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日蓮大聖人・池田大作

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地涌の団結 (第15回)

2009.5.20 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや
2  「信心の団結」は無敵なり
  断固立て
    勇猛みなぎる
      千万の
    地涌の友の
      勝ちどき確かと
3  我らの勝利の要諦は何か。それは強き祈りと団結です。
 恩師・戸田城聖先生は、遺言なされました。
 「われわれは、未曾有の広宣流布のために、地から涌き出た、地涌の菩薩である。どれほど尊貴であり、使命があるか。この使命に生ききることが最高の人生である」
 「勇気を盛りおこし、たがいに怨嫉することなく、一団となって、勝利の大道を進もうではないか!」
 わが創価学会の団結は、利害による結びつきではありません。日蓮大聖人の仰せのままに、人類救済という最高唯一の大目的に前進しゆく、崇高な使命の連帯なのです。
 「諸法実相抄」には、こう宣言されております。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや
 未来永遠の広宣流布を展望なされた、壮大な御聖訓であります。私たちの戦いの一切は、この御金言の方軌に則った地涌の大行進なのであります。
 学会創立80周年を目前に控えた今、私どもは、あらためてこの「地涌の義」を深く心肝に染め、万代にわたる広宣流布へ出発してまいりたい。
 「諸法実相抄」は、大聖人が52歳の御時、文永10年(1273年)5月に佐渡でしたため、最蓮房に与えられました。この御文では、末法の民衆を救う極理中の極理である南無妙法蓮華経を、ただ御一人から唱え出された大聖人に続き、「二人・三人・百人と次第に」唱え伝えていく。未来もまた同じ方程式であり、これが「地涌の義」である──こう仰せです。
 この「地涌の義」を、私たちの実践的な面から拝したい。
 まず第一に、「日蓮一人」から開始なされた大闘争に、報恩の一念で続きゆく弟子の決心が肝要となります。
 師匠とは先覚者の異名です。いかなる分野でも、師匠ありてこそ、人間の成長の道が開かれる。なかんずく、仏法は、三世永遠にわたって生命の闇を照らす根本の法です。この根本法を説き明かされた大聖人こそ、人類の大師匠であられます。
 この師匠の大恩を感じ、その大恩に報いゆく戦いを、自らも「一人」から開始する。これが真正の弟子であります。
4  「一人立つ」輝く闘士が無数の眷属と共に出現
 御本仏の未来記に呼応し、20世紀の日本に出現したのが、初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田先生の師弟でありました。そして、仏勅の和合僧団・創価学会であります。
 戸田先生は「私たちは、大正法を広宣流布して、仏恩に報い、一切衆生を三悪道の流転より救出せんと誓願して、起ち上がっているのである」と、誇り高く叫ばれました。
 「一人立つ」地涌の闘争を貫かれた両先生への報恩感謝を、私たちは決して忘れてはならない。永遠に失ってはならない。
 私は、この一心で、両先生の正義と真実を世界中に叫び、宣揚してきました。師匠への報恩の心で一人立つ!これが「地涌の義」の第一であります。
 第二に、「地涌の義」とは、一人から二人、三人、百人と、尊極の仏菩薩の大生命を、次々に呼び覚ましていく戦いであります。
 地涌の菩薩とは、法華経の涌出品第15で、大地から躍り出て、釈尊のもとへ集う無量無数の菩薩たちです。
 悠久の大河ガンジスの砂粒の数。その無尽の数のさらに6万倍と形容されるほど多くの光り輝く菩薩が、それぞれ無数の眷属(仲間)を率いて、縦横無尽に、しかも見事な団結の陣列で大地の底から登場してきたのです。
