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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝と青年 (第3回)

2008.12.25 「御書と師弟」

前後
1  御聖訓「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり
2  永遠を一瞬に凝結しゆく唱題行
 「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘るるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第15には「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」(法華経466㌻)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。
3  胸中の仏の太生命
 「三身」とは、仏の生命の三つの側面であり、端的に言えば「法身(真理)」「報身(智慧)」「応身(慈悲)」です。この三身がそろった完全な大生命が、他のどこでもない、わが胸中から湧き起こってくるのです。
 どれほど素晴らしい妙法の功力であり、どれほど深遠な法理であり、どれほど荘厳な私たちの仏道修行でありましょうか。
 凡夫である私たち自身の内に尊極の仏の生命が厳然と具わっている──この仰せは、仏法の人間主義の精髄です。
 古今東西、権威の聖職者らが民衆を見下し、抑圧してきたのが、多くの宗教の悲劇の歴史です。「御義口伝」は、こうした人間蔑視、民衆蔑視の宗教に対する挑戦であり、高らかな勝利宣言とも拝察されます。
 「一念に億劫の辛労を尽せば」──私は若き日より、この「御義口伝」を身で拝し切る覚悟で、戸田先生の弟子としての戦闘を貫いてきました。
 広宣流布の大師匠であられる戸田先生をお護りし、その構想を一つ一つ実現するために、一念に億劫の辛労を尽くすのだ、と誓願していたのであります。
4  今の「一念」が勝負
 私が先生にお仕えしたのは十年間です。しかし、そこには百年、いな千年にも匹敵する師弟の歴史が刻まれました。
 「南無妙法蓮華経は精進行なり」──甚深の仰せであります。
 精進の「精」とは「無雑」。混じりけのない信心です。「進」とは「無間」。絶え間ない前進です。この純一にして不退の「行」に励みゆくことが、私たちの成仏への直道なのです。
 私たちにとって、広宣流布のために苦労しながら、前へ前へ進んでいくことは、すべて「億劫の辛労」に通じていきます。
 今の「一念」が勝利を決する。ロシアの大文豪トルストイも、「今に生きること、つまり、今、最高の行動をすることこそが賢明である」と語った。真剣の一念が未来を開きます。
 「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。「賢者はよろこび愚者は退く」と仰せの如く、試練にも喜び勇んで挑む一念。これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。
 誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。
5  「素晴らしい悩み」
 戸田先生は、よく言われました。「お金がなくて悩む。体が弱くて悩む。悩みは多次元にわたって時々刻々と起こってくる。その中にあって、法を弘めようとして悩む。人々を幸福にしようとして悩む。正しき信心に立って、法のため、人のため、広宣流布のために悩む、ということは、最大の素晴らしい悩みである」と。
 師弟の大願を掲げて行動する、その一瞬一瞬の生命に、仏と等しい生命が「念念に」溢れてくるのです。
 「月月・日日」に強く励みゆく学会活動こそ、現代の精進行にほかなりません。わが同志の皆様こそ、「本来無作の三身」の大生命を「念念に」躍動させて戦う尊貴な地涌の菩薩です。
 「我らは、二十一世紀の精進行の大英雄なり」と、胸を張って勇敢に今日も一歩前進していきましょう!
      ◇
 「御義口伝」は、日蓮大聖人が法華経の要文を講義された御口授(口伝)の筆記です。日興上人が綴り残され、大聖人に御允可をいただいたと伝えられる、真髄の法門です。
 この法華経の御講義は、大聖人が身延に入られてからの数年間にわたり行われました。大聖人は、あらゆる大難に打ち勝たれ、悠然たる勝利の御境涯で、末法万年のため、後継の育成に全魂を注がれていたのです。
6  若師子の大法戦
 数多くの門下の中で、日興上人の闘争力は抜きん出ておられました。大聖人が御年五十三歳で身延に入山された時、日興上人は二十九歳であられた。日興上人は、駿河(現在の静岡県)を拠点として、大聖人のおられる甲斐(項在の山梨県)までの一帯──いわば師匠を厳讃する「本陣」で颯爽と指揮を執り、弘教を展開された。そして、後に教団の中核となる青年門下を続々と育てていかれたのです。
