大なる非暴力の闘士です。ゆえに私は、今後の世界の動向は、ひとえに、この目覚めた献身的なSGIの青年の躍進にかかっていると確信してやみません」
 世界の命運は創価の青年にあり! 創価は世界の希望なり!この大確信で、「しりぞく心」なく、前進また前進、勝利また勝利の歴史を綴ろうではありませんか!
  勝ちにけり
    また勝ちにけり
      学会は
    君らの戦闘
      君らの勇気で

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