 「次第に唱へつたふる」とは、この地涌の菩薩のように、自行化他の実践で、妙法を唱える友の水かさを増しゆくことです。それは、一人から一人へ、友から友へ、仏法の正義を語り伝え、人々の内なる仏菩薩の生命を呼びあらわす大言論運動の拡大であります。
 我と我が友の胸中に、地涌の大生命よ、湧き上がれ! この一念で、あらゆる人々と出会い、語らい、心を結んでいくのです。私も、いずこにあっても、そうしてきました。
 内外を問わず、縁するすべての人々の魂を揺さぶり、相手の仏性を呼び起こす思いで、大誠実の対話を重ねてきました。今もまったく変わりません。
 真剣な祈り、そして勇気の対話こそ、万人の胸中から、地涌の生命を引き出す要諦です。そのためには、朗々と題目を唱えて、わが胸中の地涌の大生命力を奮い起こすことです。
 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」と説かれる通りです。
 また、妙法を「唱へつたふる」使命を帯びた地涌の大生命には、人と人を結びつける偉大な力が漲っています。
 皆様が、家族に、地域の同志に、そしてあらゆる友人たちに語りかける声の響きこそ、一人一人の胸中の仏の生命を発動させゆく最高の仏縁となります。これが地涌の対話の力です。
 地涌の大連帯も、一対一の心の結合から始まる。これが「地涌の義」の大切な側面です。
 私が対談した世界的な宗教学者であるコックス博士(ハーバード大学教授)は、「宗教(レリジョン)とは、本来、『再び結び付けること』を意味します。人と人との絆を、もう一度、取り戻すこと。そこにこそ、現代における宗教の果たすべき役割もあると思います。その達成こそ、私がSGI(創価学会インタナショナル)に強く希望することの一つなのです」と語られておりました。
5  後継・拡大・勝利の真の弟子たれ
 そして第三に、「未来も又しかるべし」──この地涌の人材の陸続たる流れは、未来も変わらないと大聖人が断じておられる。広布に生きる地涌の前進は、未来永遠にわたって続いていくとの大確信です。
 「我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり
 いわば、地涌の菩薩とは、久遠の釈尊の秘蔵の直弟子です。であるからこそ、師匠の構想を実現することができる。
 涌出品、そして寿量品という経文の流れに沿って拝すれば、師匠である仏の本地が明かされてからその次に、弟子である地涌の菩薩が出現したのではない。まず荘厳な弟子が出現することによって、師匠の永遠の生命が証明されていったのです。
 まさしく地涌の菩薩は、師と共に、いな、師に先んじて、久遠の過去から永劫の未来へと突き進む「師弟不二」の勝利の魂を明かしているのです。
 要するに地涌の菩薩とは──
  ①師への報恩感謝に燃えて、自ら一人立つ「後継の弟子」
  ②師の教えを広げ、人々の仏性を引き出す「拡大の弟子」
  ③師と共に永遠に歩み、真実を証明しゆく「勝利の弟子」──と言ってよい。
 このように、本抄に示されている「地涌の義」とは、師弟不二の大道を歩む弟子たちの不変の指標なのです。
 この正道を世界中の民衆が胸を張って歩み、広宣流布を実現していけるよう、現代的な地涌の組織を築き上げた教団こそ、創価学会にほかならない。
 そのためにも、一番大事なのは「地涌の菩薩の団結」です。団結がなければ、真の後継も拡大も勝利もありません。
 戸田先生は、地涌の連帯を築きゆく”信仰と組織”について語られました。
 「わが創価学会は、その信仰の中心に、絶対唯一の御本尊を有し」「これを現代化し、科学的にし、今日の立派な組織ができあがったのである。この力は、世の模範であるとともに、世の驚異である」
6  人類の未来を開く使命あり!