 権力者や邪法の悪僧らは、大聖人の厳然たる師子王の御姿に恐れおののいていた。ゆえに”弟子を狙え!”と矛先を変え、日興上人とその後進たちも”標的”とされた。謀略によって追放された弟子門下もいたのです。
 あの「熱原の法難」は、「御義口伝」を講義されている時代に起こりました。その熾烈な弾圧との戦いの矢面に、若師子・日興上人は立たれたのです。
 師であられる大聖人が、尽未来際に向けて法華経の極理を講義される中で、弟子の日興上人は、破邪顕正のために「億劫の辛労」を尽くしておられた。
 師匠も戦う。それにもまして弟子が戦う。この不二の熱闘の中で、永遠不滅の法門が脈動し、正義の血脈、勝利の血脈が流れ通っていくのです。
 師匠をお護りし、広布の地盤を広げる拡大戦。襲い来る魔軍との攻防戦。日興上人は、この闘争の状況を逐一、大聖人にご報告し、次の前進への御指南を仰がれました。戦いは、ひたぶるに師を求め、師と呼吸を合わせる電光石火の往来の中で勝ち開かれたのです。
 それは、弟子たちが勇んで師のもとに集い、団結を固め、再び戦場に赴くための会議でもあったに違いありません。いわば絶対勝利への”協議会”であり、”幹部会”であったといってよい。
 日興上人は、命を賭しての闘争に身を置かれながら、師の講義を完璧に後世に伝えようとされた。万年の民衆救済へ、遺言の思いで講義なされる師匠。そ師の教えを一言一句も違えず心肝に染め、権力の魔性と戦い抜く覚悟の弟子。あまりにも厳粛でした。その志は、他の五老僧とは天地雲泥であった。
 だからこそ、師の正義と真実を余すところなく残すことができた。「御義口伝」は、まさに師弟不二の勝利劇の結晶なのです。
 歴史は、人間と人間が創る。その究極が師弟です。
 師とともに「精進行」に打ち込める人生は、最高に幸福です。それ自体が不滅の光を放つ栄光の一日一日なのです。
7  戸田先生の講義
 戸田先生は、師・牧口先生にお供されて、命がけの獄中闘争で仏法の真髄を悟達なされた。学者でも、聖職者でもない。最極の法を生命で実践された行者でした。その先生が、時に厳として、時に闊達に、時にユーモアを交えながら、自在に発せられる指導や講義は、幾十万もの庶民の心に勇気と希望の炎を点火してくださいました。
 先生は、場所も時も問わず、あらゆる場面でご指導くださった。ご自宅や西神田の旧学会本部だけではありません。道を歩きながらでも、地方に向かう列車の中でも、突如として御書の講義が始まるのが常でした。
 「本当に私の講義を身をもって受けた人間は、根本的に力が違うよ。あとでわかる」と語られておりました。
8  門下よ戦い進め!
 学会は、戸田先生の願業である七十五万世帯の大折伏に向かって勇猛精進していた。私は師の構想を実現する大闘争の渦中で、深夜、妻とともに、先生の指導を必死に綴り残しました。師の教えを一言も漏らさず、未来永遠に残しゆかんとの祈りを込めてです。
 先生が逝去された後も、小説『人間革命』を不惜身命の激務の中で執筆してきました。さらに先生の全集をまとめ、講義のレコードを作り、先生の思想を語りに語り抜いてきました。
 恩師逝いて五十年──。私は師の正義を社会に宣揚し、世界に広げる使命に、全生命を捧げてきたのです。
 「仏法は、すべて証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない」とは、戸田先生の透徹した指針でした。
 今、私はこの師弟不二の使命と栄光の印綬を、わが青年部の諸君に託したい。
 明年は「青年・勝利の年」。創価の正義を未来へ広げゆくには、師と心を合わせて弟子が妙法を朗々と唱え抜き、「一念に億劫の辛労」を尽くす以外にない。広宣流布は、一閻浮提に開きゆく、師と青年との”勝利の共同作業”であることを宣言しておきます。
 先生は「大作を育てたから、もう安心だ」と語っておられました。弟子の誉れです。師匠にご安心していただけること以上の幸福はありません。
 先生はこうも言われました。「人間は戦うために生まれてきた。進みに進み、勝つために生まれた。これが幸福と平和につながる人生の意義である。人生は勝利のためにある」
 その勝利の力が題目です。
 今、私は直系の弟子である青年部に、万感の期待を込めて呼びかけたい。
 わが門下よ、一念に億劫の辛労を尽くせ! 徹して苦労せよ! 試練の炎の中で生命を鍛え、金剛不壊の大城の如き自分自身を創り上げよ!
 明年も、私とともに戦おう! 私とともに勝って勝って、勝ちまくろう! そして永遠不滅の歴史を築きゆこう!

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