 信心の成長と広宣流布の前進にとって、皆で励まし、守り合う「組織」の存在は絶対に不可欠です。末法濁世に、一人だけで信行学を成し遂げ、法を弘めることは不可能だからです。
 師匠のもと、善き同志の支えと励ましありてこそ、共に成仏の道を歩んでいけるのです。これが「善知識」「和合僧」という法理です。わがままな仏道修行などあり得ない。
 師弟という縦糸、地涌の同志という横糸。この縦横の絆が織りなす幸福・勝利の大いなる布を広げていくことが広宣流布なのです。
 正しき和合僧団に連なってこそ、永遠に崩れざる幸福・勝利の人生を完結することができる。現代で言えば、誉れある創価学会員として使命の道に生き抜くことであります。
 戸田先生は、「一人一人が、自分の力を最大に発揮して、目的のために強く伸び伸びと前進してゆけば、おのずから深い団結がなされていく」と指導されました。
 広布の組織は、いわゆるピラミッドではありません。師匠を中心として広がる”同心円”の連帯と言えるでしょう。
 御本尊の前には皆、平等です。役職の上下は役割の違いにすぎません。全員が尊い使命をもった、かけがえのない地涌の闘士であります。
 ゆえに、同志に怨嫉をしてはなりません。同志を妬んだり中傷したりすれば、福運を消してしまうからです。
 大聖人は、「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」を戒められています(御書1382㌻)。同志を軽んじたり、憎んだり、恨んだりしてはならない。それでは、広宣流布という大目的を忘れた悪心に食い破られてしまう。
 いわんや、我見や慢心に囚われて組織を撹乱したり、分断しようとすれば、厳しい仏罰を受けるだけです。
 戸田先生は、繰り返し戒められました。
 「広宣流布という至上の目的に生きることを忘れるな! この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう」
 「創価学会の中で、最高の仏法を教えてもらいながら、その恩を忘れて、学会を裏切り、師敵対する。これほどの恩知らずの畜生はいない」
 学会の組織は、御本仏・日蓮大聖人の大生命そのものである。3代の師弟が全生命を注いで築き上げ、護り抜いてきた創価の大城を、未来永遠にわたって絶対に壊してはなりません。何者にも壊させてはならない。悪と戦わなければ、地涌の菩薩ではありません。
 学会を護り、発展させゆくため、「能忍」の心で戦う人こそが、真の地涌の勇者なのです。
 もちろん、凡夫の集まりですから、性格的に合わなかったり、感情的な行き違いをする場合もあるかもしれない。
 しかし、だからこそ自身の境涯を大きく開くことができる。広布のリーダーは、まず自分が「一人立ち」、誰よりも苦労し、経験を積んで、道を発見していくことです。それで初めて、”将の将”として大勢の友をリードしていけるのです。
 戸田先生は言われました。
 「組織の第一線を汗まみれになって駆け巡り、同志を励まし、友と語っていくことだ。その中でこそ、本当の信心、本当の学会を肌身で知ることができる」
 どうすれば、皆の力を生かせるか。皆を成長・幸福・勝利の方向へ向けられるか。実に崇高な悩みではありませんか。まさに「仏の悩み」と等しい。
 「責任は悟達に通ず」です。「上に立つ指導者が無責任であれば、一切が崩れてしまう」と、戸田先生も厳しかった。
 広布の大目的を担い立って、一つ一つ悩み、祈って乗り越えていく。その繰り返しの中で、わが生命に上行菩薩の力用が涌現します。そこに、金剛不壊の仏の智慧が輝き、無量無辺の福徳が広がっていくのです。
7  大聖人は仰せです。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る」──「自他彼此の心」とは、自分と他人を差別し、対立させる心です。
 その対極にある「水魚の思」とは、水と魚のように、一体となって仲良く進む同志愛です。『三国志』に綴られる諸葛亮孔明と劉備玄徳の絆(水魚の交わり)に由来するものであります。
 『三国志』は、志を同じくする英雄たちの団結の劇です。
  あの水滸会で学んだ折にも、戸田先生は、有名な桃園の契りで結ばれた劉備・関羽・張飛の団結について語ってくださいました。
 「三人が共によく互いの短所を知って、補いあっていけたから、団結できたのだ」
 「どれが短所か、また長所は何か、を知っていくことが、互いに相手の人物を理解する基本となるものだ」と。
 まして、師弟の魂を根幹とした私たちの「信心の団結」は、最強無敵であります。
 人類は、平和と幸福を開く共生の哲学を渇望している。その悲願を担い、地球文明の未来を照らしゆく太陽が、日蓮仏法です。我らSGIの大連帯です。
 アメリカの仏教研究家ストランド氏は、こう賞讃されております。
 「SGIは、強力な組織を持ちながら、そこに属する会員は、個人の高いレベルで自身の力を発揮しています。組織が人々を型にはめると、組織は発展しません。しかし、枠を取り払ってしまうと組織は分解してしまいます。その点、創価学会の組織は、絶妙なバランスをもって運営されていると思います」
 世界は正しく見ています。
 戸田先生は叫ばれました。「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか!」と。
 我らは地涌の菩薩なり! 我らは人類の希望なり! この大いなる確信に燃え、「栄光の団結」で勝ちまくって、創価の道を切り開いていきましょう!
  君もまた
   永遠とわの同志と
      仰がんや
   共に共にと
      和合の力で

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